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消えたお嬢様

「ちょっと聞いてよ…」


ぐったりと疲れ切っているゾフィは、寮のベッドに倒れ込みながら低く呻くように言う。

マチルダも丸一日学園内を歩き回っていたせいで若干足が痛いのだが、クロヴィスのお遣いに出ていたゾフィの方が疲労困憊だろう。


「どうしたの?」

「やっぱあの家変だわ…」


疲れ切った声でそう言ったゾフィは、探りに行っていた家で何があったのかをマチルダに話して聞かせた。


「家の中にわざわざゴーレム仕込んでるんだよ」

「ゴーレム?どうしてまた…」


魔法道具の一種であるゴーレムは、主に警備をさせる為の人形である。

金持ちの家や国の重要な機関ではよく見る代物だが、一般家庭ではまず見ない代物の筈。それが町外れの小さな家にあったとなると、それは絶対に「おかしい」話なのだ。


「小型だったけどまーあすばしっこくて…攻撃してきたからケーニッツが壊してくれたけど、本当に何を企んでたのか分からないんだよね」

「少なくとも、何も企んでいない一般人ではないでしょうね」


ゴーレムを用意してまで守りたい何かがあったのか、それとも引き揚げる時に持ち出すのを忘れたのか、わざと置いていったのか。

眉間に皺を寄せて考えるマチルダに、ゾフィはまだ話しには続きがあるとばかりに手をひらひらと振った。


「家の中調べたけど、やっぱり薬師がいたんだと思うんだよね」

「何故そう思うの?」

「薬草の切れ端とか、鍋の底に結晶化してるのがあったりとか…まあ結構色々残ってたんだよね」


そう言って、ゾフィは自分の机に置いていた鞄の中から小さな瓶を取り出した。中には白い欠片がいくつか入っている。

からころと音をさせながら、ゾフィはげっそりとした表情でそれが何なのかを教えてくれた。


「これ、飲むと麻痺する」

「何故分かるの…」

「舐めたから。いやぁまいったよね。動けなくなったからケーニッツに運んでもらったんだ。ちょっと舐めただけなのにあれだから…多分しっかり飲んだら大型動物でも麻痺して動けなくなるね」


そんな危険な事をしたのかと言葉を失い、マチルダはあんぐりと口を半開きにしたままゾフィを見つめる。

普段無茶をするなと叱るくせに、ゾフィこそ危険な事をしているではないか。


「あ、怒らないでね。もうケーニッツに散々怒られた後だから…」


疲れているのはそれが理由かと小首を傾げながら、マチルダはまだ話を続けるゾフィの言葉を待った。


ゾフィ曰く、あの家は薬師の家で、残されていた物で何なのか分かっているのは、薬草の切れ端と薬の欠片。麻痺させる毒薬と、ヒノコソウを使った耐寒薬である事。


「多分だけど、あの家にいた誰かは寒い所に行くつもりなんじゃないかな?」

「耐寒装備を整えているのなら…そうかもしれないわね」

「王子先輩は水竜の所に行くつもりかもしれないって」


五大竜の一頭である水竜は、雪山の中にある澄んだ湖を住処としていると何かの本で読んだことがある。詳しい場所は水竜の保護の為公開されていないが、とても寒く常人では辿り着けないとされている事はマチルダも知っていた。


「寒いから耐寒薬…麻痺毒はドラゴンを捕獲する為のもの?」

「王子先輩もそう言ってたけど…捕獲してどうするんだろうね?」


普通の人間ならば、ドラゴンを捕獲しようなどとは考えない。神聖な生き物なのだから、関わってはいけないと考えるのが普通なのだ。


普通ではない考えを理解する事は出来ないし、したいとも思わない。


「良からぬ事を企んでいる事は…何となく分かるわ」

「王子先輩は五大竜のどれかを使って戦争でもするつもりなんじゃないかって言ってたけど…そんな事出来るのかな?ドラゴンって人間に従うんだっけ?」


魔法生物ならば契約魔法を使えば使役する事は出来る。だが、契約する為には対象と術者の体に傷をつけ、擦り付け合う必要がある。


可愛がっているルディは鞭でぐるぐる巻きにしている間に難なく契約する事が出来たが、ドラゴン相手にそんな事が出来るとは思えない。


「契約魔法を使えば…」

「効果ある?」

「…わからないわ」


実践した人間がいないのだから、出来るかどうかは分からない。

うーんと小さく唸るマチルダの前で、ゾフィは大きな欠伸をした。


「ま、私が考えてもいまいちよくわかんないけどさー。王子先輩は満足そうだったよ」


報告を受けてにんまりと満足そうに笑ったクロヴィスは、ご褒美だと言ってお小遣いをくれたらしい。お小遣いにしては少々多すぎる額だったようだが、ゾフィは満足げにポケットをぽんぽんと叩きながら笑う。


「マディは?ルンバルドさんと話せたんでしょ?」

「ええ…少しだけね。もう少し元気になったら、皆さんでお帰りになるそうよ」

「そっか…明日私も行ってみようかな」


ゾフィもルンバルドを心配している人間の一人だった。今日は帰ってくるのが遅くなったせいで面会時間を過ぎている為会えていない。

それが残念だと溜息を吐いた。


「それから…ローゼンハインさんが行方不明よ」

「はぁ?!」


ふうと溜息を吐いたマチルダは、何があったのかをゾフィに話して聞かせる。

なんとも面倒な事になったと溜息が止まらないマチルダは、僅かに苛立ちながら昼間の出来事を思い出していた。


「ロルフ様のお姿が見当たらないから、学園の中を探し回っていたの」


どれだけ探しても見つからなかったのだが、夕方になってひょっこりとロルフが姿を現した。

やけに疲れた表情で、マチルダの顔を見るなり眉尻を下げて近付いてきた。


「リズがいないんだ」

「え…?」

「外も探してきたんだが、見つからない。いつもの女子たちも何処にいるのか分からないと。探していると」


ぐったりと疲れ切った様子でそう言ったロルフは、マチルダを抱きしめて離れない。

一日歩き回って疲れたのだろうが、歩き回っていた理由が自分ではない別の女子を探して歩いていたのだと思うと何だか腹立たしかった。


「おーい、マディ?シーツ破けるよ」

「あっ」


ギリギリと引きちぎりそうになっていたシーツから手を離し、マチルダはリズが姿を消した事、ロルフが学園の外まで探しに行ったが見つからなかった事を伝えた。

勿論、クロヴィスにも報告済みである。


見張っておくよう言われたのに姿を消された事が申し訳ないのか、ロルフは顔を青くさせていたが、クロヴィスはお前のせいじゃないとロルフを励まして考え込んでいた。


「詳しい事は明日にしましょう。何だかつかれてしまったから」

「そうだねー…私も疲れたから寝る!」


二人揃っていそいそとベッドに潜り込むと、眠りに落ちるまでそう時間はかからなかった。


◆◆◆


学園内は普段よりも賑やかだった。賑やかというよりも、騒がしいと言った方が正しいだろうか。

公爵家令嬢が姿を消した。

それは退屈な学園生活を送る生徒にとって、また生徒たちを監督する教員たちにとって非日常、緊急事態と言って良いだろう。


「何処行ったんだろうね?」

「さあ…」


公爵家の令嬢が姿を消すという非常事態。何が起きたのか分からず、生徒たちはすぐさま寮に押し込められ、教員たちは学園内を隅々まで探し回っているらしい。


談話室の窓から外を眺めるマチルダとゾフィは、探し回る教員たちの中にヘルメルの姿がある事を確認している。


「ヘルメル先生だ」


ぽそりと呟いたゾフィ。ヘルメルがきちんと学園内にいる事は確認出来たが、現状生徒は寮から出る事は許されず、一歩でも出れば罰則が待っている。


「何だかなぁ…学園生活ってもっと…穏やかっていうか、退屈なんだと思ってた」

「残念ながら騒がしくて忙しないわね」

「思ってたのと違うなあ」


椅子に座り、脚をぷらぷらと揺らすゾフィは退屈そうだ。他の女子生徒たちは心配していたり、面白そうにリズの噂話に花を咲かせている。


実家に何かあって、真夜中に書置きも無しに出て行っただけなのではないか。

許されざる恋をしていて、その相手と駆け落ちでもしたのではないか。

王宮術師として既に仕事をしているだけなのではないか。


あれこれ好き勝手に話す生徒たち。不安そうに固まっているリズの取り巻きたちは、どこか怯えているように見えた。


「ごきげんよう。心配ですわね」


取り巻きたちにそっと近付き、マチルダは僅かに眉尻を下げながらそう言った。

声を掛けられた事に驚いたのか、以前びしょ濡れにしてくれた伯爵令嬢はびくりと肩を揺らす。


「え、ええ…そうね」

「何も聞いていらっしゃいませんの?」

「聞いていないわ。だから昨日から探していたんじゃない」


普段マチルダを敵視している取り巻き立ちは、マチルダにキツい視線を向ける。何故睨まれなければならないのだと不満に思うのだが、ここで表情に出してしまえば会話すらしてもらえなくなるだろう。


「ローゼンハインさんは聡明なお方ですもの。早計な事はされませんし、何か用事で学園を出られるのなら、きちんと手続きをしてから出て行かれる筈ですわ」

「そうよ。だから…」

「ちょっと…」


マチルダと会話する事をやめさせたいのか、取り巻きの一人が伯爵令嬢の肩を揺すって会話を止めた。


「貴方が何かしたのではないわよね?」

「あら、心外ですわ」

「どうだか…」


マチルダの後ろで話を聞いていたゾフィは、あまりに失礼な物言いに眉間に皺を寄せる。

どうやら取り巻きたちは、対立しがちなマチルダがリズに何かしたのではないかと疑っているらしい。


「誤解があるようですけれど…私はローゼンハインさんに敵意など抱いておりませんし、嫌がらせをした事も考えた事もありませんわ」


それをしていたのはお前たちの方じゃないか。そう言いたいのをぐっと堪え、マチルダはにこやかに微笑んで見せた。


「同じ学園で学ぶ学友ですもの。酷い事なんて考えたりしませんわ」


絶対にそんな事は思っていないだろうと言いたげなゾフィの視線が背中に刺さっているような気がするが、取り巻きたちの気まずそうな視線はマチルダから逃げるようにうろうろとさ迷っている。


「本当に…何も知らないの」

「クロヴィス殿下からも聞かれたわ。でも、何も知らないし何処へ行かれたのか見当も付かないわ!」


涙目でそう訴えると、取り巻きたちは肩を寄せ合ってすすり泣く。

ぞろぞろと付いて回って鬱陶しいだろうなと思っていたのだが、彼女らは本当にリズを慕っているだけなのだろう。数名は、公爵令嬢と仲良くしておけば何か良い事があると考えている者もいるのだろうが。


「きゃあ!」


窓の方で女子生徒の悲鳴が上がった。

何事かと談話室に集まっている生徒たちが声の方を振り返る。


「何故…こんな所に魔物がいるの!」


取り乱した様子で騒いでいる女子生徒が、窓の外を指差した。


「失礼」


サッと窓の方へ近づくと、マチルダはあんぐりと口を開いて固まった。

女子生徒は魔法生物ではなく魔物と言った。その理由がすぐに分かる。


「瘴気は…浄化した筈なのに…!」


学園の傍の森は既に浄化を終えている。つまり魔法生物が瘴気に侵され魔物と化すことはない筈なのだ。

瘴気が再び溜まったのだとしても、あまりに早すぎる。まだ浄化を終えて半年と経っていないのだから。


「マディ駄目だ!」


鞭を握りしめ窓を開いたマチルダの腰に抱き付き、ゾフィは必死でマチルダを止める。

他の生徒たちは顔を青くさせて震えているばかりだ。


「先生方は近くにいらっしゃらないわ。ここで震えて待っているだけでは全滅するかもしれない。それに、あの程度の大きさなら私一人でどうにでも出来るもの」


にっこりと微笑み、ゾフィの髪を撫でるとマチルダは部屋の中で震える生徒たちに冷たい視線を向ける。

戦う為に学んでいる生徒のくせに。いざ実践となると震える事しか出来ないなんて。

森の中で上学年の生徒も泣き叫んでいるだけだったが、どうにもこの学園の生徒たちは真剣身に欠ける気がする。


「…まあ良いわ。ゾフィはここに居て。すぐに戻るわ」

「危ないってば!」

「ローゼンハインさんなら」


少し張り上げた声。視線は真直ぐ魔物に向けたまま、大嫌いな女子生徒の名を呼んだ。


「きっとすぐさま武器を構えて戦うわ」


そうでしょう?と取り巻きたちに視線を向ける。マチルダの言葉に何か思うところのある生徒はいるようだが、魔物を相手に戦う勇気がないのか動こうとする者はいない。


「行ってくるわね」


ゾフィに向かって微笑むと、マチルダは窓の外へと飛び出した。

窓枠を蹴ると同時に脚力を強化し、魔物まで数歩で辿り着く。

窓から生徒たちが叫んでいるが、そんな声を気にする暇はない。


どうして学園内に魔物がいるのか分からない。普通なら有り得ないこの状況。学園の壁を超えて来たと考えるのは無理がある。

結界が張られており学園内に魔法生物が侵入する事も、勿論魔物なんて物が侵入する事も出来ないのだ。

学園の関係者しか入れないようにされている筈なのだから、考えられるとすれば壁の一部が破壊されたか、何者かが故意に魔物を学園内に放ったという事になる。


「あらまあ…随分大きいわね」


低く唸りながら唾液をぼたぼたと地面に落としている魔物。元の姿を想像出来ない程、魔物は姿を変化させられているらしい。きっと瘴気を直接浴びてしまったのだろう。


さてどうやって駆除しよう?


そう考えるマチルダの前で、魔物は触手のようにうねる尻尾をくねらせる。

攻撃が来る。そう判断すると同時に、マチルダは地面を勢い良く蹴った。

宙に浮かぶように飛ぶと、鞭に炎を纏わせながら魔物の顔面を叩いた。


叩くというには破壊力が高すぎる攻撃。鼻面を焼かれた魔物は悶えているが、倒すにはまだ足りないようだ。


「フロイデンタール!」


騒ぎに気付いた教員たちが数名走り寄ってくる。魔物の姿に驚いているようだが、恐れるどころか倒す気満々で攻撃を続けるマチルダに、教員たちは「下がれ」と叫ぶしか無かった。


来るのが遅いと呆れるが、マチルダは攻撃の手を緩めない。邪魔になるだけだから来ないでほしいのだが、教員たちも生徒を守らなければならないのだ。来ないでくれと叫んだとしても従ってはくれないだろう。


「邪魔なのよねぇ…」


これ以上距離を詰められる前に、藻掻いて暴れている魔物を駆除するしかない。

教員たちを遠ざける為、マチルダは地面を鞭で叩きながら叫んだ。


「ルディ!先生方を引き留めて!」

「わふっ」


命令された通り、ルディは教員たちへ向かって走ると尻尾をぴんと立てて吼えた。

目に見えぬ何かに吹き飛ばされた教員たちは、無様に地面に転がっている。


影食い狼の魔法の一種、衝撃波でも放ったのだろう。ちょっとした戦闘ならルディに任せておけば良い。


愛犬に足止めを任せ、マチルダは両手をしっかりと合わせて魔物に向き直る。どんな生き物でも、骨すら残らぬ高火力で焼き尽くせば済む話。


「窓ガラスは全滅かもしれないわね」


にたりと笑うと、マチルダは声高に詠唱を開始する。普段無詠唱で魔法を発動させているが、それは詠唱をすると魔法の威力が上がってしまうから。

きちんと詠唱をしたマチルダの魔法は、教員たちが全力で止める程の威力があった。


「世界の始まりよ、赤き恵みよ」

「やめろフロイデンタール!学園を破壊するつもりか!」


叫ぶ教員の声など気にもしない。合わせていた両手を広げて更に詠唱を進めた。


「天をも焦がす渦となれ」


マチルダの掌に集まる魔力。

普段の赤い魔力よりも更に赤く、むしろ赤黒くなった魔力が渦を巻き、それは徐々熱量を増して大きくなっていく。


じりじりと身を焦がす熱さ。それを魔物に向けて思い切り投げた。

二つの渦が魔物の体を焼く。叫ぶ魔物はまだ動けるらしく、体を振るって炎をどうにかしようと藻掻いていた。


「身を焦がせ、骨すら残さず焼き尽くせ」


ぱちんと鳴らされた指。その音と共に更に火力を増した炎の渦。自身の魔法で焼け死んでは堪らないからと防御魔法を使用しているが、それでも頬はじりじりと熱を感じている。


後ろから悲鳴が聞こえる。熱で窓が割れたのであろう甲高い音もいくつか聞こえた。


「ふふ…やっぱり詠唱付きの魔法って気分が良いわ」


悲鳴すら上げずに焼け焦げていく魔物を眺めながら、マチルダは恍惚の表情を浮かべて呟いた。

最大限の効果を発揮する魔法。自分が強いと再確認する事が出来る。それはマチルダにとって安心する事の一つなのだ。


誰よりも強くありなさい。そう言った祖母はもういない。守ってくれる人はいないのだ。それならば、自分が強くなって誰の事も恐れずに済む様にならなければならないのだ。


「フロイデンタール!炎を消せ!」

「あら先生…美しいではありませんか」


全てを焼き尽くす炎。真っ青な空の下煌々と輝く深紅の色がとても美しく思えた。


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