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21.風の公子

ミハエル視点。

 ミハエルは八歳のとき、産みの母親の死をきっかけにエーデルシュタイン公爵家へ引き取られた。


 母親は、力を持たない名ばかりの伯爵家の令嬢だった。容姿はそれなりに良かったようだが、所詮それだけの女だった。

 ローデリヒの一夜限りの遊び相手となり、忘れられ、身籠っていることが発覚したときには、ローデリヒはヘンリエッテと正式に婚姻を結んだあとで、ミハエルの母親はそのまま捨て置かれたらしい。


 ミハエルは伯爵家で飢えない程度には世話をされたが、ずっと厄介者扱いだった。

 すでにミハエルの母親の年齢の離れた兄が伯爵位を継いでおり、後継を任せるべき嫡男も健やかに育っていた。

 嫁がずに子供を産み落とした妹とその子供であるミハエルは、伯爵家のお荷物でしかなかったのだ。


 そして母親もまた、ミハエルに愛情を注ぐことはなかった。

 普段はろくに目も合わせず、時折思い出したように「お前さえいなければ」とか、「いつかローデリヒ様が迎えにきてくださる」などと身勝手な妄言を吐き出していたが、ミハエルが八歳になる前に流行病であっけなくこの世を去った。


 その後、伯父である伯爵が、子供のできなかったエーデルシュタイン公爵家へ、金で売るようにしてミハエルを引き渡したのだ。


 伯爵家に未練なんてあるはずもない。


 だからといって、伯爵家より公爵家の方がマシだということでもなかったが。


 実の父親であるというローデリヒも、義理の母となったヘンリエッテも、ミハエルに興味など微塵も持たなかった。

 ミハエルはただの駒だ。

『風の公爵家の後継者』という空席を埋めるためだけの道具にすぎないのだ。


 ミハエルは『駒』に群がる者たちを腹の中で嗤った。

 表では笑顔で褒めたたえ、裏では下卑た笑いを浮かべて蔑む男たち。

 地位や金や上っ面を、頬を上気させ潤んだ目で見つめ、そのくせ目の前に立つ()()()()を見ようともしない女たち。

 社交界の貴族たちは、虚飾の舞台で踊る道化の群れだった。


 しかしミハエル自身もまた、己がその虚飾から逃れられずに死ぬまで踊らされる存在であると、誰よりも承知していた。



 しかしその滑稽な遊戯の中で、踊らないものがひとりいた。

 実際はどうなのかわからない。ミハエルの目にはそのように映るというだけだ。


 オスカー・ヴァールハイト。

 ミハエルはずっと、彼が気に入らなかった。


 似たような立場からなにかとうるさく比較され、勝手に優劣を判断され、悪意が囁かれる。

 なのにオスカーはそういった雑音をまったく意に介さなかった。

 愚な道化がまわりを取り囲んで踊り狂っていても、それを見下すでもなく、流されるでもなく、静かな笑みを湛え、ひとり平然と立っている。

 ミハエルが直視できないものを真正面から受け止めて、揺らがない。


 そしてミハエルの存在もまた、オスカーの目に映ってはいないのだ。



 そのことが、なにより気に入らなかった。




 そんなオスカーが、一見凡庸なひとりの令嬢を「友人」だと言った。

 令嬢に先に声をかけたのはミハエルだった。それは偶然の出来事に過ぎなかったが、そこに割って入るようにオスカーが現れたのだ。


 オスカーの令嬢に対する眼差しは、その他大勢に向ける薄ら寒い笑みとは明らかに違っていた。

 それがオスカーの言うままの友情なのか、恋情なのかはわからない。

 ただ、他人に興味を抱かない普段のオスカーを知るほど、その状況は信じがたかった。


 ふいに、その令嬢に興味が向いた。

 オスカーよりも自分の方が彼女との距離を縮めたら、オスカーはどんな顔を見せるだろう。

 思い付きで彼女をダンスに誘おうとしたら、オスカーは自分が先約だと主張した。


 しかし、そうしてふたりが睨み合っているうちに、肝心の令嬢はこちらに微塵の興味も見せずに鮮やかに逃げ去ってしまったのだ。


 フラれた。

 当代の社交界の花と言われるふたりが。

 それはもう、あっけなく。


 腹は立ったしプライドも少々傷つけられたが、ミハエルはどこかでそれを悪くないと感じていた。

 ミハエル自身でさえ嫌悪しているミハエルの虚像を、少女ははっきりと拒絶したのだから。


 そして今日、気晴らしに出かけた先で、偶然令嬢と再会した。

 彼女は社交界で『王子様』などと言われるミハエルには見向きもしなかったのに、貴族らしさを削ぎ落した()()()()()()()()()にはしっかりと視線を合わせた。

 そこにはなんの侮りも失望もなく、媚びや打算もなく。ただ楽しそうに笑っていた。


(可笑しな、女)


 ミハエルは胸ポケットに入れたままだった花を手に取ると、その白さに吸い寄せられるように花を見つめた。

 ぼんやりと思索に耽り………だから、声をかけられるまで相手の存在に気づかなかった。



「花など見つめて。めずらしいこと」

「……義母上(ははうえ)


 ミハエルは、ぴくりと顔を上げる。

 外出から戻ったあと、玄関をくぐったまま立ち止まってしまっていたことに今更ながらに気づいた。

 普段、自分を透明なもののように扱う義母がわざわざ声をかけてきたことに、わずかに驚く。


「あなたがそのようなものに関心を寄せているところを初めて見ました」

「出かけた先で、たまたま貰ったものです」

「まあ………。どなたに?」

「………義母上の見知らぬ者ですよ」


 らしくもなく会話をつなげようとしてくる義母に、内心舌打ちした。

 なんとなく、この花のことを話題にされたくない。


「外出で少し疲れました。部屋に下がらせていただきます」


 早々に会話を切り上げ、感情を顔に出すことなく、軽く会釈をして義母とすれ違う。

 背に感じる煩わしい視線を振り払うように、振り返ることなく階段を上った。



 ******



 自室に戻り、後ろ手に扉を閉め、ミハエルは吐き捨てるように大きく息をつく。


(息が詰まりそうだ)


 握る手に力を込めそうになり、未だ手の中にあった花を思い出した。

 部屋に用意されていた水差しから水をグラスに入れ、乾いていた喉に一気に流し込む。そしてもう一度グラスに水を注ぐと、今度は白い花をそこへ投げ込んだ。

 グラスを指先で軽くはじくと、キンと涼しげな音が鳴る。


『この花は、他国の言葉で『風』という名を持っています』


 彼女の言葉のひとつひとつが、ミハエルの心の内に鮮やかに蘇る。


『今日のあなたにふさわしいのではないかと』


(馬鹿馬鹿しい)


 この閉塞した豪奢な牢獄で飼い殺されるミハエルに、『風』の名がふさわしいなどと本気で思うのか。

 晴れた空の色を映した瞳と、風に揺れる、苦いチョコレートのような色の髪。

 なんの気負いもなく、まっすぐにミハエルの目を見返した少女。


(確か……ディーナ、とか言ったか)


『風の公子に敬意を。精霊のご加護がありますように』


 あのときに吹き抜けた奇跡のような風はなんだったのだろう。

 そしてあの瞬間、身体に走った衝撃はなんだったのか。


 ミハエルは淀んだ部屋の空気を押し出すように、窓を大きく開いた。


 その途端に、ごう、と唸るような音とともに強い風が押し寄せ、重いカーテンを巻き上げて部屋中をかきまわした。


 書類や小物が荒々しく音を立てて舞い上がり、砕け散る。

 驚いたミハエルは思わず腕を上げて目を庇いながら、めちゃくちゃになった部屋を振り返った。


「………な……ンだ、これ………?」


 しかしそこで今日一番の信じがたいものを目の当たりにし、驚きのあまり、ただ目を限界まで見開くことしかできなかった。



お読みいただきありがとうございます。

明日は一話だけ投稿予定です。

よろしくお願いします。

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