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終焉

崩れた火竜は最期の咆哮を上げる。

それに続く様に天へと叫んだ野獣が、ゆらりと体を揺らしながらマチルダの元へと歩き始めた。


炎によって阻まれ動きを止めた瞬間、野獣の体は地面へと押し付けられる。狼の一頭、オスカーが圧し掛かったのだ。

退けと暴れるロルフの爪が体を傷付けようが、決して退く事は無い。それどころか、どうにかして落ち着かせようと息子に向かって声を掛け続けていた。


「ロルフ、戻っておいで。私の息子」


悲しそうに、苦しそうに語るその声がロルフに届いているのかも分からない。ただ一つ分かるのは、ロルフは今マチルダを守ろうとしているという事だった。


「愛する人を見つけたんだね、素晴らしい事だ」


自分の体も傷付けるロルフを押さえつける事が出来ず、オスカーは地面を転がった。邪魔をするなと向かってくる息子に飛び掛かり、どうにか止めようとするのだが、ロルフは炎の壁に飛び込んで行ってしまった。


「ロルフ!」


炎の壁から飛び出したロルフは、体毛を焦がしながら口を開く。ヘルメルを狙って放たれた咆哮よりも先に、マチルダに抱きしめられていたドラゴンが動いた。


ロルフと同じようにかぱりと開いた口。そこから放たれた炎。真直ぐにヘルメルに向かう炎が、瘴気で守られたヘルメルの体を焼いた。


「あぐ…!」

「おチビちゃん!」


母親である火竜よりも劣る火力だが、それでも生身の人間を焼くには充分な火力だった。

ヘルメルの体を守っていた瘴気は吹き飛ばされ、服のあちこちを焼く。


この好機を逃すまいと、マチルダは拳を握り、炎を纏わせて地面に倒れ込んだヘルメルに向かって跳ぶ。

そのすぐ隣を、野獣も同じように拳を握り込んで跳んでいた。


「邪魔をするな化け物が!」


倒れ込んだままだが、ヘルメルはまだ諦める事無くロルフ目掛けて瘴気を放つ。咄嗟に手を開き炎でいなしたが、野獣は片腕でマチルダの体を抱き寄せ、ヘルメルから距離を取るように体を捩る。

どう叩こうか考える余裕も無いのか、ヘルメルは噴き出している瘴気をぶちまける事しかしない。


「よくも火竜を…手に入れるのに苦労したのに!」


喚くヘルメルの体が、ふいに影に覆われた。

何事かと上空に目を向けたヘルメルの表情が、歓喜に震えた。


「白竜…!はは、新たな王を歓迎しに来てくれた!」


両腕を広げ、満面の笑みを浮かべて叫ぶ。

上空を旋回している白く輝く体のドラゴンは、本来人間の前に姿を現す存在でない事は、この場にいる誰もが知っていた。


呆然と立ち尽くすクロヴィスは、ゆるゆると首を振り、乾いた笑いを漏らす。

王家の守護とされる光の竜。王都から遠く離れた山の中に棲んでいるとされている白竜が現れ、頭を下げた者は、たとえ王の息子でなくとも王となる。その伝承通りだと大喜びしているヘルメルの体に、幼いドラゴンの牙が食い込んだ。


「は…?」


ごきりと辺りに広がる鈍く嫌な音。

何が起きているのか分かっていないヘルメルは、満面の笑みを崩さないまま視線だけを真っ赤なドラゴンへと向けた。


キラキラと輝く金色の瞳が、恨みを抱いて睨みつけている。


「はく、りゅ…」


はくはくと口を動かすヘルメルの目が、ぐるりと回って上を向いた。そのままかくりと力を抜いた体を吐き捨てると、幼いドラゴンは上空を旋回している白竜の元へと飛び上がる。


二頭の竜が並んで飛ぶ光景を見つめながら、クロヴィスはその場にへたり込み、両手で顔を覆った。


「殿下」

「白竜が…火竜の死を悼みに来たんだ」


申し訳ないと繰り返すクロヴィスの背中を、シュレマーがそっと摩る。

静かに涙を流すクロヴィスの頭上を回る白竜が、大きく一声鳴いた。


その場にいる誰もが白竜に向かって頭を垂れる。ただ一人、ロルフ以外は。


「駄目!ロルフ様!」


動かなくなったヘルメルの体を狙い、ロルフはマチルダの静止を物ともせず向かう。

誰が見ても既に息絶えている事が分かるのに、ロルフはマチルダを傷付けられた事が許せないのだ。

マチルダもヘルメルに恨みはあるが、流石に既に息絶えている人間の体をこれ以上傷付ける事は許されない気がした。


「お願い、ロルフ様止まってください。私は無事ですから」


正面からロルフの体に抱き付き、必死で声を掛け続ける。唸りながら足を進めるロルフの耳に声が届いていないのではと不安で仕方ないが、今黙るわけにはいかなかった。


「私は無事ですから。此処におりますよ、もう戦わなくて良いのです、帰りましょう。帰って朝ご飯を頂きましょう」


早く帰って、お風呂に入って皆で朝食の席を囲みたい。普段なら朝から肉が並ぶ食卓は遠慮したいが、きっと今日なら美味しくいただけるだろう。


「美味しいご飯を頂いて、その後はお昼寝をしましょう。少しくらい許していただけますわ」


徐々に動きの鈍くなった体を抱きしめ直し、マチルダはそっとロルフの顔に頬を寄せた。

その表情はうっとりと緩み、ほんの数分前まで戦闘中だったとは思えない程幸せそうだった。


「愛しいお方に守られるなんて、素敵な経験でした」

「呑気な事言ってるな」


野獣の腕がしっかりとマチルダの腰を抱き、呆れた声がマチルダの耳に届く。

野獣の体がゆっくりと小さくなり、人の姿へと戻っていく。


「疲れた」

「はい、私も…え、あ、待って!ロルフ様!」


変身魔法は魔力消費が激しいと聞いた事がある。ロルフの体から力が抜け、支える事が出来ずにマチルダも一緒に地面に倒れ込む。


「大丈夫かい?」

「公爵様、ありがとうございます」


ばくばくと煩い心臓を宥めながら、狼の姿を保ったままのオスカーに礼を言った。固い地面に倒れ込まぬよう、体で受け止めてくれたのだ。

もふもふとした柔らかい体は、まるで上質なベッドのようだった。


「寝顔は赤ん坊の頃から変わらないな」


マチルダに抱き付いたまま気持ちよさそうに眠っているロルフを見つめるオスカーの目は、とても穏やかで優しかった。


◆◆◆


ラウエンシュタイン邸は避難してきた住民たちの世話で大忙しだった。

ロルフの母、アルマはゾフィをお供に薬を作り続け、現在魔力切れにより自室で休んでいる。


「夫人凄いんだよ!足りない薬草は種があれば魔法ですぐ用意出来ちゃうんだから!」


興奮気味にいかにアルマが素晴らしい薬師かを語って聞かせるゾフィは、すっかり手慣れてしまったのかマチルダの傷を手当してくれている。


「卒業後の進路なんだけどさ、夫人が良い薬師を紹介してくれるって約束してくれたんだよね。だから卒業したら私王都だから!」

「ご実家の近くじゃなくて良いの?」

「ちっちっち。王都で技術を磨いて、それから故郷で薬師として店を持つの!」


田舎よりも王都の方が最新の技術を学ぶには都合が良いのだろう。マチルダ達が戦っている最中、ゾフィは卒業後の進路を決めたのだと、目を輝かせていた。


「ケーニッツさんは大丈夫かしら?」

「大丈夫みたいだよ。王子先輩が浄化してくれてたみたいだし…それより憧れの魔法騎士様に運ばれた事の方がダメージ凄いみたい」


瘴気を叩き込まれ倒れたコニーを案じるマチルダは、二頭のドラゴンが並んで飛んでいた空を思い出す。


あれからすぐ、散り散りになっていた魔法騎士や王宮術師たちがクロヴィスを探して集まったのだ。

クロヴィスは動きが遅いと大層お怒りだったが、怪我人を運ぶ事を優先させ、全員纏めてラウエンシュタイン邸に運ばれたのだ。


集まった魔法騎士の一人が、倒れたまま動かないコニーの体を抱き上げた。意識を取り戻したコニーは、自分を抱き上げているのが誰なのか理解した瞬間、腕の中で静かに姿勢を正していた。


「俺の事…覚えてますか?」

「会った事があるかな?」

「その…昔、貴方からパンを貰いました。もう盗むんじゃないぞって」

「ああ!あの悪ガキか!」


大きくなったと笑う騎士は、緊張しているコニーに「覚えているよ」と返した。

貴方に憧れて魔法騎士を目指していると言ったコニーに、騎士は照れ臭そうに困ったような顔をした。


「あの、お名前を…」

「俺か?フランク・デューラーだ。まるでお嬢さんみたいな事言うんだな、君は」


顔を真っ赤にさせていたコニーを思い出したところで、マチルダはふっと口元を緩ませる。

あれからコニーは、卒業したらすぐにでもフランクの元へ弟子入りすると騒いでいるようで、オスカーが紹介状を書いてあげるよと笑っているらしい。


「進路が決まったのは良いんだけどさあ。私らいつになったら学園に帰れるんだろうね?」

「さあ…王都がこの騒ぎだもの。落ち着くまでは帰れないかも」


傷の手当を終えたゾフィが、窓の外を眺めながら溜息を吐く。

窓から見える庭には、避難してきた住人たちがあちこちに固まり、不安そうに体を寄せ合っている。屋敷から出て来た使用人たちが大きな鍋と大量の皿を運んできたのを見ると、自力で動ける人間はわらわらと使用人たちの元へと歩いて行った。


「どうなるかは公爵様かクロヴィス殿下がお報せくださるわ。それまでは、皆さんのお手伝いをしながら待機しましょう」

「そうするしかないよねー」


やれやれと二人揃って溜息を吐き、マチルダはゆっくりと立ち上がる。

本当はゆっくり眠りたいのだが、屋敷に戻ってきて数時間経っても気が立っていて眠れそうにない。


「愛しの君のとこでしょ?行っておいでよ。私は疲れたからちょっと寝たい…」


大きな欠伸をしているゾフィにベッドを譲ると、マチルダは廊下を出て歩き出す。

あちこちから賑やかな声がしているが、その中に先程まで戦っていた人々の声は含まれていない。


オスカーは休まず王家の人々が避難している場所へ向かっているが、それ以外の人々は自室で泥のように眠っているのだ。

特にナディアとリカートは、長時間狼の姿を保ち続けていたせいで魔力と体力を消費しすぎた為、屋敷の玄関に辿り着いた瞬間床に倒れ込んでいた。


大して役に立てなかったなと溜息を吐きながら歩くマチルダは、廊下の窓から見える位置に小さな子供が走っている姿を見つけた。

よく見るとそれは、コニーと共に助けた兄妹の兄の方だった。両手に器を持ち走っていく背中は、するすると人の波をすり抜けて妹の元へと向かう。


妹は赤ん坊を抱いた女性と、後から助けた老婆に挟まれ、戻って来た兄を笑顔で迎えている。まだ親は見つかっていないようだが、少しでも笑顔が戻って良かったと安堵し、マチルダは再び長い廊下を進む。


学園にはいつ戻れるのだろう。

リズはどうなったのだろう。

ヘルメルの亡骸は、大罪人として扱われるのだろうか。


あれこれ考える事をやめられないまま、コツコツと規則正しい足音を響かせるマチルダは、くるくると巻いた髪を揺らしながら歩き続ける。愛しい人は今頃夢を見ているところだろうか。どんな夢を見ているのだろう。


皆の目が覚めたら、遅くなった食事を楽しみたい。お腹が空いたと小さく鳴った腹を摩ったマチルダの頬が、穏やかに緩んだ。


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