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強くなりたい

地面に叩きつけられる痛み。息が詰まって目の前がチカチカと光る。細く、浅く吸った酸素は脳まで回らない。


「あのねえ、ただ闇雲に突っ込んでくれば良いってわけじゃないのよ?」


呆れ顔で見下ろしてくるナディアを恨めし気に睨みながら、ゾフィとコニーは必死で酸素を取り込もうと呼吸を繰り返す。


「戦い方も教えてないのかしら…」


ブツブツと不機嫌そうに呟くと、ナディアは転がっているゾフィの腕を掴んで無理矢理起こす。

朝からナディアに戦い方を教えてくれと突撃したのはゾフィとコニーの方だ。ちょっと地面に叩きつけられたからと言って、すぐさま降参するなんて事は出来なかった。


「げほ…おえぇっ」

「吐くんじゃないわよ。戦場じゃ食糧は貴重なんだから」


口元を抑え、コクコクと頷くゾフィに満足したのか、ナディアはコニーの腕を掴んで引き起こす。しっかりしなさいと後頭部を叩くのは男女の扱いの差なのだろうか。


「突っ込むだけじゃすぐ死ぬわよ。肉壁なんか実践じゃ役に立たないんだから、せめて邪魔にならないように動けるようになりなさいな」

「それじゃ、駄目なんです」


吐き気と戦いながら、ゾフィはしっかりとナディアを見据えて言った。傷だらけでボロボロだが、その目はまだ諦めを抱いてはいなかった。


「マディばっかり戦わせたくないんです!」


学園内に魔獣が入り込んだ時も、その前の森の浄化作業の時も、マチルダはただ「強いから」という理由だけで戦わされた。

魔獣と戦ったのはマチルダの独断だったが、あの場で戦おうとしたのはマチルダだけ。


大好きな友人は、誰よりも強く美しい。

本当は誰よりも夢見勝ちな乙女で、守るよりも守られたいなんて頬をうっすら染めながら語るような人なのに。周りにいるのが自分よりも弱い人間ばかりだから、彼女は真っ赤な髪を振り乱して戦うのだ。


「ちょっとだけでも良い、マディの助けになりたいんです!」

「…あの子は守られる側の人間じゃないわ」

「だとしても、たった一人で戦わせて、私は後ろで待ってるだけなんてもう嫌だ!」


成りあがるチャンスがあるとしか思っていなかった魔力。ちっぽけな量しかなくても、魔法薬を作るくらいしか出来なくても、魔力があるのなら少しくらい戦えるようになりたい。


「せめて、マディに守ってもらわなくちゃいけない弱い自分からは卒業したいの」

「こんなに弱いのに?」


すっぱりと言い切るナディアの言葉は、どんな刃物より鋭利だった。何も言い返せずぐっと唇を噛みしめるゾフィの目尻には、うっすらと涙が浮かんでいる。


「弱いけど…弱くても、このままはやだ…」


泣きたくなんてないのに、無様に震える声のせいでどんどん惨めな気持ちになっていく。

ぐっと握りしめたシャベルは、相変わらず武器の姿どころか装身具にもなってくれない。


「ふうん…まあ良いわ。それで?そこでまだ吐きそうな顔してる貴方は何がしたいの?」


黙ってゾフィを見ていたコニーを見ながら、ナディアは問いかける。

ただゾフィに付き合って稽古を付けてもらっているのなら消えなさいと言いたいのだが、コニーもまた、しっかりとナディアを見て答えた。


「俺は魔法騎士になりたい」

「無理よ。貴方弱いもの」


再び鋭利な言葉を投げつけるナディアは容赦がない。

ただ突っ込む事しかしないのでは、一番に死んでしまうだろう。死体を持ち帰るのは面倒だから、戦場に出る前に諦めろと。


「魔法騎士にこだわる必要は無いわ。学園の卒業生なら、仕事はそれなりにあるはずよ」

「嫌だ」


ぎゅっと拳を握りしめ、コニーは言う。


「約束したんだ。魔法騎士になるって」

「約束?誰と」

「母さんと、パンをくれたあの人に」


それだけ言うと、コニーはピアスを剣に変えてナディアに向かって突っ込んでいく。

また同じと呆れ顔のナディアはさっと身を躱し、突っ込んだコニーはゴロゴロと地面に転がって倒れ込んだ。


「お母様も分かってくださるわ。我が子が戦場で死にましたなんて聞かされるよりは…」


そこまで言って、ナディアはふと言葉を止める。

自身の右手を見て、握って開いてを数回繰り返すと、声を上げて笑った。


「やっぱり貴方、騎士には向いてないわ!」


転がったまま動けずにいるコニーの手に、ナディアの指に嵌められていた魔具がしっかりと握られている。


「手癖が悪いのが、俺の取り得なんでね」

「面白いけれど、騎士道って知ってるかしら?」


早く返しなさいと手を出すナディアは面白そうにコニーとゾフィを見て笑う。

大人しく返された指輪を嵌め直すと、ナディアはぐいと背中を伸ばしてから言った。


「転がっている暇があるのなら、己の魔法特性を学びなさい若人たち」


まだまだ扱く。

そう微笑んだナディアの表情は、朝から突撃した事を後悔する程恐ろしいものだった。


◆◆◆


がやがやと賑やかな声が響く玄関ホール。泥だらけのゾフィとコニーを連れて戻って来たナディアは、額に青筋を浮かべているロルフと困り顔のマチルダを前に小さく溜息を吐いた。


「何があったんだ…」


朝食後から姿を見なかった友人二人が傷だらけで戻って来た事に驚いたロルフは、しれっとした顔を装っている姉を睨みつける。

可愛い弟に睨まれたナディアは顔を背けているのだが、ロルフに逃がす気は無いようだ。


「この子たちが稽古を付けてほしいってお願いしてきたんだもの…」

「実力差をお考えいただけませんか」


低く唸るロルフの目は、大事な友人を傷付けたなと怒りに燃えている。

だが、ナディアも負けてはいない。


「私に本気で向かってくるんだもの。子供扱いはしないわ」


今にも始まりそうな姉弟喧嘩の気配におろおろしながら、マチルダはゾフィの傷がどの程度のものか確認する。

見て分かるだけでも、体のあちこちが擦り傷や打撲だらけで痛々しい。隣で疲れた顔をしているコニーも同じようなものだろう。


「お姉さん、明日もお願いして良い?」

「ごめんなさいね、明日はお仕事なの」

「そっかあ…」

「マディにお願いしたら良いわ。この子とっても強いから」

「知ってるー」


随分懐いたようで、ゾフィはすっかりナディアに砕けた口調で接している。

恋人と友人が自分の家族と仲良くなってくれたのは嬉しいのだが、こうも毎回勝手に連れ出されるのは困ると溜息を吐いたロルフの背後で、また一人家族が帰宅した。


「おや、玄関ホールが混雑…何があったんだい?」


目をぱちくりとさせている男、この屋敷の主である公爵。ロルフたちの父、オスカーだった。


「傷だらけじゃないか!」

「お姉さんに稽古をお願いして…」


流石に公爵を相手に緊張しているのか、ゾフィはしどろもどろになりながら答えた。

夫の帰宅を知らされた公爵夫人、アルマが玄関ホールまで降りて来たのだが、傷だらけの客人を見て僅かに目を見開いた。


「…二人とも、お風呂はいかが?」

「ありがとうございます、公爵夫人」


眉間に皺を寄せているアルマに気を遣ったのか、コニーは恭しく頭を下げるとゾフィを連れて歩き出す。使用人が既に風呂の支度をしてくれていたようで、二人は宛がわれている客室へと戻って行く。


「ナディア、加減を覚えなさい」

「はいお母様。私も汚れましたので、お風呂に」


にっこり微笑むと、ナディアは母の隣を通り階段を上がっていく。つい先程まで表情豊かだった筈なのに、ちらりと見えた顔は無表情だった。それを見てしまったマチルダの背中が、ひやりと冷えた気がする。


「おかえりなさいませ」

「ああ、ただいま。ちょっと…話したいことがあるんだ。良いかな?」


漸く夫に声を掛けたアルマは、決してロルフに視線を向けようとはしない。

マチルダは以前聞いた、ロルフの過去を思い出す。前回ラウエンシュタイン家にお世話になっていた時も、アルマはロルフと同じ部屋で過ごそうとはしなかった。


「書斎でお待ちしております」

「着替えたらすぐ行くよ。二人共、また後でね」


穏やかに微笑むと、オスカーはさっさと自室へ向かって歩き出す。アルマもその後を追いかけて歩いて行ってしまえば、賑やかだった玄関ホールに残されたのはロルフとマチルダの二人だけだった。


「騒がしいというか…忙しないというか…」

「無事に戻ってきて良かったではありませんか」

「そうなんだが…勝手に連れて行くのやめてほしいんだよな」

「心配ですものね」


クスクスと笑うマチルダは、最近のロルフが友人に気を許している事が嬉しかった。

つい最近まで誰とも関わりたくないといった様子で、誰も近付けようとしなかったのに、今ではランチも四人一緒だし、一人でいたとしても誰か見かければ自分から声を掛けるようになった。


誰かと一緒にいる事を覚えてくれた。心地よい事だと知ってくれた。それが嬉しかった。


「稽古なら俺相手でも良くないか?マチルダだって…」

「あら、私はロルフ様と二人でのんびり出来て楽しかったですわ」


ゾフィとコニーが戻るまで、マチルダとロルフはのんびりと休暇を楽しむように寛いでいた。

並んで本を読んだり、ボードゲームをしたり、お茶をして昼寝をしたり。

学園では経験出来ないような、とても穏やかで幸せな時間を堪能出来た。


そんな時間が過ごせる幸せを忘れかけてしまうのは、そう遠くない未来の話だと知らないマチルダは、うっとりとした視線をロルフに向けて微笑んだ。


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