1 兄と兄たちと妹
「お前たち、そこで何をしている?」
「魔獣の森」の見回りの帰り、森の入り口が何やら騒がしいと思ったら2人の御者と見かけないきれいな女の人の姿が見えた。
しかもどう見ても、あの御者たちは女の人をここに置いて行こうとしてるじゃない。
迷わず声をかけたら、人が出てくるとは思わなかったらしい彼らはあからさまに慌てふためいた。
「お、俺たちはこの人を『魔獣の森』に置いて来いって言われたんだよ」
「そうだよ。『魔獣の森』の奥深くに置いて来いって言われただけで」
「は? 確かにここは『魔獣の森』だけど、まだ入り口だよ?」
「わかってるよ! でも奥まで行くのが怖いから!!」
はっきりと怯えた様子で私を見上げる御者2人と、私たちのやり取りになんの興味も見出せないのか無表情で立ち尽くす女の人。
詳しいことはよくわからないけど、「この人を『魔獣の森』に置いて来いと言われた」という言葉の重大性だけは辛うじて理解できた。
「入口だろうが奥深くだろうが、こんなところに女の人一人置いて行って、どうなるかわかんないの?」
「知らねえよ。王太子の命令なんだからよ」
「王太子の命令?」
えーと、この国の王太子は、馬鹿なのかな?
つい言葉にしそうになって兄様の顔が思い浮かび、慌てて口を噤む。
やばいやばい。
「つまり、あんたたちはその王太子様の命令で、この人を魔獣の森に置いて行こうとしてるわけね」
「お、おう」
非難めいた私の口調に後ずさりする御者2人に向かって、値踏みするような目で威嚇する。
それから、さも当然とでも言うようにあっさりと答えを投げつけた。
「じゃあ、お前たちは王太子様のご命令通り、この人をここに置いていきな」
「は?」
「置いていくつもりだったんでしょう?」
「そ、そうだけど。そのあとどうするんだよ?」
「どうしようとこっちの勝手だし、お前たちには関係ないよね? そんなことよりいつまでもここにいると、魔獣が人間の匂いを嗅ぎつけてここまで来ると思うんだけど。いいの?」
「ま、まじか」
御者2人は途端に顔色を変え、競うように御者台に乗り込むとすごい勢いで逃げ去っていった。
御者たちが立ち去っても特に際立った反応をしなかった女の人は、変わらない無表情のままその場に立ち尽くしている。
「あの」
馬を降りた私は柄にもなく、ちょっと遠慮がちに声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「ええ」
呆然としていたように見えた女の人は、意外にしっかりとした視線を私に向けた。
着ているものも身なりもかなりくだびれて粗末な有様だけど、内側から滲み出る品のあるオーラは神々しさすら感じさせる。
多分数秒の間、つい見とれてしまった私は取り繕うように話しかけた。
「あ、私はフルムガール辺境伯の妹、ブリジット・べリア・フルムガールと申します。失礼ですが、あなたのお名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「私はアリアーネ・シューリスと申します」
そう名乗ると、アリアーネ様はどことなく沈んだ表情を見せて俯いた。
オーラは神々しいのに、なんというか、まったくもって覇気が感じられない。
しかも、なんだかやけに訳ありげだし。
どうしようかほんの少しだけ考えて、まあでもほかに選択肢はないよねと思った私は。
「では、行きましょうか」
「え? どこに?」
「え? うちに」
状況が飲み込めないんだろうなとは思うけど、説明とかいろいろめんどくさいのよ。
そういうの、あんまり得意じゃないしさ。
「まあまあ」とか言いながらうまいことごまかしつつ、一緒についてきていた従者のキースとカイルに命じてアリアーネ様を自分の馬に乗せた。
アリアーネ様は「きゃー」とか「高い!」とか叫んではいたけど、嫌ではなさそうだった。
そうして家路を急ぐことになったわけだけど、その道中、アリアーネ様は多くを語らなかった。
そりゃそうだろう。
どんな理由があるのか知らないけど、王太子の命令で魔獣の森に置いて行かれそうになってたんだもの。
何かしら事情があるのだろうけどアリアーネ様が悪い人間には思えなかったし、私の左目にも邪悪なものは何も映らなかった。
*****
フルムガール辺境伯領は、「魔獣の森」に隣接している。
「魔獣の森」には群れをなして人を襲う魔獣が住んでおり、辺境伯家はその魔獣討伐の責務を負っている。
だからフルムガール辺境伯家の堅牢な屋敷は屋敷というより「城」とか「砦」とか「要塞」に近く、「フルムガール城」とか「辺境伯の砦」などと呼ばれている。
城に着くと、先に行かせていたカイルと執事のラルフが玄関で待っていた。
「ブリジット様、お疲れさまでした」
「うん。魔獣の森に異常はなかったよ。それより」
「お聞きしております。そちらのご令嬢ですね?」
ラルフは、カイルとキースに手伝ってもらいながらまたしても「きゃー」「落ちる!」とか言いながら馬を降りているアリアーネ様に目を向けた。
「アリアーネ・シューリス様だそうよ」
「アリアーネ……?」
私の言葉にラルフは思いきり眉根を寄せたあと、訝し気な顔でアリアーネ様に近づいていく。
「もしや、当代の聖女様であるアリアーネ・シューリス様では……?」
そう問われたアリアーネ様の表情に、閃光のような緊張が走る。
そして体を強張らせながら、「もう、聖女ではありません」とつぶやく震えた声が聞こえた。
そのとき私の左目が俄かにちくりとして、醜悪な笑みを浮かべる女性を横に侍らせた金髪碧眼の男性の姿が、突然頭の中に現れた。
彼は怒りに満ちた顔で、多分アリアーネ様に何かを叫んでいる。
それから、たくさんの人に囲まれながら必死でその人たちの相手をしている様子や、鏡に映る疲れ切った表情のアリアーネ様も。
いくつかの断片的な映像が流れるように見えたあと、私はいつものように何度か瞬きし、視界を調整する。
「とにかく、オスカー様にご報告しなければなりません。執務室にいらっしゃると思いますので、お呼びしてきます」
「なんだ? どうした?」
ラルフが振り返ろうとしたとき、これ以上ないというくらいちょうどいいタイミングでその人物は玄関に現れた。
「ブリジット、お帰り。どうした? お客様か?」
アリアーネ様に気づいた兄様にラルフが素早く近づき、そっと何かを耳打ちする。
兄様は一瞬表情を変えたものの、すぐにまた平然とした様子に戻り、それから落ち着いた笑顔を見せた。
「アリアーネ様、ようこそ我がフルムガール辺境伯家へ。私はこの家の当主で辺境伯領の領主でもあるオスカー・バラン・フルムガールと申します。さぞお疲れだとは思うのですが、どういった経緯でこの辺境伯領へおいでになったのか、お聞かせ願えますか?」
力のない目で兄様を見上げたアリアーネ様は、「そうですね。きちんとお話ししないといけませんよね」とやっぱり力のない声で答えた。
何日間も馬車に揺られ続けたであろうアリアーネ様に湯浴みを提案したら、兄様たちは応接室で少し待っててくれることになった。
さっぱりと小綺麗になったアリアーネ様はますます美しく、ちょっとどころかガン見するレベルで見蕩れてしまう。
着ていた服はだいぶ汚れていて、とはいえ私は普通の令嬢が着るような普通のドレスをほとんど持っていないこともあって、お母様のドレスを引っ張り出して着てもらうことになった。
「こんな素敵な……」
アリアーネ様はお母様のドレスを見て絶句していたけど、実用性を最優先し、質実剛健を地で行く辺境伯家の装いはほかの貴族家に比べても圧倒的に地味である。
だからその一言で、アリアーネ様のこれまでの生活がどんなだったかが垣間見られて、なんだかちょっと息苦しくなった。
応接室には、すでに辺境伯家全員が揃っていた。
「初めまして、アリアーネ様。俺はフルムガール辺境伯家次男、ジェイデン・バイン・フルムガールと申します」
「俺は同じく三男、ユージン・ベレン・フルムガールです。といっても俺たち双子なんです。あんまり似てないけど」
私とアリアーネ様が部屋に入ると、すかさずジェイデン兄様とユージン兄様がソファから立ち上がって挨拶をした。
「双子」と言われてアリアーネ様も少し驚いたのか、「まあ」と目を見張る。
とはいえこの双子の兄様たち、見た目はあんまり似てないのよね。
ジェイデン兄様はオスカー兄様同様長身だけどよりがっしりとした体格をしているし、対照的にユージン兄様の方は男性にしてはちょっと華奢。
おまけに性格も使う武器も戦闘スタイルまでだいぶ違うから、きょうだいである私でさえ、ほんとに双子なのかと本気で疑ってしまったりする。時々。
「さて、アリアーネ・シューリス様」
アリアーネ様が私に促されてソファに座ったのを確認したオスカー兄様は、いつになく硬い表情で口を開いた。
「私の記憶では、あなたは当代の聖女様のはずですが」
すでに話を聞いているのか、ジェイデン兄様もユージン兄様もさして動じる様子は見せない。
「そう、でした」
「でした、とは?」
「私はもう、聖女ではありません。聖女を騙った罪と、2人目の聖女であるミラベル様を虐げた罪とで王太子であるイライアス殿下との婚約を破棄され、さらに追放処分を言い渡されました」
「なんと……!」
兄様たちは、一様に驚き、言葉も出ないらしい。
私はさっき見えた光景がそれだったんだろうと、なんとなく察しがついていたけど。
「魔獣の森への追放処分を言い渡され、森の入り口に捨て置かれそうになっていたところをこちらにいらっしゃるブリジット様に拾われました」
その説明に兄様が目を見開き、無言で私を凝視してからわざとらしく大きなため息をつく。
恨みがましい兄様の目を完全に無視して、私は堂々と言ってやった。
「あんなところに置いてくるなんて、できるわけないじゃない。明日には魔獣の餌になっちゃうでしょ? 兄様たちなら、できるの?」
「俺も無理だわ」
ユージン兄様がすぐさま加勢してくれる。
「そうは言ってもな、『追放処分』っていう王太子の命令に従わなかったことになるんだぞ」
「そんなことないよ。王太子が命令したのは『魔獣の森に置いて来い』ってことだけでしょ? あの御者たちはアリアーネ様を魔獣の森に置いて行った。私はそのあとでアリアーネ様を連れて来た。追放したあとのことなんて何も言ってないんだし、連れてくることに特に問題はないと思うけど」
「そんなの詭弁だよ」
「詭弁でもなんでもいいじゃない。私はあのまま、あそこにアリアーネ様を置いてくるなんてどうしてもできなかっただけ。人の命を大切にしない王家なんか、クソだわ」
「ブリジット!」
兄様が途端に目を吊り上げ、怖い顔で声を荒げる。
「そういう下品な言葉をつかうんじゃない!」
……え、そっち?
王家への不敬は窘めないあたり、兄様の気持ちが透けて見えちゃうわね。
「兄上」
挨拶以降は一言も発していなかったジェイデン兄様が、ゆっくりと顔を上げた。
「ブリジットの言うことにも一理あると思う。王太子は御者たちにアリアーネ様を殺すことまでは命じていない。魔獣の森に置いてくれば、いずれ死ぬと思ったからだろう。でも魔獣の森に追放されたって死なない場合もあるし、たまたまアリアーネ様はそうだった。そういうことだろう?」
「そうそう。置いたあとのことを何も命令しない方が悪いんだよ。だいたいさ、魔獣の森への追放処分=死ってのが安易すぎるんじゃないの? 仮に俺たちだったら魔獣の森に置いて行かれたとしても、死なずに帰ってこれる自信があるんだからさ」
ユージン兄様は明らかに楽しそうな雰囲気になって、ニヤニヤと頬を緩ませている。
「はあ、お前たちは……」
オスカー兄様は私たち3人を渋い顔で順番に見回し、それから諦めたようにまた大きなため息をついた。
そして、またしても無表情で佇むアリアーネ様をじっと探るように見つめる。
「アリアーネ様」
「はい」
「確認したいのですが、ご実家のシューリス伯爵家にお戻りになりたいのでは……?」
「シューリス伯爵家とは聖女になって以降、なんのやり取りもありません。今更戻っても受け入れてはもらえないでしょう」
「なるほど」
オスカー兄様は視線を落としてしばらく何やら考え込んだあと、再びアリアーネ様を見据えた。
「ここは王都とは違い、華やかな暮らしはできません。魔獣との戦いが日常の延長にあるような、厳しく危険な辺境の地です。それでもいいとおっしゃるなら、ここにいてもらっても構いません」
「え……。よろしいのですか?」
今度はアリアーネ様が、遠慮がちな上目遣いで私たちを順番に見返している。
「先ほどオスカー様もおっしゃいましたが、事の次第によっては王太子殿下の命に背いたと言われるかもしれないのですよ?」
「そのときはそのときでは?」
「そうだよ。つべこべ言ってくるなら独立しちゃえばいいんだよ」
「ユージン!」
オスカー兄様に怒鳴られてもユージン兄様は飄々とした態度を崩さず、ジェイデン兄様はそんな2人をやれやれといった様子で眺めている。
私たちきょうだいの意志が揺らがないことを確信したのか、アリアーネ様の目がだんだん潤んでいく。
そして、「ありがとうございます」と小さくつぶやきながら、頭を下げた。
一通り話がついたところでアリアーネ様を客室にお連れすることになり、私たちはそのまま応接室に残った。
「ほんと、お前はどんだけ大物を拾ってくるんだよ」
オスカー兄様が困り果てたような目をして私を睨む。
「いいじゃない。王太子がもういらないって追放処分にしたんでしょ。どうしようとこっちの勝手よ」
「アリアーネ様を匿ったなんてバレたら、えらいことになるかもしれないだろ。あとになって返せとか難癖つけてきそうなんだよな、あの王太子。めんどくせえ」
「自分で追放処分にしたんだから、あとになって返せって言われたって返す必要ないよ」
「そうだよ。そんなことになる前に、兄上がもらっちゃえばいいだろ」
「何を?」
「え、アリアーネ様を」
ユージン兄様に言われて、オスカー兄様は頭を抱える。
「何言ってんだよ、聖女様だぞ。それにアリアーネ様は20歳、年のこと考えたらお前たちのどっちかだろ」
「いやいや、ご当主の婚約もまだなのに、なあ?」
「俺も騎士団の訓練で忙しいし」
私たちきょうだいがあーだこーだと騒いでいる間に、客室に通されたアリアーネ様は疲れが溜まっていたのか眠ってしまったらしい。
そのまま夕飯も食べず、アリアーネ様はただひたすらに眠り続けた。