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20.アネモネの祝福

 カフェの前でアレクシアの後ろ姿を見送ると、ディーナは手に持っていた帽子を被りなおした。

 青々と色づいた街路樹に風が渡り、ざあっと音を立てる。建物の中で過ごしている間に、少し風が強くなっていたようだ。

 再び、銅貨の噴水のある広場を目指して歩き出す。


『キミと火の坊ちゃんには、なにかおかしな繋がりがある………かもしれない、って言ったら信じるかい?』


 アレクシアの言葉を聞いたとき、全身の血が引き、気が遠くなるのを感じた。


 アレクシアは、魔術の香りというものがわかるらしい。

 おそらく彼女は、オスカーとディーナの『殺す者と殺される者』という凄惨な関係性を見通したわけではなく、特殊な嗅覚で知覚した『おかしな繋がり』を見過ごせずに、事情はわからないものの、とりあえず注意喚起をしたかったということなのだと思う。


 友達、だから。


(ごめんなさい、シア)


 ディーナは心の中で、アレクシアに深く頭を下げた。


「無理にとは言わないけど、愚痴りたいことがあったらいつでも聞くよ?」と言ってくれた彼女の言葉には、誠実さが感じられた。

 彼女は魔塔の魔術師だから、ディーナが図書館に求めたような情報を持っている可能性も十分にある。


 しかしディーナは、魔塔の魔術師がどのような価値観や信条で活動しているのか、詳しく知っているわけではない。

 アレクシアが世にも稀な魔術の存在を知った場合に、もし日の浅い友情よりも魔術の探求を優先したとしたら、ディーナの望まないところへ情報が流れてしまうかもしれない。


 この話には、ディーナ自身の生死がかかっている。

 短い付き合いだが、アレクシアは信じてもいい人物だとは思う。しかし、すべてを話してもいいかはわからなかった。


 ディーナは銅貨の噴水の水面を覗き込んだ。不安定な表情が写り込んでいる。


 最も愛していた人に裏切られ、人を信じることを躊躇うようになってしまった臆病者の顔。

 そして、裏切りを知り、もう信じないと決めたはずの決心が揺らぎだしている迷いの顔。


『キミが彼についてなにかを選択するときは………よく見極めた方がいい』


 アレクシアは、()()()()()()()()()()とは言わなかった。ディーナが選択をするということは、ディーナ自身の心の問題なのだ。

 それをアレクシアが意識して言ったわけではないだろうけれど。


 敵か、味方か。

 憎むべきか、………それとも。


 そのとき、急に強い風があたりを吹き抜けた。


「あ」


 ディーナのつばの広い帽子が、いたずらな風にさらわれる。あわてて追いすがったが間一髪届かない。

 そのままどこかに飛ばされてしまうかと思ったが、少し離れたところで噴水の淵に腰を下ろしていた人物が、ふいに目の前に飛んできたディーナの帽子を咄嗟に片手を伸ばして捕まえた。

 その人物を見て、ディーナは思わず目を丸くする。


 撫でつけず無造作に散らされた藁色の髪と、萌黄色の瞳。

 今は周囲に馴染むためか簡素な身形(みなり)で、社交界にあって物語の王子様のようだと耳目を集める華やかな姿と同じ人物とは思えない。しかし、間違いない。


「エーデルシュタイン様?」


 社交界きっての遊び人、女の敵。

 風の公爵家の令息、ミハエル・エーデルシュタインだった。


 彼は、反射的につかんでしまった女性物の帽子を驚いた顔でじっと見ると、持ち主を探して視線を動かし、ディーナを見つけるとこれまた唖然として目を見開いた後、むっと眉をしかめた。

 百面相である。


「君のか」


 立ち上がりスタスタと長い脚でディーナの方へ近づくと、無造作な仕草で帽子を突き出した。


「ほら」


 夜会で見せていたような、気取った優雅さはどこにもなかった。

 彼もまたお忍びの姿なのだろう。着飾らず、髪すら整えていない、陽の光の下で見るミハエルは、どこにでもいそうなごく普通の青年のようだった。

 社交界ではあれほど高慢に見えた態度も、今はただ、口下手で不器用なだけにしか見えない。


「……ありがとうございます」

「ふん。………怪我は、大丈夫だったのか?」


 ミハエルはぷいと顔をそむけた。ディーナは背の高い男の整った横顔を、不思議な気持ちで見つめた。

 少し不機嫌そうなのは、ディーナがダンスを断ったことを面白く思っていないからかもしれない。

 それなのに、嫌味も言わずに素直に拾った帽子を返し、階段から落ちたことを労わる言葉までかけるなんて。


 ディーナが知っている彼は、前世での高圧的な態度と、現世で二言三言交わした言葉のみ。

 もしかすると、こちらの方が彼の本当の姿なのだろうか。


「問題ありません。ご心配ありがとうございます」

「別に、心配なんかしていない。俺が声をかけたあとで怪我なんぞされたら寝覚めが悪いだろう」


 腕組みして横を向いているが、耳に赤味がさしている。

 意外過ぎる様子にディーナは思わず笑みを零した。


「ふふっ………帽子も、捕まえていただいて助かりました。いたずらな風を捕まえるなんて、さすがは風の精霊の加護を授かる一族の方ですね」

「………加護だと? ハッ、馬鹿馬鹿しいことを」


 しかしミハエルは急に声に険を含ませ、眉を吊り上げる。

 ディーナの言葉が心底馬鹿馬鹿しいと言うように、剣呑に嗤ってみせた。

 先程までの拗ねたような不機嫌さとは違う苛烈な感情に、空気がピリッと張り詰める。


「ヴァールハイトとは違う。俺に風を統べる精霊力(ちから)なんてない。一族の誰にも祝福なんて与えられない。精霊に見放され、忘れられ、落ちぶれた公爵家。それが今のエーデルシュタインだ。そんなこと、誰でも知っているだろう」


 表情を歪めて毒づくミハエルは、急に夜会で見たままの彼の姿と重なった。

 前世でも、周囲はミハエルとオスカーを並べて無責任に批評した。

 ミハエルがオスカーに苦い感情を持ち、苛立ちをぶつけるところも見てきた。


 彼の一族に纏わる因果も、彼が精霊をどう思っているのかも、それは余人に量り得ないことだ。

 ディーナが、ミハエルが負うものをどうにかできると考えるのは傲慢にすぎるだろう。


 でも、今なら言えることがある。

 シャンデリアの輝く閉塞したホールの中ではなく、陽光の煌めく空の下で彼を見て初めてわかったこと。

 アレクシアがディーナに精一杯の忠告をしてくれたように、ディーナだけが感じたことを、ディーナにしか言えない言葉で、彼に伝えなければ。


「わたしはそんなこと知りません。あなたのまわりには、こんなに良い風が吹いているではありませんか。風の精霊たちがあなたを慕って集まっているのかもしれませんよ?」

「君………まさか、精霊が見えるのか⁉」

「もちろん見えません」

「………なんなんだ君は」


 ミハエルは毒気を抜かれてガクリと首を垂れた。力の抜けた仕草は、貴族らしさの欠片も感じられない。今の彼を王子様のようだと言う人はいないだろう。


 そう、()()()()()()

 ディーナは小さく笑った。


「帽子を拾っていただいたお礼です。きっとあなたでなければ、この帽子を捕まえることができなかったでしょう」


 アレクシアに譲られた赤いガーベラは手元に残し、カフェでもらった白いアネモネをミハエルの胸ポケットに差し入れる。

 近い距離からミハエルの顔を見上げると、薄いそばかすがいくつもあるのが目に入った。

 遠くから見ているだけではわからないこともあるのだ。


 この短い時間の中で、この人物に対するイメージもずいぶん変わってしまった。

 たぶん前世では、ディーナは色々なことが見えていなかったのだ。

 今度こそ、よく見極めなければならないのだろう。


「この花は、他国の言葉で『風』という名を持っています。今日のあなたにふさわしいのではないかと」


 ディーナは貴族令嬢らしい美しいカーテシーで、帽子を拾ってもらった親切への感謝を示す。


「風の公子に敬意を。あなたに、風の精霊のご加護がありますように」


 ディーナの寿(ことほ)ぎの言葉と同時に、強い風が踊るように吹き抜けた。


 噴水の飛沫を勢いよく巻き上げ天へと散らし、舞い落ちる無数の細かな水滴に、眩い陽光がきらきらと反射し大きな虹が映り込んだ。


 突然吹き抜け瞬く間に収まった強風と、幻想的な光景に、噴水の周囲にいた人々が驚き歓声を上げている。

 あまりにタイミングのよい偶然にミハエルは呆気にとられて目を見開いたままだ。


 ミハエルの、幼い子供のような表情を可笑しく思いながら、ディーナは首をすくめた。

 ディーナはなにもしていない。

 ただ、どこからか楽しげな笑い声が聞こえてくるような気がする。


「それでは」


 言葉をなくしたままのミハエルを残して、ディーナは銅貨の噴水をあとにした。




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