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11.国立図書館は騒々しい3

(このあたりね)


 シアに教えられた通りに歩いて、目的のエリアへたどり着く。

 国立図書館に来たのは初めてだったが、本の分類の規格はどこも同じだから困ることはない。

 一冊目と二冊目は、返却場所が簡単に見つかった。


 しかし三冊目を戻そうとしたところで、少し困ったことになった。

 書架の前に立ち、返却すべき棚を見上げる。


(高い………。シアはどうやってこの本をあそこから取ったのかしら)


 ディーナは、女性としては背が低い方ではないが、それでもギリギリ届くかどうかの高さだ。

 爪先立って、本を持った手を精一杯伸ばしてみる。


(う………ちょっと無理か………。 強引に押し込んで本を傷めるわけにもいかないし。でも背の高い人でも届かないような所にも本があるのだから……おそらくどこかに踏み台か梯子のようなものがあるんだわ)


 そう考え無理な背伸びを諦めたところで、ディーナの手にあった本がすいっと取り上げられた。


「ここですか?」


 頭上に影が差し、静かな声が驚くほど近くから降ってきて、ディーナは弾かれたように声の主を振り仰ぐ。

 深い赤を襟元の差し色にしたシックな礼服に身を包んだ男性が、ディーナの背後に寄り添うように立っていた。

 手を伸ばし、ディーナから取り上げた本を目的の場所に悠々と納めている。


「オ………ヴァールハイト様………?」


 あまりに突然、そしてあまりに間近に現れたオスカーに驚き、不覚にも前世での呼び方で名を呼びかけ、ディーナは二重に狼狽えた。


 オスカーは目を細めると、ディーナに少しだけ顔を寄せ、深い声で囁く。


「どうか、僕のことはオスカーと」


 彼はディーナが言いかけて結ばなかった言葉を、正確に汲み取ったらしい。


 思いがけない近さにある瞳に、射すくめられたように身動きができなくなる。

 ディーナは動揺が伝わらないように願いながら、本を戻してもらった礼を述べた。


「ありがとうございました………オスカー様」


 しかしオスカーは、長い睫毛を数度瞬かせると僅かに首を振り、「やり直し」と言わんばかりに小首を傾げた。

 何気ない仕草が、あまりにも印象深く艶やかだ。


 その表情に、優しげだが譲る気のない頑なさを感じて、ディーナは逃げられないことを悟る。

 ひとつ息を呑んだあと、望まれた通りに名を呼んだ。


「………………………オスカー……?」


 囁くような小さな声だったが、オスカーの耳には確かに届いたようだった。

 彼の目元がやわらかく綻ぶ。


 一瞬、双眸に炎が閃いたように見え、思わずオスカーの瞳を覗き込んだが、おだやかな榛色に変わりはない。


 あるがままを映す鏡のような瞳の中に、ひどく困惑したディーナの姿が映り込んでいる。

 自分の弱さを覗き込んだような気がして、ディーナは少し努力をして自分の視線をそこから引き剝がした。


 オスカーは顔を上げてディーナの身体越しに棚に並んだ本へ手を伸ばし、背表紙に触れる。


「本がお好きなのですか?………知りませんでした」


 オスカーの声は掠れて、独り言のようでもあった。

 言葉数が少ないのも、図書館という場所に配慮しているのだろう。


 ディーナは慎重に身体の向きを変え、背後の書架に身を寄せるように半歩下がる。

 しかし、あまり効果があったとは言えなかった。

 可能な限り身を引いてもなお、ふたりの間には、お互いの体温が伝わりそうなほどの距離しかないのだ。


(………近すぎる、気がする)


 さっきから、打ちつけるような鼓動が鳴りやまない。

 開けた場所にいるはずなのに、なぜか閉じられた空間で追い詰められているような気持ちになる。

 気づかれないように、浅く呼吸を繰り返す。


(早く、会話を終わらせなければ)


 目の前に立っているのは、最も近づいてはならない人物のはずだ。

 ディーナは手の中にある本を、無意識に強く抱きしめた。


「オスカー……は、なぜこちらに? 本をお探しですか?」

「いえ。ここへ来る前に辺境伯邸へ寄らせてもらいました。そちらで、貴女がここに来ていると聞いたので」

「まさか、それでわざわざいらしたのですか?」


 何のために? 驚いて目を見開くと、オスカーは首を傾げて何でもないことのように告げる。



「婚約者の顔を見たいと思うのは、おかしなことでしょうか」



 その言葉を聞いた瞬間、頭に不快な痛みが走った。

 押し殺していた感情が無神経にかき回された気がして、ディーナの内側に激しい衝動が湧き上がる。



 婚約を承諾した覚えはない。

 オスカーとのつながりがこれ以上深まったら。


 青薔薇の庭で。

 短剣が。ディーナの命が。

 逃れ得ない、死が。


 運命が。



「……‼ 婚約なんて………っ⁉」


 していない、と最後まで言うことはできなかった。

 静かな館内に動揺したディーナの声が響きかけ、驚いたオスカーに、大きな手で咄嗟に口元をふさがれる。


「ンンっ……!」


 背の高いオスカーに身体ごと書架に押し込まれる形となったディーナは、懐かしい涼やかな香りを感じて一瞬ここがどこなのかわからなくなった。

 押さえつける手から抜け出そうと反射的に身を(よじ)り、相手を睨むように見上げる。


「ッ………!」


 オスカーはビクリと肩を跳ねさせ、まるで焼けた鉄に触れたかのような反応で身を引いた。

 顔を逸らし目を伏せ、ディーナに触れた掌が痛むような仕草で手を押さえている。

 なにか短い言葉を呟いたように見えたが、ディーナには届かなかった。


 オスカーとようやく離れられたことにほっとした直後、ディーナは我に返った。

 同時に、自分の醜態に気づき、一気に顔が真っ赤になる。


 癇癪を起して図書館(こんなところ)で大きな声を出すなんて、あまりにも子供じみている。

 顔の熱が引かないまま、誰かがこちらを迷惑顔で睨んでいないかあわてて周囲を見回したが、幸い近くには誰もいなかったようだ。


 気まずい沈黙がしばらく続いたあと、オスカーが目を伏せたまま頭を下げた。


「まだ承諾を得ていないのに、一方的で身勝手な発言でした。それに慌てたとはいえ………不用意に触れてしまって、すみませんでした」

「こちらこそ! みっともない姿をお見せして申し訳ありません」


 ディーナも頭を下げたが、オスカーは首を振った。艶のある黒髪がさらりと揺れる。

 そういえば今日はあの耳飾りをつけていないのだなと、今更のように気づいた。


「貴女の怒りはもっともです。ですが、貴女の意に沿わないことをするつもりはありません。婚約が成立しなくても、貴女が僕の恩人で、僕が貴女を守ることに変わりはありません」


 オスカーの生真面目な言葉に目を瞬く。

 望まなければ、ディーナに婚約を断る権利はあるらしい。

 しかしこちらが婚約を拒否するのなら、恩に対する義理は果たしたとしてディーナを護る必要もなくなるはずなのに。


 どう考えていいか困惑しているディーナに気づかぬふりで、オスカーはディーナが抱いている本を見つめた。


「………読書の邪魔をしてしまいましたね。僕はもう戻ります。貴女も遅くならないように気をつけて。足が必要なら屋敷まで送らせてもらいますが………」

「お気遣いありがとうございます。でも、外に馬車を待たせてありますから」

「そうでしたか」


 オスカーは姿勢を正し、ゆったりとした貴族的な微笑みを浮かべた。

 胸に手を当て、礼儀正しく優雅に目礼をする。


「今度本棚に手が届かないときには、是非僕を呼んでください。ではまた、近いうちにお会いしましょう………ディーナ」




お読みいただきありがとうございます。


遅筆なのですが、ストックにものを言わせて連続投稿。

お楽しみいただけたら幸いです。

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