14 説教と和解と予感
しばらくすると兄様たちの絶対安静命令も解除され、私はようやく次の討伐に向けての準備ができるようになった。
左目は、あのときの痛みなど嘘のようになんともない。
でも、そうなると逆に、また突然あの激痛に襲われるのではないかという恐怖も拭えない。
「痛むのか?」
あれから、本当にどういうわけだかサリオン様は、私の近くにいることが増えた。
気がつくと、そばにいる。
「痛くは、ないんですけど」
「……けど?」
「また痛くならないかなって」
「怖いのか?」
「え? ええ、まあ、そうですね。すごく痛かったし、いきなりだったから。不安では、あります」
そして私は、何故かこの人にはとても素直に受け答えしてしまう。
サリオン様は私の顔を、というか左目を無言でじっと見つめて、そのまま動かない。
「なんですか?」
「次の討伐には俺も行く」
「あー、そうですよね」
「そばにいるから、痛みを感じたらすぐに言ってくれ」
「は?」
くるりと背を向けてしまうサリオン様に、いろいろ聞き返したいのにいつもできない。
もう、なんなのあの人。
サリオン様がいてもいなくても、左目の痛さはどうにもならないのに。
とは思いつつも、そう言ってくれる人がいるというだけで、じんわりとした温かさを感じてしまうのも確かなわけで。
サリオン様から、ダレン、いやダルセインの話を聞いたあと、私はこっそりダレンの様子を観察するようになった。
もしもダレンがダルセインなら、サリオン様のことは当然気づいているはず。
自分の人生設計を狂わせた張本人なわけだし、憎くて恨めしくてどうにかしてやりたいと思っててもおかしくないはずなんだけど、今のところダレンはいつも通りの調子のよさで「嬢ちゃん、目の具合はどうだい?」なんて冗談交じりに言ったりする。
うーん、解せない。
ダレンってば、ほんとは何者なの?
ちらちらと様子をうかがう日々が続いていたけど、意外にあっさりその日はやってきた。
*****
その日、私は武器庫にいた。
次の討伐に向けて、一心不乱にレヴィアを磨いていると「精が出るねえ」という皮肉めいた声が耳に届く。
「ちゃんと磨いてあげないと、機嫌が悪くなるから」
「え? なんの? もしかしてその剣の?」
ダレンはゆっくりと武器庫に入ってきて、興味深そうに部屋の中を見回した。
「さすがフルムガールの武器庫、いろんな武器があるんだな」
「そうね。古代から伝わるものもあるらしいから」
私はちらりとダレンを見返したあと、またレヴィアに視線を戻して磨き続ける。
レヴィアは繊細だ。
雑に扱うと、言うことを聞いてくれない。途端に重くなって、振るたびにこっちの体が持っていかれてしまう。
でも大事に、丁寧に扱うと、まるで意志を持つかのように軽やかになって、私の持てる力を最大限引き出してくれる。
この前倒れてからまったく触っていなかったせいか、今日のレヴィアはちょっと不機嫌だった。
磨いても磨いても、不満そうな鈍い光が残る。
だからダレンの相手をしている場合ではなかった。
「おい」
ダレンに構わずレヴィアに対峙していると、今度は後ろから硬い声が飛んでくる。
今日はやけに邪魔が入るなーなんて思って振り返ると、顔を強張らせたサリオン様が直立不動で突っ立っていた。
「どうしたんですか?」
「ブリジットがここにいると聞いたから」
言いながらサリオン様は当たり前のように私に近づいてきたけど、同時に武器を手に取って眺めているダレンを凝視したまま、視線を逸らさない。
その尋常ではない雰囲気に、私は思わず息を潜める。
「お前」
緊張のせいか敵意からなのか、ダレンを凝視したままのサリオン様の低い声は、鋭く尖っていた。
「ダルセインなのか?」
うわ、直球すぎるじゃん。
と思ったら、ダレンは不意打ちを食らったのか、珍しく複雑な顔をした。
「……何の話ですか?」
「お前の本当の名前は、ダルセイン・シリス。バルドール帝国シリス伯爵の三男で、レオフレド辺境伯になるはずだった男だ。そうだろう?」
「何のことやら」
一瞬狼狽えたように見えたダレンはすぐに余裕を取り戻し、飄々とした態度で答える。
「確かに俺は帝国の出ですけどね。伯爵なんて貴族様とは何の関係もない、元悪党の平民ですよ」
「平民は、あんな剣さばきはしない」
ダレンの、動きが止まる。
「先日の討伐の際に見たお前の剣さばき、あれは帝国の、しかもレオフレド辺境伯家に伝わる剣術だ。見る者が見ればすぐにわかる」
「は? たまたまじゃないですか? 俺はあちこちで傭兵として稼いできたし、いろんなやつの剣さばきを目にする機会が多かったんでね。見よう見まねでやってたら、いつの間にかそういうのがごっちゃになって偶然そう見えたんじゃ」
「では、何故俺の名前を知っていた?」
「名前?」
「お前、ブリジットが倒れたとき『サリオン、手を貸せ!』と言っただろう?」
これ以上はないという決定打を言われて、ダレンの顔が凍りついた。
「そうなの?」
倒れたあとのことだから、私はまったく知らないんだけど。
「剣さばきだけなら、レオフレドの騎士団にでもいたのかと思っただろう。俺があの場に着いたとき、運悪くブリジットは魔獣に襲われそうになっていて、わざわざ名乗っている猶予はなかった。そのままブリジットが倒れてしまって焦ったお前は、咄嗟に俺の名前を叫んだ。俺が誰だかわかるのは、あのとき羽織っていたレオフレドの紋章が入ったマントの意味を知る者だ」
「マントの意味?」
「あのマントは、レオフレド辺境伯の後継者が代々受け継いできたものなんだ。見たことがなければ、意味を知ることもない」
サリオン様の容赦ない猛攻で次々と状況証拠が積み重ねられていく中、ダレンは唇を噛みしめて一言も発することができずにいた。
私はふう、と小さく息を吐く。
「ダレン、正直に言ったら? ここまで言われても認めないのは、逆に格好悪いと思うんだけど」
「嬢ちゃん……」
どうすべきか考えあぐねていた元悪党は、とうとう観念したのか大きくため息をついた。
「そうだよ。俺はダルセインだよ」
その声は投げやりでありながら、正体がバレてどこかほっとしているようにも聞こえた。
「でもそれがなんだってんだよ。そんな名前も身分も、とっくの昔に全部捨てたんだ。今は一介の平民、元悪党でリアム殿下の手駒の一人、ただのダレンだ」
「両親が」
サリオン様は、自棄になって叩きつけるように言い募るダレンに悲痛な目を向ける。
「父上と母上が、お前にすまなかったと言っていた。つらい思いをさせてしまったと」
「は? なに言ってんだ? 俺がこうなったのは誰のせいでもない。俺自身が望んで、選んできた結果だ。あの人たちのせいでもなんでもない。むしろ」
そこでダレンは一旦言葉を切り、目の前にあった片手剣に手を伸ばす。
「俺の方が、あの人たちに悪いことをしたと思ってる。あの人たちは俺にとって、実の親以上の存在だったからな。実家じゃあ、三男坊なんて軽く見られて存在すら忘れられてんだよ。でもレオフレドの家に行けば、いつでも歓迎された。だから辺境伯家の養子になる日が、待ち遠しかったんだ。その手続きを進めていた矢先に、お前が生まれることを知った。あの人たちは俺にちゃんと説明してくれたよ。子どもが生まれても、俺のことは辺境伯家で預かりたいと。俺は剣術に長けているから、いずれ騎士団を任せたいとな。でも実の子どもが生まれたら、当然そっちを可愛がるだろう? 俺は嫉妬したんだ。そして不安に駆られた。実際に生まれてきたお前を可愛がるあの人たちを見て、自分の居場所はもうどこにもないんだと思ってしまった。だから拗ねて、捻くれて、あそこにいられなくなるような罪を重ねたんだ」
ダレンは手にした片手剣を、どこか懐かしそうな目で見つめている。
「あのマントもな、レオフレドの家で見たことがある。『いずれお前の物になる』と言われて、あれを羽織る自分を想像して胸が高鳴った。お前が生まれたときのことも覚えてるよ。小さいお前を抱っこしたし、お前は俺に懐いていたからな。俺が行くとサリオンが泣き止む、とよく言われたもんだ」
「ダレンは、後悔しているの?」
私のストレートな問いかけに、ダレンは視線を下に向け、困ったように首を傾げる。
「どうだろうな。やさぐれて小狡いやつらとつるむようになって、悪さばっかり働いてたら帝国にいられなくなって。逃げるようにあちこち転々としながらまた悪事を重ねて、とうとう取っ捕まって牢にぶち込まれる代わりにリアム殿下にこき使われることになって。そんな人生、後悔はしても自慢なんかできないだろ? 嬢ちゃんどう思う?」
「どうって……。まあ、はっきり言って、ダサいかな」
「お前……」
「いや嬢ちゃん、そこは慰めるとこじゃない?」
サリオン様は呆気にとられ、ダレンは面食らって目をパチパチさせている。
「なんでよ。慰めるポイントなんか、一つもないじゃない。さっきダレンも言ってたでしょ、『自分で選んできた結果』だって」
「いや、そうだけど」
「サリオン様が生まれることになって、手に入ると思ってたものが入らないことに失望したんだろうけどさ。リアム殿下に捕まるまで悪事を重ねてきたのは自分自身の選択でしょう? どこかでやめることだって、できたはずだよ」
「はあ……」
「どんな状況にいたって、自分の行動の選択権は自分自身にあるんだから。自分で選択したくせに誰かのせいだって思ってるから、結局後悔するようなことになるんだよ。そういうとこがダサいって言ってるの。今までのことを後悔してるなら、これまでの自分の選択が間違ってたと思うなら、これから正しい選択をしていけばいいじゃない。今までのことをリセットしてやり直すために、リアム殿下はフルムガールへ行けって言ったんじゃないの?」
「え、俺って、この年でこんな小娘に説教されてんの?」
「説教されるような人生を歩んでくるからよ」
私の冷静な返しに、怯むしかないダレン。
「帝国で何してきたのかは知らないけどさ、あんたが大神官とつるんだせいで、結果的にアリー様はずっと酷い目にあってきたんだからね。そういうの、みんなが忘れても私は忘れないし、ちゃんと反省して罪を償ってもらわないと困るのよ」
「は、はい……」
「ダレン」
私の真横に立つサリオン様が、少しだけ柔らかい表情になって、ダレンを見つめていた。
「可能なら、いつか、レオフレドに来て両親に顔を見せてくれないか? 父上も母上も、お前のことをいまだに気に病んでいるから。会いに来てくれると、助かる」
言われたダレンは顔をしかめたかと思うと急に私たちに背を向けて、「わかった、わかった。いつかな」とか大声で言いながら、そそくさと部屋を出て行ってしまう。
なんだかちょっとだけ、涙声のように聞こえたのは、気のせいだろうか。
「ブリジット」
「なんですか?」
サリオン様を見上げると、さっきの柔らかい表情のまま、今度は私の方をじっと見つめていた。
「ありがとう」
「え? 何もしてないですけど」
「……俺はずっと、頭の隅で自分は生まれてこない方がよかったんじゃないかと思ってきた。両親は事あるごとにダルセインにひどいことをしてしまったと自分たちを責め続けていたし、だったら俺なんかいない方がみんな幸せになってたんじゃないかってな。だからもしもダルセインに会うことがあったら、謝りたいと思っていたんだ。でもこの前、ブリジットはそんなの俺のせいじゃないと言っただろう?」
「あ、はい。言いましたね」
「そう言われて、驚いた。初めて、そういう考え方もあるのかと思った。そしてもしも俺のせいじゃないのなら、ダルセインに謝るのも何か違うような気がしてきた」
「まあ、そうですね。サリオン様に謝ってもらったところで今更何かが変わるわけでもないし、ダレンにしてみたらかえって腹立つというかなんというか」
「そうだな」
サリオン様はふっと軽く笑って、私の顔をなおもじっと見つめる。
なんとなく甘さを含んだ目をしたまま、黙って私の顔に手を伸ばしかけて、何故か途中でやめた。
そして、
「うれしかった」
とだけ言って、またくるりと背を向けすたすたと去っていく。
え、何が?
ていうか、今触ろうとしたよね!? なんで!?
もうちょっとちゃんと説明してよ! もう!!
サリオン様の背中が消えた先を追いながら、自分の頬が今までになく赤く色づいていることに、私は気づいていた。
そしてそれに呼応するように、レヴィアもまた、世界中の彩りを集めたように輝いていた。