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迎え

最悪の朝を乗り越えて数日。まだ王都は落ち着かない。

町並みは修復魔法によって形だけは元に戻ったが、住んでいた人々の生活が元に戻る迄はもう少し時間がかかるだろう。


城も形を取り戻してはいるが、まだ警備は普段よりも厳重で、オスカー、リカート、ナディアは屋敷に戻らず王家の警護をし続けているとアルマから説明があった。


「俺たち、いつになったら学園に戻れるんだ?」


庭で退屈そうにしているコニーが言った。

リズが行方不明になり、学園内に魔物が現れた為親元へ帰るよう言われて放り出されたのだが、学園に戻るよう連絡が来る日はまだ遠そうだ。

このままでは上学年は残りの授業や卒業試験を行わずに卒業を迎えそうだと、ゾフィはぶつくさ文句を言っていた。


「試験くらいはするんじゃないかしら」

「どうかなあ。実技試験とかあるみたいだし、学園に戻らないと面倒じゃない?」

「まあまだ何も分からないし…」


戻ってこいと連絡する時は生徒たちに手紙が届くと聞いているが、マチルダたちの誰の元にも手紙は届いていない。実家に届いている可能性はあるが、学園を出る前に王都のラウエンシュタイン邸で世話になると報告済みなのだ。手紙が届くのならばこの屋敷に来る筈なのだが、何度使用人に聞いても首を横に振られるばかりだった。


「ロルフ、大丈夫かな…」


コニーが庭で日向ぼっこをしているのには理由があった。

朝からロルフが城に連れて行かれたのだ。早朝だった為引き留める事も出来ず、朝食の席に姿が無いからと使用人に聞いて初めて知った。


少し事情を聞かれに行っただけだと言われたが、マチルダはロルフが連れて行かれた事が気に入らない。ロルフは何も悪い事をしていない筈なのに、詳しい理由も聞かされずに連れて行かれたというのだから、気に入らないのは仕方のない事だろう。


不機嫌なのはマチルダだけではなく、一緒に庭で座り込んでいるコニーとゾフィも同じだった。

つい昨日まで庭には避難してきた住民たちが肩を寄せ合っていた庭は、今はすっかり静かになっている。


元住んでいた家が形を取り戻し、雨風をしのげるようになった。住民たちはアルマに礼を言って帰って行ったが、親が見つからない子供たちは、まだラウエンシュタイン邸で世話をしている。


「他の屋敷から来た子たち、結構数多かったね」


庭で遊んでいる子供たちを眺めながら、ゾフィが言う。王都のあちこちに「子供たちはラウエンシュタイン邸で世話をしている」と張り紙をしているのだが、子供たちの親が迎えに来る事は殆ど無い。


亡くなってしまったのか、それとも捨てられたのか。どちらにせよ、もう少し落ち着いた頃に孤児院を探して移動させるとアルマが言っていたと、ゾフィは膝を抱えて言った。


「良い孤児院に行けると良いけど」

「良い悪いがあるの?」

「あるよ!レーリヒ園はとってもいい所。お金は無いけど、皆優しいしお腹空かせて死ぬ子もいない。病気になったら看病してもらえて、薬師も呼んでもらえるんだから」


それが普通なのでは?と首を傾げたマチルダの前で、ゾフィとコニーは揃って溜息を吐いた。

マチルダは学園に来るまで貴族令嬢らしく殆ど屋敷から出ず、領地からも出た事が無かったのだ。孤児院というものの存在は知っていても、どういうところなのか詳しくは知らない。


「忘れてたけど、マディってお嬢様なんだよね」

「酷い所じゃ子供に暴力は当たり前、女の子なら客を取らせてーとかもあるからな」

「嘘でしょう?」


眉根を寄せ、コニーの言葉を疑うマチルダを見て、ゾフィは口元を緩める。

大切な友人は、酷い世界を知らないお嬢様である事を再確認したのだ。空腹で倒れそうになった経験もない。病気になればすぐさま医師を呼んでもらえるし、つぎはぎだらけの服を着た事も無い。そういう人なのだと。


「ま、夫人が探すんだろうし酷い園には行かないよ、きっと」


マチルダたちが戦っている間に、ゾフィはすっかりアルマに心を開き、信頼したらしい。いかに夫人が素晴らしい人かを話して聞かされたし、薬師として尊敬していると目を輝かせている所を何度も見た。

マチルダの知っているアルマは、息子を息子と思わない、いつも無表情で近付きにくい人という印象なのだが、ゾフィは違う印象を抱いたようだ。


「あの子たちの親は見つからないのかしら」


コニーと一緒に助けた幼い兄と妹は、迎えを待っているのか庭の隅で肩を寄せ合っている。兄は妹を励ましているようで、無理に笑顔を作っている様子が見えた。


まだ幼い二人は、このまま親が見つからなければ孤児院に行く事になるだろう。二人が離れ離れにならないようにしてもらえるだろうが、出来る事なら親元へ戻れた方が良い。


「あんまり可哀想とか思わない方が良いぜ。俺らにはどうする事も出来ないんだから」


もうしてあげられる事は無いと、コニーは幼い兄妹から視線を外す。あまり可哀想に思ってしまうと、本当に親が迎えに来なかった時に余計な手助けをしようとしてしまう。何も出来ないのだから、必要以上に深入りしない方が良い事をコニーは知っていた。


「あれ、また人が…」


屋敷の入り口に、ふらふらとよろめきながら歩いて来た女性が一人。どこから持って来たのか、大きな木を杖替わりに歩いている所を見るに足が悪いのだろう。


「お手伝いしてくるわね。何かご用事があるようだし」


すぐさま立ち上がったマチルダは、真っ赤な髪を揺らしながら走り出す。その背中を見つめるコニーとゾフィは、貴族のお嬢様が走っている姿を見慣れてしまった事に溜息を吐いた。


「もし、ラウエンシュタイン家に何かご用事でしょうか?」

「あの、こちらで子供たちをお世話してくださっていると…あの騒ぎで子供たちがいなくなってしまって探しているのです」


話しているうちにボロボロと涙を流し始めた女性は、まだ幼い兄と妹を探しているのだとマチルダに訴える。着ている服はあちこち汚れ、スカートの裾は所々擦り切れている。


「お庭にいる子もいますが、殆どの子は屋敷の中ですわ。ご婦人、お疲れでしょう?お怪我もしていますし、手当をしてからお子さんを探しましょう」


お手伝いしますからと微笑んだマチルダを見て、女性はこくこくと何度も頷いた。

夫は瓦礫に潰され死んでしまったそうで、女性は子供を二人も抱えてこれから先どう生きて行けば良いのかと嘆いた。嘆いていても、怪我をした体で子供たちを探し回っていたのだから、手放す気は無いのだろう。


「お母さん!」


幼い子供の声が響く。

妹の手をしっかり握った男の子が、庭の隅から走ってくる姿が見えた。マチルダがコニーと一緒に助けた兄妹だった。


「ヘルマン!ビアンカ!」


持っていた木を手放し、我が子たちを抱きしめようと腕を広げた夫人がよろよろと歩き出す。上手く歩けないのかすぐに地面に膝を付いたが、そのまま這うようにして進み続けた。


「お母さん、お母さん!」


何度も母を呼びながら走る子供たちは、涙を流しながら母との再会を喜ぶ。立てない母に飛びつくと、そのまま声を上げて泣いた。


「ああ、良かった…無事でいてくれた!」


三人でしっかりと抱き合うその様子に、思わずマチルダの涙腺が緩む。ほろりと流れた涙を拭うと、マチルダはそっと母親の背中を摩った。


「ヘルマンくん、ずっと泣かずにいたのですよ。お兄ちゃんだからって」

「そう、そうなのね。泣き虫ヘルマンはどこへいったのかしら」


くしゃりと笑い、母親はよく頑張ったと息子の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

様子を見ていたコニーとゾフィも近寄ってきて、良かったねと子供たちの背中をぽんぽん撫でる。


「良かったなあ坊主。おチビもずっと母ちゃん待ってたもんな」

「お母さん怪我してるんだし、早く屋敷に入ろうよ。お腹空いてない?何か貰ってくるからさ。手当もして夫人にも知らせて…」


わいわいと賑やかな学生三人は、無事に親と再会出来た数少ない幸運な子供たちの背中を摩る。どうかこの先、苦労をしながらでも幸せに生きられますようにと願いながら。


「歩けます?良ければ俺が運ぶけど…」

「僕がやる!」

「バーカ、まだチビなんだからお前じゃ無理!沢山食って寝て、早く育つんだな」


ぐしゃぐしゃとヘルマンの頭を撫で、にんまりと笑ったコニーを見ながら、マチルダとゾフィは頭を寄せる。


「これさ、多分憧れのお兄ちゃんポジに収まったよね」

「微笑ましいわね」


ニヤニヤと笑うマチルダとゾフィの前で、コニーは軽々と母親を抱き上げ歩き出す。きっと彼は、将来素敵な騎士となってまた誰か、幼い子供の憧れになるのだろうとマチルダは想像した。


◆◆◆


回復魔法と薬ですっかり元気になった母親に手を引かれ、兄妹は手を振って屋敷を出て行った。夫がいないのならば、働き口にも困るだろうと、アルマは一人の老女を紹介していた。


「奥様、大きな会社の社長夫人だったのですね」

「今は倅の代になっているけれどね」


火事の中から助けた老婆は、うふふと可愛らしく微笑んで頬に手を添える。

幼い兄妹の母親は、この老婆の息子の元で仕事をする事になったのだ。子供たちを助けてもらっただけでなく、傷の手当をされ仕事の世話までしてもらったと、母親は涙を流して感謝していた。


穏やかに微笑む老婆は夫と共に会社を興し、今は息子に代替わりをして穏やかな隠居生活を送っていたそうだ。夫は数年前に亡くなっているが、生活するのに困らない程度の蓄えもあったし、息子も母を案じてラウエンシュタイン邸を訪ねてくれた。


「お嬢さんにもお礼をしないとねぇ…何が良い?欲しいものはあるかしら」

「いえいえ、当然の事をしただけですもの。奥様がお元気なら、それで充分ですわ」

「随分欲の無い子だねぇ」


損をするよと笑いながら、老婆はそっとマチルダの背中に触れた。細く、頼りない体のマチルダが、炎の中背負って運んでくれた事を思い出し、ふっと目を細める。


「昔のお友達もね、貴方のように欲の無い子がいたわ。男爵家の奥様になったから、欲しいものは自分で何でも手に入れられたかもしれないけれど…」

「あら、私の知っている方かしら。嫁ぎ先のお名前は分かります?」

「確か、ハーヒェム男爵家だったかねぇ…」


もごもごと口ごもる老婆は、友人が嫁いでからなかなか手紙のやり取りもしなくなったのだと言った。

初めの頃は沢山やり取りをしたが、友人が子供を生んでからはやり取りの回数が減り、そしていつの間にか手紙を送り合う事は無くなった。


「…もしかして、カサンドラという名前ではありませんでした?」

「そう、カサンドラだよ。お嬢さん知り合いかい?」

「ふふ、そう言えばずっと名乗っておりませんでした」


そっと立ち上がり、マチルダはスカートの裾をちょいと持ち上げ老婆に向かって頭を下げる。祖母から厳しく仕込まれた、貴族令嬢らしい所作。


「私、ハーヒェム男爵が娘、マチルダ・フロイデンタールと申します」


動きに合わせてするりと落ちた赤い髪。燃えるようなこの髪を、祖母は綺麗だと言ってよく褒めてくれた。嬉しそうに目を細めながら、皺の目立つ手で撫でてくれた。


「カサンドラお婆様の孫ですわ」


にっこりと微笑みながら頭を上げ、マチルダは老婆の手を取る。祖母はもう亡くなってしまったが、祖母を覚えている人がいてくれた事が嬉しかった。


「そう…そうなのね、お孫さんだったの」

「名乗りもせず申し訳ありませんでした。奥様とお嬢さんで会話が出来てしまっていたので…お婆様に叱られてしまいそうです」


怖い怖いと両腕を摩り、マチルダは空に向かって祈る真似をする。老婆は涙を浮かべながら微笑むと、かつての友人の孫の頭をそっと撫でた。


「立派なお孫さんがいて、あの人は幸せね」

「そう言っていただけると嬉しいですわ」

「カサンドラって不思議な力があったでしょう?私が体調を崩した時、カサンドラが手を握ってね、何か言ったのよ。そうしたらあっという間に元気になったのをよく覚えているわ」


老婆は祖母との思い出を沢山話して聞かせてくれた。不思議な力とは、恐らく古の魔法の事なのだろう。孫にお呪いとして教えてくれたそれは、祖母が若い頃からよく使っていたらしい。

他にも、男爵家に嫁いでから暫くの間は交流があり、老婆が夫と共に会社を興す時には資金提供までしたそうだ。商売が軌道に乗り、出して貰った金を返そうとしたのだが、その件で手紙を送っても、もう返事は来なかったそうだ。


「ハーヒェム領は王都からも離れていますし、お仕事があるのならなかなか離れられませんわね」

「そうなのよ。だからシーズンになればこちらに来るかしらと思ってずっと待っていたのだけれど…一度も会えなかったわ」


祖母がどうしてかつての友人と会おうとしなかったのかは分からない。手紙のやり取りすらしなくなった事に何か理由があったのかもしれないが、今はもう知る事は出来ないだろう。


「マディ!…あ、ごめんお話中?」


談話室に顔を覗かせたゾフィの声は明るかった。マチルダが老婆と話している姿に気付くと小さく詫びたが、老婆は行っておいでとマチルダの背中を押してくれた。


「どうかした?」

「愛しの君、帰って来たよ」

「本当!」


早く行こうと玄関ホールに向かって二人で走り出す。まるで夫の帰りを迎えに出るようだわなんて呑気な事を考え、マチルダの頬は緩んでいた。


「ロルフ様、おかえりなさいませ!」

「やあ、フロイデンタール嬢。出迎えてくれるなんて、可愛い新妻を見ている気分だ」


呆れるロルフの横に、眩しい笑顔のクロヴィスが立っている。迎えたのはお前じゃないと睨みつけるマチルダの背中をゾフィがばしんと音を立てて叩いたが、クロヴィスは気にしていないのか、楽しそうにけらけらと声を上げて笑う。


「相変わらずだ」

「どうなさったのですか、殿下。まだ王家の皆様は厳重に警護されていると伺っておりますが」

「うん、少し君たちに話しておかなければならない事が出来てね。少し時間を貰おうか」


穏やかな声色でそう言ったクロヴィスの表情は、笑みを消し去った真面目なものだった。

マチルダの背中がひやりと冷える。何があったのかとロルフに視線を向けたが、ロルフの表情は浮かないものだった。


何か、面白くない話が待っている。その予感は、外れてはくれなかった。


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