友人の証
世界で一番美しい生き物はと問われて、ドラゴンだと答える者は多いだろう。
詳しい生態もわからず、恐ろしい災厄ともなり得る生き物だが、絶対の強さを誇り、誰もが憧れるその美しき生き物は手の届かない宝物のような存在である。
「それで?何があったんだ」
ズーンと重たい雰囲気を滲ませながら部屋を訪ねて来たマチルダとロルフを前に、クロヴィスは紅茶のカップを傾けながら言った。
ロルフの腕は包帯でぐるぐる巻きにされており、何かあった事は誰が見ても分かる。
隣に立っているマチルダは普段敵意丸出しの顔をしているというのに、今日は何だか落ち込んだように目を伏せたままクロヴィスを見ようともしない。
「ご報告すべきかと思いまして…」
「報告?ヘルメルに何か動きでもあったのか」
ロルフが絞り出した言葉に反応し、クロヴィスは静かにカップを置いた。世話をしていたギーレは、座りなさいとマチルダとロルフにソファーを勧め、手早く二人分のお茶を用意し始めた。
「例のドラゴンの幼体に識別タグを付けました。この傷はその時暴れたドラゴンを押さえつけた為に付いた傷です」
「随分手酷くやられたな」
顔をしかめるクロヴィスは、薬と包帯だけで手当てを済まされたロルフの腕を見て不機嫌そうに言った。
毒を持つ個体から受けた傷であればすぐさま回復魔法が使われるのだが、今回は毒も持たず、まだ幼い個体からの傷という事で魔法薬で済まされた。
「すぐ治ります」
「そうか。それで?」
「識別タグは問題なく埋め込みました。ただ、研究機関で暫く育てたら母親が棲んでいた辺りに戻すと言っていました」
ロルフからの報告に、紅茶を用意し終えたギーレは眉尻を上げる。
クロヴィスの側近のような事をしている彼は、クロヴィスから研究機関がどういう場所で、何をしている集団なのかを聞いている。そして、今回ヘルメルを疑っているうちに湧き出て来た疑問の事もよく理解していた。
「母親がどの個体か分かっているという事か」
「そのようです。また、既に死んでいるとも言っていました」
「ふむ…」
どうぞとマチルダとロルフの前にカップを置くと、ギーレは胸元にしまい込んでいた小さな手帳をパラパラと捲り出す。
視線を左右に素早く動かしているが、目当ての情報が無かったのか、ふうと溜息を吐いて手帳を閉じた。
「死亡したドラゴンの報告は上がっていないようです。最後にドラゴンが死んだという情報があったのは十年前でした」
「そうだな。俺もそう記憶している」
クロヴィスとギーレは、マチルダとロルフと同じ事を考えたらしい。
ヘルメルは嘘をついている。国が管理している研究機関すら欺いて、何か良からぬ事を考えているのだろう。
国が把握していないドラゴンの死。
国が把握していないドラゴンの卵。そこから生まれた幼いドラゴン。
売りさばいて大金を得ようと考えているだけだとしても、ドラゴンを売るには相当な苦労がある。外国に売る事が出来れば何とかなるだろうが、それは違法であり、育っていくうちに家よりも大きくなってしまう生きものを抱えているリスクの方が大きい。
殺して解体して魔法道具の材料にするという手も無いわけではないが、加工するのが難しい上、どこかに加工を依頼すれば「このドラゴンの体はどこから持って来たんだ」と問い詰められる。
国が管理している生き物の体から取れた素材。きちんと国が、研究機関が把握していますよという証明書が無ければ、手に入れるだけでも違法なのだ。
「何を考えているんだか…」
「殿下、もう一度研究機関に問い合わせますか?」
「いや、無駄だろうからやらなくて良い。それより誰か潜り込ませた方が早いだろうな」
「手配します」
まだ学生だというのにやけに手慣れている。
クロヴィスは王族だが第三王子。王位継承権はあっても、王座は遠い。だが、目の前でこうして王族らしい顔をしているところを見ると、将来この人が王ならばと考えてしまいそうになる。
「ああそうだ…以前フロイデンタール嬢が駆除した変異性マンドレイクの件なんだが、気になる事があってね」
思い出したように、クロヴィスは暫く前の出来事について話し出す。
王宮術師が詳しい事を調べていたらしいのだが、あの時店主が言っていた「知り合いに貰った」という種を渡した人物は、町のどこを探しても見つからなかったらしい。
店主は詳しくその人物についてスラスラと話し、初老の男で、髪も瞳も黒い朗らかに笑う人だと何度も言ったそうだ。
だが、町の住民たちにそんな人はいるかと聞いても、誰もが「知らない」と答えたようだ。
「例の店主は、現在王宮術師によって捕らえられているよ」
「そうですか…」
「まあ、嘘は言っていないと思うけれどね。彼は何度聞いても、毎回同じ事を言うんだそうだ。嘘を言っているのなら、必ず違う事を言う筈だから」
良かれと思って助けたあの店主。ありがとうと何度も涙を流してマチルダとゾフィに礼を言っていたあの姿に嘘は無い筈だ。
本当に知り合いから貰って、何も知らずに植えただけ。だが、マチルダは変異してしまったマンドレイクの駆除は出来ても、それ以上の事は何も出来ない。
酷い扱いを受けることがありませんようにと祈る事しか出来ないのが、何だか歯痒かった。
「大体おかしいじゃないか。町の外れに確かに家があるんだ。畑もあった。なのにそこに誰が住んでいたのか町の誰も知らないんだよ」
生活している様子はあるのに、住人だけが存在を消した。まるで最初から存在していないかのように。
「その件で、レーリヒ嬢に頼み事がしたいんだ。夕食の時間に此処に来るよう伝えてくれるかな?」
「はい、かしこまりました」
ゾフィに何をさせるつもりなのか知らないが、にんまり笑って有無を言わせないクロヴィスに逆らう気にはなれなかった。
きっとゾフィは、出番だと張り切って頼まれごとをするのだろう。
一緒に行くくらいはきっと許されるだろうし、ここは素直に分かったと首を縦に振っておいた方が良さそうだ。
「さて、小難しい話は一旦やめよう。疲れてしまったよ」
やれやれと大袈裟に溜息を吐くと、クロヴィスはちらりとギーレに視線を向けて手をひらつかせた。
はいはいと困ったように微笑むと、ギーレはマチルダの前に小さな箱を置く。
「頼み事ばかりして申し訳ないね。お礼だよ」
お礼と言われて差し出された物ならば、開けてみるべきだろう。
隣に座るロルフにちらりと視線を向けると、開けてみろと小さく頷かれた。
そっと手に取った箱はとても軽い。恐る恐る開いてみると、中には真っ赤に輝く石が嵌ったブレスレットが収まっていた。
「綺麗…」
「気に入ってもらえたようで何より。俺は友人に魔石を渡してるんだ。お守りだよ」
普段マチルダは必要としないが、魔力量の少ない術師は魔石を持っている事がある。上質な物程溜め込んだ魔力量が多いのだが、その分根が張る物だ。
「君には必要無いだろうが、友人の証だよ」
「友人…ですか」
「本当は妻にしたいんだが…君はロルフ以外に嫁ぐ事は絶対にないのだろう?なら、良い友人になりたい」
にっこりと微笑むクロヴィスは、普段よりも雰囲気が柔らかい。ただ穏やかに微笑むクロヴィスの隣で、ギーレは真っ青な石が輝くペンダントを胸元から引き出して見せてくれた。
「皆様お持ちなのですか?」
「勿論。シュレマーとレーヴェも持っているよ」
そう微笑んだギーレは、ちらりとロルフに視線を向ける。マチルダはロルフが魔石を持っているところを一度も見た事が無い。
友人としての証を持っていないのだろうか。
「それからこれはロルフに。やっとお前に合う石を見つけたんだ」
「え…」
「別にお前に意地悪をして渡していなかったわけじゃない。友人への贈り物なのだから、妥協したくなかっただけだ」
幼い頃からペットだのおもちゃだの言われていたロルフは、友人と言われた事に驚き目を見開いた。
クロヴィスから手渡された箱を手に取ったロルフは、箱を開く事無くただじっと掌に収まる箱を見下ろしたまま動かない。
「…俺は、殿下の友人なのですか」
「いや?ペットだ。ペットには首輪を着けておかないとな」
「殿下」
まだ言うかと不満げな声を上げたマチルダに、クロヴィスは小さく肩を竦める。
口ではこう言っているが、クロヴィスはロルフを大切な友人であり、弟分だと思っている。
「俺には、勿体ないです。ろくに魔法も使えないのに」
「だからこそのお守りなんだろう。変身魔法は魔力消費が多いんだから」
「暴れ狂っているだけです」
「また俺が抑え込んでやるとも」
どれだけ暴れても、必ず止めてやる。
クロヴィスなりの優しさだった。
「それを見る度思い出せ。お前が理性を失った獣になり果てれば、必ず俺が叩き潰すと。その痛みを忘れるな」
クロヴィスは何度ロルフを止めたのだろう。
可愛い弟分を力でねじ伏せる度、心を痛めたのだろうか。
それを知らないロルフは、本気でクロヴィスに恐怖を抱いている。
何て愚かなのかしら。
少々冷めた目をクロヴィスに向けたマチルダは、何も言うなと口元に人差し指を持っていったクロヴィスと目が合った。
もっと他にやりようがあった筈なのに。どうしてこうも上手くいかないのだろう。
「夕食は何にしようか?楽しい夕食会にしようじゃないか」
数時間後にもう一度集まろうと微笑んだクロヴィスは、とても機嫌が良さそうだった。
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