16.予兆4
「図書館ぶりだね、ディーナ。アタシのフルネームはアレクシア・イーリス。貧乏子爵家の三女だ。魔塔の魔術師で、薬草学の研究が専門。ついでに医学もかじってるかな。ほい、ポーション。アタシの特製だよ」
通された控え室で、寝台に寝かされている意識のないオスカーと、ディーナ、シアの三人だけになると、シア………アレクシアは改めて自己紹介をした。
なんとなくアレクシアを平民だと思い込んでいたが、図書館で出会ったとき、確かに彼女は平民だと名乗ったわけではなかったことを思い出す。
「貴族で、しかも魔術師だったなんて………。驚いたわ」
「フフ、平民だと思ってたよね? もともと極貧子爵家で平民並ってか平民以下の暮らしぶりだったから、いかにもお貴族風なのは身に馴染まないんだよ。高位貴族はメンドウなヤツ多いし。でも、キミはなんか気が合いそうだなって思ってたんだ。言動から貴族のお嬢さんだと想像ついたし、どこかの夜会で会えるとは思ってた。まさか見つけた瞬間、階段から落っこちてくるとは思わなかったけど」
アレクシアは肩をすくめて笑った。
今夜は色々なことがありすぎて理解が追いつかないままだったが、勧められるまま、綺麗な小瓶に入った水色の液体を飲み干す。ポーション独特の甘ったるさが口の中に広がったが、身体中にあった疼くような痛みが瞬く間に綺麗に消え去った。
「すごい。もうどこも痛くないわ」
「だろう? 自信作だからね。市販の同じグレードのものよりバッチリ効くよ」
効き目の早さと効果の高さに驚き、思わず眠ったままのオスカーに視線を移す。目立った外傷はなく、呼吸も落ち着いているが、彼の方こそポーションを飲む必要があるはずなのだ。
「坊ちゃんの方も心配いらないよ。ちゃんと診察したからね。常人だったらタダじゃ済まなかっただろうけど、おそらくは祝福者としての力なんだろうね。あれだけの事故だったのに、信じられないくらいの軽傷だ。じきに目が覚めるだろうし、そのときにポーション飲ませれば問題ないよ」
アレクシアは治療を施した者としての労りに満ちた目でオスカーとディーナを見た。
「ええ………ありがとう、アレクシア」
「シ・ア、だよ?」
ディーナの強張っていた表情が緩む。アレクシアの言葉に、ようやく少しだけ力を抜くことができた。
ちなみに、アレクシアがオスカーのことを『坊ちゃん』と呼んでいるのは、彼女がオスカーの家に仕えているとかではなく、ただ面識のない貴族子女を『坊ちゃん、嬢ちゃん』と呼ぶ癖があるからのようだ。
「ね、ディーナのフルネーム聞けてないんだけど?」
アレクシアが小首を傾げて尋ねる。
眼鏡の奥から興味深げな灰色の瞳がディーナを覗いていた。
「ああ、ごめんなさい。 ディーナ・シュネーヴァイス。シュネーヴァイス辺境伯家の長女よ」
「は⁉ シュネーヴァイス⁉ 希少薬草の産地の⁉ うーわ、いつか行ってみたいと思ってたんだ!」
アレクシアがぴょこんと勢いよく椅子から立ち上がり、研究者らしい目と眼鏡がギラギラと輝く。
そして物音が耳に障ったのか、寝台で身じろぎする気配があった。
「………ディ、ナ………?」
掠れた声が唇から漏れ、長い睫毛に縁どられた瞼が震えて持ち上がる。
「オスカー様、気が付かれましたか?」
ディーナが覗き込むと、オスカーは目に映ったものを見定めるように、ディーナの顔ををじっと見つめた。
幾度かの瞬きのあと、榛色がゆっくりと焦点を結ぶ。
直後、跳び起きたオスカーはディーナの腕を勢いよく掴んだ。
「ディーナ、怪我は………っ⁉」
急に身体を動かして眩暈がしたのか、オスカーは目元を押さえて呻いたが、ディーナを掴んだ手は緩まない。
縋るように力を籠める手は、痛いほどだった。
「はーい、キミの大切なお嬢さんは無事だから落ち着きなさいな。キミも軽傷だからこのポーション飲めば完治するよ。ほれ、無毒の証明するからさっさと飲む」
アレクシアは飄々とした口調でオスカーを窘めると、淀みなく呪文の詠唱をして、手にしたポーションを魔術陣に翳す。
火の公爵家の令息に対し、口に入れるものをきちんと無毒であると証明してみせ、ポーションを差し出した。
しかしオスカーは、しばらくの間ディーナから目を離さなかった。
探るような彼の視線から目を逸らさずに落ち着いて見つめ返すと、ようやく無事であることを納得したのか、緊張を解いてディーナを掴んでいた手の力を緩めてくれる。
オスカーはアレクシアからポーションを受け取ると、抵抗なく一気に飲み干した。
「貴女は………魔塔のイーリス女史か」
「おっ、御名答。祝福者に覚えていただいてるとはこりゃ光栄」
「治癒全般に精通した、腕のいい魔術師だと耳にしたことがあります。助けられたようですね。感謝します」
「大したことはしてないよ。ふたりとも軽症だったし。まあ、アタシの役目はここまでかな。夜会の主催者に、ふたりとも問題なく回復したって報告してくるよ。あとはふたりでごゆっくり。じゃ、またね、ディーナ」
「ええ。本当にありがとう、シア」
ひらりと手を振り、軽快な足取りでアレクシアは控え室から出て行った。
回復したオスカーは寝台から降りて空いた椅子に腰かける。
ディーナはオスカーに向き直ると、深く頭を下げた。
「………助けていただいてありがとうございました、オスカー様」
「おや、他人行儀ですね。図書館での約束をお忘れですか?」
オスカーはホールでの会話を繰り返し、少し悪戯っぽく微笑んだ。そして再び真剣な表情に戻る。
「本当に、怪我は大丈夫でしたか?」
「あなたに庇っていただきましたから。軽い打撲程度でしたし、ポーションを飲んで、もう痛むところはありません」
「………良かった………」
オスカーは口元を手で覆って、ほうっと大きく息を吐いた。
その姿は、心からディーナの身を案じているようにしか見えない。
返すべき恩があるのだとしても、こんな風に自分の身を投げ出してまでディーナを助けるなんて。
あの瞬間、ほんの僅かでも彼に躊躇いがあれば、助けは間に合わなかったに違いない。
(どうしてなの? あなたは)
ディーナは目を伏せた。
(わたしをころすほど、にくんでいたのではなかったの)
俯いたディーナに少し低くなったオスカーの声が届いた。
「ディーナ。相手の顔を見ましたか」
「………えっ?」
「貴女を階段から突き落としたのは誰です?」
突然の核心を突く問いに、ディーナは目を見開いた。
「それ、は、………」
言葉に詰まるディーナの言い逃れを封じるように、オスカーは首を振った。
左の耳朶を飾る『精霊の耳環』が揺れて光を弾く。
「貴女はあんな風に落ちたりしません。仮に不注意で足を滑らせたのだとしても、もう少し受け身を取れるはずです。誰かに、故意に突き落とされたりしない限りは」
ディーナを見据えるオスカーの気配は、抜き身の剣のような鋭さを帯びていた。
お読みいただきありがとうございます。
ここまでハイペースで更新してきましたが、主要人物が粗方出揃ったので、今後は一日に1~2話程度の更新になると思います。
年内に完結予定。
最後までお付き合いいただけるとうれしいです。
ブックマークやいいね、そしてページ下にある☆をお好みの数だけ★にして応援いただけると、とても励みになります!




