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ゾフィの苛立ち


小さな足音が規則正しく響く。

夜も更け、消灯時間を迎えようとしている時間帯なのだから当たり前なのだが、苛々としているゾフィには丁度良い。


入学してから一番の友達になれたと思っていた。貴族は嫌いだが、貴族らしからぬマチルダの事は好きだった。


入学して初めての小テストでマチルダに点数で負けた。文字を読む事が苦手なりに勉強し、孤児院出身である事を馬鹿にする生徒たちを見返すつもりだったのだが、僅かな差で負けた事が悔しかった。


結局負けているじゃないかと、自分よりも点数の低かった生徒に馬鹿にされた事が悔しくて、何も悪くないマチルダに八つ当たりをした。

マチルダは入学した時から一度だってゾフィを馬鹿にしなかった。対等に扱い、困っていれば助けてくれて、とても優しい人だった。棚の上に置かれて取れない私物を、どうぞと手渡してくれたマチルダは、今でもすぐに思い出せる。


なんて綺麗な人なんだろう。


そう思った事をよく覚えている。酷い八つ当たりをした時も、マチルダは怒る事もせず、ゾフィの持っていた小テストをちらりと見て優しく微笑んだのだ。


悔し紛れに罵詈雑言を浴びせても、マチルダは欠片も怒らなかった。それどころか、少し離れた場所で此方を見てにやついている生徒にじろりと睨みをきかせて声を張った。


「ここは身分よりも実力がものをいうのよ。努力もせず生まれ育った身分に縋りついている人よりも、貴方のように努力して己を磨く人の方が素敵だわ」


睨みつけられた貴族出身の生徒は、気まずそうに俯いてマチルダの視線から逃れようとした。貴族が貴族を庇うことなく、孤児院出身の生徒を庇ったのだ。それが何だか嬉しいような、気味が悪いような気分だった。


「…貴族なのに、私を褒めるの?」

「いけないかしら?」


可愛らしく小首を傾げ、何がいけないのと笑うマチルダはゾフィが今まで接してきたどんな貴族よりも優しかった。


「変な人」

「貴方もね。貴族令嬢相手にあんなに酷い事を言うんだもの」

「う…八つ当たりしてごめんなさい」

「良いのよ。それより、私貴方とお友達になりたいわ!」


フォレストグリーンの瞳をキラキラと輝かせる、真っ赤な髪を持った美しい人。孤児院にいた頃は見た事も無い様な人が、よろしくねと微笑みながら真っ白な手を差し出している。

握手を求めているのだと分かっていても、自分のような身分の人間が本当に触れて良いのか分からずに動けなかった。


「マチルダ・フロイデンタールよ、よろしくねゾフィさん」

「…さんは、いらない」


それだけ答えるのがやっとだったゾフィの手を、マチルダは無理矢理取って握った。ぶんぶんと嬉しそうに振り回して、すぐさま友人として一緒に過ごすようになった。読めない文字があって困っていれば、それとなく助けてくれたし、他の生徒に嫌がらせをされればすぐさま助けてくれた。


そうして、いつの間にかマチルダの友人という枠に収まり、成績で黙らせ、嫌がらせをされる事はなくなっていった。

助けてもらってばかりだったが、ゾフィにとってマチルダは特別な友人なのだ。


ゾフィを孤児院出身の卑しい身分だなんて一度も言わず、寮で同室の生徒から酷い嫌がらせをされていると知れば、すぐさま部屋替えをしろ自分と同室にしてくれと騒ぎ出す。貴族出身生徒は一人部屋である事が殆どだと言うのに、マチルダはゾフィと同じ部屋が良いと言ったのだ。


一番のお友達だから、夜も一緒に過ごせたら楽しそうだからと。


「一番って言ったくせに!」


懐かしくなってきた記憶を遡ったゾフィは、走っていた足を止めて叫んだ。

周りに誰もいないのを良い事に、寮の入り口に生えた木を蹴ってみたり、地団駄を踏んだりと大騒ぎだ。


本当に、嬉しかったのだ。

身分を気にせず、一番の友達だと言ってくれた事が。貴族出身の生徒は多く、マチルダと友達になりたいと願う者は多かった。だというのに、マチルダが選んだのは孤児院出身のゾフィ。一緒にいて一番楽しいからだと言っていたが、その「一番」とやらはすっかりロルフに奪われてしまった。


いつだってすぐ傍にいたのに。

いつの間にか、何か隠し事をしてロルフと行動する時間が増えている。飽きられたのだと笑う者も多いが、ゾフィはそれに反論する事が出来ずにいた。


「何だよ何だよ!何も持ってないから?そりゃ公爵家の坊ちゃまなら何でも持ってますよ!」


ぎゃんぎゃんと一人で大騒ぎをして、呼吸が乱れたところでゾフィのつま先が固い木の幹に嫌な角度でヒットした。激痛に悶えその場に蹲ると、ぽたぽたと地面に小さな雫が落ちていった。


悔しい。寂しい。怖い。


ぐちゃぐちゃとしたどうしようもない感情が、涙を溢れさせて止められそうにない。

ひくひくと小さくしゃくり上げるゾフィは、どうして自分がこんな時間に一人で泣いているのか分からなくなってきていた。


一番の友達に隠し事をされ、嘘をつかれたのが悔しかった。

よく眠ってくれるようにと眠り草の汁を食事に仕込むことまでされた。それが一番の友達にする事かという怒りも抱いている。


酷いじゃないか。どうしてそんな事をするの。私じゃ助けにはなれないの?愛しの彼なら助けになれるの?


どうしても止められないどうしようもない思考は、ゾフィの背後に寄ってくる人の気配に気が付く余裕すら奪っていた。


「何してるんだ、小さいの」

「うえ」

「あー…ちょっと待て、ハンカチ」

「いらない!」


どうして今お前が来るんだ。そう怒鳴りたいのを必死で堪え、ゾフィは困り顔のロルフに背を向けてごしごしと目元を擦った。

マチルダとロルフが距離を縮めてから自然と一緒に過ごす時間が増えたが、ロルフもまた、身分を気にしない生徒の一人である事は知っている。


必要以上にクラスメイトと一緒に過ごそうとはしないくせに、マチルダ、ゾフィ、コニーの三人は傍にいる事を許している彼は、あちこちのポケットを探って差し出せるハンカチを探しているようだ。


「あー…マチルダと喧嘩でもしたか?」

「してない」

「じゃあ、誰かに何かされたのか」

「違うよ!良いからあっち行って!」

「そう言われてもな…」


消灯時間まであと十分も無い。そんな時間に一人で泣いている女子生徒を放っておくことが出来ないロルフは、恐る恐るといった様子でゾフィの隣にしゃがみ込んだ。


「マディに誤解されたら困る」

「はあ?マチルダが俺と君が友人以上の関係なんじゃないかって疑うとでも思ってるのか?」

「絶対にないとは言い切れないじゃんか」

「馬鹿め。俺よりマチルダとの付き合いが長いくせに、そんな事考えてるのか」


呆れたロルフの言葉に、ゾフィはぎゅっと拳を握りしめた。本当は分かっている。マチルダならば、大好きな二人が仲良くなったと喜ぶと。疑う事も、嫉妬するなんて事も無い。ただ、嬉しそうに笑うだけ。


「何があったか聞かれたくないなら聞かないが…いつまでも此処にいたら見つかるぞ」

「戻りたくない」

「そう言うって事はマチルダと何かあったんだな。まあ良い、女子寮の裏手に回る小道分かるか?」


突然なんだと睨みつけたゾフィに、ロルフはあっちだと指差しながら教えてくれた。

裏手に回る小道を進むと、今は使われていない小屋がある。そこなら見回りも来ないし、一晩隠れん坊をするくらいなら何とかなると。


「出来れば戻ってほしいけどな。マチルダが心配する」

「煩いな。関係無いだろ」

「…俺に噛み付くなよ」


ぽりぽりと頬を掻き、これ以上どうすれば良いのか分からないロルフはゆっくりと立ち上がる。いい加減動かなければ、ロルフも規則違反として罰則をもらってしまうだろう。

戻るにしろ戻らないにしろ、早く行けとゾフィに言い残し、ロルフは男子寮に向かって歩き出した。


「早いとこ仲直りしろよ」

「うっさい!」


そう怒鳴ると、ゾフィはムカムカとした気分のまま立ち上がり、ロルフの言っていた道を目指して歩き出す。言われた通りに動くのは癪だが、今はマチルダと顔を合わせたくなかった。


少し遠くからゆらゆらと揺れる灯りが見える。誰か見回りをしている教員が持っているランタンの灯りだろう。

見つかる前にと慌てて走り出したゾフィは、言われた通り小道に飛び込みそのまま走り続ける。


「何で女子寮側の事知ってたんだろ」


その疑問は、今は考えない事にした。

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