小さなドラゴン
真っ赤な鱗をキラキラと輝かせ、幼いドラゴンはきゅうと喉を鳴らしながら小首を傾げた。
可愛らしい仕草に思わず笑みがこぼれたが、隣で見ているロルフは身悶えしながらその愛らしさに耐えている。
「研究機関からそろそろ戻してくれって言われてね。戻す前に識別タグを付けないといけないんだ。痛むだろうから…あんまりやりたくないけれど」
ロルフが見た事のない表情をしている事には一切触れず、ヘルメルは小さな金属の板を手に戻ってくる。
今日も今日とて罰則の時間。今日はちょっと大変だからこれが終わったらお終いだよと微笑まれ、小さなドラゴンを渡されて待たされていたのだ。
どうしてだかマチルダに懐いている幼いドラゴンは、マチルダの腕の中でご機嫌だ。
陽だまりをそのまま抱きしめているかのような、ぽかぽかと温かい体。マチルダの髪にじゃれつきながら、小さなドラゴンはまた小さくきゅうと鳴く。
「識別タグは初めて見ました。痛むとはどういう事でしょうか」
「体に埋め込むのさ。表面には個体識別番号、裏面は何処にいるのか把握出来るように追跡魔法の呪符になってる」
そう説明しながら、ヘルメルは手にしていた識別タグをマチルダに見せてくれた。確かに言う通り表面には数字の羅列が彫られていたし、裏面には追跡魔法の呪符となるよう模様が彫り込まれている。
ドラゴンは成長と共に体がどんどん大きくなる。その度に近付く事すら難しくなるため、最初から体に埋め込んでしまった方が早いのだ。
大人の個体に埋め込むのは死を覚悟する仕事だが、まだ生まれたばかりの小さなドラゴン相手ならば、抑え込めれば何とかなる。
「ドラゴンの識別タグは項に埋め込むって決まりがあるんだ。ここなら自分で外すことは出来ないからね」
トンと小さなドラゴンの項を突くと、ヘルメルはどことなく苦しそうな表情を浮かべた。
人間の勝手な理由で生き物を傷付けるのが嫌なのだろう。
「こんなに小さな子なのに…ごめんね」
小さく謝ると、ヘルメルはドラゴンの口に分厚く太い皮ひもを括りつける。
痛みで暴れ、噛み付かれる事を防ぐ為だ。
今何をされていて、これから何をされるのか分かっていない小さなドラゴンは、嫌そうに前足で口元を弄るが、その手すらも同じようにぐるぐると紐で結ばれ拘束された。
「後ろ足もね。ごめんよ、誰も傷付かないようにする為だから」
眉尻を下げ、出来るだけ手早く済ませるべくヘルメルは手を動かし続けた。
助けてと言いたげな視線をマチルダに向けるドラゴンは、離してくれとじたばた暴れる。それを押さえつけるのは、マチルダも心苦しい。
「代わるよ。押さえつけるなら力が強いやつがやった方が良い」
「お願いします」
手を差し出したロルフにドラゴンを預けると、ロルフはしっかりと腕の中に閉じ込める。
ごめんなと小さく詫び、苦しそうに唇を噛みしめた。
「さあ、手早く済ませよう。終わったら大好きな生肉をたらふく食べさせて、疲れ切る迄遊んでやるんだ」
深く息を吸うと、ヘルメルは覚悟を決めたように鋏のような工具を握り、項の鱗を一枚挟んで勢い良く剥がした。
皮膚が少し傷付いたのだろう。僅かな出血と小さな悲鳴。思わず目を背けてしまったマチルダと違い、ロルフはしっかりとその場面を見た。
「ごめんな…痛いよな…」
痛いと暴れるドラゴンをしっかりと抱きかかえ、鋭い爪で引っ掻かれて傷付いても離さない。
ヘルメルが手にした識別タグ。それを鱗をはがされたばかりの場所に宛がうと、今度はハンマーのような道具で思い切り叩いた。
くぐもった悲鳴。痛い痛いと暴れるドラゴンは、助けを求めるようにマチルダに縛られた両腕を向けた。
思わず抱き留めてしまった小さな体はぶるぶると震えている。生まれて初めて人間に酷い事を、痛い事をされたのだ。怯えて当然、震えるのも無理は無い。
「痛いわね…ごめんね、ごめんなさい」
「管理する為だ。共存する為には知らなければならない。何も知らず、この子を殺してしまわぬように」
苦しそうにそう言ったヘルメルは、そっとドラゴンに手を伸ばす。完全に怯えてしまっているドラゴンはマチルダの腕に隠れるように体を捩った。
「…小鳥の羽、兎の尻尾。チクチクアザミにさよなら言って、ふわふわほわほわ温かくなあれ」
以前ロルフが怪我をした時にも唱えた祖母直伝のおまじない。叩き込まれたばかりの識別タグに手を翳して繰り返し唱えているうちに、ドラゴンはゆっくりと震えを止めた。
まだ怯えているようだが、おまじないの効果が出てくれたのだろうか。
「少しは落ち着いたかしら」
「おまじないか。あれは本当に痛みが引くんだ」
「経験者でしたわね」
ふふふと小さく笑って、マチルダは胸に顔を押し付けて離れようとしないドラゴンの背中をそっと撫でる。
祖母に教わったおなじないは、他にどんなものがあっただろうか。
「揺りかごゆらゆら、母の胸。母の腕は温かく…包まれ夢に落ちて溶けていけ」
小さく呟きながら揺れているうちに、ドラゴンは強張っていた体から力を抜いた。
眠れないと祖母のベッドに潜り込んだ時に唱えてもらったおまじない。眠れない時はいつだって、何か嫌な事があった時だった。
「煌めく星、まんまるお月様、涙が夜空で星になる。膨れた頬よ赤くなれ」
「それは?」
「嫌な思い出を忘れさせるおまじないだと、祖母からは聞いています。その場では忘れてしまいますが、完全に記憶から消し去ることは出来ませんよ」
突然ドラゴンを抱きかかえたままおまじないを繰り返すマチルダに、ロルフは不思議そうな目を向ける。
子供だましのおまじないだが、どうやらドラゴンには効果があったらしい。完全に力を抜いた小さなドラゴンは、すやすやと規則正しい寝息を立てていた。
「素晴らしい…古の魔法が使える人なんて初めて見たよ!」
「いいえ、祖母から教わった子供だましのおまじないですわ。可哀想に、忘れてくれたら良いのですけれど」
やらなくてはいけない事だとヘルメルは行ったが、それは人間が勝手に決めた事で、ドラゴンからしてみれば「やらなくて良い事」だ。痛い思いを、怖い思いをさせる必要などどこにもない筈なのに。
「先生、まずはこの子を休ませてあげたいのですが」
「そうだね。今日の作業はこれで終了だ。良かったよ、識別タグをつけるとしばらく暴れる個体もいるみたいだから」
安堵の溜息を洩らしたヘルメルは、普段ドラゴンを寝かせている籠をマチルダに差し出した。その中にそっと寝かせてやれば、ドラゴンは体を丸めて気持ち良さそうに眠っている顔が見えた。
「この子は、どうなるのですか?」
「研究機関でもう少し大きくなるまで育てて、一人で生きていけるようになったら自然に戻すんだ。この子の母親が棲んでいた辺りにね」
それ以上、ヘルメルは詳しく話そうとしない。
クロヴィスは研究機関に確認してみても卵を産んだ個体は確認出来なかったと言っていた。であれば、この個体はどこに放される事になるのだろう。
「この子は…幸せに生きていけるのでしょうか」
「少なくとも、人間と共に生きるよりは幸せだろうよ。僕たちはドラゴンに必要以上に関わるべきじゃない」
「では、何故この子は先生に託されているのでしょうか」
「…研究機関から卵を託されたんだよ。母親である個体が死んでしまったからね」
「…そうですか」
ヘルメルは今確かに「母親は死んだ」と言った。
どのギルドもドラゴンの死骸を回収しようと動いていない。誰もその話を知らない。それは絶対におかしい。
十年程前ドラゴンが死んだと騒ぎになった時は、国のあちこちで一攫千金を狙った冒険者たちが現れた。ギルドも大騒ぎとなり、結局王の角笛がドラゴンの死骸を獲得していたと記憶している。
当時まだ子供だったマチルダが覚えている程の大騒ぎだった。だというのに今回は誰も知らない。有り得ない話だ。
「では、私共はこちらで失礼いたします」
「ああ、お疲れ様。ラウエンシュタインはきちんと医務室で手当てしてもらうんだよ」
「はい、そうします」
制服も腕もズタズタになってしまったロルフは、痛みに顔をしかめながら歩き出す。
マチルダもその隣を歩いて行くのだが、どうにもヘルメルの言葉が気になって仕方が無かった。
母親である個体が死んだから、ヘルメルに卵を託された。
何故研究機関が卵を孵さない?何故死んだ個体の話が広まらない?
何かがおかしい。
「ロルフ様」
「ああ」
「手当が終わりましたら、いつもの場所で待ち合わせをいたしましょう。自由時間が思ったよりも長くなりましたから」
まだヘルメルからそう離れていない。クロヴィスの所に行こうとそのまま言葉にする事が出来ず、マチルダはまるでこれから恋人たちの甘い時間を過ごそうと誘う可愛らしい少女を演じた。
本当は言葉の通りにしたいのだが、それは出来そうにない。
ちらりと背後を伺ってみれば、ヘルメルは既に大事そうに籠を抱えて歩き出していた。
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