24.男子とお茶を3
カフェの外に出ると、いつのまにか太陽はオレンジ色を帯びていた。
帰りはオスカーが馬車で送ってくれることになり、公爵家の馬車が待機している係留所までふたりで歩いていく。
『探し人』の話のあと、オスカーはあまり口を開かなくなった。
きっと彼の心の中では、行方のわからない『気になる女性』の面影が揺れているのだろう。
ディーナが邪魔さえしなければ、オスカーは愛する女性と幸せになり、ディーナも彼に憎まれることのないまま、生き永らえることができるだろう。
そして二度と彼とは交わらない道筋を、ひとりで歩いていく。
それが巻き戻りのあとから繰り返し思い描いた、望まぬ死を避けるための『最善』の選択だった。
望んだとおりに、今の彼はディーナを殺しはしないだろう。むしろ気にかけ、命すら救ってくれた。
しかしやはり、オスカーの幸せはディーナとは離れたところにあるのだ。
これまでは想像でしかなかった想い人の存在をオスカーから直接聞かされ、自分は彼にとって不要な存在なのだという事実を突き付けられた気がした。
(胸が、痛い)
確かめるようにそっと自分の胸を押さえた。
服の下に刻まれた傷痕を思い出したが、それよりももっと深いところが痛みを訴えている。
しかし芽吹いた痛みは、育てればディーナ自身の死を招くものだ。
疼く痛みを宥めて、わざと明るい声を出した。
「オスカー。この先にある『銅貨の噴水』をご存じですか?」
「………ええ、もちろん。この辺りの待ち合わせによく使われる噴水ですね」
「そうです! わたしはシアに教えてもらうまで知らなかったのですが。噴水に大切な人とふたりで銅貨を沈めると、ずっと縁が途切れないというジンクスがあるのだそうです。噴水に願いを掛ければ………オスカーとお探しの方とのご縁も、また結ばれるのではありませんか?」
何気なくオスカーを振り返ったディーナは、オスカーが立ち止まっていることに気づいた。
夕陽の照り返しで、彼がどんな表情をしているのかよく見えない。
「オスカー? どうし………」
「ディーナ。あまり、そのようなものを信じすぎない方がいいですよ。裏切られたときに苦い思いをします。そんなまやかしに永遠を約束する力などありませんから」
美しい貌に背筋の寒くなるような微笑みを浮かべたオスカーを見て、ディーナの喉がひゅっと音を立てた。
どこまでも静謐な声が纏うのは、おだやかさではなく凍えるような冷たさだった。
感じるのは、明確な怒り。あるいは嫌悪。
(どうして急に)
ディーナの言葉に対してか、それともディーナ自身になのか。
オスカーの瞳は夕日の中でも、はっきりと紅色を帯びていた。
「見合うだけの力がなければ、ささやかな願いさえ永遠に叶うことはありません。こんなものに銅貨を投げ込むくらいなら、その銅貨で菓子のひとつでも買った方が遥かに賢明です」
彼らしくない辛辣な言葉に、ディーナは思わず眉を顰めた。
「………ささやかな願いが叶うように祈ることが罪ですか。なにも信じられるものがないときに、たったひとつのまやかしに安寧を求めることが、それほど愚かなことでしょうか」
「愚かですね。愚かしいことこの上ない」
オスカーはディーナの手を掴んでぐっと引き寄せた。
口づけをするほどの距離でオスカーの瞳を覗き込む。
瞳の中で夕陽が燃えているようだ。
囁く声が、ディーナを責める。
「貴女は美しいですね、ディーナ。女神のように穢れがない。世界が、運命が、どれほど醜く残酷であるかをご存じない。………だからこそ貴女は、永劫に清廉でい続けられるのかもしれませんね」
「離して!」
オスカーに掴まれた手を力いっぱい振り払う。ディーナは激高のままに叫んだ。
「あなたが! あなたが、それをおっしゃるのですか!」
愛させて、殺した。あなたが!
ディーナは走り去ろうと踵を返したが、あっという間に再び腕を掴まれた。
「ひとりで帰ることは認めません。もう陽が傾いている。僕の顔を見るのが嫌なら、僕の従者に付き添わせます。ひとまず、馬車までは我慢してください」
「離し………あっ⁉」
両足が地面からふわっと離れた。一瞬の浮遊感に驚きあわててしがみつくと、ディーナはすでにオスカーの腕の中にいた。
断りもなく縦抱きに担ぎ上げられ、そのまま無言で悠々と運ばれる。
オスカーの腕から逃れようと足掻いてみたが、精霊力を使っているのかビクともせず、ただ普通に歩いているだけなのに地を滑るように速い。
ジタバタしている間に係留所に着いてしまい、そのまま馬車に押し込まれた。
宣言通りオスカーは馬車には乗らず、少し経ってから馬車に乗り込んできたのは、最初から待機していたらしいオスカーの従者だった。
別れの挨拶もなく、馬車は辺境伯邸へ向けてゆるやかに走り出した。
「テオドール・ハインツと申します。オスカー様の従者をしております。主に代わり、シュネーヴァイス嬢をご自宅へお送りする役目を仰せつかりました」
礼儀正しく名乗ったテオドールは、すっきりと短いクリーム色の髪と珍しい孔雀色の瞳の青年だった。
キリっとした目元とキリっとした声は彼の有能さを物語るようで、さすがは火の公爵家令息の従者といったところだ。
「………お手数ですが、よろしくお願いします。ハインツ様」
「俺のことはよろしければテオとお呼びください。シュネーヴァイス嬢はオスカー様の命の恩人ですから」
「それでは、わたしのこともディーナと。『恩人』とおっしゃるということは………テオ様は、大夜会での顛末をご存じなのですね」
「もちろんです。俺はオスカー様の手足のようなものですので、ほとんどの情報は共有されます。もちろん、すべてではありませんが」
そこでテオドールは言葉を区切り、困ったように頭を下げた。
「今日は、主がディーナ嬢に不快な思いをさせたと聞き及びました。主に代わりお詫び申し上げます」
「いえ! それはテオ様とは関わりのないことです。頭を下げていただく謂れはありません。………オスカー様の所為でもないのです。これは、わたし自身の問題ですから」
確かに、オスカーもいつものおだやかな彼ではなかった。
あのときのディーナの言葉に、何かしら彼の神経を逆撫でるものがあったのだろう。
しかしオスカーの言葉で感情的になってしまったのは、彼のあずかり知らぬところでその言葉がディーナの内面を抉ったからだ。
(………残酷なのは、あなただわ)
無言で表情を曇らせ俯いたディーナを、テオドールはそっとしておいてくれた。
辺境伯邸に着くと、きちんとエスコートしてディーナを馬車から降ろし、礼儀正しく挨拶をして帰っていった。
部屋に戻ると、着替えもせずに寝台へ倒れ込んだ。
シーツを引き寄せて身体を丸める。
身体中に、抱き上げられたときに移ったオスカーの残り香を感じる気がした。
(………苦しい)
その痛みの理由を言葉にする勇気はなく、自身を抱きしめるようにして浅い眠りに落ちていった。
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