2 風習と武器と騎士団
翌日、いつもよりだいぶ早く目が覚めてしまった私は、侍女のリーンが部屋に入って来るのを待ち構えていた。
「ねえ、アリアーネ様はまだ眠ってた?」
「先ほど目を覚まされたようですよ。今はお着替えをなさっておいでかと」
そう聞くや否や、興奮を隠そうともせずベッドから飛び起き、最速で準備する。
いそいそとアリアーネ様のいる客室に向かうと、深呼吸してから思い切ってドアをノックした。
「アリアーネ様、もう起きていらっしゃいますか?」
私の声の数秒あと、ゆっくりとドアが開いて、神々しいほどの気品を纏ったアリアーネ様が顔を出した。
「おはようございます、ブリジット様。昨夜は食事もせずに眠り込んでしまい、大変失礼いたしました」
「そんなこと。お疲れだったんでしょう? 朝食はどうされますか? ここに運ばせましょうか? 私たちきょうだいはいつもダイニングルームで食べるんですけど、そちらに行ってみます?」
矢継ぎ早に問いかける私に驚いた様子を見せつつも、アリアーネ様はくすりと笑う。
「では、ダイニングの方に」
そのまばゆい笑顔は、いとも簡単に私の魂を撃ち抜いた。
「ブリジット様。母上様のドレスを貸してくださり、ありがとうございます」
今日もアリアーネ様は、お母様の遺していったドレスを着てくれている。
捨てられなくて、大事に取っておいてよかったななんて思う。
「サイズが合うようですし、どんどん着てください。ちょっと型が古いところが申し訳ないんですけど、お母様も喜んでくれると思います」
「母上様はいつ頃……?」
「私が6歳のときかな? 流行り病で。その少し前にお父様が魔獣討伐の際に負った傷がもとで他界していて、だいぶ気落ちしていたので多分それもあるんだと思います」
「まあ、そんな小さい頃に……」
「いえ、でもあまり覚えてないんですよ。それにうちには兄たちがいましたし、使用人たちもみんな親代わりになって可愛がってくれたので」
悲愴な面持ちのアリアーネ様に対して、殊更けろりとした表情をしてみせる。
だってほんとに、もう11年も前のことだし。
そんな身の上話をしてたら、あっという間にダイニングに着いてしまった。
もっといろいろ話したかったのにと思いながら渋々ドアを開けると、兄様たちはすでに席に着いていた。
「アリアーネ様、おはようございます。昨日はよく眠れました?」
「はい、おかげさまで。こんなにゆっくりと眠れたのは本当に久しぶりでした」
辺境の田舎暮らしにしては意外なほど社交性の高いユージン兄様が、早速立ち上がってにこやかに挨拶する。
昨日の疲労困憊の状態から少し回復したらしいアリアーネ様も、にっこりと微笑んだ。
「うちの食事が口に合うかどうかわかりませんが、量だけはありますので遠慮なくお召し上がりください」
ジェイデン兄様も、穏やかな雰囲気を乱さない。
うちの長男はどうした? とオスカー兄様に視線を移すと、なんとなくうっすらと頬を染めてアリアーネ様に見入っている。
しかも、
「あ、ぶ、ブリジット」
いつもは当主らしく冷静沈着なオスカー兄様が珍しく口ごもるもんだから、私も咄嗟にすごいスピードで見返してしまった。
「な、何ですか?」
「今日はアリアーネ様に城の中の案内をして差し上げたらどうだ?」
「あ、そうだね。アリアーネ様、いかがですか?」
「ぜひお願いします」
こぼれるようなアリアーネ様の神々しい笑顔に、私は再び魂を撃ち抜かれた。
*****
フルムガール辺境伯家には魔獣討伐という重要な役割があるため、小規模ながら騎士団も所有している。
その宿舎や訓練場なんかも併せると「フルムガール城」はとにかく広い。
どこから案内しようかあれこれ迷ったけど、やっぱりここは我が辺境伯家を象徴する場所しかないな、と最上階を目指す。
「ここは……?」
「武器庫です」
最初に連れてこられたところがだいぶ物騒な場所だったせいか、アリアーネ様は明らかに戸惑った様子を見せた。
城の最上部、窓から辺境伯領を見渡せる「武器庫」には、さまざまな種類の武器が所狭しと並べられている。
一応、剣、槍、斧、弓、ナックル、ナイフ、鞭、おまけに盾なんかも含めて種類ごとに保管はされているけど、普通の令嬢が興味深く見るような代物ではない。
「あまり興味はないかとも思ったのですが……。でもフルムガールはその昔、一つの独立した国だったせいかアグラディア王国にはない風習とかしきたりとかがあって、それをお話ししたかったんです。私たちフルムガール家の子どもは4~5歳くらいになるとここに連れてこられて、自分の武器を『選ぶ』んですよ」
「武器を選ぶ?」
「はい。いろんな武器があるんですけど、いろいろ手にしてみて、自分にいちばん馴染むというかしっくりくる武器を探すんです。そうして選んだ武器が自分にとっていちばん使いやすくて得意な武器、自分固有の武器になります」
「どうやったら、自分に馴染むとわかるのですか?」
「それはね、『わかる』としか言いようがないんですよ」
突然背後から声がして、振り返るとユージン兄様がのほほんとした様子で武器庫に入ってきた。
「ジン兄様! どうしたの?」
「ちょっと暇だったから、俺も一緒についていこうかと」
「ジン兄様……?」
聞き慣れない言葉を聞いておっとりと首を傾げるアリアーネ様に、私はすかさず説明する。
「ユージン兄様を『ジン兄様』、ジェイデン兄様を『デン兄様』、オスカー兄様をただの『兄様』と呼んでるんです。小さい頃兄様たちの名前をきちんと言えなくて、そのときの呼び方が癖になっていて」
「まあ、可愛らしい」
「可愛らしい」と微笑むアリアーネ様の方がよっぽど可愛らしいよ、なんて思っていると、ジン兄様も目を細めながら武器の説明を続けてくれた。
「どの武器がしっくりくるかは、持つとね、『わかる』んですよ。この感覚は、恐らくフルムガール家特有のものだと思いますが。人が武器を選ぶのではなく、武器に人が選ばれる、というふうに言われています」
「では、みなさまそれぞれ固有の武器をお持ちなのですか?」
「はい。俺は弓、ジェイデンは斧、兄上は槍、そして」
「私は剣です」
私はちょっと得意になって、胸を張る。
そんな私を見て、ジン兄様がどうにも困ったといったように肩をすくめた。
「剣といってもね、ブリジットの剣は大剣なんですよ。両手剣ともいいますが」
「大きいのですか?」
「そうですね。選んだときはまだ5歳だったので、剣の方が大きいんじゃないかと言われたくらいでね。まともに持てませんでしたし。父も母も、『女の子なんだしもっと軽めの武器を持ってみたら?』と勧めたのですが」
「持ってみたけどピンと来なかったんだもん。あれがいちばん、しっくり来たのよ。手に馴染むというか」
私が唇を尖らすと、それを見たジン兄様は反対に口元をほころばせる。
「そういうわけで、はじめはまともに持つこともできなかった大剣をブリジットは選んだんです。でも仕方がないんですよ、武器の方がブリジットが良いと選んだわけなので」
「そうそう」
「それに、今では自由自在に振り回しますからね」
「ブリジット様が?」
「もちろん。あれはね、ちょっと見る価値がありますよ。踊るように大剣を振り回して、俺たちの誰よりも強い」
「ジン兄様、それは言いすぎじゃない?」
「でもお前、俺たちの誰にも負けたことないだろう?」
「うん、まあ」
私はなんとなく決まりが悪くなって、思わず2人から目を逸らした。
確かに、私は兄様たちに負けたことがない。
でも誰も、その理由を知ることはない。
「そうして、選んだ武器に名前をつけるんです。そこで初めて、その武器の所有者となったことを武器自身に知らしめることになる」
「とても興味深い風習ですね。魔獣の森に隣接しているフルムガール領は、王国の護りの要。武勇を誇るフルムガール家の歴史は、魔獣との戦いの歴史という側面もあるのでしょう。だからこそこういった独特の文化、しきたりが根づいてきたのでしょうね」
一を聞いて十を知るとはこういうことなのねと、思わず感心してしまう。
アリアーネ様の聡明さに、ジン兄様も満足そうな表情で頷いた。
「そうなのです。我がフルムガール家は魔獣との戦いなくしては語れない。古くは魔獣がいなかった時代もあったようですが、フルムガールが神話の時代から武を重んじてきたことは疑いようがないので」
「その魔獣との戦いの中心に辺境伯騎士団があるんですけど、騎士団の訓練場に行ってみますか? 多分デン兄様がいますよ。デン兄様は、辺境伯騎士団の団長なんです」
アリアーネ様がうちの文化に好印象を持ってくれたのがうれしくて、私はつい、普通の令嬢にはさらに縁遠い場所を提案してしまう。
それでもアリアーネ様はふふふ、と楽しそうに笑ったあと「ぜひ」と答えてくれた。
訓練場に近づくにつれて、時々大きな歓声が聞こえてくる。
「模擬戦をやってるみたいだな」
ジン兄様がつぶやいた通り、中央で訓練用の木剣を構えた団員同士が1体1で向き合っていた。
実力は互角らしく、2人ともじりじりとした焦燥感の中、ぴくりとも動かない。
拮抗した状態がしばらく続いたあと、一瞬の隙をついて片方の団員が思い切り地面を蹴り、大きな掛け声とともに相手側へと勢いよく切り込んだ。
しかし相手側も素早くそれを察知し、自分の木剣でその攻撃を的確に防ぐ。
木剣同士が激しくぶつかる音がして2人が睨み合い、このまま緊迫した空気が続くかと思われたそのとき。
「そこまで!」
訓練場によく響く低い声が、戦いの終わりを告げた。
「今日のところは引き分けだな。2人ともよくここまで鍛錬したな」
「「ありがとうございます!」」
模擬戦を終えた若い団員2人はデン兄様に頭を下げたあと、晴れ晴れとした笑顔でお互いの健闘を称え合っている。
「見学に来たのか」
少し離れたところで模擬戦を見ていた私たちに気づいたデン兄様が、木剣を肩に担ぎながら近づいてきた。
「アリアーネ様に見ていただこうかと」
「こんなむさくるしいところ、アリアーネ様には失礼じゃないのか」
「とんでもない。ぜひ見学させてください」
アリアーネ様は満面の笑みで、デン兄様を見上げる。
「では、あそこの観覧席の方が安全に見学できますから案内させましょう。ユージンとブリジットはどうする? 一緒にやるか?」
「俺はパス」
めんどくさそうな顔のジン兄様は早々に答えて、「俺もあっちで見てるわ」と言いながらアリアーネ様を観覧席に案内する。
「ブリジットは?」
「うーん、どうしようかな」
「で、ではぜひ私と手合わせを!」
「え?」
私たちの会話を聞いていたらしい見慣れない若い団員が、急に目の前に飛び出してきて元気よく頭を下げた。
その思いがけない登場に、私は若い団員ではなくデン兄様の顔を見上げてしまう。
「誰? この人」
「そいつはモーリスといって、少し前に入団したんだ。つきあってやったらどうだ?」
デン兄様が、何やら訳知り顔でニヤリとした。
その顔でなんとなく意図を察してしまい、仕方なく差し出された木剣を受け取る羽目に。
「ほんとにいいの?」
「ああ。模擬戦だからお前の得意な大剣は使えないが、思い切りやってくれ」
デン兄様ってば、なに企んでるのか悪い顔しちゃってさあ。
モーリスも気の毒に。
なんて思いながら、私はモーリスに続いてさっきの団員2人が模擬戦をしていた訓練場の中央に向かう。
その様子を見ていたほかの団員たちのざわつく声を背中に受けながら、私たちは向かい合って立ち、そして「お願いします!」と礼をした。
顔を上げた瞬間。
目の前のモーリスが、真剣な表情ながらも侮りを隠し切れない空気を纏うのがわかった。
私は木剣を構えたままの姿勢で、一瞬だけ目を閉じて呼吸を整える。
「はじめ!!」
デン兄様の開始を告げる声で、モーリスが「わあーー!!」という掛け声とともに一気に間合いを詰めて切り込んできた。
私はそれを難なくかわし、さらにくるりと身を翻してモーリスの真横に出る。
かわされたモーリスはすぐさま態勢を整えて剣を真横に払うけれど、同時にすでに私がそこにいないことを悟る。
振り返った視界の先に私を捉えたモーリスはもう一度力任せに剣を振り下ろし、私は再びそれを軽々とかわしてみせる。
踏み込んではかわされ、切り込んではかわされる展開にモーリスはだんだんと顔を紅潮させ、余裕をなくしてどんどん手当たり次第の雑な攻め方しかできなくなっていく。
私はもはや木剣を構えることもせず、ただただモーリスの攻めをかわし続けた。
防戦一方の戦い方ではあるけれどどちらが優勢なのかは一目瞭然で、それがかえってモーリスを苛立たせ、追い詰めていく。
そして、モーリスがはあはあと息を荒げ、疲労からほんの1、2秒その動きを止めた瞬間。
私は一気に身をかがめて低い姿勢を取り、力強く地面を蹴ってモーリスの目の前に出た。
「そこまで!!」
デン兄様の声で、モーリスは気づく。
自分の額のその一寸先に、私の持つ木剣が突きつけられていることに。
「お疲れ様」
私が木剣を下ろしても、モーリスは真っ赤な顔でしばらく呆然としていた。
そして、何がどうなったのかをようやく理解したのか私の顔をまじまじと見つめ、それから慌てたように、勢いよく頭を下げる。
「あ、ありがとうございました!!」
その様子に、なんとか無事に役目を果たせたようだとわかった私は、「じゃあね」と笑顔でモーリスを見送った。
「お疲れ」
さっきのニヤニヤした顔のまま、顎に手をやりながら近寄ってくる、デン兄様。
「さすがは『フルムガールの舞姫』だな」
「やめてよ、その呼び方。それより、こんなんでよかったの?」
「もちろん。助かったよ」
「ブリジット様!!」
私たちの会話に割って入る興奮した声が聞こえたと思ったら、アリアーネ様が観覧席から駆け下りてきた。
「素晴らしかったです! ユージン様の言う通り、本当に踊るように戦われるのですね」
「そ、そうですか? 自分ではよくわからないのですが」
「あの若いの、入ってきたばかりなのか?」
アリアーネ様に置いてけぼりを食らってやっと追いついたジン兄様が、ちらりとモーリスに目を向けた。
「ああ。入団したばかりで大して実力もないくせに、まわりの言うことは聞かないわ真面目に鍛錬はしないわでさ。村の中では負けなしで自分は強いって過信しすぎてたから、いい機会だと思ったんだよ」
苦笑いで答えたデン兄様の言葉に、アリアーネ様が不思議そうな顔をする。
「どういうことですか?」
「あいつは何も知らないから、ブリジットと手合わせしたいなどと思ったのですよ。ブリジットと戦うことで、自分の強さを誇示しようとでも思ったんでしょう。でもここにいるやつらは、ブリジットと戦おうなんて誰も思いません。絶対に勝てないんだから」
「そうそう。実力の差を見せつけたわけですよ。上には上がいるんだと思い知らせたというか」
「先ほどもそんなお話でしたが、ブリジット様はそんなにお強いのですか?」
「強いですよ。私たちきょうだいは、ブリジットに勝てたことがない」
「攻撃が当たらないのです。どんなに仕掛けても、さっきのように避けられてしまって」
「まあ」
アリアーネ様が羨望の眼差しで、私をじっと見つめる。
て、照れる。
「まあ、いいじゃん。これでモーリスも、ちょっとは反省したんじゃない?」
私は3人に目配せをして、訓練場を指差した。
そこには、まわりの団員に交じりながら必死な顔で模擬戦の片づけをする、モーリスの姿があった。