10 覚醒と厄介者と帰還
「え? は? それって」
「癒しの力が戻ってるの……!」
何を言われたのかようやく理解したらしいブリジット様は、目を見開いたかと思うと「えーーーー!?」と大声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。昨日陛下たちの前では『弱まったまま戻ってない』っ言ってましたよね?」
「あの時点では確かにそうだったから……」
「じゃあなんで? どうやって戻ったんですか? 何かあったとか?」
ブリジット様はただただ純粋に驚いているけれど、癒しの力が戻った理由には、うっすらと、いや確実に、心当たりがある。
ただ、その心当たりを説明するにはちょっと決まりが悪くて、「あのー」「その……」なんて返すことしかできない。
「アリー様、なんですか? どうしたんですか?」
なかなか言わない私に、痺れを切らしつつあるブリジット様の目が怖い。
仕方なく、私はブリジット様の耳元に手を当てながら、ヒソヒソとささやいた。
「実は、昨日夫婦、になって」
ブリジット様は数回瞬きをしたあと、とても言葉では言い表せないような、微妙な顔をした。
「あのー」
「はい」
「いろいろと私も複雑な気持ちなんですけど。いろいろと」
「そうよね、ごめんなさい」
「いえ、アリー様が謝ることじゃないんですけどね。いいんですけど。ただ話が進まないのでこの際自分の感情は一切無視して聞きますね。あの、そういうことに、まだなってなかったんですか?」
「ええ。急に結婚ってことになりましたし、まだしばらくは時間が必要だろうってオスカー様が気遣ってくれていて……」
「へえ。それが、昨日いよいよ」
「そう。いよいよ」
私たちは無言でお互いの顔を見合わせる。
なんとも言えない沈黙のあと、軽く咳払いをしたのはブリジット様だった。
「……まあ、要約するとその、『夫婦』になったら、『癒しの力』が戻ったということですかね」
「ええ、そうなるわね」
「でも、それって確かなんですか? 戻ったという証拠とか」
「12歳で初めて力が発現したときの感覚に似ているの。なんて言っていいのかわからないけど、体の中に力が漲るというか、体の奥の方から強い力が湧き出てくるというか、そういう感覚が確かにあって」
「じゃあ」
そう言ってブリジット様は、廊下に置いてあった花瓶の花を指差した。
「あの、ちょっとだけ萎れかかってる花に『癒しの力』を使ってみてくださいよ」
「ブリジット様。『癒しの力』は人にしか使えないのですよ」
「え? そうなの? ほんと?」
ブリジット様は、何やら腑に落ちないという顔をする。
「ええ。怪我をした人や病を患っている人の治癒にしか使えないのです」
「そうなんですか? じゃあ、誰か怪我した人を探してみます……?」
言ってはみたものの、それが無謀な案だとすぐに気づいたブリジット様は気を取り直して「兄様には話しました?」と尋ねた。
「いえ、まだ半分寝ていらして……」
言った途端、ブリジット様はさっきにも増して微妙な顔をする。
「あー、いいですいいです、わかりました。とにかく兄様にまだ言ってないなら、言わないといけませんよね」
「そ、そうですね」
「え、ちょっと待って。ということは、アリー様、私に先に教えようと思ってここまで?」
「え? ええ」
そういえば、そうだ。
オスカー様に先に話してもよかったのに、何故だか私はすぐにブリジット様に伝えなければと思って走り出していた。
「いやー、なんかそれ、すごくうれしい」
急に鼻歌交じりに上機嫌になるブリジット様を見て、私は曖昧に笑うしかなかった。
朝食のあと、私たちは3人だけで集まって「癒しの力」が戻ったことをオスカー様に伝えた。
オスカー様は「なんで急に?」と私の顔を見た瞬間何か思いついたらしく、「あ、まさか……」と言ったきりどんどん頬を赤らめていく。
「えーと、そういうこと?」
「ええ、恐らく」
「まじか」
口元に手を当て、真っ赤な顔で何やらうなり声をあげるオスカー様。
「まあ、それならいずれ力は戻ってたんだろうけど……。問題は、これをリアム殿下に伝えるかどうかだな」
「俺がなんだって?」
その声にぎょっとして3人同時に顔を上げると、昨日も見た整った顔立ちの金髪碧眼がちょっと偉そうな様子で立っていた。
「なんだなんだ? 3人で悪巧みか?」
「リアム殿下……」
「そうかそうか、力が戻ったのか」
ニヤリと悪そうに微笑む殿下を見返しながら、私たちはあれこれ画策する前にすべてバレてしまったことを悟る。
「じゃあ、昨日の話は嘘だったのか?」
「そうではありません。昨日の時点では、確かに戻っていませんでした」
「じゃあ、なんで?」
いちばん答えにくい質問をされ、私とオスカー様が顔を見合わせて何も言えないでいると。
「そりゃ戻ることもあるだろう? 愛があればさ」
唐突に、知らない男の声がリアム殿下の後ろから飛んできた。
「え、誰?」
ブリジット様が怪訝な表情で男を見上げる。
「そう。俺、ダレン」
「は?」
「ダレンって誰だっけ?」
「あ、大神官が『ならず者に仲介を頼んだ男』? 『裏社会に通じる男』で、あいつらと一緒になって悪行三昧だったっていう……」
「は? なんでそんなやつがここにいるわけ?」
辺境伯の兄妹がリアム殿下の前だということも忘れて勝手に騒ぎ出すと、ダレンと名乗った男はリアム殿下に勝るとも劣らない半笑いで答えた。
「俺も辺境伯領へ連れて行ってもらおうと思ってさ」
「はあ!?」
こんなときのブリジット様の勢いは無敵である。
「なんであんたなんかをフルムガールに連れていかなきゃなんないのよ! あんた悪者なんでしょ? 黙って罰を受けてなさいよ」
「いやいや、お嬢ちゃん。俺を連れてくって話は、このリアム殿下が言い出したんだぜ」
「ちょっと! どういうことですか、リアム殿下!」
この国の第二王子に対して牙を剝かんばかりのブリジット様にひやひやしていると、当のリアム殿下はおかしくてしょうがないという雰囲気で笑った。
「ブリジット嬢はほんと勢いがあって可愛いね。どう? 俺のとこにお嫁に来ない?」
「は!? 行きませんけど! それよりどういうことなんですか!?」
「実はさ、このダレンを辺境伯領でしばらく預かってほしいんだよ」
リアム殿下のまさかの申し出に、オスカー様が一瞬で表情を変えて姿勢を正した。
「殿下。それはどういうことですか?」
「ダレンと取引したのさ」
「取引ですか?」
リアム殿下は意地の悪い含み笑いをしながら、楽しそうに続ける。
「ダレンはロエアの悪巧みに加担はしていたが、実は神殿内部の腐敗や汚職に関して直接的には手を貸してないんだ。兄上との密接なつながりもない。どちらかというと、神殿の外というか、まあ裏社会であくどいことをいろいろやっていたというか」
「そっちの方が、タチ悪いでしょ」
「いやまあ、そうなんだけどね。でも裏社会に顔が利くし、この先もいろいろと役に立つだろうと思ったんだよ。だからロエアに協力した罪はもちろん、これまでやってきた悪事を償う代わりに、俺の配下に置いて汚れ仕事を引き受けさせることにしたのさ。こいつをこっち側に引き込むのにちょっと時間がかかっちゃったもんだから、辺境伯夫人をギリギリのところで危険な目に遭わせてしまって、本当に申し訳なかったけどね」
とか言いながら、リアム殿下はあまり申し訳なさそうな表情はしていない。
なんか、昨日もちらっと思ったんだけど。
リアム殿下って、こう見えて意外に腹黒じゃない?
「ただ、こいつもあちこちで派手に動き回ってたせいで、今はまだ大っぴらに使うことができない。それで、ほとぼりが冷めるまで王都から離れた辺境伯領で大人しくしててもらおうと思って」
にこやかに説明するリアム殿下と、明らかに嫌そうな顔をするオスカー様。
「……断ることはできなさそうですね」
「だってほら、聖女の力が戻っちゃったんだろ? いいの? それ、陛下や神殿に知られるとまずいんじゃないの?」
うわ、もう脅しでしょう、それ。
一国の王子がこんな邪な人でいいのかしら。
オスカー様は大きなため息をついて、でも思ったより吹っ切れたような声で言った。
「わかりました。引き受けますよ。その代わり、辺境伯領では好きに使いますけどいいですよね?」
「え、好きにって?」
「辺境伯領に来る以上、それ相応の働きはしてもらいます。なんせ魔獣討伐という重要な任を預かっていますからね。嫌というほど手伝ってもらいますよ」
「えー、なにそれー。俺行きたくなーい」
鼻につく平坦な声で叫ぶダレンに、ブリジット様ははたと何かに気づいて尋ねた。
「あんた、そういえばさっき、何か言ってなかった? 『癒しの力』は愛があれば戻るとかって……」
「あ? ああ」
ダレンは、さも当たり前のことだというふうに、流暢に話し出す。
「聖女の力は愛の力。誰に発現するかはわからないが、それでも発現するのは十分な愛情を受けて育った女性だよ。強く愛されることで聖女の力は増し、そして『覚醒』する」
「覚醒?」
「なんだ? お前たち、聖女の『覚醒』も知らないのか?」
私たちが不思議そうな顔をするのが面白いのか、ダレンは得意げに説明した。
「『聖女の力』には『段階』がある。怪我人や病人を治す『治癒』が『最初の力』、健康な人間に『加護』を授けるのが『第2の力』だ。さらに聖女としてのステータスが上がると、その効果の対象は人間に限らず万物に『聖なる慈悲と祝福』を与えることができる。これが聖女の『最後の力』、つまり『覚醒』だ」
ダレンはドヤ顔をしているけど、どうにも釈然としない。
神殿で長く聖女の務めを果たしてきたけど、そんな話は聞いたことがなかった。むしろ、聖女の力=治癒を施す癒しの力であり、「加護」や「覚醒」なんて言葉とはまったく無縁だったはず。
私と同じ思いだったのか、リアム殿下も信じられないとでもいうように疑わしそうな目つきをした。
「ダレン、この国の聖女にまつわる言い伝えにそんな話は存在しないぞ。そうだろう? 辺境伯夫人」
「え、ええ。私も聞いたことがありません」
「そうなのか? まあ、仕方ないんじゃないか? 聖女が最初に発現したのは帝国だし、その後数多くの聖女が生まれたのも帝国だし、そもそも聖女の総本山は帝国だからな」
「え? そうなの?」
「そうだよ。それが、いつからかどういう理由かは知らないが、帝国で聖女が生まれることはなくなって、この王国でのみ生まれるようになったんだ。帝国は聖女の発現を模索すべく調査や研究を重ねてきたが、いまだ誕生には至っていない」
「なんで、あんたがそれを知ってるのよ?」
いつもにも増して鋭さを増したブリジット様の視線が、刺すようにダレンを捕らえる。
ダレンは心なしか狼狽えて、何故かリアム殿下の方を振り返った。
リアム殿下は腹を括ったような顔をして頷き、口を開く。
「ダレンは帝国の生まれなんだ。帝国でいろいろ悪さして向こうにいられなくなって、王国に来たわけさ」
「それでこっちでも散々悪さして、今度は王都にいられなくなって辺境伯領に来るわけね」
平然とした顔で辛辣なことを言うブリジット様に、殿下もダレンもぐうの音も出ず、オスカー様は観念したように苦笑する。
「でも確かにさ、ダレンの話の通り『癒しの力は愛の力』なら、神殿でいいようにこき使われ続けたアリー様がだんだんその力を失っていったことの説明がつくよね。そんで兄様の愛を受けて、また『癒しの力』が復活したんですね」
感心したようにブリジット様はうんうんと頷いてるけど、意味わかってるのかしら。
「愛を受けて」なんて言われたら、昨夜のことが否応なしに頭の中をよぎってしまうじゃない。
焦ってどぎまぎしながらちらりとオスカー様を盗み見ると、やっぱり気まずそうに顔をぱっと赤らめている。
「まあその様子じゃあ、この先聖女が力を失うことはなさそうだな」
訳知り顔でニヤニヤするダレンに、私もオスカー様も何も言えなかった。
そうして数日後、ようやく辺境伯領に帰ることになる。
結婚式にはシューリス伯爵家が家族総出で辺境伯領に来てくれることになり、また会える日を楽しみにしながら私たちは帰途についた。
帰りの馬車は2台に分かれ、私とブリジット様、オスカー様とダレンが一緒に乗り込んだ。
一応、オスカー様はダレンの監視役である。
「はー、いろいろありましたけどやっと帰れますね」
ここまでなんとか「貴族令嬢」として振る舞い、窮屈な思いをし続けていただろうブリジット様は馬車に乗り込むと大きく伸びをした。
ほっと緩んだ空気を払うように、私はブリジット様の隣に徐に移動して、身を乗り出す。
「ブリジット様。実はお話ししたいことがあるのですが」
「なんですか? 急に改まって」
「先日のダレンの話です。聖女の力とは怪我をした人や病気の人の治癒をする『癒しの力』だけではなく、人に『加護』を授けたり、人間以外のものに『慈悲と祝福』を与えたりもできるのだと」
「あー、言ってましたね。でもアリー様にしろ神殿にしろ、リアム殿下だって治癒の力のことしか知らなかったんでしょう?」
「そうです。この国では、聖女の力とは癒しの力、つまり治癒を施すものだけのものだと思われてきました。そして私は、それすらも満足にできないほど力が弱まっていたはずなんです。オスカー様と夫婦になれて力が戻ったように感じましたけど、ただ以前と同じ状態に戻ったものだと思っていたんです」
「え、違ったんですか?」
私が何を言いたいのかわからないブリジット様は、不思議そうな顔をする。
「私、『覚醒』したかもしれません……!」