夜の散歩
銀の卵を抱いた黒い鳥。貧困に喘ぐ者が最後に希望を抱いて挑む鳥。希望を抱いた多くの者は、群れを成して襲ってくる鴉に食い散らかされた。
運良くたった一つの卵を手に入れた者は、財を成し人生を豊かにする。
月夜鴉の別名は逆転の希望。人生を救うか、食い散らかされるか。勝てば勝者、負ければ餌。
「どうやってこんな凶暴な鴉から卵を盗むんだ」
げんなりとした表情で分厚い本から顔を上げたロルフは、絶望だと頭をぐしゃぐしゃとかき回す。
「昼間は巣で眠っているでしょうから、夜に行くしかありませんね。餌を探しに出るでしょうし、少しは数が減っているかも」
「卵があるなら群れ全てが巣を離れる事はないだろう。それはどうする?」
ロルフの言う通り、一羽だけでも相手にしたくない鴉が複数羽。
いくらマチルダが学園最強の術師であろうが、それはあくまで「学園内」での話。学園の外でどれだけ通用するかは分からない。
分からない、確証の持てない危険な場所にマチルダが行こうとする事を、ロルフは今になって反対したくて堪らなかった。
「月夜鴉は光に弱いと聞きます。目が眩んで動けなくなるそうですよ」
「どうやって目が眩む程の光を作るんだ?」
「爆炎…とか?」
可愛らしく小首を傾げ、儚げな令嬢のように片手を頬に当てて微笑むマチルダに、ロルフはほんのりと頬を染めはするが眉間にしっかりと皺を刻み込む。
「あのなあ…俺たちが持ってくるのは既に孵化した卵の殻だけ。まだ孵っていない卵まで割れるだろう」
やる事が雑だと文句を言うロルフは、他に何か良い案を思い付くという事もないらしい。
ある程度魔法に長けた術師なら作戦を考える事も出来るのだが、ロルフは身体強化以外の魔法はほぼ扱えないに等しい。
子供が使うような未熟な魔法がやっと。付いて行って役に立てる気がしないのだが、マチルダを一人で行かせるのは嫌なのだ。
「爆炎は流石に冗談ですが…超至近距離で雷のような電気をこう…バチバチっとさせるのはどうでしょう?」
「雷の魔法、使えるのか?」
「ええ、眩しいのであまり使いませんが」
そう言うと、マチルダは右手の人差し指をピッと立てて顔の横に持ち上げた。
ぎゅっと目を閉じると、すぐさまバチバチと音を立て、指先から電気が迸る。
びくりと肩を震わせたロルフは、右手をぷらぷらと振るマチルダに視線を向けたまま固まった。
「…俺の恋人は天才なんだな」
「お褒め頂けて嬉しいですわ。それに…恋人だなんて!」
きゃあきゃあと嬉しそうにはしゃぐマチルダは、本気を出せば雷で目くらましをするくらいは出来るだろう。
だが問題は、雷は光だけでなく衝撃波も生む。そうなれば、無駄に卵を砕いてしまうだけでなく鴉の命も危ういだろう。
「あー…雷魔法はやめだ。何だか上手い事いかない気がしてきた」
「そうですね…使い慣れていない魔法を本番で使うのは怖いですし」
少し痺れますしと付け足して笑ったマチルダは、自分が使える魔法で役に立ちそうなものを考える。引き出しの中に物が沢山ありすぎて、目当ての物が見つからないようなもどかしさ。
何か使えそうな気がするのだが、それが何なのか思い出せない。
「最悪力でねじ伏せます。それより、どうやって消灯後に学園から抜け出すかですわ」
部屋に点呼に来られる事はないが、抜け出すのは至難の業だ。
梟も眠る程遅い時間ならば、寮内を見回る教員も眠っているだろうがそれでは遅すぎる。
消灯後すぐさま寮を抜け出し、身体強化魔法を使って目的の森まで一気に走り抜ける。
卵の殻を最低三つ分回収し、空が白み始める前に寮のベッドに飛び込まなければならないのだ。
「ゾフィに知られたらきっと大騒ぎになりますし」
「ちょっとゆっくり眠ってもらおう。小さいのには悪いが…よく眠れる薬を夕食のスープにでも混ぜたら良い」
作戦決行は明日の夜。その前の食事によく眠れる薬を混ぜてしまえば、恐らくゾフィは昼前までぐっすり眠ってしまうだろう。明後日が休みで本当に良かった。寝過ごしてしまっても何とかなる。久しぶりにアルバイトもしないと言っていたし、ゆっくりと眠ってもらう事にしよう。
「ロルフ様の同室の方にはどうやって飲んでいただきますか?」
「必要ない。俺は一人部屋なんだ」
「えっ」
「化け物と同じ部屋で眠るなんて、危険だろう?」
さも当然とばかりに言ってのけるロルフに、マチルダは何とも言えない微妙そうな表情を向けた。
今の状況では好都合だが、化け物と眠るのは恐ろしいという理由で一人部屋にされるのは寂しくないのだろうか。
「あー…部屋からはどうやって抜け出しましょうか。廊下に出るのは少々危険ですし」
「窓から出たら良い」
「私の部屋は三階なのですが」
「飛べ」
マチルダなら出来ると確信している顔でそう言うと、ロルフは待ち合わせ場所と時間について考え始めた。
消灯時間は夜十時。それから十五分後に以前生徒全員で駆除作業を行った森の入り口で落ち合う。
その案に反対する気のないマチルダは、魔法を使えば寮から三分で行けると頷いてみせた。
◆◆◆
飛べと言われた時は絶対に無理だと思った。
また戻る時に使うつもりで少しだけ開いたままにした窓。
窓枠を乗り越え、落下する前にしっかりと壁を蹴った。みしりと足の裏で嫌な感触がした気がしたが、後で修復魔法をかけておけば誤魔化せるだろう。
壁を蹴った勢いでマチルダの体は宙を飛ぶ。学園の外、森を目指して走るマチルダの姿を視認出来る人間はどれだけいるのだろう。
風を切り走り続ける。景色が後ろに流れていくのが何だか面白かった。
「早いな」
そう言ってひらりと手を振るロルフは、待ち合わせ場所の森で既に待っていたらしい。
マチルダが部屋を出たのは十時五分。恐らく今は十時八分。
身体強化魔法を使ったロルフの方がマチルダよりも走るのは早いようだ。
「早く済ませよう。準備は?」
「万全ですわ。群れの巣は…」
「ここから走って二十分くらいか」
やれなくはないが、マチルダとロルフでは走る速度が違うだろう。ロルフの言う二十分は、マチルダなら倍かかるかもしれない。
「乗り物酔いはしなかったよな」
「ええ、大丈夫です」
マチルダが頷くと、ロルフはそっと目を閉じる。
風に踊るように舞い上がったロルフの髪。体が僅かに金色に輝いたかと思うと、ロルフは異形の野獣へと姿を変えた。
「背中に乗ってくれ。その方が早い」
久しぶりにまじまじと見た野獣の姿。
獅子のような、熊のような。むしろその全てを混ぜて固まりにしたような異様な姿の美しき野獣。
背中に乗れとその場に伏せたロルフに遠慮がちに近付くと、マチルダはそっと背中に手を這わせた。
柔らかい毛に覆われた体。背中に跨るのは何だか恥ずかしいが、ロルフは早くしろと急かす様に体を揺らした。
「あの…その、失礼します」
「しっかりしがみ付くんだ。振り落とされるぞ」
しがみ付けと言われても、ハグですらまだ慣れなくて恥ずかしいというのに背中に跨った上しっかりと体を密着させるのはあまりにも恥ずかしすぎる。
「恥ずかしがってる場合か?時間が無いんだから早く」
「は、はい!」
なるようになれと思い切りしがみ付くと、ロルフはゆっくり立ち上がりそのまま地面を蹴った。
思わず小さな悲鳴を上げたが、身体強化魔法を使ったマチルダがロルフの背中から振り落とされるような事は無かった。
先程自分で走っていた時とは比べ物にならない速度。後ろに流れる景色を楽しむ余裕などない。顔に向かってくる風が目を開く事すら許してくれない。
「に、二十分も耐えられる気が…」
「この姿なら五分だ。それくらいは耐えろ」
簡単に言うが、その五分は地獄の五分だ。
必死でしがみ付いてはいるが、一瞬でも気を抜けばすぐさま地面に叩きつけられるだろう。
もっとゆっくり走ってくれれば、むしろ歩いてくれればロマンチックな夜の散歩の時間になっただろうに。
そんな事を考えるマチルダは、ロルフの背中に顔を押し付けながら振り落とされないように必死にしがみ付き続ける事しか出来なかった。
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