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ゾフィの魔法

貴族の子供ならば幼い頃から叩き込まれるテーブルマナーは、学園に来て少々おざなりになっていても体に染みついているもの。マチルダは普段通り淑やかにナイフとフォークを操るが、隣でガチガチに緊張しているゾフィとコニーはソースを跳ねさせたり、フォークに刺した肉が口に入らず落としてしまったりと散々なものだ。


どうしようと横目で視線を向けられている事は分かっているのだが、この場で助ける事は出来そうにない。


「そう緊張しないで。テーブルマナーなんて堅苦しい事を言うつもりはないから」

「はあ…」


クロヴィスの部屋で優雅な夕食を楽しむのは平民の二人には難しい事で、優しく微笑まれてもぎこちなく口角を引き攣らせるしかないようだ。

給仕役をしているギーレは、大丈夫だからと小さく笑いながらゾフィに新しいナフキンを手渡した。受け取ったゾフィは恥ずかしそうに口元を拭うと、恐る恐るといった様子でクロヴィスに問う。


「あの…私にお願いって何ですか?」

「おや、早速その話かい?もう少し楽しい話をして、君の緊張をほぐしてからにしようと思っていたんだけれど」

「殿下、普通は王族相手に緊張するなと言う方が無理なんですよ」


呆れ顔のギーレに窘められたクロヴィスは、きょとんとした顔で水を飲む。成人しているのだから、本来夕食時には酒を嗜んでも良いのだが、学園内では酔っ払いが面倒を起こす事を避ける為酒は禁止されている。


「そういうものか?王族とはいっても、今の俺はただのクロヴィス、学生の一人なんだが」


無理を言うなと言いたげに、ゾフィは乾いた笑いを漏らす。目が死んでいるのはきっと、「頼むから早くしてくれ」と言いたいのを必死で堪えているからだろう。


「以前変異性マンドレイクを駆除した事を覚えているかい?」

「はい、マディからもその話は聞きました。店主さんの事も…」


知っている人間が逮捕されたという事で、ゾフィは少し気落ちしていた。こっそりやってやれば捕まる事は無かったかもと悔やんでいるようだが、あれはきちんと報告すべき事柄だったし、あの場で勝手に破格の値段で駆除の依頼を受けただけでも大問題だ。


「俺が思うに、店主は嘘は言っていない。確かに誰かが店主にマンドレイクの種をナスだと偽って渡したんだ」

「信じるんですか?」

「嘘つきは必ずどこかでボロを出す。世界の常識さ」


ふふんと鼻を鳴らして笑うクロヴィスは、人に嘘を吐かれる事に慣れているのかもしれない。そう思っても口にしないマチルダは、もう一口小さくカットした肉を口に含んだ。柔らかくて脂が甘い。


「問題は、その誰かが何処に行ったのかだ。店主が言った場所に家はあるが、他の住民の誰もその家に誰が住んでいるのかすら知らないと言うんだ。おかしな話だろう?」


くるくると水が入ったグラスを回しながらのんびりと言うクロヴィスは、紫色の瞳をゾフィに向けて微笑んだ。


「君なら、どう考える?」

「えっと…」


うろうろと視線を彷徨わせるゾフィは、緊張した頭では上手く物を考える事が出来ないのか、助けを求めるようにマチルダの方を見た。

まるで捨てられた小動物のように思えて可哀想になり、マチルダは眉尻を下げて微笑みながら言った。


「まるで、誰かが誰かの事を忘れさせてしまったようですわね」

「あ、忘却薬」


つい最近使われた人物が身近にいたことで、ゾフィはクロヴィスが言いたい事を理解したらしい。

目を丸くさせ、ぱちくりと瞬かせると何をすれば良いのか問うようにクロヴィスをじっと見つめた。


「君に俺から依頼をしたいんだ。もう一度あの町に行って、忘却薬が使われた形跡を見つけてほしい」

「それは、勿論。喜んで。でも、もし忘却薬の形跡が無かったら?」

「何でも良い、例の家に住んでいたであろう人間の痕跡を見つけてくれ。生憎俺は自由に動き回れる身分じゃないんでね」


困ったように笑うと、クロヴィスは王族に生まれてしまった事を少々大げさに嘆いてみせた。

学園にいるうちは自由にやれると思っていたのに、外部からの依頼は危険だからと受ける事を禁止され、ただ少し買い物に行きたいだけなのに警護が必要だからと許可が下りるまでに時間がかかる。


こうして便利に密会場所にしている部屋も、元は何かあった時に押し込む為の隔離部屋であると笑ったクロヴィスは、大袈裟な溜息を吐いて言った。


「籠の鳥だよ、正に」


すっと目を細めると、クロヴィスは今まで黙って食事を胃袋に詰め込む事に集中していたコニーに視線を向ける。

見られている事に気付いたコニーは、ぎくりと体を強張らせたせいか、フォークに刺した肉をぽとりと皿に落とした。


「衣食住の保証はされている。だが自由はないに等しい。俺は生まれてから死ぬまで監視され、管理される運命が決まってるんだ。だから何かやりたい事があるのなら君たちのように優秀な誰かに頼むしかない」


つらつらと言葉を紡ぎ、にっこりと微笑んだクロヴィスは、コニーにグラスを向けながら言った。


「思った通りに動いてくれよ、ナイトくん」


◆◆◆


休日は殆どの時間をアルバイトに費やしているゾフィは、朝早くから動く事に慣れている。

今日は何処に行ってきますと事務員に申請を出し、なんてことはないといった顔でさっさと学園を出た。


いつもと違うとすれば、今日のお供はコニー・ケーニッツという悪友であるという事くらい。


「俺、役に立てるのかな」

「さあ?王子先輩曰く、無いとは思うけど万が一私の身に危険があればケーニッツが戦えって事でしょ?」


ナイトくんと微笑まれたコニーは、騎士団に入りたいのなら今から励めと言われたのだ。

誰かを守る事に今から慣れろ。騎士なら騎士らしく、麗しの乙女をたった一人守り戦うくらい出来て当たり前、紳士らしい所作も覚えなくてはお話にならない。


そうズケズケと言われ、何も言い返せずゾフィのお供をする事になったのだ。

元々の育ちは良いとは言えない。スリをして生活していたのだから、紳士らしい所作をと言われても何をどうすれば良いのかすら分からないのだ。


「エスコートでもしろってか?」

「何それ笑える」


軽口を叩き合いながら歩く二人は、既に目的の町には到着している。学園の生徒が歩いているのは珍しくないらしく、住民たちは誰かが学園の生徒にお手伝いを頼んだのだろうと気にもしていない。


「あそこが例の店主の畑。ぽっかり空いてるところが駆除したとこね」


歩きながら手早く説明したゾフィは、足を止める事無く歩き続ける。

変異性マンドレイクが植わっていたという話は町中を騒がせただろうし、畑の主である店主が連れて行かれたばかり。そんな中住民でもないゾフィとコニーが畑の前で立ち止まれば、また何か調べているのかと思われては面倒だからだ。


小さな町では、話はすぐに広まってしまう。

それがどれだけ面倒かを知っている二人は、視線をちらりと向けるだけに留めていた。


「住民は見た感じ普通に見えるけど…」

「だね。全部忘れてるわけじゃないみたい」


こそこそと小声で話しながら歩いているうちに、二人は目的の場所へと辿り着く。

町の外れにぽつんと経っている古くて小さな家。むしろ、家と言って良いのか悩む程のボロボロ具合だった。


既に王宮術師たちは引き揚げているらしく、周りには誰もいない。住民たちも町の外れのこの場所に用事は無いのか、少し前から姿を見なくなっていた。


「入ってみる?」


今日の仕事はゾフィがクロヴィスから受けたもの。コニーはあくまで護衛という立場でいるつもりらしく、どう動くかゾフィが決めるのを待った。


「まずは外かな。そこに畑だった場所があるから…」


ゾフィが指さした先には、言葉通り畑だったであろう一角があった。この家の住人が食べるだけの野菜を育てていたのであろう小さな畑は、世話をする者がいなくなったせいか荒れ果ててしまっている。

野菜であろう植物と、雑草が混在するその場所に躊躇なく歩み寄ると、ゾフィはその場にしゃがみ込んでじっと植物を観察した。


「芋、芋、雑草…」


ブツブツと呟きながら視線を動かし続けるゾフィの後ろに立ったコニーは、首を動かして周囲をぐるりと確認する。


町の中心から離れたこの場所は、たった一人で生活するには少し寂しい。一人が好きならば快適なのだろうが、買い物をするにも少々不便だろう。


「家族で住んでたのかな」

「いやあ…どうかな。育ててる野菜が少ないから、もしかしたら一人か、夫婦だけかも」


畑の観察が終わったのか、ゾフィは立ち上がってパンパンとパンツを叩く。ぐいと軽く背中を伸ばすと、ふうと息を吐いてコニーの顔を見上げた。


「でもこれは確実。ここの住人は薬草に詳しかった」


真っ青な瞳に見つめられたコニーは、ゾフィの言葉の意味が分からず眉間に皺を寄せた。

コニーにはこの畑に植わっている植物が何なのかすらよく分からないのだ。


「薬師だったのかな…ちょっと自信ないけど、ここに住んでた人は薬に詳しかったみたい」

「何でそう思うんだ?」

「よくある傷薬代わりの薬草なら、普通の家でも育ててるけど…ここに植えられてるのはそうじゃないから」


そう言い切ると、ゾフィは枯れてしまっている草の一つに触れた。

ぱきりと呆気なく折れてしまった茎。それをコニーに見せるのだが、青々としているのならまだしも、完全に枯れて干からびてしまった草だった物を見せられても、やはりコニーには何も分からない。


「これ、この辺じゃ植えるはずないもん」

「何なんだこれ」

「ヒノコソウだよ。食べると体温が一気に上がって、寒い所でも活動出来るようになる」


何なのか教えられてもいまいちよく分かっていないコニーは、ツンツンとゾフィが持っている枯草を突いてみる。

ゾフィ曰く、寒冷地では育てている家庭もあるのだが、比較的温暖でそこまで冷え込まないこの辺りの地域では必要のない物なのだ。


「山の上の方だったらまだしも…」

「それ使って作る薬とかある?」

「草のままだと食べにくいからね。お酒に漬けて飲むのが一般的だった筈だよ」


そう言うと、ゾフィは腰に下げているポーチへ枯草を大事に仕舞い込む。

他にもあれこれと気になった枯草を摘んでは仕舞い込むを繰り返した。


「やっぱり野菜より薬草が多そうだなあ…枯れちゃってたり雑草が多くてよくわかんないけど」


そう言うと、ゾフィはもう一度その場にしゃがみ込む。

眉間に皺を寄せ考え込むのだが、何度見てもよく分からないようだ。


「この辺ってあんまり人来ないよね?」

「さあ?俺はこの辺あんまり来ないし」

「じゃあちょっと賭けになるけど」


よいしょと小さく声を漏らし、ゾフィは腰に下げていたスコップを外すと、そのまま地面に突き刺した。

何をするのか分かっていないコニーが黙って見ていると、銀色のスコップがうっすらと緑色に発光し始める。


緑色の光がじんわりと地面に広がり、徐々に植物たちの方へと伸びて行った。


「起きろ、大地の恵みたち」


囁いたゾフィの声に反応する様に、植物たちは風も無いのにそよそよと揺れ始める。

枯れている植物たちは揺れると同時に息を吹き返す様に、徐々に緑色を取り戻す。


何が起きているのか分からず、目を見開いたコニーの前で、畑だった場所は本来の姿を取り戻していった。


「良かったー、上手くいった」

「すっげぇ…」

「魔力消費激しいからあんまりやらないんだけどね。植物って強いから、魔力注ぎ込んで少し手助けしてあげれば元気になることもあるんだよ」


完全に枯れてしまっていた筈の植物すら息を吹き返す魔法。なんてことはないといった様子で言うゾフィに、コニーは乾いた笑いを漏らす事しか出来なかった。


「うん、やっぱ緑の方が見てすぐ分かる。ここの住人は薬師か、同等の知識を持ってたみたいだね」

「その心は」

「育てるのが難しいやつばっか!」


自信満々に言い切り、ゾフィはフンと鼻を鳴らして腰に両手を当てて胸を張る。

小さな体でそんな恰好をしているのが何だか面白いが、やりたかった魔法が上手くいった事に満足しているゾフィの表情は明るい。


「さて、そろそろ中も見てみよう。何かあると良いんだけど」

「お、おう…」


軽い足取りで家の中を目指すゾフィを追いかけるコニーの背後で、青々とした草が風に揺れた。


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