美しきもの
学園の一部が破壊されたという話題は、学園の生徒たちの間で様々な憶測が流れていた。また、マチルダの目の前に落ちて来た鉢植えが、変異性マンドレイクが植わっているものだった事も大騒ぎとなっている。
瘴気に侵された森が徐々に落ち着いてきたと思った矢先に起きた騒ぎは、退屈な日々を送っている生徒たちにとってはあまりにも面白い話題だったようだ。
「さてさて、そろそろお喋りはおしまいにして、僕の話を聞いてもらおうか」
パンパンと手を叩き、朗らかに笑う教員は、今日もいつも通り優しいヘルメル先生といった顔をしている。
どの生徒もヘルメルを魔法生物学の教員として慕っているのだが、マチルダはルディを無理矢理捕まえ、群れから引き剥がして孤独な身にした嫌な人として認識してしまっている。
「今日はドラゴンの授業だよ。子供なら皆憧れるよね」
ドラゴンという言葉に浮足立つ生徒は多い。特に冒険好きな男子生徒ならば、ドラゴンを一目見てみたいと思う者は多いだろう。
「ドラゴンと一口に言っても、種類は様々。翼を持つもの、そうでないもの。大きなものから小さなものまで沢山の種類が確認されているんだよ」
うきうきと楽しそうな笑みを浮かべるヘルメルは、布で隠していた小さな檻を指差し、生徒たちに視線を向ける。
まさか以前のルディのように、食事も与えず捕まえているのだろうか。眉間にうっすらと皺を寄せたマチルダは、じっと布に隠された檻を睨んだ。
「ほら見て、最近生まれた個体だよ。美しいだろう」
うっとりと甘い声を漏らすヘルメルは、中に入っているドラゴンを驚かせないようにそっと布を取り払う。
檻の中に閉じ込められた小さなドラゴンは、未熟な翼をもぞもぞと動かし、眩しいよとでもいうようにしぱしぱと目を瞬かせた。
「火竜の幼体さ。僕が卵から孵したんだ」
ドラゴンを人間が孵化させるのは非常に難しいと本で読んだことがある。そもそもドラゴンの卵を手に入れる事すら難しいどころの話ではない。
国で保護され管理される最重要種であるドラゴンが、研究や授業の為とはいえこの場にいる事が信じられなかった。
「先生、流石にドラゴンがここにいるのは…」
恐る恐るといった様子でヘルメルにそう言ったのはコニーだった。本物のドラゴンが目の前にいる事に興奮はしているようだが、この場にいてはいけない生き物である事は生徒の誰もが理解している。
ルディと名付けた影食い狼も、許可無しに捕獲する事は許されていない。マチルダが使い魔として契約した事はすぐさま国に報告され、ルディ自身がマチルダとの契約解除を望まないからという理由で、特例で許可されたのだ。
「大丈夫だよ。この子はもう少し成長したら研究機関に送る事になってるから」
「はあ…」
「そもそも卵を送ってきたのも研究機関だしねぇ。僕は前にもドラゴンの卵を孵化させた経験があるんだ」
ニコニコと微笑んでいるが、言っている事は誰もが驚愕し、口をあんぐりと開かせるような事。
種類によって孵化する為の条件が異なる上、その条件が何なのかきちんと解明されていないのだ。
「火竜の卵は基本的に炎の中で孵化するんだ。常に温め続ける必要があるんだけれど、その温度は火山の火口と同じくらいの温度が望ましい。つまり、温度管理をしっかりしないと、卵の中で死んでしまうんだ」
大きな体で繊細な生き物であると締め括り、ヘルメルは檻の中から小さなドラゴンを抱えて出した。
成体は獰猛で近寄る事すら出来ないが、まだ生まれたばかりの幼体ともなれば大人しいものだ。
「触ってみたい人はどうぞ。口元に手を持って行くと噛み付かれるから気を付けてね」
そう言ったヘルメルの腕の中で、小さなドラゴンは眠たそうに大きな欠伸をしてみせた。
わらわらと群がる生徒たちの群れに、マチルダは混ざる気になれない。
ロルフはソワソワと落ち着きなく群れの外れからドラゴンを見ているのだが、マチルダが近寄ろうとしない事も気になるようで、どうかしたかと小さく声を掛けて来た。
「ドラゴンの卵は、手に入りにくいのですよね」
「そうだな」
「それは、母親である成体が命がけで守っているから。では、何故あのドラゴンは今ここにいるのでしょう?」
上級術師であろうとも、ドラゴンを相手にするのならば一人では絶対に無理だ。
三人いて初めて生きて帰る可能性を見出せるとすら言われる凶暴なドラゴンが、どうして大人しく卵を人間の手に渡したのだろう。
「母親が何か…不幸があって死んでしまったとか?」
「だとすれば、国内でも大騒ぎになる筈です。ドラゴンは死骸であっても、価値がありますから…どこのギルドでも死骸を回収しに行くはずですもの」
研究の進んでいないドラゴンは、死骸であっても宝物。生け捕りにする事がほぼ不可能である生き物なのだから、どういった体の控訴像をしているのかすら分からない。それを知る為に死骸を回収したい研究者は多く、回収する為に破格の報酬を出してでもギルドに依頼するもの。
どのギルドが死骸を獲得するのか賭けをする集団まで現れる程だというのに、そんな話は聞いていない。
「そんな話があれば、王の角笛も大騒ぎになる筈です。ですが、ナディアお姉様とお邪魔した時にもそのようなお話は耳にしていません」
「確かに…死骸回収の依頼を受けたのなら、まず真っ先に姉上に話がいくな」
言われてみればおかしいと頷くロルフだったが、視線はチラチラと小さなドラゴンに向けられている。
触れてみたいとそわついているくせに、近付かないマチルダに気を遣っているのだろう。
「ほら、そこの二人も触れてみると良い。ドラゴンに触れるなんて機会滅多に無いんだから」
コソコソと話をしているマチルダとロルフに、ヘルメルは穏やかに微笑みながら近寄ってくる。腕の中で大人しくしているドラゴンは、金色の瞳をじっとマチルダに向けた。
まるで琥珀のような美しい瞳。喉の奥でキュウと小さく鳴いているのだが、あっという間に大きくなって触れる事すら出来なくなるだろう。
「凄い…マチルダも触れてみろ。とても熱い」
そっとドラゴンの背中を撫でたロルフは、幼い子供のように興奮した声を上げた。出来るだけドラゴンを驚かせないように声は抑えているのだが、前髪で隠された顔はほんのりと赤く染まっているようだ。
「…本当に、まるで炎そのもののような…」
そっと指先だけで触れたドラゴンの背中。
固い鱗に覆われたその体は、真っ黒に見えるのに火の光が当たると真っ赤に輝く。不思議な宝石のようなその体が、ヘルメルの腕の中でゆっくりと動いた。
「おや…」
「きゅう」
マチルダの指先に鼻先を寄せ、甘えた声を漏らしたドラゴンは、キラキラとした目をマチルダに向け、体を寄せる。
離してくれとばかりにヘルメルの腕から身を捩って逃げ出そうとした小さな体が、ぽとりと地面に向かって落ちた。
「危ない!」
慌てて受け止めたのはロルフだった。
しっかりと腕の中に収まったドラゴンは、まだマチルダに向かって甘えた声を漏らし続ける。小さな翼をぱたぱたと動かし、飛んででもマチルダの腕の中に収まろうとしているのだが、マチルダはどうすれば良いのか分からず狼狽えるだけだ。
「マディ、抱っこしてあげたら?」
「えっ…」
「だってその子、マディが気に入ったみたいに見えるもん」
他の生徒が羨むような視線を向ける中、ロルフはそっとドラゴンをマチルダの腕の中に落とす。しっかりと抱き留め、それ以上動く事の出来ないマチルダは、此方を見上げる幼いドラゴンにぎこちない笑顔を向けた。
「へえ…面白いな。ドラゴンは気位が高くてね。僕は卵を孵して一番に姿を見た人間だし世話係だからそれなりに懐かれているんだけれど…」
何故お前が。
そう言いたげにマチルダを睨んだヘルメルの紫色の瞳が、瞬きをした僅かな瞬間にいつもの穏やかなものへと変わった。それがまた、どうにも気味が悪かった。
きゅうきゅうと甲高い声を漏らし、ドラゴンはマチルダの赤い髪にじゃれついて甘えている。
「髪が赤いからではないでしょうか」
「そうかな?じゃあ、今度誰かに赤い服を着てもらうか、赤髪の生徒に付き合ってもらおうかな」
そろそろ返してねと腕を伸ばしたヘルメルに、マチルダは素直にドラゴンを渡す。
嫌だと暴れるドラゴンをなんとか檻の中に戻すと、コニーとロルフは羨ましそうにマチルダを見た。
「初対面で懐かれるなんてなあ」
「ああ、羨ましい」
「赤髪になってみますか?」
「赤い服を着るところから始めてみるよ」
肩をすくませたコニーは、檻をガチャガチャと鳴らすドラゴンにうっとりと見惚れていた。
◆◆◆
マチルダがドラゴンを手なずけたという話は、その日のうちに学園中に広まった。
上学年の生徒の殆ども知っているようで、例外なく話を聞きつけたクロヴィスが食堂にお供を引き連れて押しかけた。
「フロイデンタール嬢、少し良いかな」
「はい?」
「ここでは話せない。付いて来てくれ」
「食事中です」
一日の授業を終え、今は夕食を楽しんでいる最中だ。すっかり御馴染みとなったゾフィ、コニー、そしてロルフと四人で楽しい時間を過ごしていたというのに、邪魔されてしまった事が非常に腹立たしい。
「おいおい…王子様相手なんだから…」
「王子様であろうと、食事の時間を邪魔されては面白くありませんもの」
「そこは詫びる。だが、緊急なんだ」
食事はすぐに別室に用意するから。そう言ったのは、お供の一人であるギーレだった。
「そんなに睨むなロルフ。お前も一緒に来い」
「あのう…マディが何かしたんですか?」
「少し話したい事があるだけさ。楽しい時間を邪魔してすまないね。明日の食事は私がご馳走するから、今日はフロイデンタール嬢を譲っておくれ」
にっこりと微笑んだクロヴィスに、ゾフィはぽっと頬を染める。それを見たコニーは目を見開いているのだが、王族相手だからと口を挟むことは出来なかった。
「殿下をお待たせするな、フロイデンタール嬢」
「…分かりました。ごめんなさいね二人とも」
「行ってらっしゃーい」
ひらひらと手を振ったゾフィは、コニーと二人になる事を嫌がる素振りは無い。同じ平民出身である二人は、なんとなく気が合うようだ。
普段クロヴィスが食堂に来ることが無いせいか、生徒たちは何事かと此方を見ている。あまり注目されるのも面白くないからと、マチルダは不機嫌な表情を隠す事もしないままクロヴィスの後ろをついて歩く。
決して逃がさない。そう言うように、クロヴィスのお供三人はしっかりとマチルダとロルフを囲んで歩いた。
まるで、何か良くない事をして連行される囚人のような気分になりながら、マチルダとロルフはしっかりとお互いの手を握る。二人一緒ならば怖くない。そんな気分だった。
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