白状します
夜更けに出ていったゾフィが戻ってこない。心配で朝まで眠れなかったマチルダは、どうしようと頭を抱えたまま動けずにいた。
やっぱり追いかけるべきだったのだろうか。
今は自分と顔を合わせたくないだろうからと気を遣ったつもりだったのだが、それはもしかしたら選択を誤ったのかもしれない。
どうしよう、どうしようと頭を抱えているマチルダの影が、ぐにゃりと揺れた。
「くうん」
「あ…おはようルディ」
主が落ち込んでいると思っているのか、ルディが心配そうに此方を覗き込んでいる。優しく頭を撫でてやれば嬉しそうに尻尾を振って舌を出してへっへと息をしている。
「マディー!!」
「ひぃっ」
ばぁんと大きな音を立てて開かれた扉。いつもの愛称を叫ばれたマチルダは小さな悲鳴を上げる。
振り向いてみれば、そこには息を乱したゾフィが興奮気味に拳を握っていた。
「ゾフィ!良かった心配したのよ」
「それはごめん一旦それ置いといて。すぐに来て!」
オロオロしているマチルダを放って、ゾフィはしっかりとマチルダの手首を握って走り出す。
小さな体のどこからそんなに力が出るのか不思議な程、ゾフィはぐいぐいとマチルダを引っ張っていく。
一体どこに行くのだろう。まだ朝の身支度を済ませたばかりで、朝食もまだだしこれから授業だ。
どこに行くのと何度も聞いてみたのだが、ゾフィはその質問に答えてくれることは無かった。
どこまで行くのだといい加減怒ろうと思ったが、ゾフィはあっという間に女子寮を出て裏手に回る小道へと向かう。
普段生徒は立ち入らない場所で、小道があることすら認識していなかった。
「こっち!」
「え…?小屋?」
「昨日ここで寝てたの。良いから入って!」
粗末な小屋で中は雑多にガラクタが押し込められている。よくこんな場所で一晩過ごせたなと眉間に皺を寄せるマチルダを尻目に、ゾフィは床に散らばっている小物を蹴散らして一点を指差した。
「ここ…開けてみようと思って」
「どうして?」
「昨日、夜中にごそごそ音がしたの。何が出てくるか分からなくて開けられなかったんだけど…マディと一緒なら大丈夫かなって」
信頼してくれているのは嬉しいが、そこは教員を呼ぶべきではなかろうか。
眉尻を下げたマチルダは、音がしたという場所にじっと視線を向ける。そこには小さなくぼみがあり、よく見ると地下に通じる小さな蓋のような扉があるようだ。
「今は…何も聞こえないみたいだけれど。きっと小動物でも入り込んでいるんじゃないかしら?」
「でも、まだルンバルドさん見つかってないよ」
ゾフィの言う通り、迷子のドワーフが見つかっていない。あの髭をもすもすと蓄えたドワーフは目立たないわけではない。人間ばかりの学園で、ドワーフがフラフラとしているのであれば相当目立つ。
「ここに、ルンバルドさんがいると思う?」
「いるかもしれないじゃん。もしかしたら中に入ってみたら扉が閉まっちゃって、中からは開けられなくて困ってるとか…」
ゾフィの言葉通りだとすれば、誰かに助けを求めようと叫んでいる筈だ。女子寮のすぐ傍なのだから、風に乗って声が聞こえて誰かが助けに来るかもしれない。
それを願って声を張り上げても良いだろうに、そうしない理由は何だろう。
「まあ良いわ。開けてみましょうか」
「流石マディ」
にんまりと笑ったゾフィが、扉の影に隠れる場所に移動する。下にいる何かが攻撃してくる危険性を考えての事なのだろうが、友人を信用しているにしろやりすぎではなかろうか。
小さく息を吐くと、マチルダは覚悟を決めて扉を持ち上げた。すぐさま攻撃出来る様にと身構えていたのだが、扉の下から何か飛び出してくるわけでも、攻撃してくる事も無い。真っ暗な空間がぽっかりと広がっているだけだ。
「あのう…どなたかいらっしゃいますか?」
そっと声をかけてみても、誰からの返答も無い。扉の影でどうしようと困り顔のゾフィに視線を向けたのだが、二人で朝の授業ギリギリの時間に粗末な小屋で顔を突き合わせて言うだけになってしまっている。
「本当に音がしたの?」
「したって!おかしいなあ…絶対に何かいると思ってたんだけど」
穴の中を覗き込んでいるゾフィは既に警戒心を解いているようだが、しっかりと頭を突っ込んで覗き込むのは如何なものか。
指先に炎を灯し腕を突っ込んでみたが、中にはやはり何もいない様子。音を立てるようなものの影すら無かった。
「マディ…やっぱりいたんだよ、何かが」
若干強張った表情でそう言ったゾフィが指さした先には、何かが動いた跡が残る地面。
何かがもがいたような、暴れたような跡が砂地の床に残っているのだ。
「何かしら、これ」
「誰かいたんだよきっと!」
本当に誰かがいたとして、今この場に誰もいないのはどういう事なのだろう。
床下から上がる為の階段に向かう床には、誰かの足跡も無ければ引き摺られたような跡もない。何しろ今開いたばかりの扉を中から開けたのなら、床に散らばっていた小物たちは何だったのだろう。
「分からないけれど…ルンバルドさんがここにいたのかしら」
「分かんない…何か落ちてないかな?」
「あ…ちょっと待って」
降りようとするゾフィを引き留め、マチルダはトントンと床を指先で叩く。すぐさま現れたルディは、相変わらず尻尾をぱたぱたと降ってご機嫌だ。
「ルディ、この鏡に付いた匂いは、床下に残っている?」
流石に暫くマチルダが持っていたルンバルドの手鏡では、持ち主の匂いは薄まっているだろうか。不安には思ったが、今この場で頼れるのは可愛い愛犬の嗅覚のみだ。
差し出された手鏡をクンクンと嗅ぐと、ルディは周囲の匂いを嗅ぎ、やがてそっと床下に潜り込んで行った。
床下のあちこちを嗅ぎまわると、ルディは小さく「わふ」と鳴いてその場に座って尻尾を振った。
見つけたよというルディの合図。
それを仕込んだのはマチルダ自身で、自信満々に褒めてとこちらを見ているルディの嗅覚に間違いはないのだろう。
「いたみたい」
「やっぱり!えー、でも何で今いないんだろう…」
「分からないわ。ルディ、匂いを追ってくれる?」
そうお願いしてみても、ルディは困ったようにうろうろとするだけで、見つけましたと座る事も無ければ、こっちだと案内するような事もない。
ただあちこちに鼻を寄せ、うろうろと歩き回るだけだった。
「歩いて出ていったのなら、ルディが匂いを追いかける筈。でも追えないということは、歩いて出ていったわけでは無さそうね」
地下室と呼ぶにはあまりに粗末で狭い空間。マチルダが押し込められれば身動きを取る事も出来ない程の狭さだが、小柄なゾフィなら少しは動けるだろう。まして、もっと小柄なルンバルドならば地面に跡が残る程動く事が出来る筈。
「何でこんな所にいたんだろう…自分で入ったのかな?」
「そうねえ…こんな場所に用事は無いと思うけれど」
こんな場所に用事がある人間はそうそういないだろう。何か道具を作る材料を探す為に学園内を徘徊しているのだとして、女子寮のすぐ傍にある小屋に何があると思ったのだろうか。
何も分からないが、これはすぐにクロヴィスに報告した方が良いだろう。授業の合間にクロヴィスを捕まえるか、もしくはお供三人の誰かを捕まえるか。どちらにせよ、ゾフィに詳しい事は話せない。昨日それで揉めたばかりなのだから、上手く立ち回らなければならないが、どうすれば良いのか分からなかった。
「ゾフィ、気にはなるけれど…そろそろ授業の時間だわ。行かないと」
「でも、ルンバルドさんに何かあったんじゃないの?」
「何があったのか分からないけれど、追いかける事が出来ないんだもの。広い学園の中、授業を受けずにフラフラ探し回るつもりなの?」
あっという間に教員から罰則を与えられて終わってしまう。それは面倒だし面白くない。
授業に行こうとゾフィを誘ってみても、納得いかないのかまだ地下室を覗きこんだままだ。
「皆心配してるのに…」
ゾフィが言うように、仲間のドワーフたちはまだ見つからないルンバルドを心配している。既に仕事を終え早く村に戻りたいだろうに、一人だけ残して帰る事が出来ずに学園に残っているのだ。
仲間に何があったのか分からない。
普段人間と仲良くしているわけではないドワーフたちは、徐々に学園の人間達がルンバルドに何かしたのではないかと疑いを抱き始めているようで、友好的に接してくれていたドワーフもあまり生徒たちに近寄らなくなっていた。
「心配なのは私も同じよ。でもルンバルドさんがどうしていなくなって、どこにいるのかも分からない。ただの生徒でしかない私たちが出る幕では無いわ」
「マディに言われても説得力無いよ」
じとりと此方を睨みつけるゾフィに、マチルダは言葉を詰まらせる。
クロヴィスに言われて何か仕事をしているのは、生徒のやる事なのか。普通そんな事をさせるのなら、王宮術師や教員に頼む筈。学園で一番の強さを誇ると謳われていてもただの生徒でしかないマチルダが何か頼まれごとをして、それに従っているのだから、生徒である自分たちの出る幕ではないという言葉に納得は出来ない。
そう言ったゾフィは、まっすぐにマチルダを見つめて口を閉ざした。
「…分かったわ。内緒にしてちょうだいね」
もうこれ以上黙っていては、ゾフィとの友情が壊れてしまう。それはどうしても嫌だった。
折角誰もいない小屋に二人きりなのだ。話すのなら今しかない。そう覚悟を決め、マチルダはゆっくりと口を開いた。
「クロヴィス殿下からのお仕事は、ヘルメル先生を見張ること。それだけよ」
「何でヘルメル先生を?」
信じられないと言いたげに目を見張ったゾフィは、ヘルメルに懐いている生徒の一人だった。
魔法生物学が苦手なゾフィに、ヘルメルは丁寧に色々と教えてくれたのだ。魔法薬学が得意で、将来薬師になりたいのなら危険な生物や、対処法を知っておくべきだからと。
教科書に書かれた文字が読めないと言えば、何が書いてあって、どういう意味なのかも丁寧に教えてくれた。忙しいだろうに決して面倒くさそうにされないのだと、いつだったかゾフィが嬉しそうに話してくれた事を覚えている。
「この間の授業で、ドラゴンを見た事を覚えている?」
「当たり前じゃん。ヘルメル先生が卵から孵したんでしょ?」
「その卵はどこから手に入れたと思う?」
「研究機関から送られてきたって言ってたじゃん」
訳が分からないと首を傾げるゾフィは、トントンと自分の膝を指先で叩いている。話が見えなくて苛立っているのだろう。
「殿下曰く、ドラゴンの卵が産まれれば研究機関が知らない筈はないの。でも、あの小さなドラゴンは、研究機関も知らない個体らしいわ」
「どういう事?」
「ドラゴンは国の重要生物。保護をして管理されるべき生き物。つまり、あの子は存在していない筈の個体で、その子を孵化させたヘルメル先生は保護法に違反しているのよ」
普段小難しい話を苦手とするゾフィは、マチルダの説明にあまりピンときていないらしい。
眉間に皺を寄せたまま黙っているゾフィに、マチルダは更に言葉を続けた。
「罪を犯している可能性があるから、見張っているの」
「そんなのすぐ王宮術師に通報すれば良くない?」
「それはそうね。私もそう思うわ。でも殿下は私たちに監視しろと仰せなの」
意味が分からないと頭を掻き舞わずゾフィは、普段のヘルメルの様子からそんな事をするようには見えないと小さく呟く。信じられない、どうして先生がとブツブツ呟いているが、マチルダはその言葉に何も返してやる事は出来なかった。
「王子先輩もよくわかんないな…何でマディに頼むの?」
「ロルフ様も一緒よ。ロルフ様は…その、殿下に逆らう事が出来ないの」
酷い扱いを受けている事は流石に話せないが、ゾフィは公爵家の息子なのだからそういうものなのだろうと納得したようだ。
そこにマチルダが巻き込まれている事には納得していないようだが、ロルフがやるから一緒にやるのだと言い張れば、はいはいと呆れた溜息を吐く。
「でもさ、ヘルメル先生がそんなに危ない人だとは思えないんだけど」
「まあ、念の為…というお話なのよ、きっと」
ふうんと小さく声を漏らすと、ゾフィはまだじとりとマチルダを睨む。説明を聞いても納得は出来そうにないのだろう。きっと逆の立場ならマチルダもそうだと思う。
「黙っていて、ごめんなさい」
「待って。まだ納得してないから」
頭を下げたマチルダに小さな掌を付き出すと、ゾフィはルンバルドの依頼を受けた事について問い正す。
一度断った筈の仕事を突然受け、しかも眠り草の汁を飲ませてまで黙って出ていった事に納得がいっていないのだ。
「ルンバルドさんがドラゴンの鱗を持っていたの。それを譲り受けて、殿下にお渡しする為に取引したのよ」
「何でそんな物持ってたの?」
「修繕工事をしていた場所に何枚か落ちていたんですって。それを持っていたから…殿下にご報告すべきだと思ったのよ」
先程ヘルメルとドラゴンの話をした後だったおかげで、ゾフィはドラゴンの鱗についてはあまり驚いていないようだ。
「ゾフィを巻き込みたくなくて眠っていてほしかったの。お友達に薬草の煮汁をこっそり飲ませるなんて…ごめんなさい」
「本当だよ!別に誰かに言ったりしないのにさ!」
信用していないのかと怒っているゾフィに頭が上がらない。話せないからどうにかして眠らせたかっただけなのだが、それがゾフィとの友情を裏切る行いだったと今は反省している。
「もう嘘言わないでね。友達なんだから」
じっとこちらを見つめるゾフィの空色の瞳。嘘は許さないとまだ怒っているようで、いつもは大好きなその色に見つめられるのが今はなんだか居心地が悪い。
「約束してくれないと、もうマディと一緒にいられない。信用出来ないもん」
「そうね、そうよね。本当にごめんなさい。もう嘘は言わないと約束するわ」
しっかりとゾフィを見つめそう返す。約束する。もう絶対に嘘は言わないと。
幼い頃祖母に散々言われた筈の事をすっかり忘れていた。嘘は醜い。醜い嘘で塗り固められた人間になってはいけないと。たった一つの嘘からそれは始まるのだと教わった。
「次は無いからね。さて、それじゃあ仲直りって事で。私も飛び出してごめんね」
「一晩戻らないから心配したわ」
「だよねー、ごめんね」
へらりと笑ったゾフィはもう怒っていないのだろう。
授業はサボりたいと駄々を捏ねると、もう少し詳しく離してくれとマチルダにせがんだ。もう始業のベルは鳴ってしまった為、マチルダは一限目だけよと釘を刺してから話し始めた。きっとクロヴィスには叱られるだろうが、誰にも話してはいけないなんて言われていない。
屁理屈だと分かっていながら、マチルダは順を追って話を始めた。これまで隠し事をしていた心苦しさから解放されるような気がして、口はするすると言葉を紡ぐ。
巻き込みたくないが、きっとゾフィは自分も協力すると言うのだろう。既にそう言いそうな顔をしているのだから。
小さくて優しい友人と二人きりで授業をサボりながら、マチルダは後々クロヴィスに叱られる恐ろしさから目を背けた。
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