狙われている?
普段そこまで込み合わない医務室は、今日は満員御礼だった。
うんうん唸りながら吐く生徒もいれば、完全に意識の無い生徒もいる。何があったのだと回復術師がマチルダに苛々と問いかけたが、問われたマチルダでさえ何が起きたのか良く分かっていないのだ。
「貴方たちは大丈夫そうね。早く授業に戻りなさい!」
「はあ…」
そう言われても、既に午後の授業が終わるまであと五分程。どれだけ急いだところで、教室に着く前に終業を告げる鐘が高らかに鳴り響く事だろう。
それならばサボってしまおうと誘うゾフィに困ったような笑みを浮かべたマチルダは、もう一度先程の出来事が何故起きたのかを考える。
どう考えてみてもあれは人為的なものだ。
ただの植木鉢を落とすだけならばまだ良かったが、わざわざ変異したマンドレイク入りの鉢を落としたのは質が悪い。誰が犯人だとしてもこれは許される事ではない。
「ゾフィに怪我が無くて良かったわ」
「それはこっちの台詞。誰があんな事したんだか」
怒りに燃えているゾフィは、マチルダと同じようにあれが人為的なものであると疑っているようだ。というよりも、あの場にいたならば誰でもあれが人為的なものであると分かるはずだ。
「マディを狙ったのかな?」
「誰が狙うの?」
「さあ…マディに振られた男子生徒とか?」
私より強い方以外に興味ありませんわとにこやかに微笑みながら遠慮なしに攻撃していくのだから、プライドの高い男子生徒ならばマチルダに恨みを抱いていてもおかしな話ではないだろう。
だとしても、最悪の場合死んでしまうような方法で恨みを晴らすのは間違っている。
「暫く気を付けた方が良いかもね。本当にマディを狙ってやった事なのかは分からないけど…」
「そうね。でも、ゾフィも気を付けるのよ。私が狙いだと決まったわけではないもの」
「怪我したら超効く回復薬作ってね」
にんまりと笑うゾフィに、マチルダはぽんぽんと小さな頭を撫でた。
もしも万が一この小さな友人に何かあったら。そう考えるだけで恐ろしい。
あとでこっそりとゾフィの影にルディを潜ませようと決め、マチルダはゆっくりと歩き続ける。
どこに向かっていたわけでもないのだが、ふと周りを見ると図書室から見ていた壊れた校舎の辺りに来ていた事に気付いた。窓から見ていた時よりも随分酷く壊されているその場所は、立ち入り禁止の札が掛けられていた。
「酷いわね…」
「ね。何をどうしたらこうなるんだか…」
石壁はすっかり破壊され、中の柱も焼け焦げた部分やバキバキに折られた部分が見えてしまっている。
爆破でもしたのではないかという程の酷い光景に、マチルダとゾフィは揃って眉間に皺を寄せた。
「あん?さっきのお嬢ちゃんたちじゃねぇか」
瓦礫の中からひょっこりと顔を出した男が一人。
あまりに突然現れた男に、ゾフィが大きな悲鳴を上げながらマチルダの腕にしがみ付いた。
マチルダも突然現れた男に怯え、指輪に魔力を流し込んだのだが、目をぱちくりとさせている男は豊かな髭をのっそりと撫でるだけ。
「なんじゃい、人の顔見るなり怯えて失礼な」
「あ…申し訳ございません、ドワーフさん」
「構わんよ、人間の嬢ちゃん」
にんまりと笑っているのは、先程中庭に集まって来たドワーフのうちの一人だった。倒れている生徒を運べと言ってくれた若いドワーフは、瓦礫の山を乗り越えて二人に近付くと、興味深そうな顔でマチルダを見る。まるで、じっくりと観察しているような目だった。
「何か」
「お前さん、本当にルバトロンを生け捕りにしたのかい?」
「ええ、まあ…」
信じられないと言いたげな目にはもう慣れた。何度も同じ事を聞かれ、何度も同じ事を答えた。そろそろうんざりし始めてきているのだが、このドワーフは他の人とは少々違う目を向けているように思えた。
「ふむ、依頼をしても構わないかい?」
「依頼でしたら、学園を通してくださいませ。私は生徒ですので」
生徒向けの依頼は必ず学園を通す事になっている。直接学園に依頼を持ち込む者もいるが、多くの場合はギルドから学生向けにと多少流される事の方が多い。
直接生徒に依頼を持ちかけるのは規則違反である。
「そうは言ってもなあ…学園を通すとなると依頼料がな」
「初級依頼でしたら、ギルドに依頼をするよりもお安く済みますわよ」
「上級依頼はなかなか受けちゃもらえんだろう」
「生徒に直接上級依頼の話を持ちかけるって…」
やや引き気味のゾフィは、眉間に皺を寄せてドワーフを睨む。マチルダはぱちくりと目を瞬かせているのだが、問題児として警戒されている自分の状況を思い出し、この話は聞かなかった事にしようと小さく首を横に振った。
「申し訳ありませんが、規則は規則ですので」
「そうかあ、そうだよなあ…弱ったな」
ぽりぽりと頬を掻くドワーフは、髭に覆われた顔で困り顔を作ってみせる。
困った困ったと何度も呟くドワーフに少しだけ申し訳ないという感情を抱いてしまったマチルダは、助けてくれとゾフィに視線を向けた。
「ところで、ドワーフさんはここで何してるの?」
「修理依頼を寄越したのはそちらさんだろうよ。俺ぁ修復に必要な資材がどんなもんか確認に来たんだ」
「あー…さっき散々木を切らされたのはもしかして…」
「此処に使うんじゃろな」
修繕費をけちる為に生徒に資材を確保させるとはどういう事か。
知らずに散々働かされた事を知ったゾフィはひくひくと口元を引き攣らせているのだが、マチルダはロルフが指示された木をへし折っていた姿を思い出して納得した。
城のような校舎を修繕する為ならば、木材は大量に使う必要があるだろう。ロルフがぐり倒していた木が巨木ばかりだった理由がこれならば納得だ。
「ま、この程度なら七日もありゃ何とかなるだろ」
「七日で済んでしまうのですか?」
「ああ。もしかしたらもう少し早いかもな。その後はゴブリンに引き継いで、俺たちは村に帰る」
この悲惨な現場をたった七日間で直してみせると自信たっぷりに笑うドワーフは、えっへんとわざとらしく胸を張る。
その動きが何だか演技臭くて面白く、マチルダは小さく噴き出した。
「ねえ、邪魔しないからお仕事見てても良い?ドワーフさんの仕事見てみたいんだ!」
「構わんよ。人間の嬢ちゃんたち」
ふふんと鼻を鳴らしたドワーフは、わざとらしく「人間」という言葉だけ強調した。それが何を意味しているのか理解したマチルダは、にっこりと微笑みながらスカートの裾をちょいと持ち上げた。
「マチルダ・フロイデンタールと申します」
「あっ…ゾフィ・レーリヒです」
「ん。ルンバルドだ。よろしくな」
ドワーフにも人間と同じように一人一人に名前がある。だというのに、マチルダとゾフィは当たり前のように「ドワーフさん」と呼んでいた。逆の立場なら「人間さん」と呼ばれていることと同じ。つまり失礼な事だった。
普段他種族と関わる事の無いマチルダやゾフィにとって、猫ちゃん、わんちゃんと呼ぶような感覚だったのだ。
「名乗りもせずに申し訳ございませんでした」
「構わんさ。だが、俺と来ていた爺さんには気を付けろよ。礼儀に煩いんだ」
べえと舌を出したルンバルドは、少し遠くからどやどやと歩いてくるドワーフたちを指差した。正直誰も彼もが似たような髭を生やしているドワーフたちの名前を覚えきれる気がしない。
ひくりと口元を引き攣らせたマチルダが名前を覚えるのに苦労するまで、そう時間はかからなかった。
◆◆◆
何故こうなったのだろう。
しっかりと午後の授業に行けと追い返されたマチルダは、ウキウキと楽しそうなゾフィと共に工事現場に戻って来ていた。ただ端で大人しく眺めていられればそれで良かったのだが、優秀な魔法使いならばと仕事の手伝いをさせられている。
「俺たちは物を作ったり直したりするのは得意なんだが、魔法は苦手でな。殆ど使えないんだ」
「そうですか…」
先程から重たい木材や石材を浮遊魔法で運ばされている。授業で木材の切り出しをさせられ、その時点でもう魔力は大幅に削られている。つまり、今は疲労困憊なのだ。
「あっちのデカいのは凄ぇな。顔色一つ変えねぇんだから」
ルンバルドが視線を向けた先には、ロルフがせっせと資材を運んでいる。力仕事を手伝ってくれと教員に言われて渋々来たらしいのだが、すっかりドワーフたちに気に入られたようだ。
「何でマチルダもいるんだ?」
「私もいまーす」
マチルダが手伝いをしていることに気付いたロルフが、大きな石を片手で軽々と持ち上げたまま近付いて来た。
ゾフィも手伝いをしているのだが、残念ながらゾフィの事は目に入らなかったようだ。
「ドワーフの方々の技術に興味がございまして。ルンバルドさんが快く見学を許可してくださいましたの」
「そうか。で、見たいなら手伝えと」
女の子に何をさせるんだとルンバルドを見下ろすと、ロルフはもう片方の手でマチルダが浮かせていた木の柱を持ち上げた。
ついでにゾフィが浮かせていた少し小さな石材をつま先で蹴り上げると、自分が持っていた石材の上に器用に乗せた。
「すっげ」
「木材の切り出しで消耗してるだろ。もっと子供でも出来るような仕事をさせてもらえ」
ドワーフたちも流石にロルフの持っている資材の数に目を見開き驚いているが、あとどれだけ持てるのかと囃し立て、楽しそうだ。
「あー…マディ、見惚れてないでさ」
「だって…」
あれだけ逃げ回っていた男が、こうして気遣い、優しくしてくれる。
自分よりも強いというだけで充分だというのに、あんなにも逞しい姿を満足いくまで眺める事が出来る。
「ねえゾフィ」
「なに?」
「あの方、私の恋人なの」
「知ってるよ!あーもうしっかりしろマディ!恋する乙女めんどくさいなぁ!」
「嬢ちゃんは面白いなあ」
ゾフィにとってはいつものやりとりだが、ルンバルドにとってはそうではない。貴族のお嬢様らしくしていたマチルダが、ロルフを前に突然様子が変わったのだから、興味深そうに観察するのも無理はない。頬を染め、うっとりと恋人の背中を見つめ続けるマチルダは、すっかり恋する乙女の表情だった。
「あの兄ちゃん、魔法を使わなくてもあの量持てるのか」
「恐らく身体強化魔法は使っていると思いますが…彼、とっても力持ちなんです」
「ははあ…卒業したら俺らと働いてくれんかな。荷運びが楽になるのに」
髭を撫でながらそう言ったルンバルドは、少し離れた場所で抱えていた資材を地面に並べるロルフにしっかりと狙いを定めたようだ。
残念ながらロルフがドワーフと共に仕事をする未来はないのだが、それは今マチルダが言う事では無いだろう。もしかしたら、ロルフがこの仕事を気に入ってドワーフの工房に就職すると言い出すかもしれない。きっとそんな事を言い出してもロルフの父であるオスカーが許しはしないだろうが。
「いやー…何としても欲しいな、あの兄ちゃん」
ギラギラと獲物を狙うようにロルフを見つめ続けるルンバルドは、そっと長く豊かな髭を撫でる。その視線がやけにねっとりとしているように見えて、マチルダはうっすらとルンバルドに嫌な印象を抱く。
何を頼むつもりだったのか知らないが、マチルダに上級依頼の話を持ってきた。その上少々特殊なロルフに狙いを定めている。
あまり仲良くしない方が良い。そう判断したマチルダは、明日もまた来ようとウキウキしているゾフィをどう説得するか頭を悩ませることになった。
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