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さよなら

城の周りは地獄のようだった。

あちこちで助けを求める声は聞こえるのに、どこにも声を上げている人の姿が見えないのだ。

城の一部が崩れ、その瓦礫に押しつぶされているのだろう。


「ロルフ様…ルディお願いロルフ様を探して!」


こんな場所で、ロルフは何をしているのだろう。何処にいるのだろう。

姿が見えない。どれだけ叫んでも返事はない。


「ロルフ様!どこですか、いらっしゃいますか!」


もしかして。

そんな言葉が頭を巡る。

考えたくない。考えてはいけない。

信じたい。信じなければいけない。


無理に笑顔を貼り付けて、見知らぬ人を助けている時間があったのなら、もっと早くここに来るべきだったのではないか?


見知らぬ誰かより、愛する男を追うべきだったのではないか?

私の判断は正解だった?間違っていた?

分からない。


余計な事を考えないように、宛てもなく走り続ける。お願いだから返事をして。名前を呼んで。


「マチルダ!」


聞こえた。何処からか名前を呼ぶ声が。

走っていた足を止め、マチルダはあちこちを見回しながらロルフの名を叫ぶ。

お願い、もう一度。今度は絶対に聞き逃さないから。


「マチルダ!ここだ!」

「ロルフ様!」

「何でここにいるんだ!」


瓦礫の中、足を挟まれ動けずにいたロルフが叫んだ。散々藻掻いたのか、地面は爪の痕と血で乱れている。


「足…!」

「挟まれて動けないんだ。折れてはいないと思うんだが…」


ロルフの足を押しつぶしている瓦礫を素手で退かし始めたマチルダの背中を、ロルフがトントンと何度も叩く。

魔法を使った方が早いのに、気が動転していて思い付かないマチルダは「すぐですから!」と繰り返すだけだった。


「ひっ」


少し大きな瓦礫を退かした瞬間、そこに人間の手があった。潰され、なんとか手であると分かる程度の形しか残されていない。


「マチルダ落ち着け、魔法を使った方が早い。少し浮かせるだけで良いから」

「は、はい…」


ぶるぶると震えながら、マチルダは瓦礫に手を添えて魔力を注ぎ込む。浮かせた瓦礫の隙間から、潰された人間の顔でも出て来たらどうしよう。恐ろしくて堪らなくなり、マチルダはぎゅっと目を閉じた。


「抜けた!」

「はい!」


這いずって距離を取ったロルフが声を上げると、瓦礫に流し込んでいた魔力を止めた。ガラガラと音を立てる瓦礫の欠片が、マチルダの膝にこつんと当たる。


「大丈夫か」

「人…手、手が…!」

「落ち着け。目を閉じろ」


ガクガクと震えるマチルダをしっかりと抱きしめ、ロルフは落ち着かせるように背中を撫でる。

耳元で囁くように、ゆっくりと声を掛けた。


「ごめんな、怖い思いさせて」

「ごぶ、じ…ご無事で良かったです」

「うん、足以外は何ともない。マチルダは?怪我してないか?」


ボロボロと零れる涙をどうする事も出来ず、しゃくり上げてしまう喉ではまともに喋る事も出来ないマチルダは、こくこくと何度も頷く事しか出来なかった。


「殿下たちが心配だったんだ。もう避難したから戻れって兄上に怒鳴られた」

「も、戻りましょ?危な、です」


話したいのに話せないのがもどかしい。

落ち着こうと何度も深呼吸を繰り返しながら、ロルフの肩に顔を押し付けた。

無事だった。それだけで良い。あとは屋敷に戻ってアルマの手伝いをしていれば良い。


オスカーたちが何とかしてくれる。もうこんな怖い思いをしたくない。



ぽんぽんと頭を撫でるロルフの手の重さに安心する。徐々に呼吸も落ち着き、ゆっくりではあるがきちんと言葉を紡げるようになってきた。

最後にもう一度と大きく息を吸い込むと、マチルダは体を起こして真直ぐにロルフを見つめて言った。


「私とっても怒ってるんですからね!」

「お、おう…悪かった」

「怖い思いも沢山したんですからね!お屋敷は今野戦病院ですよ!」

「ああ…母上は王宮で薬師をしてたんだ。万が一の時は屋敷で住民保護して怪我人集めて手当するのがうちの役目の一つだから…」


その説明は今やっている場合かと怒鳴りつけようとした時だった。

じゃり、と何かが動いた音がした。

怪我をしているロルフを庇うように体勢を整えたマチルダは、音の方向を睨みつける。


「え…」


そこにいたのは、金色の髪を風になびかせる女だった。

消えた公爵令嬢、リズである。水色のドレスに身を包み、まるで今の今までお茶会を楽しんでいましたとでもいった様相である。


「ローゼンハインさん!どうして…」

「ロルフ、怪我をしたの?」


声を上げるマチルダが見えていないかのように、リズはロルフを心配そうに見つめる。

コツコツと靴音をさせ、ゆっくりと近付いてくるリズは不気味だった。

表情が無いのだ。元々あまり感情を表に出さない印象だったが、今のリズはまるで人形の様に見えた。


「痛そう…手当しましょうか」

「お前、回復魔法なんか使えないだろ?」

「魔法薬なら持ってるわ」


にこりともせず、淡々と言葉を紡ぎながら近付いてくるリズの異様さにロルフも気付いたのだろう。

マチルダの腕を握り、警戒するように膝を付いた。


「動かない方が良いわ。折れているかも」

「大丈夫だ。それで、何でここにいるんだ?学園から消えて大騒ぎになってるんだぞ」

「そう。どうでも良いわ」


ロルフの前にしゃがみ込むと、リズはポンと小気味良い音をさせて掌に小瓶を出した。相変わらずマチルダの事は完全に無視している。


「ここは危ないわ。もうすぐ最後の波が来るから」

「最後の波…?何言ってるんだ?何でも良いけど、ここが危ないのならお前もうちに来い。多分母上が守ってる筈だから」


リズが何を言っているのか分からないが、ロルフに小瓶を差し出したまま動かない姿が不気味で仕方ない。

澄んだ真っ青の瞳はロルフだけを映し、それ以外の物には興味を示さないようだ。


「ローゼンハインさん、一緒に…」


そっと声を掛けるマチルダの体が吹き飛ばされる。反射的に防御魔法は張れたが、たった一撃で砕け散ってしまったようで、地面を転がる体の周りでキラキラと輝いている。


「リズ!」

「私…貴方が嫌いよ。大嫌いな人と一緒に?ふざけないで」


痛みに顔を歪めながらもすぐさま起き上がったマチルダを見ながら、リズは小さく呟いた。

ゆらりと立ち上がり、静かに右手を上げると、その掌にゆっくりと渦を巻く水が湧いた。


「嫌い。大っ嫌い!」


嫌い、嫌いと何度も繰り返すリズの表情は、先程までの人形のような無表情ではなかった。

怒りと憎悪に満ち、美しさを損なった醜い顔。


「嫌われるようなことをした覚えはございませんが…」


リズに攻撃されたのだと理解したマチルダも、負けじと右手に魔力を集めて練り上げる。

徐々に魔力は炎のように熱を持ちじりじりと肌を焼くが、流石に公爵令嬢を焼き殺すわけにはいかない。何より、リズとロルフの距離が近すぎるのだ。


「ロルフに一番近かったのは私!お前のような男爵令嬢如きがロルフに近寄らないで!」


訳が分からない。

ハンと鼻で笑ったマチルダに腹を立てたのか、リズは上げていた右手を振り下ろし、水の渦を投げ放つ。


リズの手から離れた水の渦は、槍のように姿を変えてマチルダに向かう。恐らくまともに食らえば体は孔だらけだろうが、所詮水は水だ。

全て蒸発させれば話は終わる。練り上げた魔力を炎として放ち、向かってくる水にぶつけてみせた。


「貴方に関係無いわ」

「私の居場所を掠め取ったくせによくも…!」


居場所とはロルフの隣の事だろうか。

少し考えてみたのだが、別にリズとロルフは恋仲では無かったし、ロルフにその気も無かった筈だ。


以前ゾフィが言っていた。リズはロルフの事が好きなのだろうと。

リズの言葉の意味を理解したマチルダは、腹の底から湧き上がる怒りでどうにかなりそうだった。


「指を咥えて見ていただけのくせに、取られただなんて…」

「お、おい…今こんな話してる場合じゃ…」

「ロルフ、あの子の何が良いの?私じゃ駄目?」

「だからそんな話してる場合じゃ…!」


ふるふると唇を震わせ、縋る様な目を向けるリズに、ロルフは視線をうろつかせる。

ここが危険ならばすぐにでも逃げたい。よく分からないが女同士の戦いを今やっている場合では無いのだが、何故だか自分が話の中心にいるように感じる。


「答えてよ!」


どうしようと困っているロルフに苛立ったリズが声を荒げる。マチルダは苛立っているのだが、気の向くまま殴りつけてやりたい気持ちを押し込める事に必死だった。


「やあ、ここに居たの?」


間延びした男の声。

ふわりと上空から降りて来た男が、そっとリズの隣に降り立った。


「ありゃー、怪我してるじゃないか。大丈夫かいラウエンシュタイン?」


いる筈のない、学園の関係者。ヘルメルがいつものヘラヘラとした笑みを浮かべて立っている。


「学園から、救援ですか?」

「え?知らないなあ。他の先生たちも来るのかい?」


喉がカラカラ乾いていく。

ロルフのすぐ傍にリズとヘルメルがいる。ロルフは負傷していて動きがいつもより鈍い。

「ああ良かった!」と安心して駆け寄る生徒のふりでもすれば良かっただろうか。


「ほらほら、これから忙しくなるんだから早く持ち場に行こうね、ローゼンハイン」

「…ロルフは」


肩を掴まれくるりと回されたリズは、目を見開きながらヘルメルを見る。

にんまりと笑うヘルメルは一瞬きょとんとしたが、すぐさまケタケタと声を上げて笑った。


「言ったじゃないか!彼は君を選ばないって。もし選んでくれるのなら最初から君の手を取るよって!」

「…でも」

「見てごらんよ。怪我をしてへたり込んでいるけれど、彼はフロイデンタール嬢の所にすぐ飛べるようにずーっと魔力を練り続けてる。下手くそだけどね」


マチルダたちには分からないが、ヘルメルはロルフがすぐさま身体強化魔法を使えるように魔力を練っている事が分かっているらしい。


「彼にとって一番大切なのは君じゃない。向こうにいるフロイデンタール嬢だ」

「…そう。そうね」

「リズ…?どこ行くんだ。屋敷に行くんじゃないのか?」

「行かないわ」


冷めきった視線をロルフに向けると、リズは再び感情を全て消し去ったように表情を失う。


「私を選んでくれないのなら、もういらないわ」


そう言ったリズの体がふわりと浮く。肩を抱いているヘルメルの魔法なのだろう。

スッと浮かんだ二人の体は、城の一番高い屋根目指して昇っていく。


「リズ!」

「ローゼンハインさん!」


何度呼んでも、リズは身動きすらしない。

ただじっと、真直ぐ前を見据えてヘルメルと共に昇るだけ。


「二人共早く逃げた方が良い!これから楽しい事が始まるからね!」


ヘルメルの楽しそうな声が、やけに大きく響いた。

楽しい事とは何だ。絶対に碌な事ではないのは分かる。これから何が起きるのかも分からず、マチルダとロルフはじっと二人の姿を睨みつける事しか出来なかった。


「さてさて、始めますかね」


屋根に辿り着いた二人は、荒れ果てている王都の町並みを眺める。

ぞわぞわとした嫌な感覚がマチルダの背中を這う。止めなければいけない気がする。身体強化魔法を使って思い切り飛んでも、二人の元へは届かない。どうやってあの場所まで行って止めれば良い?


「うんうん、協力してくれた人が沢山いるね!」

「先生、お早く」

「はいはい」


早くしろと睨まれたヘルメルの掌に、小さな笛が握られている。それを天に向けて吹くと、耳に痛い不快で甲高い音が響いた。


「ありゃ、狼がもう来ちゃったよ」

「私が」


二頭の巨大な狼が城に向かって走ってくるのを見ながら、リズはそっと右手を上げた。


「さよならロルフ」


小さく呟いた別れの言葉は、ロルフ本人に届く事は無かった。


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