11 告白とスタンピードと討伐隊
「えーーーー!?」
少し思いつめたような表情を見せるアリー様に向かって、私は「力が戻った」と告白されたときとまったく同じ反応をしてしまった。
「い、いやちょっと待ってくださいよ。なんで『覚醒』したってわかるんですか?」
とにかく落ち着こうと深呼吸を試みるけど、焦ってしまってあんまり効果がない。
慌てる私を尻目に、アリー様は淡々と話し続ける。
「はじめはただ、力が戻ったとしか思わなかったんです。初めて『癒しの力』が発現したときと同じような感覚があると言ったでしょう? でも“同じよう”ではあったけどなんとなく違和感もあって。だから試してみたんです」
「何を?」
「ほら、ブリジット様が言ってた花瓶の少し萎れた花で。まさかと思って、ほんの軽い気持ちで祈りを捧げてみたんです。そしたら」
「そしたら?」
「花が生き返って」
「……まじか」
私たちは、声も出せずに2人で顔を見合わせる。
「それ、なんていうかびっくりですね」
こんな重大な告白に対して、そんな言葉しか出てこない自分の語彙力のなさに我ながらがっかりする。
もっと真面目に、令嬢教育受けておけばよかった。
「そうよねえ。私もびっくり」
「あ、ということはですね、怪我や病気の治癒はもちろんですけど、『加護』を授ける、ということもできるんですかね?」
この前のダレンの話によると、聖女の力にも「段階」があり、怪我や病気に対して治癒を施すのが「最初の力」、次に健康な人々に対して「加護」を授けることができるのが「第2の力」。
さらに「最後の力」は「万物に『聖なる慈悲と祝福』を与える力」とされ、その段階に達した聖女の状態を「覚醒」と呼ぶらしい。
あのとき、アリー様もリアム殿下もその話を初耳だと驚いていたけど、実は2人のその反応に私と兄様の方が驚いていた。
だって私たちはそれを、知っていたから。
さすがに「加護」だの「慈悲と祝福」だの「覚醒」だのという単語は知らなかったし、ダレンほどの詳しい知識もなかったけど、でも聖女の力が治癒だけじゃないのは知っていた。
ただ、「私たち知ってましたよ」なんて言うのはちょっと自慢みたいで嫌だったし、そもそも大したことじゃないよなと思ったから結局言ってないんだけど。
「『加護』を授けるって具体的にはどういうことなんでしょうね?」
「うーん、よくわからないけど、災いが降りかからないようにするとか? 何かしら不幸に襲われても最悪の状態は避けられるとかかしら?」
「え、ちょっと待って。それって、辺境伯領の人たちにしてみたらだいぶありがたい話ですよ。魔獣討伐のときに、『加護』があれば負傷したり死んだりするのを避けられるかもってことでしょう?」
魔獣討伐は、常に死と隣り合わせの危険で過酷な戦いを強いられる。
討伐に行けば複数の負傷者が出ることは免れないし、下手したらその場で命を落とすことだってある。
お父様のように、魔獣に受けた傷がもとで亡くなってしまうことだってあるのだ。
ここ何年かはめっきり減ったけど、スタンピードのように魔獣が突然大量発生したときにはたくさんの死傷者が出てしまうほど、状況は凄惨を極めることになる。
でも、「加護」があればそんな最悪の事態を避けられるかもしれない。
「じゃあ、試しに私に『加護』を授けてみてくださいよ」
面白半分で言った言葉に、アリー様はとんでもないというように眉を顰めた。
「試しにって、そんな簡単なことじゃないでしょう? 失敗したらどうするの? うまくいくかわからないのに、ブリジット様にそんな危ないことできません」
「でも試してみないとわからないし、多分大丈夫ですって」
「そんなのわからないでしょう? あなたに何かあったらどうするの?」
真剣になりすぎて、もはや怒っているといってもいいくらいの険しい目つきをするアリー様に、私はわざと無邪気に笑ってみせる。
「大丈夫ですって。失敗したとしても『加護』が授からないだけでしょう? それに、アリー様は失敗しません」
「どうしてそんなこと」
「アリー様だから」
自信満々な笑顔を見せられて、アリー様はしばらく困ったように何かを考えていたけど、そのうち諦めたようにため息をついた。
「もし、苦しかったりいつもと何か少しでも違うと感じたりしたら、すぐ言ってくださいね?」
「はい」
アリー様は小さく息を吐いてから呼吸を整え、私の右手を両手で握って目を閉じた。
しばらくすると、アリー様の両手や腕の辺りにキラキラと輝く金色の粒子が溢れ出し、優しく握られている私の右手を包んだかと思うとそこから温かく、それでいて清廉な何かが伝わってくるのがわかった。
ただただ金色の粒子の美しさに見惚れていると、それは一気に輝きを増し、そして静かに消えていく。
「どう?」
目を開けて、不安そうに私の顔をうかがうアリー様に向かって、私はにっこり笑って答えた。
「すごくきれいでした」
「え? 何が?」
「アリー様の手が、キラキラと金色に輝いていて。あれが聖女の力なんですかね?」
「え? そうなの? いえ、それより何ともないですか? 苦しかったり体調が悪くなったり……」
「あ、それは全然ないですね」
私はアリー様が握ってくれていた右手をかざして、ひらひらと動かしてみる。
当然右手も何ともないし、体調も変わらない。むしろ、体が軽くなったような気さえする。
「なんか、逆に調子よくなったかもしれません。今なら魔獣の100匹や200匹、楽に倒せそう」
「そ、そう?」
何ともない私の様子を確認して、ようやくアリー様は安堵の表情を見せた。
「あのキラキラした粒子、『治癒』のときにも見えるんですか?」
今さっき目の前で見た光景に半ばうっとりしながら、アリー様に尋ねてみると、
「『治癒』のときにも集中するために目は閉じるから、光ってるかどうかはわからないけど……。でも、何かが光ってると言われたことはないわね」
「へえー。じゃあ、あれは『加護』だからなのかな? そしたら『聖なる慈悲と祝福』のときはどうなっちゃうんだろう?」
アリー様の全身が光るとか?
想像して、ちょっと見てみたい気持ちになった。
そうなったらもう、聖女というよりは女神だよなあ、なんて思いつつ。
「この前のダレンの話だと、『覚醒』すれば人間以外の万物に『聖なる慈悲と祝福』を与えることができるって言ってましたけど、それって具体的にどういうことなんでしょうね?」
「私もそう思って花瓶の花で試してみたら、萎れた花が生き返ったのです。さすがに死んだ生物を生き返らせるとかは無理でしょうけど……」
思案顔のアリー様を見ていたら、思わずふふ、と含み笑いが漏れた。
「聖女の『最初の力』である治癒すらうまく使えなくなってたアリー様が一気に『覚醒』に至るなんて、やっぱり兄様の愛情の深さは計り知れないですね」
純粋に、兄様の愛の重さというか溺愛ぶりに感心して言っただけだったのに、アリー様は頬を真っ赤に染めて恥ずかしそうに両手で顔を隠してしまった。
*****
それから数日かけて辺境伯邸に戻ってきた私たちは、馬車から降りた瞬間にただ事ではない屋敷の空気に気づく。
「いいところに帰ってきてくれたな」
デン兄様がちょうど玄関にいて、私たちを出迎えてくれたけどニコリともしない。
「魔獣が出たのか?」
「ああ。今朝見回りに行った騎士団員が足跡を見つけた。近くまで数匹来ていたらしいが、スタンピードの兆候もある」
馬車から降りた兄様は、「スタンピード」という言葉を聞いて事態の深刻さをすぐに理解したらしい。
「ユージンはすでに数人の騎士団員を連れて、先発隊として森へ入った。こっちも準備が出来次第向かうつもりだ」
「わかった。討伐隊の編成はお前に任せる。俺たちもすぐに準備してあとを追うよ。ブリジット!」
馬車を降りるアリー様に手を貸していた私は、兄様に呼ばれてすぐに駆け寄った。
「話は聞こえてたな? 帰ってきて早々悪いが、お前も出られるか?」
「帰ってきて早々なのは兄様も同じでしょう? 当然行きます」
「頼むぞ。あとは……」
「あ!」
私の視界に、兄様の後ろで影を潜めている元悪党が飛び込んできた。
「兄様、こういうときこそ『助っ人』の力を借りては?」
こんなときに何言ってんだとばかりに訝し気な表情をした兄様は、私がほくそえんで指差す方向を振り返った。
そして、頷きながら悪そうに微笑む。
「ダレン!」
隠れていたつもりのダレンは、名前を呼ばれてびくりとした。
「当然お前も行くよな?」
「え? お、俺、そういう手荒な真似はあんまり得意じゃないというか……」
「何言ってるんだ? 王国に流れてくる前はあちこちで傭兵をしていたってリアム殿下から聞いてるぞ。それに、王都でだってお前の武勇伝は有名だそうじゃないか」
「兄上、その方は?」
王都での経緯を知らないデン兄様は、硬い表情で見定めるような視線をダレンに向けている。
「ああ、詳しい話はあとだ。リアム殿下が魔獣討伐の任を預かる辺境伯領への支援としてこいつを寄越してくれたのさ。好きに使っていいそうだ」
「そうか」
「いやいや待てって」
嫌がるダレンを引き連れて、兄様が玄関の中に入ろうとしたときだった。
「オスカー様!」
アリー様が悲痛な声で兄様の背中を追う。
「アリアーネ、聞いての通りだ。魔獣が出たから討伐に行く。戻ってきたばかりですまないが、あなたは疲れただろう? 中でゆっくり休んで――」
「私も連れて行ってください」
その唐突な申し出に、その場にいた全員が呆気にとられた。
「な、何言ってるんだ。魔獣討伐だよ? そんな危険な場所にあなたを連れて行けるわけがないだろう?」
「でも私、『癒しの力』が戻りました。魔獣討伐に行けば負傷者が出るのは必至。治癒ができれば最悪の事態は免れ、戦闘も有利に進められるはずです」
「それはそうだが、まだ詳しい状況もわからないし、やっぱり危険だ。あなたはここで待機を」
「嫌です! 私も一緒に行きます!」
なおも引き下がらないアリー様を困った顔で見下ろした兄様は、引き連れていたダレンをデン兄様に預けてアリー様に向き直った。
「アリアーネ。気持ちはうれしいが、戦闘に慣れていないあなたを連れて行くのはやっぱり危険すぎる。あなたが心配なんです。わかってくれますね?」
「わ、わかりません! オスカー様が私を心配してくださるように、私だってオスカー様が心配なんです。私なら何かあってもどうにかできる力があるのに、黙ってここで待っているなんて絶対に嫌です」
……この人たち、真剣に言い争いしているように見えるけど、その実ただいちゃいちゃしてるだけじゃない?
そう思ってデン兄様を見ると、やっぱりどこか冷めた目で2人を眺めている。
ていうか、いつの間に兄様はアリー様を呼び捨てなんだろう。
「本当の夫婦」になったと思ったら、今まで以上に距離が近いんだもんなあ。
なんか、こっ恥ずかしくて、見てらんない。
「そ、それに私、『覚醒』したんです」
もう公衆の面前で抱き合っていると言っていいくらいの距離で兄様を見上げていたアリー様が、いきなり巨大爆弾を落とした。
「は?」
「『覚醒』したので、討伐に行かれる方々に『加護』を授けられます。そうすれば――」
「それ、ほんと?」
デン兄様に引きずられていたダレンが、興奮した様子でアリー様に近寄った。
「本当に? 『覚醒』したの?」
「恐らく。『加護』は授けられました。ここへ戻ってくるまでの道中で、ブリジット様に試してみたので」
「え? まじで?」
兄様までもが私とアリー様とを交互に見ながら、呆然としている。
デン兄様だけが、なんのことやら訳がわからずぽかんとしていた。
「ダレン。あなたは聖女の第2の力である『加護』を授けるということが、何を意味するのかわかっているのですか?」
俄かに聖女としての威厳を纏ったアリィ様が、ダレンの動きを封じるようにぴしゃりと言い放った。
ダレンはその気高く神聖な勢いに気圧され、思わず立ち止まって背筋を伸ばす。
「『加護』とは『聖なる護り』だ。『加護』を授けられた者はすべての災禍災厄を退けることができると言われている。恐らく魔獣の攻撃から身を護ることができるだろう」
ダレンの説明に、アリー様は確信を得て相好を崩した。
「お聞きになったでしょう? 今こそこの辺境伯領に、聖女の力が必要なのです。このタイミングで私がここへ来たのも、精霊エリヤの思し召しかもしれません。私だって辺境伯の妻、辺境伯領を守りたいのはあなたと同じです。それに何より、私もあなたとともにありたいのです……!」
「アリアーネ……」
とうとう兄様は降参したようにアリー様の手を取り、「敵わないな」と言いながらその甲に口づけた。
……もう。
こんな緊急事態に、人前でいちゃいちゃすんのほんとにやめてくんないかな。
一応、と思いながらもう一度デン兄様を確認すると、その表情は完全なる「無」だった。
そうして、魔獣討伐隊の出発準備は整った。