聖女と追放と辺境伯領
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「アリアーネ・シューリス! 神殿を騙して自ら『聖女』を名乗り、王国を混乱に陥れた貴様の罪は重い!」
頭の中で、イライアス王太子が矢のように放った言葉が何度も私を突き刺し続けている。
「しかも神殿が新たに認定した聖女、ミラベル・ウォルシュ侯爵令嬢に対して罵詈雑言を浴びせ痛めつけたうえ、悪意を持って虐げるなど言語道断! 貴様の卑劣な所業こそ『聖女』を騙った証拠である! よって私との婚約は白紙に戻し、『魔獣の森』への追放処分とする!」
無駄に大声を張り上げて私を睨みつけるイライアス殿下の隣には、豊かな濃い金髪をゆるりと巻き上げ豪奢なドレスを纏うミラベル様。
その口元は、扇の影に隠れてはいたけれど意地悪く歪んでいたに違いない。
あの日、礼拝堂で朝のお祈りをしていた私は突然の断罪劇に晒され、殿下に命じられるまま罪人を運ぶ粗末な馬車に放り込まれ、そしてもはや道なき道を「魔獣の森」へと向かっている。
ガタガタと馬車に揺られ続けて、すでに数日が経っていた。
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アグラディア王国には「聖女」が存在する。
「聖女」は、人々に恵みをもたらす祝福の精霊エリヤの力をその身に宿すと言われている。
しかしその力の発現は、何の前触れもなく起こる。
エリヤの力であり聖女の証ともされる「癒しの力」がその身に発現すると、「精霊のお告げ」によってそれを知った王都神殿から使者が訪れる。
そしてエリヤを祀る総本山でもある王都神殿に招かれ、そのまま聖女としての務めを果たすことになる。
聖女の最大の役割は、怪我や病気に苦しみ救いを求めて王都神殿を訪れた人々を「癒しの力」で治すこと。
「癒しの力」を使い、精霊エリヤの力をより多くの人々に知らしめることがエリヤへの信仰につながり、さらなる安寧と繁栄が王国にもたらされるという。
12歳の誕生日の次の日、突如として「癒しの力」を発現させた私のもとに神殿からの使いがやってきたのは、その1週間後だった。
「聖女として目覚めた」と認定された私はあれよあれよという間に王都神殿に連れてこられ、そして言われるがままに聖女としての生活が始まる。
当初、実家であるシューリス伯爵家は、まだ12歳の私に「聖女」として大きな責任を負わせることや重大な役割を強いることに大きな抵抗を示していた。
でもその後、神殿から莫大な「支度金」を受け取り、それ以降何の音沙汰もない。
神官たちはこぞって、実家の強欲さや冷徹な薄情さを非難していた。
そうして私は、神殿から支給される質素な衣類を身に纏い、最低限の食事を与えられ、神官たちや王国の民に請われるがまま「癒しの力」を使ってきた。
聖女が現れると、王族と婚約もしくは婚姻するという慣習がある。
聖女に認定されて1年後、顔合わせと称して第一王子であるイライアス殿下と初めてお会いした。
そのときイライアス様が私を見て露骨にがっかりしていた様子が、いち早く目に入ってしまう。
イライアス様は金髪碧眼で見目麗しく、さながらおとぎ話の王子様そのもの。
それにひきかえ私は、薄い茶色の髪にくすんだ青灰色の目をしていて、ぼんやりとした印象は地味としか言いようがない。
イライアス様もがっかりしただろうけど、正直言って私も彼のあの姿にはだいぶ失望した。
だからというわけではないけれど、婚約者となったあとも積極的に交流を持つことはなかった。
なんせ、聖女としての務めが忙しいのだ。
怪我や病気の治癒を求めて神殿を訪れる人は、1日に数十人に上る。
その一人ひとりに「癒しの力」を使い続け、そんな日々に疑問を持つ暇すらない。
おまけに、イライアス殿下と婚約したあとは空いた時間に王太子妃教育が詰め込まれるようになった。
そんな中でどうやって交流を持てと?
その結果、殿下に対して特別な感情を持つことは一切なかった。
ほとんど会うこともなかったし、当たり前と言えば当たり前だけど。
こうなってみると、それだけは救いだったのかもしれない。
そうして7年という長いのか短いのかよくわからない年月が経った頃、私は自分の「癒しの力」がだんだん弱まっていると感じるようになっていた。
今から1年ほど前だ。
力を使おうにも、以前とは異なり何となくうまくいかない。
怪我や病気の治癒にどんどん時間がかかるようになる。
以前と同じ効果を目指そうとして自分自身を酷使し続け、逆に身体的にも疲労が増していく。
心身の疲労の蓄積があちこちで影響を見せ始め、「癒しの力」を使うことにほとほと疲れ果ててきた矢先、今度は神殿がいきなり2人目の聖女を認定した。
聖女の出現は、「精霊の気まぐれ」とされている。
何十年も現れないこともあれば、当代の聖女が亡くなってすぐ、間を置かずに出現することもある。
私が聖女として認められたのも何十年ぶりとかで、そのときは国を挙げての盛大な祝賀行事が催されたほどだ。
ただ、同じ時期に2人というのはこれまでなかった。
そして2人目の聖女として認定されたミラベル様は、何故か私のように神殿に連れてこられることはなく、怪我や病気の治癒も行わない。
どういうわけか、お会いするときはいつもイライアス殿下と一緒にいる。
それが何を意味するのか、馬鹿でもわかるというものでしょう?
ただ、もともと殿下に対して特別な感情を持ち合わせていなかった私は、自分の婚約者だというのに特に何も感じることはなかった。
そんなことより「癒しの力」がどんどん弱まっていることの方が、私にとっては大問題だったのだ。
そんな中での、あの断罪劇。
8年間聖女としてこの身を削り、人々に治癒を施し、その務めを全うしてきたはずの私が、聖女を騙り、2人目の聖女を虐げたとして「魔獣の森」へ追放されることになるとは。
それもこれも「癒しの力」が弱まっていることが関係しているのかもしれないと思うと、言い知れぬ虚無感に襲われる。
私は祝福の精霊エリアに、もはや用なしと見放されたのかもしれない。
追放された「魔獣の森」は、フルムガール辺境伯領に接している。
魔獣は群れをなし、人を襲うとされている。そんな魔獣の生息する森が「魔獣の森」である。
私とて、「魔獣の森に追放」という言葉の意味が、わからないわけではない。
でも、どうしてこんなことに、とか私の人生って何だったんだろう、とかそんなことを考えるような余力すら、もう私には残っていなかった。
最低限の食べ物と飲み物しか与えられず(もらえるだけマシだけど)、とっくに空腹すら感じなくなっていた私はただただ馬車に揺られながら、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
ふと気がつくと馬車のスピードがだんだん落ちていき、乱暴に止まったかと思うと御者の一人が荒々しい音を立ててドアを開ける。
「ほら、降りな」
促されるままに、外に出た。
どことなく淀んだ空気の漂う森が、そこにはあった。
馬車の止まった場所は鬱蒼とした森の入り口なのか、奥の方は暗くてよく見えない。
「ほんとはもっと奥の方まで連れて行けって言われてるんだが、これ以上行ったら俺たちの命も危ないからな」
「悪いな。これも仕事なんでな」
2人の御者は悪びれる様子もなく、馬車を降りた私に容赦ない言葉を浴びせる。
そのことに何の感情も湧かず、私は黙って2人を見返した。
そうして、2人が私を置いて馬車の御者台に乗り込もうとしたとき。
「お前たち、そこで何をしている?」
凛とした声に振り返ると、黒く長い髪を高い位置に束ねた男装の少女が、クリーム色の馬に跨って私たちを見下ろしていた。