19.女子とお茶を2
引き続きアレクシア視点。
「ごめんなさい。シアの年齢を深く意識したことがなかったから………。そうよね、魔塔で働いているのだもの。年上と考える方が自然よね」
「ああ、気にしなさんな、いつものことだから。アタシは背が低いだけじゃなくて童顔だからね。いや、アタシの見た目の話はどうでもよくて。本題は火の坊ちゃんの話なんだけど」
「オスカー様?」
「うん。キミは彼と面識はあるようだけどデビューしたばかりだし、どのくらい彼について知ってるのかなって」
「………さあ。もしかしたら、なにも知らないのかもしれないわ」
呟くように言ったディーナの言い回しと表情に少し引っ掛かりを覚えたが、彼女がそれ以上なにかを言う様子はなかったので、とりあえず疑問を横へ置いておく。
フォークで切り分けたタルトを口へ放り込むと、ざくりとした歯ごたえとともに芳醇なオレンジの香りが広がった。
オレンジタルトは今日も正義である。
「火の公爵家の嫡子、オスカー・ヴァールハイト。二十一歳、なぜか婚約者なし。火の祝福者。現存する祝福者は、地の公爵家の隠居した先代公爵と最近生まれたその孫、水の公爵家の成人前の男の子、合計四人のみ。つまり火の坊ちゃんは、現在社交界でお目にかかれる唯一の祝福者ってことだね。『祝福者』については知ってる?」
「………一般的なことなら」
祝福者は、国内どころか諸外国にも広く知られた存在だ。実際にどのような力を持っているのか詳らかにされているわけではないが、常人には及ばない神秘を備えると知られている。
そして、国防にも多大に貢献しているという説もある。
「火の坊ちゃん、社交界でそれはそれはモテモテでさ。たくさん女の子が群がるんだけど、常に礼儀正しく皆に平等に接して、お誘いも角を立てずに上手にかわしてて。去年までは確かにそんな感じだったんだけど………最近ちょっと冷たくなったって言われてるんだよね」
「冷たくなった?」
「うん。今年の大夜会のあとからかな? なんとなく近寄り難い雰囲気で、女の子たちに冷淡になったというか、どうでもよさそうというか。女の子だけに限らず、あまり他人を寄せ付けなくなったらしいよ。だから、あの夜会でディーナに対する態度を見て、ちょっと驚いたんだよね」
「………」
ディーナは手元に目線を落とした。
形のよい口をカップにつけて、ひとくちカフェオレを飲み下す。
アレクシアは彼女がカップを置くのを待って口を開いた。
「火と風の坊ちゃん両方にダンスに誘われたのは事実なんだよね?」
「一応は。ただ、あれはなんというか………わたしをダシにした売り言葉に買い言葉で、おふたりが本気だったとはとても思えなかったけれど」
アレクシアはストローを噛みながら、どこか憂鬱そうなディーナの顔をじっと見る。
王族に次ぐような地位にある家門の令息ふたりからダンスに誘われたなんて、普通の令嬢ならのぼせ上がってしまってもおかしくはないのに、彼女にとってこの話はあまり喜ばしい話題ではないようだ。
(風の方は知らんけど、火の坊ちゃんがディーナに惚れてるのは間違いないと思うんだよね。しかもあそこまで身体を張るなんて、相当な入れ込みようだ。ただなあ………うーん)
アレクシアはこれまで公爵家令息のオスカーとの面識は皆無で、階段から落ちて気を失ったときの診察で、初めて彼に近づいた。
祝福者の匂いは複雑で神秘的で大変興味深かったが、その中に無視できないものを感じ、今日、ガラにもなく他人事に首を突っ込んでいるのだ。
アレクシアは無意識に鼻の頭をとんとんと指で叩く。
(どーなってんのかな、このふたり)
その匂いはふたりを結ぶものなのか。
それとも、縛りつけるものなのか。
「ディーナ。手ぇ出して」
「手? これでいい?」
唐突な言葉に戸惑いつつも差し出された手を、アレクシアがぎゅっと力を入れて握った。
珍しく真剣な表情で、美しく澄んだ空色の瞳を覗き込む。
「ねえ。アタシと友達になってよ」
一瞬驚いた顔で、握られた手とアレクシアの顔を見比べたあと、ディーナは心から楽しそうに笑った。
「私たち、もう図書館で友達になってたでしょう?」
心地よい肯定にアレクシアは口の端を思いきり上げて、テーブルにぐっと身を乗り出す。
「よっし言質取った。余計なお世話だってわかってるけど、友達だから言うよ。四大公爵家の後継の縁組は国中の関心事だ。特に火の坊ちゃんは祝福者だから、年頃の娘を持つ高位貴族は軒並み狙ってると言っても過言じゃない。これまでは坊ちゃんがのらりくらり躱してたみたいだけど………今回、彼が特定の令嬢を気にかける素振りを見せた。どうなるかはわかるよね?」
指で眼鏡を押し上げディーナを見つめると、ディーナは困ったように眉を下げた。
階段での出来事だって、その延長かもしれない。
でもディーナが言わないなら、それは口には出さずにおく。
「まあこんなこと、キミやキミの親の方がわかってるとは思うけどさ。念の為、身の回りに気をつけた方がいい。それから、アタシは占い師でもないし鼻がいいだけだから、話半分に聞いておいて欲しいんだけど」
これが今日、ディーナを呼び出した本当の理由。アレクシアだから気づいた、最も話すべきことを。
無意識に声を潜めた。
「キミと火の坊ちゃんには、なにかおかしな繋がりがある………かもしれない、って言ったら信じるかい?」
「………!」
そのときのディーナの表情の変化は劇的だった。
身の回りに気をつけろと言ったときでさえ、特に表情を変えなかったのに。
健康的な肌色からすうっと血の気が失われ、空色の瞳が大きく見開かれた。
アレクシアが想定した以上の反応に、逆に驚く。
(こんなあやふやな話にここまで衝撃を受けるなんて。なにか、思い当たることがあるってわけか)
アレクシアは鼻が利く。
それは物質に対してだけでなく、魔術の領域にまで及ぶ。
(坊ちゃんから感じた匂いの中に、前にディーナから感じたものと重なる部分があった)
最初にディーナからその匂いを感じたときは、ただ不思議な匂いだと思っただけだ。
しかしふたりが同じ不思議な匂いを纏っていると気づいたとき、その匂いは本来のふたりの、どちらのものでもないことにも気づいた。
そしてそれは、アレクシアの知るどんな匂いとも異なっている。
ひどく異質で恐ろしく透明な、見知らぬ香りがアレクシアの心をざわつかせた。
知らなかったフリで見過ごすのは寝覚めが悪いという、自分本位な考えだけれど。
「アタシはキミとあの坊ちゃんになにが起こるのかは知らないし、もしかするとなにも起こらないかもしれない。ただ、キミが彼についてなにかを選択するときは………よく見極めた方がいいって言いたかったんだ。具体性がない話で、何言ってんだって思うだろうけど」
あいまいな注意喚起しかできないことがもどかしい。
それでも明確に言葉にするのは躊躇われた。
その匂いは、人間が纏うべきものではない恐ろしいものかもしれない、などとは。
「いいえ。心配してくれてありがとう、シア」
けれどディーナは、アレクシアが口にしなかった言葉を見通したような、感情の凪いだ美しい微笑みを浮かべた。
そのあとは、魔塔の話、アレクシアの現在開発中の薬の話、シュネーヴァイスで最近新たに栽培を始めた希少薬草の話、国内に出現した魔獣の話や国境域情勢、ディーナは実は読書よりも剣術や乗馬が好きなことなど、少しばかり貴族令嬢らしくない話に花を咲かせ、ふたりの初めてのお茶会はお開きになった。
支払いを済ませるときに、店員がふたりに一輪ずつ、ラッピングされた花を差し出した。
「今日は年に一度の開店記念日なので、ご来店のお客様にお花をお分けしているんです。よろしければお持ちください」
アレクシアには赤いガーベラ、ディーナには白いアネモネだ。
何も考えずに受け取りそのまま店から出たが、自分の部屋に観賞用の花を置くスペースがないことに思い至った。
「今、自室も研究室も薬草だらけで、薬効のない花置けるスペースないんだよね。花がかわいそうだから、良かったらディーナがもらってくれない?」
「ふふ、じゃあ遠慮なく。うちは逆に切り花がたくさんあって、花瓶だらけなの。一輪増えたところで困らないから、どんと来いよ」
ディーナが花を受け取りながら笑う。
「じゃあまた近いうちに」とアレクシアは新しくできた友人に大きく手を振った。
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