王の角笛へようこそ
ゆっくりと渦を巻く水球を携えた若い女性が、うきうきと嬉しそうな表情で歩くという姿は誰もが驚き、動きを止めるものだろう。
それを全く気にすることなく、マチルダは大きな獲物を生け捕りに出来た喜びで機嫌が良かった。
「マチルダ、疲れていないの?そろそろ魔力切れを起こして倒れてもおかしくないと思うのだけれど」
「まだまだ平気です!」
「そう…凄いわね」
ひくりと口元を引き攣らせたナディアは、水球に閉じ込められ顔だけを出しているルバトロンを憐れむような視線を向けた。
結局あれから、カーコバクの死骸を狙った集まった魔法生物たちを駆除するのに手間取り、早朝に屋敷を出たにも関わらず既に昼前の時間帯になっていた。
「まさか本当にルバトロンを生け捕りにするなんて…」
「そんなに難しいのですか?」
「そうよ。動くものは大体食べてしまうくらい凶暴だし、溜めこんだ熱が無くならない限り動きも止めない。鱗も固いから物理攻撃は殆ど通らないし…はっきり言ってあまり相手にしたくないわ」
そう言ったナディアの隣で、マチルダはそんなに難しくないのになと苦笑いを浮かべる。学園に入学してから何となく分かっていた。自分は他の人とは違うのだと。ナディアもバーフェン学園の卒業生で、卒業後は実家の仕事をしながら王立ギルドに登録している術者である。既に何年も仕事をしており、上級術師となっているナディアが「相手をしたくない」とまで言った相手を難なく捕らえたという事は、きっとこういう仕事は向いているのだろう。
卒業後の進路に迷っていたのだが、なんとなくナディアのようにそこに住む人々を守り、害となる生き物を相手に戦う仕事も良いかもしれない。ただ、人間の勝手で命を奪われる生き物たちに申し訳ないという気持ちは拭い去れそうにない。
「さあ、着いたわよ。王立ギルド、王の角笛へようこそ」
「ここが…ギルド」
「そうよ。一応ここが本部ね。所属術師たちに仕事を紹介したり、依頼人を招く場所。上は遠方から来る人だとか、一時的に本部に戻って来た術師の宿になっているわ」
つらつらと説明してくれたナディアが指した建物は、他の建物よりも随分と大きい。
女神が角笛を吹く紋章が掲げられた大扉。随分昔の王が作った唯一の国運営ギルド。登録出来るのは国が認めた術師や冒険者のみであり、ギルドに入りたいと願う者の憧れの場所でもある。
「ナディア様もこのギルドに登録されているのですか?」
「そうよ。普段は領地で実家の仕事を手伝っているけれど、時々ギルドの仕事もしているの。実家の仕事は少ないから暇だしね」
そう言いながら、ナディアは大きくて重たそうな扉を開いた。途端に聞こえてくる騒めき。どれだけ多くの人間がいるのか分からないが、開かれた扉をそっと潜ると、マチルダが保持している水球と、それに捕らわれているルバトロンに視線が突き刺さる。
「何だあれ…」
「ルバトロンか?生け捕りにしたやつ久しぶりに見たな」
「随分若いな。もう一人はラウエンシュタイン家の令嬢か?」
入ってすぐの場所は酒場のようになっているようで、あちこちに置かれたテーブルで誰もが酒を煽り、豪快な料理で腹を満たす。初めて見る光景が面白くて視線をきょろきょろとさせるマチルダの耳に聞こえて来たそんな会話は、コソコソと話しているつもりのようだが、しっかりと聞こえるあたり少々酒に酔っているのかもしれない。ちろりと視線を向ければ、豊かな髭を蓄えたやけに小さな老人が二人マチルダを見ていた。
姿を見るにドワーフ族なのだろうが、見るのは生まれて初めてだ。
「ほら、早くしないと昼食に間に合わないわ」
「はあ…随分沢山の人がいらっしゃいますのね」
「そりゃあ、ここはギルドの本部だもの。支部は沢山あるけれど、ここが一番人が集まるのよ」
人込みをするすると抜けながら歩くナディアは、マチルダが離れないように腕を引いてくれている。騒めきながらも見ている人々は、興味津々と言った表情ばかりだ。
「こんにちは、王立ギルド王の角笛へようこそ!」
「ごきげんよう。ナディア・ラウエンシュタインよ。依頼を完了したから報告に来たわ」
「お疲れ様でございました。そちらの方は…」
「当家のお客よ。社会科見学の為に一緒に連れて行ったの。ついでに生け捕りした獲物がいるからそちらもお願いね」
指差されたルバトロンを見て目を丸くした受付嬢は、一瞬の間を開いてから頷いた。
奥へどうぞと指された部屋へさっさと歩いて行くナディアを追いかけたマチルダは、背中に突き刺さる視線が何となく気まずかった。
◆◆◆
ごぼごぼと水の音だけが響く応接間は、あんぐりと口を開けて固まる依頼人が待ち構えていた。
豪奢な家具で揃えられたこの部屋は、恐らく特別な依頼人を通す部屋なのだろう。
「その…トカゲは」
「お土産です。以前生け捕りに出来たら嬉しいと仰っておりましたから」
にっこりと良い笑顔を浮かべているナディアを前に、依頼人の男性はひくひくと口元を引き攣らせた。
ぽんぽんと背中を叩くナディアは、ちょいとルバトロンを指して離して良いわとマチルダに目配せした。
「あの…お気に召すと良いのですけれど」
恐る恐るルバトロンを床に開放すると、体がずっしりと重たくなった気がした。炎魔法を得意とする魔力を持ったマチルダにとって、水魔法は相性が悪い。炎魔法に比べて魔力消費量が多かった。それでも王都の外れから中心街にあるギルド本部までルバトロンを水球に捕らえ、そのまま歩いてくるという芸当をやってのけたマチルダは、間違いなく規格外だった。
「完全に動きを止めているな…」
「捕獲したところからここまで水球に閉じ込めておりました。恐らく体温が下がり切っているのだと思います」
「君が、ここまで運んできたのかい?」
「はい、そうです」
まじまじとマチルダを観察する依頼人は、信じられないと言いたげな表情を隠そうともしない。
観察される事には慣れているが、ここまで近距離でまじまじと観察されるのはなんだが居心地が悪い。
「素晴らしい。是非この個体を私に譲ってくれ。お礼はきちんと支払うよ」
「この子、まだ学生ですのよ」
「学生?!まさかバーフェン学園の生徒かい?」
「はい、そうです」
まだ学生のマチルダが持つ力に感心したのか、依頼人は嬉しそうに口元を緩ませながらうんうんと何度も頷いた。
ぱちぱちと手を叩く男は、にんまりと笑いながらマチルダに手を差し出した。
「エルマール・ルッテンベルグだ。このギルドを纏めている者だよ」
「ギルド長でしたか。マチルダ・フロイデンタールと申します」
「卒業したら、是非我がギルドに入ると良い。君ならとても優秀な術者として活躍できるだろう」
にっこりと微笑みながら手を差し出すエルマールの手をそっと取ると、マチルダは困ったように曖昧に微笑む。
ナディアのようになれたらと憧れは抱いているのだが、長い間両親の為にならねばならないと思っていたマチルダは、家族を切り捨てようと思っていてもなかなか今後の自分の人生を自分で決める決心がつかないでいた。
「その…ギルドのお仕事をよく知りませんので…」
「王宮術師よりは楽しいと思うけどね。沢山の依頼をこなし、その分稼ぐ事が出来る。それに、王宮術師とは違ってある程度自分で依頼を選べるから、私生活を充実させる事も出来るよ」
王宮術師は全ての魔法使いの憧れとも言われる仕事だが、魔法使いの中でも国に管理される事が特に多い職種でもある。
仕事は勝手に割り振られ、基本的に断る事も出来ない。その分国民から憧れの目を向けられる事も多く、出世すればするほど権力を持つ事も出来る。
例え平民出身だとしても、実力で王宮術師になる事が出来れば貴族と同等の力を得る事も出来るのだ。
「君なら大歓迎だ。ナディア嬢も君を気に入っているみたいだしね」
にたりと笑ったエルマールは、眉間に皺を寄せて拗ねているナディアに書類を手渡す。
それに視線を落とすナディアは、床に横たわったままのルバトロンを指差した。
「温まると面倒だと思うのですけれど」
「ああそうだった。まさか本当に生け捕りにしてくる人がいると思わなくて」
そう言うと、エルマールはルバトロンに向けて手を翳す。すると、キラキラと光が集まりしっかりとルバトロンを包み込んだ。
それがどんな魔法なのかは分からないが、僅かに抵抗したルバトロンは光に包まれると同時に完全に動きを止める。
「何を…」
「捕縛魔法だよ。見た事無いかい?」
「初めて見ました」
「獲物を生け捕りにする時に使うんだよ。君も練習したら使えると思うけれど」
この世界には、まだまだ知らない魔法が沢山ある。それを知れるのは、きっと楽しいのだろう。うきうきと高鳴る胸。ずっと知りたい、学びたいと思っていた魔法が、今はすぐ傍にいくらでもある。知る事が、学ぶ事が出来る。
なんて素晴らしい環境なのだろう。
無意識に上がった口角が、まだ若い魔法使いが歓喜に打ち震えているとまざまざと表していた。
「学園にいるうちに、存分に学んでくると良い。君はそれが出来る環境にいるのだから」
「そうよ。沢山の事を学び、行きたい道を進みなさい。それが出来るんだから」
書類を読み終えたナディアが、ぽんとマチルダの頭を撫でる。
その目は、とても優しい姉のような目つきだった。
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