13 回復と再会と確執
「あんた! 助けてくれたのはありがたいけど何様のつもり?」
さっきまで気を失って眠っていたはずの私が大声で叫ぶもんだから、兄様たちは私が予想外に元気だと察したらしい。
心の底から安堵した表情を見せつつも、私の目線の先にいる男の方を振り返った。
ちなみに、ダレンは一瞬驚いた様子を見せて、そのあとニヤニヤしながらやっぱり男の方を振り返った。
「ブリジット。命の恩人になんてこと言うんだ」
デン兄様の言うことが正論なのは、私もわかってはいる。
「この方は、バルドール帝国レオフレド辺境伯令息のサリオン殿だよ」
兄様がなんだか呆れたように説明したのがちょっと意外で、私はきょとんとした。
「帝国? 辺境伯?」
「アグラディア王国とバルドール帝国は間に魔獣の森を挟んでいるだろう? レオフレド領は魔獣の森に接している、帝国の辺境伯領だよ」
言われて、そういえばと思い出す。
アリー様の令嬢教育でも、周辺国について学んでいた。
南北に長い魔獣の森の左側に位置するのがアグラディア王国フルムガール辺境伯領、右側に位置するのがバルドール帝国レオフレド辺境伯領。
つまり、魔獣の森を間に挟み、フルムガール領のちょうど反対側に位置するのがレオフレド辺境伯領というわけだ。
「今回のスタンピード、帝国側にはすでに大きな被害が出ているらしくてな。情報提供と何かあったときの協力要請を目的として、レオフレド辺境伯家からサリオン殿自ら駆けつけてくれたんだよ。ここに来る途中でたまたま魔獣との戦闘に出くわして、それでお前を助けてくれたんだ」
「ふーん」
面倒くさそうに相槌を打つ私の怒りがまったく収まってないことに、目敏く気づいたのはダレンだった。
「なになに? 嬢ちゃんはなんでそんなにヘソ曲げてるわけ?」
「だってその人、あのとき私のこと見て『お前、女なのか?』とか言ってたから」
その途端、こちらの辺境伯兄弟は声を揃えて「うわー……」とつぶやく。
兄様たちは、知っている。
私が女だということで、ただそれだけで戦いに向かう際には揶揄され、疎んじられ、蔑ろにされてきたことを。
だから「女のくせに」とか「女なのに」とかいう言葉に、人一倍敏感で過剰に反応することを。
「あの場に女がいて何が悪いのよ? 今回はたまたま目が痛くなってあんなことになったけど、今までだって魔獣討伐には加わってたし、しっかり役目も果たしてる。帝国のご令嬢には私みたいなのがいないから知らないんでしょうけど、女ってだけでひとまとめにしないでもらえます?」
腕を組んだまま、一言もしゃべらない無愛想な男を私は真っすぐに見据えた。
「助けてくれたことには礼を言います。でも」
「悪かった」
男は組んでいた腕を下ろし、いきなりしかめ面で頭を下げる。
「え?」
「悪かった。そういう意味で、言ったわけではなかった。ただ純粋に女だったから驚いただけで、討伐の場に女がいるのを悪いだなんて思ってない。誤解させてしまったのは悪かったが、お前の強さはちゃんと見ていたから」
「見てた?」
「戦闘が始まって俺たちが駆けつけたとき、お前はまるで舞うように魔獣を倒していた。つい見惚れてしまった」
「は?」
「見惚れていた」なんてこれまで言われたことのない私は、突然のことに面食らって固まった。
その様子を、興味深そうに眺める兄様たち。
ダレンが何か言おうと口を開きかけた瞬間、アリー様がばっさりと切り捨てる。
「みなさん、ブリジット様は目が覚めたばかりなのです。心配する気持ちはわかりますが、全員で押しかけて興奮させるのはやめてもらえます? それから、もう少し休ませたいので出て行っていただけるとありがたいのですが」
問答無用なお姉様の一言に、みんなは従うしかなかった。
その後、一応医者にも左目を診てもらったけど特に異常はないと言われた。
でも、これまでになかったことだというので過保護な兄様たちから絶対安静を命じられ、私は数日ベッドの上での生活を余儀なくされた。
ずっとベッドの上にいるのも暇なんだよなあと思いながら近くにあった歴史書をぱらぱらとめくっていると、トントントンとノックの音がして、あの男が入ってくる。
「今、いいか?」
「……いいですけど」
どういうわけだか、この人は時々こうしてここに来て、少し話をしていく。
でも、基本的に話し上手ではないらしく、というか多分話し下手な人のようで、会話はまったくといっていいほど弾まない。
何がしたいのかさっぱりわからないけど、私も暇だし、いろいろ考えるのがめんどくさいから完全に放っておいていた。
「目は、どうだ?」
「大丈夫ですよ。あれから痛むこともありませんし」
「左目はほとんど見えていないと聞いた。不便じゃないのか?」
アリー様も同じようなこと言ってたなあと思いながら、私は読もうと思っていた歴史書を閉じる。
「小さい頃からなんで。もう慣れました」
「それなのにあんなに強いとはな」
「それは、どうも」
とりあえず、言葉は少ないながらも私の強さだけは素直に褒めてくれるのが、なんというか気恥ずかしい。
「サリオン様だって、強かったですよ」
魔獣を一太刀だもんなあ、なんてあのときのことを思い出してしみじみ言ってみたら、サリオン様は慌てたように口を押さえ、心なしかほんのりと頬が色づいたように見えた。
「あ」
「はい?」
「あ、いや。聞きたいことが、あるんだが」
「聞きたいこと? 何ですか?」
決まり悪そうに俯くサリオン様はしばらく逡巡し、それから決心したように顔を上げる。
「あの、ダレンという男だが」
「ダレン?」
「あの男の、素性を知っているか?」
予想の斜め上を行く質問をされ、私は思わず眉を顰めた。
「あまり詳しくは知りませんけど。何か?」
「フルムガールで雇っているわけではないのか?」
「雇ってないです。むしろ押しつけられたっていうか」
「押しつけられた?」
「あ、いえ。ていうか、サリオン様こそダレンのこと知ってるんですか? 知り合いなんだったら、本人に言えばいいじゃないですか」
「言えないから、お前に聞いてるんだ」
なんだそれ。
憮然とした様子のサリオン様は、私の無表情に気づいたのか「あ、すまん」と言ったきり、押し黙る。
私は仕方がなくて、ため息をついた。
「本当に、私もよくは知らないんです。知り合ったのも最近ですし、急にうちで預かることになって」
「そうか……」
そう言って、サリオン様はまたしばらく押し黙る。
もう、なんなのこの人。
すぐ黙っちゃうんだもん。
顔を伏せたまま何も言わないサリオン様を放っておいて、やっぱり歴史書を読もうとしたときだった。
「俺の話を、聞いてくれるか?」
唐突なその声は、少し苦し気で、切羽詰まったような響きがあった。
「……いいですよ」
私が答えると、サリオン様は初めて表情を緩ませ、嬉しそうというか、少しだけ気が抜けたような笑みを浮かべる。
この人もこんな顔するんだ。
……ちょっと、意外。
「俺は、知っての通りレオフレド辺境伯家の長男だ。ただ俺が生まれる前、両親にはなかなか子どもができなくてな。そのうち諦めた両親は、親戚から養子をもらうことにしたそうだ。母方の親戚筋で、シリス伯爵の三男を」
「そうなんですか」
「ああ。わりと早い段階から養子にもらうことが決まっていたから、両親もその三男坊を小さい頃から可愛がっていたそうだ。そいつも両親に懐いていて、いずれは辺境伯を継ぐからと勉学も剣術も励んでいたらしい。ところがそいつが12歳になったとき、両親に子どもができた。それが俺だ」
「あ、じゃあ」
「そうだ。養子の話はなくなった。跡継ぎができたら、養子をもらう必要はないからな」
「え、じゃあその三男坊はどうなったのですか?」
「それまで自分が辺境伯を継ぐつもりで頑張ってきたのに、突然跡継ぎが生まれたからお前は要らないってことになったわけだ。ただ、両親はもともとそいつを可愛がっていたし、何らかの形で辺境伯家に迎えようとは思っていた。三男なんて、実家にいたって跡も継げなければスペアにもならない。下手したら厄介者扱いだからな」
「……そう、ですよね」
言いながら、世の中の一般論としてはそうでも、うちの三男坊はだいぶお気楽だなあなんて思ったりする。
少なくても、厄介者ではないかな。
「俺が生まれてからもその三男坊は辺境伯家に何度か来ていたらしい。両親は俺もそいつも我が子として可愛がっていたつもりだったが、三男坊の方はもう自分の居場所はなくなったとでも思ったんだろうな。次第に素行の悪いやつらとつるんで悪事を働くようになったそうだ。いろいろやらかしていよいよシリス伯爵がそいつを勘当しようとしたとき、忽然と姿を消した」
「いなくなっちゃったんですか?」
「そうだ。それっきり、そいつがどこに行ったか消息はつかめていない」
うちの三男坊とはだいぶ趣の違う話だなあ、なんて悠長に考えて、ハッとする。
何故今、その話を……?
「もしかして」
「いなくなったシリス伯爵の三男の名前はダルセイン。ダルセイン・シリスだ」
「……それって」
「ダレンかもしれない」
サリオン様は、今にも泣き出しそうな顔をしている。
それはそうだろう。
なんせ、自分が生まれたせいで、一人の少年の未来を壊してしまったかもしれないのだ。
そのどうしようもない重さに、この人は気づいている。
「確かに、ダレンは帝国の出だと言ってたけど……」
「そうなのか?」
「はい。あと、やたら聖女のことに詳しいんですよね。帝国の人はみんなそうなんですか?」
言われて、サリオン様はまた押し黙った。
沈黙の行方を静かに見守っていると、サリオン様の顔が次第に悲壮感を増していく。
「帝国で聖女に詳しい者はみな、辺境伯家にかかわりのある者だ」
「どういうことですか?」
「最初の聖女は帝国で生まれ、その後も数多くの聖女が帝国で生まれたのは知っているか?」
「あー、はい」
「その中で、帝国最後の聖女とされた女性は実はレオフレド辺境伯家の娘だったんだ」
「え?」
「聖女になったレオフレド辺境伯家の娘は若くして行方知れずになったと言われているが、その後帝国で聖女は生まれなくなった。何故かアグラディア王国でのみ聖女が生まれるようになったんだ。何故帝国で聖女が生まれなくなったのか、そもそも聖女とは、聖女の力とは何なのか、それを長きに渡って最も熱心に調査し研究してきたのは我が辺境伯家だった」
「じゃあ、帝国の人みんなが聖女について知ってるわけではないということですか?」
「むしろ帝国では、聖女なんて失われた文化だよ」
じゃあ、本当に?
言葉にするより早く、私の確信はサリオン様に届いたらしい。
「俺はまったく覚えていないんだが、生まれたばかりの頃はダルセインも俺のことを可愛がってくれたらしくてな。『こいつは俺の弟だから命を懸けて守る』などと言って、両親は喜んでいたそうだ」
苦しそうに顔を歪めるサリオン様の声に、切なさが走る。
「でもダルセインがいなくなったのは、サリオン様のせいじゃないでしょう? 勝手にいじけて、拗らせていなくなったんだから」
「お前……」
「なんですか?」
「わかってはいたが、はっきり言うんだな」
「そうですね。思ったことは、言わないと気が済まない性質なので。うちにも三男坊がいますけど、いじけることも拗ねることもなく、それなりに必要とされて楽しく生きてますよ。ダルセインだって、一人でいじけて逃げてないで、レオフレド辺境伯家のご両親としっかり向き合えばよかったんじゃないですか? まあ、どっちにしても、サリオン様のせいではないですけどね」
「俺がいなかったら、ダルセインは辺境伯家を継いでいたかもしれないんだぞ。不本意な人生を歩むことはなかったかもしれない」
「そういうやつはね、サリオン様がいなくたって、きっとどこかで根性がひん曲がって、拗らせるものなんですよ。だからやっぱり、サリオン様のせいじゃないです」
私が当たり前のように言い切ると、サリオン様は完全に機能を停止させて私の顔をじっと見つめる。
「なんですか?」
「お前……」
「お前お前って、私、ブリジットっていうちゃんとした名前があるんです。いい加減、人を見下すような言い方やめてもらえますか?」
「あ……」
はっきりと狼狽えて、サリオン様はまた少し俯いた。
それから、上目遣いで「悪かった」とつぶやく。
「でも、それならやっぱり、直接ダレンと話してみた方がいいと思いますよ」
「そうか……」
「不安なら、私がつきあってあげましょうか? もしもダレンがダルセインだったら、話したいことがあるんでしょう?」
私が言うと、サリオン様は黙って頷き、またしばらく沈黙が訪れる。
なんだかよくわからない人だけど、さっきからすぐ黙っちゃう人だけど、この沈黙は嫌な感じがしないな、なんて思っていたら。
「ブリジット」
「はい?」
「お前の隣は、居心地がいいな」
そう言ってサリオン様はさっと立ち上がり、振り返りもせず部屋から出ていってしまう。
「は? 何それ」
サリオン様の背中に投げつけた言葉は、届かなかったらしい。