日常ですわ!
どこの誰であっても、長期休暇が終わったばかりともなると休みボケという状態になるのは普通の事だろう。
だが、この学園に在籍する者はそんな状態になる事は許されない。休暇を楽しんだのだから、その分しっかりと勉学に励めとばかりにどの授業も休暇前よりも山のように課題を出された。
「無理…本当に無理…バイトに行く時間すら無いんだけど…」
「ええ…終わりが見えないわ…」
マチルダと共に図書室の机に突っ伏したゾフィは、山積みになった教科書と紙に埋もれている。
どの教科も教科書を読んでレポートを出せだの、魔法生物を観察してレポートを出せだの、どれもこれも時間が掛かって仕方が無い。
教員同士で相談して課題の量を調整してほしいものだが、張り切っている教員たちは生徒たちの事情などお構い無しのようだった。
「あー…一週間前に戻りたい」
学園からそう離れていない場所で育ったゾフィは、一週間前はまだ故郷の孤児院で楽しい時間を過ごしていた。
それを思い出しながら、ゾフィは細く唸り声を漏らしてペンをぺしぺしと机に叩きつけて不満を露わにした。
「マディは愛しの彼の実家に行ってたんでしょ?結婚じゃん」
「まだ早いわよ」
山のような課題から目を背けたいのか、ゾフィはにまにまとした笑みをマチルダに向けながら、どうだったのだと話を促す。
二人揃って学園に戻ってからまだ三日ほど。荷ほどきや授業の支度を済ませたと思えば、すぐさま日常が戻ってきたせいで詳しい話はまだ出来ていないままだった。
「部屋に山積みになってる服とかどうすんの?本気出しすぎじゃない?」
「クローゼットに入りきらなくて…」
同室のゾフィは、マチルダがロルフに買い与えられた服や宝飾品の数々を知っている。
見ても良い?と聞かれて好きなだけ見せてやったのだが、ゾフィは「買いすぎ」と笑っていた。寮に備え付けられている小さなクローゼットにはどうしても収まり切らず、箱に入れたまま積み上げているのだが、折角ロルフに買ってもらったのだからきちんとしまっておきたい。
「空間魔法を応用すればクローゼットの拡張は出来ると思うのだけれど…使い勝手が悪そうなのよね」
「入口が狭いままじゃ奥の方は取りにくいよね」
「そうなのよ!いっそのこと衣裳部屋が欲しいわ」
どうにかして衣裳部屋を作りたいのだが、残念ながらマチルダにそんな事が出来るような魔法の知識は無い。
これだけ沢山の本があるのだから、探せば良い本があるだろう。そう思ってぐるりと図書室を見回すマチルダは、窓から見える校舎の一角が壊れている事に気が付いた。
「あれ、どうしたのかしら」
「ああ…残留組の馬鹿がやらかしたらしいよ。修理の人が来るらしいけど…よくやるよね」
壊れたものを直す魔法もあるが、学園の建物は強度を増す為特殊な魔法が掛けられている。壊れた箇所を魔法で直すにも普通より魔力消費量が多い上、その部分だけ補強魔法は解けてしまっている。
その為、きちんと直せる業者を呼ぶらしいとゾフィは言った。
「修繕費幾らするんだろ。工事担当はドワーフでしょ。補強魔法はゴブリン…」
「ご実家が援助してくれたら良いわね…」
さっと考えただけでも莫大な金がかかるであろう事はマチルダにも分かる。ただ修復魔法を掛ければ済む話なら良かったのだが、学園の建物を壊してしまった事を恨むしかないだろう。
憐れと誰にでもなく手を合わせるゾフィは、楽しそうににまにまと口元を緩ませた。
「何を笑っているの?」
「ドワーフの技を近くで見られるかもしれないんだよ?見て盗めるわけじゃないんだろうけど…」
ドワーフの技術力は素晴らしい。人間では構造すら理解出来ないような道具を作れるとさえ言われている特別な種族なのだが、あまり積極的に人間と関わろうとはしない。
人里よりも離れていて、少々不便であろう山の中に住んでいるのだ。
学園の傍にドワーフの集落があるとは聞いたことが無いし、マチルダもドワーフに会ったのは先日ナディアに連れて行ってもらったギルドでだけ。それも、会話すらしていない。
「ゴブリンの魔法も見てみたいよね。無詠唱魔法が当たり前なんでしょ?それに姿を消せるって聞いた」
「そんな魔法があったら便利でしょうね」
「村の爺様が一回だけ見た事があるんだって。指をぱちんって鳴らしたらその場から消えたらしいよ」
キラキラと目を輝かせるゾフィは、御伽噺のような種族の話を興奮気味にマチルダに話して聞かせる。
山積みになった課題からは完全に目を逸らしたようだ。
「ドワーフかゴブリンの魔法をレポートにしたら点数貰えないかな」
「さあ…見て理解出来るかも分からないし、そもそも私たちに友好的に接してくれるか分からないわよ」
ゴブリンはドワーフよりも友好的だが、あくまでも仕事をしにくるのだ。学生がうろちょろしていては邪魔に思われてしまうかもしれない。
そもそも人間と他種族は共存していても、必ずしも友好的な関係とは言えない。互いに利益があるから手を取り合うだけで、そうでないなら当たり障りのない距離でいるだけの関係。
「お仕事の邪魔はしない方が良いわ」
「分かってるって」
本当に分かっているのかいないのか、ゾフィはまた窓の外へ視線をやった。
◆◆◆
授業の日々というのは、暫くの休暇を経験してしまうと少々面倒なものだ。やっている事は休暇前とそう変わらないのに、何だか気分が乗らない。
座学は眠たくて仕方ないし、実戦魔法の授業は相変わらず加減が苦手で好きにはなれない。
「疲れたわ…」
「お疲れ」
中庭を歩くマチルダは、ぽんぽんとゾフィに背中を叩かれながら慰められる。今日も今日とて「お前ならやれる」と無茶振りをするレーベルクに、巨大な木を一人で切らされたのだ。
というよりも、へし折ったと言う方が正しい。
普段あまり使わなくなった植物系魔法。巨大な蔦を出現させ、力任せに大木を締め上げてへし折った。それなりに魔力量が多い自信があったのだが、随分と消耗している。
「愛しの君も凄かったよねー。何だよ殴り倒すって」
ロルフも魔具をナックルダスターへ変化させ、力任せに大木を殴り倒してみせた。それも、マチルダはたった一本だったが、一人で五本も折ってみせたのだ。
疲れた様子など微塵も見せず、なんてことはないような顔をしていたのは信じられない。
「ロルフ様はきっと、体力強化系魔法が得意なのね」
「マディを蹴り一発で倒したのは見た事あるけど…基本的に魔法はポンコツだよね?」
ゾフィの言う通り、ロルフは他の魔法は苦手なようで、子供が使うようなお粗末な魔法ばかりだ。ロルフを馬鹿にするなと言い返したかったが、残念ながらその通りで何も言えなかった。
「彼はちょっと…特別なのよ」
心の中で反論出来ない事をロルフに詫びながら言葉を絞り出したマチルダは、もう少し何か言い返そうと僅かに口を開く。
だが、その口から反論は出て来てくれなかった。
目の前に何か落ちて来た。それだけは認識できたのだが、それが何なのかまでは分からなかった。
耳に痛い破裂音のような何かが聞こえ、思わず動きを止めたマチルダは恐る恐る足元を見た。
「鉢…?」
「マディ!」
悲鳴のようなゾフィの声。何が起きたのか分からないマチルダは、足元に落ちている鉢をじっと見下ろす。そして気付いた。
鉢だった破片と、中に収められていた土と共に地面に横たわる、小さなそれを。
「っ…!」
慌てて耳を塞ぐが、一瞬間に合わなかった。
耳を突き刺すような痛み。生理的に目に浮かんだ涙。くらくらと頭が揺れ、泣き喚く小さなそれが何なのか頭で理解するまでに時間を使わせる。
本来ならばきちんと管理されている筈のそれは、以前ゾフィと共に駆除した事のある魔法生物。変異性マンドレイクだった。
ぐらぐらと揺れる視界が気持ち悪い。腹の底からこみ上げる吐き気が、しっかりとマンドレイクの叫びを聞いてしまったのだと認識させた。
真直ぐ立っている事すら出来ず、マチルダはその場でたたらを踏んだ。
その隣で、小さな体を素早く動かしたゾフィがマチルダの前に飛び込んだ。執拗に、何度も地面を蹴りつけるその動き。粉々になるまでマンドレイクを踏みつけたゾフィは、そっと耳から手を離して破片に手を当てた。
「燃え尽きろ!」
涙目でそう叫んだゾフィの手から炎が吹き上がる。きちんと駆除の手順を踏んでいる事に安堵しながら、マチルダはその場にへたり込んだ。
「マディ、大丈夫?」
「ええ…う、っ…」
心配してくれているゾフィには申し訳ないのだが、今は吐き気が酷くてまともに返事すら出来そうにない。口元をしっかりと手で押さえ、目を閉じた。
何度も背中を撫でてくれるゾフィの手が温かい。ふうふうと荒い呼吸を繰り返すマチルダは、目の前で炭になっているマンドレイクだった物が何故空から降って来たのかを考える。
中庭を突っ切って次の授業へ向かう筈だった。この場所は屋外で、上から何か降ってくるのなら鳥が何かを落としたか、誰かが故意に落としたかのどちらかだ。
まだくらくらと揺れる頭で、マチルダは必死に理由を考えるのだが、マンドレイクを鉢ごと空から落とす鳥ならば、相当巨大でなければ無理な話。であれば、誰かが故意に此処に落としたのだ。
マチルダの目の前を狙って。
「ありがとうゾフィ、もう大丈夫よ」
「医務室に行った方が良いんじゃない?顔色真っ青」
「大丈夫よこれくらい。鳴き声を聞いたのは本当に一瞬だもの」
心配そうに顔を覗き込んでくるゾフィににっこりと微笑んだマチルダは、ぐるりと周囲を見回してみる。
思っていた通り数人の生徒がその場に倒れ、被害を受けていた。
「誰がやったのか分からないけれど…周りの事を何も考えていないのね」
誰が何の目的でこんな事をしたのかは分からないが、どうなるかを考えずにこんな事をしたのなら到底許せる事ではない。
「おおい、大丈夫か」
「マンドレイクの鳴声がしたような…あーあ、倒れてら」
聞きなれない野太い声。どやどやと騒がしく現れた数人分の人影に、まだ気が立っているマチルダは眉間に皺を寄せながら振り向いた。
人間よりも随分低い背の人達。もっさりとした髭を蓄え、逞しい腕を大きく振りながら歩いてくるその人々は、ゾフィと噂をしていたドワーフ族だった。
「ほれ嬢ちゃん、しっかりしな」
ぺちぺちと倒れている女子生徒の頬を叩きながら声を掛けている者もいれば、吐いている男子生徒の背中を摩る者もいる。
ぽかんと口を開き驚いているゾフィに、ドワーフの一人がにんまりと笑った。
「やるなあ嬢ちゃん、ちびこいのに」
「ちびこ…なんて?」
「チビって事だ」
「アンタのがチビだろ!」
身長を揶揄われたのが嫌だったのか、ゾフィは顔を赤くしてドワーフの一人に食って掛かる。ケタケタと笑っているドワーフは、お前は大丈夫だなと頷いた。
へたり込んでいるマチルダにもちらりと視線を向けたのだが、何か声を掛ける事は無い。それどころか、仲間たちに向けて大声を張り上げた。
「いたいた!こいつだよ!」
「は…?」
全員が寄って来たわけではないのだが、数名のドワーフは興味津々といった表情でマチルダアの元へと駆け寄ってくる。
大勢のドワーフに囲まれたマチルダとゾフィは怯えたように体を寄せ合うのだが、ドワーフたちは二人に危害を加える気は無いようだ。
「こいつだよ、ルバトロンを生け捕りにしてた女の子!」
「本当かあ?こんなほそっこいのに」
「俺ぁ確かに見た!なあ嬢ちゃん、そうだろ?」
ふんふんと鼻息を荒くしたドワーフの髭が、鼻息でもすもすと揺れる。何故だかその光景に視線を奪われながら、マチルダは小さくこくりと頷いた。
「あのルバトロンどうしたんだ?」
「あの…ルッテンベルグ様に」
王立ギルド、王の角笛のギルド長に渡した。そう話すと、ドワーフたちは残念そうに空を仰いだ。
「嬢ちゃん、また生け捕りにしてきてくれんか」
「あの…」
「報酬は充分払うからよ」
「えっと…」
「頼むよ。腹の熱袋が欲しいんだ」
わあわあと再び騒ぎ出したドワーフたちは、困惑しているマチルダの様子などお構いなしだ。ゾフィはすっかり怯え、じっと黙ったままマチルダの腕にしがみ付いている。
熱袋とやらが何なのか分からないが、今はとにかく離れてほしい。そもそもどうしてドワーフたちは此処に来たのだろう。まだマンドレイクの鳴声でくらくらしているマチルダは、腕にしがみ付くゾフィを宥めるように小さな背中を摩る事しか出来なかった。
「何の騒ぎだこれは!」
「お、先生か?変異性マンドレイクの鳴声がしたから見に来たらこの騒ぎよ。管理くらいしっかりせんか」
ふんふんと怒っているドワーフは、他のドワーフたちよりも歳を重ねているように見える。髭や髪に白髪が混じる彼は、慌てた様子の教員を叱りつけている。
「話が長くなりそうだ。嬢ちゃんたちは大丈夫か?大丈夫なら、倒れてるやつらを運んでやってくれんか」
比較的若いドワーフがコソコソとマチルダとゾフィに話しかけて来た。こくりと頷いた二人は、遅れて走ってきた教員たちと共に生徒たちを医務室に運ぶ作業に勤しむこととなる。
誰がこんな事をしたのだろう。
完全に意識を失っている生徒はどれ程で回復するのだろう。
何故、こんな事になっているのだろう。
何度考えても分からないこの状況に、マチルダは薄らと苛立ちを抱いていた。
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