保護された迷子
授業をサボるのは良くない事。
それは分かっているのだが、授業の途中から参加するのもなんだか嫌なものだ。こそこそと最初からいましたよ、朝一番の授業もきちんと受けましたといった顔で生徒たちに合流したマチルダとゾフィは、授業どころではない騒ぎに巻き込まれていた。
迷子のドワーフが見つかったのだ。
訓練場の端にある雑木林の中で倒れているのが見つかったと、授業の途中で大騒ぎになったそうだ。
既に何度も捜索された筈の場所から見つかったというだけでもそれなりの騒ぎなのだが、見つかったルンバルドは傷だらけで、何か恐ろしい目に遭ったのかぼんやりとして会話もおぼつかないらしい。
「どういうことだ!人間に何かされたんじゃなかろうな!」
怒り狂っているドワーフの長は、教員の一人に食って掛かる。
周囲で様子を伺っている生徒たちにも睨みをきかせ、その中に紛れる真っ赤な髪を見つけるとすぐさま此方に歩み寄って来た。
「お前さん、ルンバルドと親しくしていたな。何があったか知らんかね」
「いえ…申し訳ございませんが存じませんわ。ルンバルドさんはどうなされたのです?」
地面に座り込み、どれだけ声を掛けられても揺すられても殆ど反応の無いルンバルドは、どう見ても目の焦点が合っていない。
あーだとか、うーだとか呻き声は漏らしているのだが言葉にはなっていない。
「もし、ルンバルドさん。大丈夫ですか?傷が痛みますでしょう?医務室に参りましょう、きっとすぐに良くなりますわ」
ルンバルドを気遣い、そっと近付いたマチルダを見て、ぼうっと呆けていたルンバルドはゆっくりと目を見開く。
わなわなと震え、今にも眼球が零れ落ちそうな程目を見開き、自身の体を庇うように両手をマチルダに向かって突き出して叫んだ。
「赤だ!」
たったそれだけ叫ぶと、焦点の合っていなかった目がぐるりと上を向き、そのまま白目を剥いてぱたりと後ろに倒れて動かなくなった。
まさか呼吸が止まってしまったのではないかと慌てて確認するが、どうやら息はあるようだ。
「嬢ちゃん…何かしたのかい」
「いいえ!決して、誓ってルンバルドさんに危害を加えるようなことはしておりませんわ!」
「そうだよ!マディはそんな事しない!」
ドワーフの長から漏れ出る殺気にぶんぶんと首を横に振って否定するマチルダと、友人を庇うゾフィ。
何があったのか分からない生徒たちは、それぞれが小声で「また問題児が何かしたんだ」と噂し合う。
何もしていない。依頼をされ、きちんと仕事をして依頼品を渡す筈だった。
姿を見せなかったのはルンバルドの方だ。こちらも探していた側なのにどうして疑われなければならないのだろう。
それより今は意識のないルンバルドだ。医務室に運んでやろうとしただけなのだが、ルンバルドに向き直ったマチルダ相手にドワーフたちは武器を向けた。
武骨な工具たち。ハンマーやらツルハシやら殺傷能力が高そうな物を向けるのはやめていただきたいものだ。
「すまんが、触れんでくれんか嬢ちゃん」
「…医務室へ運んでさしあげてください。場所はお分かりになりますか?ご案内します」
きっとドワーフたちは、マチルダだけでなく学園にいる人間全てを敵だと認識しているのだろう。
誰一人として近付けないよう、ドワーフたちは全員それぞれの武器をしっかりと持ち、威嚇し続けている。
「人間の薬など必要ない」
「皆様お薬はお持ちなのですか?」
「お前さんに関係無かろうよ」
「ルンバルドさんは友人ですわ。友人の身を案じてはいけませんか?」」
静かに淡々と返してはいるが、本当は心臓がバクバクと煩く騒いでいる。何か少しでも失言をすれば、きっとすぐさま頭を勝ち割られてしまうだろう。防御魔法は使えるが、出来ればドワーフと争う事はしたくなかった。
「ランツェルさん、武器を降ろしてくれないか。その子は俺の大事な人なんだ」
人込みの中から現れた、他よりも頭一つ分大きな人影。
その声の主が誰なのか分かっているマチルダは、耳に言葉が届いた瞬間体から力を抜いた。
「何だ坊主」
「マチルダはルンバルドに危害は加えない。それに、俺と一緒に探していたくらいだ」
「どうだか」
フンと鼻を鳴らしながら、ランツェルと呼ばれたドワーフの長はゆっくりと武器を降ろした。それに倣い、他のドワーフたちも警戒したままではあるが武器を降ろす。
ロルフの事を気に入っていたせいなのか、ランツェルはじろじろとマチルダを観察しながら言葉を続けた。
「本当は自分が何処かにルンバルドを閉じ込めて、探しているふりをしていただけなんじゃないだろうな」
「まさか。マチルダはそんな事出来る人じゃないよ。色々説明するから、一先ず医務室へ。傷だらけで見ていられない」
一緒に行こうとランツェルに微笑むと、ロルフはそっとルンバルドの体を抱き上げた。
マチルダは触れる事を許されなかったが、ロルフは許された事に驚いたが、不思議とドワーフたちはロルフに敵意は向けないようだ。
「マチルダも一緒に」
「私も行く!」
「ちんまいのは授業に行ってくれ」
「話は聞いてるもん」
隠し事は無し、嘘も無し。そう約束したばかりのマチルダは、どういう事だと睨まれながら「すみません」と小さく詫びた。
どこまで聞いているのか分からないロルフは、盛大な溜息を吐きながらゾフィの同行を許す。
きっとこの後ロルフを始めとした問題児三人は大量の罰則に苦しめられる事になるのだろう。
「よっしゃ、行こうマディ」
「ええ…そうね」
手を引いて歩き出すゾフィに連れられて歩きながら、マチルダは人込みの中で独りぼっちになっているコニーと目があった。
仲間外れ?と口だけを動かして不満げなコニーに「ごめんなさい」と小さく視線で詫びると、ドワーフ連れの問題児たちは医務室に向かってぞろぞろと行進を始めた。
◆◆◆
医務室に運び込まれたルンバルドは、全身に小さな傷を作ってはいるが命に別状はないらしい。
何故マチルダを見て叫んだのかも、どこで何をしていたのかも分からないままだが、規則正しい寝息を立ててベッドで眠っているルンバルドの表情は穏やかなものだ。
「それで、嬢ちゃんはこの馬鹿からの依頼を受けて、依頼品を渡す為に探していたと」
「その通りです」
ルンバルドと最後に会ったのがいつで、何のために会ったのかをランツェルに話すと、すぐ傍で聞いていたクロヴィスは頭を抱えて溜息を吐いた。
何故この場にいるのが教員ではなくクロヴィスなのか疑問だが、王子権限だとにっこり微笑まれて終わってしまった。学園内で身分は関係無いと言われてはいるが、やはり本来の身分に逆らうことはそうそう出来ることでは無いのだろう。
「で、依頼品は?」
「こちらに」
トントンとつま先で床を叩くと、ぬるりと影からルディが顔を出す。
ドワーフたちはぎょっとした表情でルディを見たが、その口に咥えられた革袋を差し出されると、恐る恐るといった様子でそれを手にした。
「月夜鴉の卵じゃあないか!」
「それが依頼の品でしたので。充分な数があると良いのですけれど」
卵三つ分だと言われたが、どれもこれも孵化の時に割れてしまっていて正確な数が分からない。きっとこれくらいだろうと目分量で持って来たが、恐らく足りているだろう。むしろ、少し多かったかもしれない。
「うわあ…綺麗」
ランツェルが摘まんだ殻に目を奪われているゾフィがそう呟くと、ごほんとクロヴィスが咳払いをして注目を集めた。
火竜の鱗を譲ってもらうために依頼を受けた事は察しているようだが、上級依頼を勝手に受けた事は怒っているようで、紫色の瞳がじとりとマチルダを睨みつけた。
「三日前の夜、ロルフ様と共に依頼を達成いたしました。翌日…二日前にルンバルドさんにこれをお渡しして終わりの筈でしたが、ルンバルドさんは現れなくて…」
ぽそぽそと説明したマチルダを信用出来ないのか、ドワーフたちはじとりとマチルダを睨みつけて動かない。
本当の事を言っているのに信じてもらえないのは何だか悲しいような気がした。
「火竜の鱗を持っていた事に関して俺も彼に色々聞きたかったんだが…どうしたものか」
「目が覚めてからゆっくりと聞けば宜しいかと」
ロルフはそう言うが、ルンバルドがいつ目覚めるかは分からない。目が覚めたとして、まともに会話が出来る保証も無かった。
「ねえ、ずーっと気になってるんだけど」
小さく手を挙げたゾフィに、皆の視線が突き刺さる。流石に居心地が悪いのか口を閉ざしたゾフィに、クロヴィスは優しく微笑んで言葉を促した。
「何かな、レーリヒ嬢」
「ルンバルドさんから嗅いだことがある匂いがします」
「どんな匂いかな?」
「…違法薬」
ごにょりと言葉を濁したゾフィは、クロヴィスから隠れるようにマチルダの背中に半分隠れてそう言った。
王族相手にどう接したら良いのか分からないのだ。何か粗相をすればすぐさま首を飛ばされるとでも思っているのだろうが、クロヴィスはそんなに非道な王子様ではない。
「違法薬。詳しく教えてくれるかい?」
「あの…忘却薬だと思います。酸っぱい匂いと、腐った肉みたいな匂いがするから…」
すんすんと匂いを嗅いでみても、マチルダの鼻では分からない。誰もが同じなのか、きょとんとした顔をゾフィに向けるだけだ。
「ああ…変な匂いがすると思ったら薬の匂いだったのか」
「お分かりになるのですか?」
「まあな」
狼ではなく野獣の姿ではあるが変身する事の出来るロルフはもしかしたら人よりも鼻が利くのだろう。何の匂いなのかまでは分からずとも、微かな異臭がする事には気付いていたらしい。
「薬に込めた魔力の量にもよるけど、飲む前の暫くの記憶を失くすっていう…」
「ふむ、それは確かに違法だな」
本来は何か恐ろしい経験をした者に飲ませ、記憶を失わせる事で精神の安定を図る薬だったのだが、あまりに悪用される為使用どころか製造まで禁止された薬。
調合方法が未だに残されているのは、医師と薬師が必要だと判断した場合に都度調合する為だった。
「何故ルンバルドがそんな薬を飲まされたんだ?」
「さあ…何か見ちゃいけないものを見たんじゃないかな?」
ランツェルにはすらすらと返事をするところを見るに、ゾフィはドワーフたちに懐いていたようだ。ドワーフたちもまた、これは何?あれは?と興味津々でうろちょろ付きまとう小さな女子生徒を可愛がっていたようで、マチルダに向けるような厳しい目は向けていない。
「ルンバルドさんが起きたら何があったのか聞くしかないけど、どこまで覚えてるか…」
もし忘却薬に込められた魔力が膨大なものであれば、最悪の場合自分が何者なのかすら忘れてしまう事もあるとゾフィは言う。
調合自体はあまり難しくないが、籠める魔力の調整が難しいのだと続けると、未だに眠り続けるルンバルドに心配そうな視線を向けて更にぽつりと呟いた。
「あの様子を見るに、かなりの魔力が籠められてそう」
焦点の合わないぼんやりとした姿を見てしまっているマチルダは、ゾフィの言葉に頭を抱えた。
同じようにクロヴィスも大きな溜息を吐くと、ロルフの肩に腕を置いて呟いた。
「もう少し付き合え」
「はい、殿下」
あとどれだけ付き合えば良いのだろう。
ロルフが逆らえないからとマチルダも自分から巻き込まれたが、これなら恋人を巻き込むなとクロヴィスを威嚇し逆らった方が早かったかもしれない。
少し前の自分を呪いながら、マチルダは異種族の友人が無事目を覚ますように祈るしかなかった。
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