15 黒い湖と神話と提案
ダレンの素性については、サリオン様の許可を得てアリー様と兄様に伝えておいた。
アリー様はダレンたちの悪事の被害者でもあるし、兄様はリアム殿下に頼まれてダレンを預かっている以上、事実を知っていた方がいいと思ったから。
ただ、兄様は「武闘派の元貴族だろうとは思っていた」と、ある程度のことは見抜いていたらしい。
フルムガールに戻ってくるまでの馬車の中で、所作や動きにそれらしいものを感じていたんだとか。
(ちなみに、「リアム殿下も恐らく全て把握してるだろう」とは言っていた)
いやほんと、ああ見えて、兄様恐るべし(リアム殿下も)。
「それで、あの日のことなんですけど」
私とアリー様は久しぶりに、図書室にいた。
前回の討伐のあと、私が眠っている間はもちろん絶対安静命令でベッドの上から動けずにいたときもずっと、アリー様はなんでだかたびたび図書室に一人で籠っていたらしい。
「あの討伐の日、左目を通して一体何が見えたのですか?」
アリー様は少し緊張した面持ちで、斜め前の椅子に腰かけながら声を潜める。
私はあのとき見えた光景を、できるだけ正確に思い出そうとした。
「……魔獣を3体倒したあと、いつものように左目がちくりとしたんです。そしたら頭の中に、森の中で穏やかに暮らす小動物の家族が見えて、でも次の瞬間にはその動物たちが黒い湖の前でもがき苦しんでいて。しかもその湖からは、黒い靄のようなものが溢れ出していたんです」
「湖?」
「はい」
あの激痛の直前に見えた、黒く禍々しい湖。
そこから溢れる、邪悪さが具現化したような、漆黒の――。
「靄とか霧とかいうよりは、なんかこう、細かい粒子のような……」
「湖から溢れ出す黒い粒子の影響を受けて、動物たちが苦しんでいたということかしら?」
「そう、ですね」
アリー様はそこですっくと立ち上がり、近くの棚に置いてあった本と紙の束を手に取った。
本の表紙には「フルムガールの神話〈上巻〉」と書かれてあり、紙の束はアリー様が記したと思われるメモでびっしりだった。
「実はね、あなたの目のことが気になって、ここでいろいろと調べていたんです」
「え? 私のためだったのですか?」
「そう。治癒を施しても全然効かないし、丸3日も眠ったままだったから心配で心配で……。何かできることがないかと思って、左目の視力を失うことになった流行り病のことや、あなたのように本来見えないはずのものが見えるような状態について、手当たり次第に調べてみたんです」
「手あたり次第って……」
いや、ここの蔵書、意外と多いのよ。
武勇を誇る辺境伯家だからって、侮れないほどの規模なのよ、実は。
神殿での聖女時代に培われてしまった自己犠牲的な精神は、なかなか抜けないものなのでしょうか……?
「それで、何かわかったんですか?」
アリー様は頷きながら、手にしていた「フルムガールの神話〈上巻〉」をさっと開き、しおりが挟んであるページを見せてくれた。
「これは、フルムガールがまだ一つの独立国だった頃に伝わっていた神話や伝説なんかがまとめられたものなんですけれど。旧フルムガール国は、神々が作った国だとされているのは知っていますか?」
「あー、そうですね。小さい頃におとぎ話としてよく聞かされましたよ。いろんな神様がいて、仲良くしたりケンカしたりして、最後にはこの国を作ったと」
「そうです。その神々の中にね、時間と運命を司る『スール』という神がいるんです。『スール』には、過去と未来を見通し、運命を変える力があったと言われていて」
そう言って、アリー様は開いたページを指差す。
そこには、黒く長い髪で、大きな杖を持ち、布のようなものに両目を覆われた「スール」と思われる女神の絵が描かれていた。
「『スール』は本来、全盲の女神なんです。でも物事の本質を見極めるのが得意で過去や未来を見通す力を持ち、時の流れをも変えることができたそうよ」
「へえ……」
「ね、これって、ブリジット様っぽいと思いませんか?」
アリー様は目をキラキラさせ、熱すぎるほどの期待をこめた眩しい笑顔を見せる。
「は? いやちょっと、なに言ってるんですか」
「だってほら、『過去と未来を見通す力』なんてブリジット様そのままでしょう? それに以前、ご自分でも『直感は外さない』って言ってましたよね?」
「まあ、言いましたけど」
「それって、物事の本質を瞬時に見極められるからなんじゃないかしら」
「いやいやいや、そんな、過大評価しすぎですよ」
アリー様が次々と繰り出す説明は確かに説得力があるような気もするけど、それでもちょっと、神様に近い力っていうのはだいぶ非現実的すぎる。
でも私がいくら否定しても、アリー様の確信は揺らがなかった。
嬉々として、持論を展開し続ける。
「これはね、いわゆる『始祖返り』だと思うんです」
「『始祖返り』?」
「そう。フルムガール家がかつてこの国を作った神々の末裔なら、先祖である神の力を宿す者が生まれてもおかしくはないのです。ブリジット様は流行り病で生死の境をさまよったあと、残念ながら左目の視力を失ってしまったでしょう? でもその代償として、時間と運命を司る全盲の神『スール』の力が宿ったんじゃないかしら」
「いやー、そんなおとぎ話みたいなこと、あり得ないですよ」
「そう? でも現実に、あなたは左目を通して過去と未来の断片を見ることができるわよ」
まあ、そうなんだけど。
そうなんだけど、なんかなあ。
どうにも反応に困った私は、ふと頭をよぎった疑問を口にした。
「じゃあ、この前左目が痛くなったのは何だったんでしょう?」
「そうね。これはね、私の仮説にすぎないのだけれど」
と言って、今度は自分のメモがびっしり書き込まれた紙の束を広げるアリー様。
そこには何やらよくわからない図や矢印や、丸で囲って大きく強調された結論めいた文字が。
「あなたは『スール』という神の力の片鱗を偶発的にも受け継いだけれど、だからこそその力を自分で制御するのは難しいと思うのです。片鱗とは言っても、神の力ですからね。見たいものが見られるわけではないし、否応なしに見えてしまう、と言った方が正しいのでしょう? となるとあのとき、思いがけず見えてしまったものが何か人知を超えるような膨大な力を秘めていて、人であるあなたという『器』が耐え切れなかったんじゃないかと」
「人間には受け止めきれないくらいの大きな力が秘められていた、ということですか?」
「そう。だから、何が見えたのか知りたかったのよ」
「じゃああの湖には、何かよくわからない大きな力が働いてるってこと?」
「湖だと……?」
突然背後から声がして、振り返るとまたしても渋い顔のサリオン様が立っていた。
「サリオン様。いい加減、いきなり現れるのやめてもらえます? ノックとかしてくださいよ」
アリー様との重要な密談を聞かれたのではという気まずさもあってずんずん詰め寄ると、サリオン様はなんだか顔を赤らめ、慌てたように後ずさる。
「ノックは、したんだ。でも返事がなかったから」
「え……。それは、すみません」
「それより、湖とはなんだ」
「……やっぱり聞いてたんですね?」
不機嫌さを隠さず睨み返す。
アリー様も、眉間にしわを寄せて強張った表情をしていた。
「す、すまない」
「どこから聞いてたんですか? ていうか、女子2人が仲良く話してるところに、よく入ってこれますね。もうちょっと空気読んでくたさいよ」
「す、すまない」
「まあまあ、ブリジット様」
さっきまで怖い顔をしていたはずのアリー様は、何故だかもう穏やかに口元をほころばせていた。
「サリオン様。どこから聞いていらしたか、教えていただけますか?」
「あ……。フルムガールの神話の辺りから……」
「だいぶ最初じゃん!!」
「では、ブリジット様の左目にまつわる話も聞いていらしたのですね」
「ああ。すみません。悪いとは思ったんですが……」
「だったら盗み聞きやめて、出ていけばいいでしょ」
「サリオン様。このことは、ブリジット様と私しか知らないことです。サリオン様も秘密を守っていただけますか?」
何故かサリオン様の盗み聞きを咎めることもなく、アリー様は諭すように柔らかな声で告げる。
「……わかりました。でも」
「なんでしょう?」
「また、痛むことがあるのでしょうか?」
真剣な、縋るような顔のサリオン様を見て、アリー様はふっと表情を緩ませた。
「それは、わかりません。もともとブリジット様の意志とは関係なく見えてしまうようですし、見えたものによってはまた痛みが生じるかもしれません。本来は持ち得ない神の力を授かってしまったのです。先ほども話したように、人が制御できるようなものではないのでしょう。でも心配でしたら、サリオン様がずっとそばにいて差し上げたらいいのでは?」
「……そう、ですね」
ん? どういうこと? どういう意味?
なんとなくサリオン様を直視できなくてキョロキョロする私とは対照的に、目の前の2人は勝手に和やかな雰囲気になっていた。
「それで、湖とはなんでしょうか?」
落ち着きを取り戻したサリオン様は、居住まいを正してからもう一度同じことを尋ねる。
私はアリー様がこちらを見て頷いたのを確認し、左目を通して見えた黒い湖について説明した。
話を聞いて、サリオン様は明らかに深刻そうな表情をして考え込んでしまう。
「何か、ご存じなのですね?」
アリー様も、察するところがあったのか険しい顔つきになった。
「知っているといえば、知っています。ただ、そこまで詳しくはありません」
「では知っていることだけでも、教えていただけますか?」
「……湖は、魔獣の森の北東側、へレグ山脈の麓にある、と言われています」
「へレグ山脈の麓……」
「ただ、確かめたことはありません。レオフレドでは、森の湖は『行ってはならない禁忌の場所』とされているので」
「何故ですか?」
「理由はわかりません。昔から、そう言い伝えられていて」
もしも私に見えたあの黒い湖がサリオン様の言う「森の湖」なのだとしたら、禁忌の場所と言われてしまうのも無理はない気がする。
近くに行くだけで、あの黒い粒子がまとわりついて具合悪くなりそう。
「ただ」
サリオン様が、不愛想な顔をさらに鋭くさせた。
「はっきりとしたことはわかりませんが、湖が禁忌の場所とされたことと聖女の存在とは何か関係があるのではないかと思います」
「何故、そうお思いに?」
「帝国最後の聖女は、レオフレド辺境伯家の令嬢でした。彼女は若くして行方知れずになったと言われているのですが、湖が禁忌の場所とされた頃とどうも時代が被るようなのです」
難しい顔で答えるサリオン様に、アリー様は「ここでも『聖女』なのね……」とつぶやく。
「実はね、ブリジット様の目のこと以外にも、気になることがあってここで調べていたのです」
「気になることですか?」
「はい。戻ってきてから、オスカー様に言われたんです。オスカー様も、聖女の力は治癒だけじゃないと知っていたと。ダレンのように『加護』とか『覚醒』とかそういう言葉は知らなかったけど、聖女には『人を護る力がある』とか『森羅万象に祝福を授けることができる』とか、治癒を施す以外の力もあることを知っていたと。だからダレンの話を聞いたときの私やリアム殿下の反応に驚いたって」
「ああ、それね」
「ブリジット様も知ってらしたのでしょう? だから私に『癒しの力』が戻ったとき、花瓶の花に試してみたらって言ったのよね?」
「そうですね。ちょっと萎れた花があったから、『森羅万象に祝福を授ける』ってのにちょうどいいのかなと思って。そしたらアリー様に『癒しの力は人にしか使えない』って言われて、そうなの? とは思ってました。あとダレンの話を聞いたときも、アリー様とリアム殿下はかなり驚いていたからうちらの認識とだいぶ違うのかなと。言わなかったけど」
「やっぱり……。でも王都では、というか王国では、聖女の力=治癒という理解なんです。それ以外の力があるなんて、この国のどこを探してもそんな言い伝えは存在しません。ではどうして、フルムガールの人たちだけは聖女の力についての正しい知識を持っているのかしら?」
「え? どうして?」
「……聖女について正しい知識を持つ者が、この地にいたということでしょうか? あるいは、聖女そのものがかつてここにいたか」
サリオン様の推測に、私は真っ向から反論した。
「フルムガールに聖女がいたなんていう伝承や記録はありませんよ」
「オスカー様も、同じことを言っていたの。もし本当に聖女がいたとしたら、きちんと記録が残っているはずだって」
「そうですよ。あ、ここってほら、魔獣の森を挟んでレオフレド辺境伯領と接してるし、聖女に詳しいレオフレドの知識がどこからか流れてきたんじゃないですか? それが知らず知らずのうちに定着しただけで」
「そうかもしれない。だけど、なんだかすごく気になるのよね……」
アリー様はすうっと視線を落として、それからあれこれと考えを巡らせているのかすっかり黙ってしまった。
なんとなく重くなった空気を払いたい一心で、
「でもあの黒い湖の禍々しさに対抗できるのは、『覚醒』してるアリー様くらいな気がしますね」
なんて冗談ぽく軽口をたたいた瞬間、目の前のサリオン様が驚いたように顔を上げる。
「アリアーネ様は、『覚醒』されているのですか?」
「そ、そうですけど」
「……では、お願いがあります。レオフレド辺境伯邸に来てもらえませんか?」
ブックマーク、いいね、評価などなどありがとうございます!