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お義姉様と一緒ですわ

「行くわよ」

「はい?」


普段から早いラウエンシュタイン家の朝。この日は普段よりも更に早い朝だった。

まだ窓の外は薄暗い。朝日も昇らぬ早朝から部屋に押しかけて来たのは、ロルフの姉であるナディアだった。


しっかりと身支度をしたナディアは、普段見ているドレス姿ではなく動きやすい軍服のような姿。長い髪をきっちりと纏めたその姿は、まるで女性軍人の様に凛々しく、美しかった。


「何処に…」

「仕事よ」


寝起きの頭は回ってくれない。行くと言われて返せた言葉は「どこに」という疑問だけ。

まだ開き切らない目を擦るマチルダを横に、ナディアはてきぱきと支度を進め始めた。


「私たちは普段は領地にいるの。王都に来ているのは、ただ遊びに来ているわけじゃないのよ」

「はあ…」

「ほら、早く支度して。早朝に屋敷を出ないと間に合わないから」


急かすナディアに背中を叩かれ、マチルダは慌ててベッドを飛び出した。公爵家令嬢の筈のナディアに世話をされながら、マチルダはナディアと同じように動きやすい服装へと着替えさせられていく。長く伸びた真っ赤な髪は、頭の高い位置で一つに纏められた。


「さ、行きましょ。ロルフに見つかったら面倒だから」

「心配されるのでは…」

「書置きをする時間は無いわよ。大丈夫よ、執事が伝えてくれるから」


ひらひらと手を振ると、ナディアはさっさと部屋を出ていってしまう。散々急げと急かされていたマチルダは、どうしたものかと迷いながらもナディアの後を追う。

まだ屋敷の中は静かだ。普段早朝から訓練を行っているラウエンシュタイン家の人々でも、流石にこの時間はまだ眠っているのだろう。

すたすたと先を歩くナディアを追いかけながら、マチルダは再び小さく首を傾げた。


こんな格好で、朝早くから何処に行くというのだろう。学園でも動きやすい作業服で活動する事はあるが、そういう時は大抵実戦訓練の時だ。いつも通りしっかりと嵌められた魔具の感触を確かめながら、先に玄関を出たナディアに続いて外に出る。


ひやりとした冷たい空気。眠たいのにと内心不満だったマチルダは、頬を撫でる空気に目を閉じた。


「眠たいのなら移動しながら眠ってちょうだい。時間が無いの」


苛立つナディアの声に目を開く。

だが、そこに立っていたのは金色の髪を持った美しき令嬢ではなく、金色の毛皮を纏う巨大な狼だった。野生の狼とは比べ物にならない大きさ。たった一口でマチルダの頭を飲み込めてしまうであろう大きな口を開いて、狼はもう一度「早く」と言葉を発した。


「…ナディア様?」

「そうよ。ほら乗って。少し揺れるけれど落ちないでちょうだいね」


そう言って地面に伏せた狼は、早くしなさいとマチルダを鼻先で突く。状況が飲み込み切れていないマチルダは、「失礼します」と小さく漏らして狼の背中に乗った。


「毛皮を握っておきなさい。痛くないから大丈夫」

「ひえ…」


立ち上がった狼の背中は想像していたよりも高い。ぐらりと揺れた視界に怯え、マチルダは小さく声を漏らす。


「お嬢様、お荷物を」

「マチルダ、持っていてくれるかしら」

「はい!」


いつの間にそこにいたのか分からない執事が、慣れた表情で巨大な狼に変身しているナディアへ声を掛ける。

コンパクトに纏められたリュックが二つ。にっこりと差し出している執事からそれを受け取り、マチルダは背中とお腹にそれぞれ抱えると、遠慮がちにナディアの背中に手を添えた。


「フロイデンタール様、どうぞしっかりとお捕まりください。お嬢様、あまり無理をされませんよう」

「分かってるわ。お昼には戻る予定だから、お肉を沢山用意しておいて」

「かしこまりました。ロルフ様には私からお伝えしておきます」

「頼むわね」


恭しく頭を下げた執事は、マチルダを背に乗せたナディアに行ってらっしゃいませと告げた。

結局何処に行くのか教えてもらえないままだが、これだけは分かる。

戻ってきたら、絶対にロルフに叱られる。行先が分からない事よりも、そちらの方が遥かに恐ろしかった。


◆◆◆


「ご勘弁ください!!」

「ちょっと!降りなさい!」


泣き叫ぶマチルダは、いつだったか学園の傍の森で見た爆裂バッタの群れを思い出していた。

何処に何をしに行くのか聞こうと思っていたのに、予想以上に揺れる背中の上では舌を噛まないように黙りながらしっかりとしがみ付く事しか出来なかった。


「もう日が昇るんだから!駆除しないとこの後が大変なの!」

「む、虫は!虫だけは!ひい!!」


濡れた犬が水分を飛ばすように体を震わせたナディアの動きに負け、マチルダは地面にとさりと鈍い音と共に振り落とされる。地面をうねうねと這い回るマチルダの腕程の長さを誇る幼虫が、餌が近くにいるとでも思ったのかのっそりとした動きで近寄って来た。


「何なのですかこれは!」

「カーコバクよ、知らないの?」


何てことはないと言いたげに、ナディアは前足で一匹の虫を叩き潰しながら言う。潰された虫はひくひくと痙攣していたが、少しすると動かなくなった。


「授業で習わなかった?基本的に無害だけれど、これだけ集まってしまうと大型生物の餌になるの。最近瘴気も溜まっているし、出来るだけ人里から魔法生物を遠ざけたいのよ」


淡々と説明するナディアは、せっせと前足で虫を潰して回る。見ている限り、大きさは非常識だが大した攻撃性は無いようだ。恐る恐る一歩踏み出したマチルダに気が付いたのか、ナディアは金色の瞳を輝かせながら言った。


「それ、肉食よ」

「ひっ」


もっと早く言ってほしい。突然体を持ち上げた虫が眼前に迫った恐怖で、マチルダは目尻にうっすらと涙を浮かべて声を漏らす。


「その大きな体を維持するのに植物だけじゃ持たないわよ。ほら、さっさと駆除」


子犬が枯れ葉にじゃれつくように、ナディアは楽しそうに虫たちを潰して回る。美しい毛皮が虫の体液で汚れていくが、あれは人間に戻ったらどうなっているのだろうか。


今いるのは王都から離れた郊外の草原。多少燃えても大丈夫だろうが、ナディアが仕事だと言うのなら大惨事は避けたい。的確に虫だけを燃やせば良いと頭では分かっているのだが、細かい調整はどうにも苦手だった。


「ほらほら、早くしないと食べられてしまうわよ」

「それは困ります!」


怯えた声を上げるだけのマチルダを餌とみなしたのか、カーコバクたちはうねうねとにじり寄り始めた。がぱりと開かれた口は唾液なのか粘液なのかよくわからない粘性の液体を漏らし、鋭い牙が並んでいる。


生理的に受け付けないその姿に、マチルダの背中がぞわりと泡立つ。反射的に魔具を鞭へ変化させると、飛び掛かって来た一体に向けて鞭を振るった。


ばちりと鳴った鞭。その先から弾けた火花。熱さに怯えたのか体をのけぞらせているが、大したダメージになっていないのかまだマチルダに向かってくる。


弾け飛べと頭で考えてはいるのだが、周囲の草をあまり燃やさないように、虫だけを狙うとなると難しい。火力を抑えてしまうせいで、何度鞭を振るってもちょっとした焦げ跡を残す程度で撃破する事は出来ていない。


「加減なんて考えなくて良いのよ。私たちはすぐ傍で生活する人々を守れたらそれで良いの」


そう言ったナディアは体からばちばちと弾ける音と共に自身の魔力を滲ませる。

マチルダの髪が逆立つ感覚は、真冬の空気が乾燥している時期に経験しているそれと同じ。ナディアの魔力が電気を帯びている事はなんとなく肌で理解した。


これは危険。そう判断したマチルダは慌てて防御魔法で己を守る。丸い殻のように光り輝く防御壁の中に収まったマチルダの周囲で、目が痛い程の光が輝き出す。


「凄い…」


腕で顔を庇うマチルダの視線の先で、感電しのけ反りながら倒れていく虫たち。その中心に立っていた狼は、金色の光と共にゆっくりと人の姿へと変わっていった。


「加減が出来るに越したことは無いけれどね。どう?本当の現場は」

「凄いです…」

「語彙力の無い子ねぇ…それじゃあ社交界ではやっていけないわよ」


呆れ顔のナディアは涼しい顔をしているが、虫の体液でべったりと汚れた手や顔を服の袖でぐいぐいと拭っている。


「さて…まあある程度覚悟はしていたけれど、結構な数が集まって来たわね」


嫌そうに眉間に皺を寄せたナディアは、両腕を腰に当てて風に揺れる草むらを睨んだ。

マチルダには何が来ているのか分からないが、ナディアには何が来ているのか分かっているようだ。警戒するように拳を握りしめると、指輪が発光し、ロルフと同じようなナックルダスターへと形を変える。


狼のように低く唸るナディアに倣う様に、マチルダもしっかりと鞭を握りしめて草むらを睨んだ。


「来た」


ナディアの小さな声と共にがさりと草が揺れる。ゆっくりと姿を現したのは、真っ黒な鱗に体を守られたオオトカゲ。

マチルダでも分かるそれは、駆除難易度の高い厄介な生物だった。


「ルバトロン…」

「また厄介なのが来たわね…マチルダの魔力は炎だったかしら」

「そうです。ナディア様は雷ですね?」

「そうよ。二人共相性が悪いわね」


がさがさと草を掻き分けながら進んでくる大きなトカゲは、感電死したカーコバクの死骸をぱくりと口にしては胃の中に放り込んで行く。

相当腹が減っていたのか、武器を構えているマチルダとナディアには目もくれない。


「土系だから私の雷魔法は基本的にダメージ半減、マチルダの炎は特性で吸収…困ったわね」


ルバトロンの特性は熱源吸収。仮にもトカゲであるルバトロンは体を温める為に日光浴をするのだが、魔法生物であるが故に少々特殊な特性を持つ。

燃え盛る炎を魔力として変換し体内に溜めこむことが出来るのだ。この特性のおかげで、真冬だろうが冷たい雨の日だろうが活動する事が出来るのだ。


「氷か水の魔法が使えたら良いのだけれど」


ふうと小さく溜息を吐いたナディアは、どうやってマチルダを守るかを考える。

いくら学園で最強と謳われていようが、学生である事に変わりはない。まして、ロルフに黙って連れ出したのだ。怪我などさせたら何を言われるか分かったものではない。


「体が冷えれば動きを止められるのですよね」


いつだったか魔法生物学の教科書で読んだことがある。鱗を採取する為に生け捕りにする事があるのだが、体を冷やして動きを止めるしか方法が無く、空腹時の攻撃性の高さから非常に厄介な生物であると書かれていた。


「どれだけ熱を溜めこんでいるか分からないわ。適性の低い魔法をどれだけ使う事になるか…」

「私、人よりも魔力保有量が多いのです。ナディア様、あれは生け捕りにした方が宜しいですか?」

「駆除が今回の依頼よ。依頼主の所に持って行けば良いお金になるとは思うけれど…」


良いお金になると言われた瞬間、マチルダの口角がぐっと上がる。嬉しそうに微笑んでいるだけなのだが、ギラギラと獲物を睨みつけるその目は恐ろしく、若い令嬢がして良い表情には見えない。

それを見てしまったナディアは何とも言えない表情を浮かべるのだが、「生け捕ります」と生き生きとしだしたマチルダに何か言う気は無いようで、呆れたように溜息を吐いて地面に座り込んだ。


「生け捕りにした分のお金は好きにして良いわよ」

「ありがたく頂戴いたします!」


実家を見限ると決めてから、マチルダはお金を稼ぐという事を考えるようになっていた。恐らく生活の質は下げられない。ゾフィ曰くマチルダは恵まれていると言うし、ゾフィの過ごしていた孤児院と同じような生活は想像すら出来ない。であれば、今までの生活を維持出来るだけのお金を自分で稼がねばならないのだ。


ロルフと過ごす時間を確保しながら、生活出来るだけのお金を稼ぐためにはどうしたら良いのか。

幸運な事に魔法を使う事が出来て、人よりも戦う事には向いている。それならば、ありがたくこの力を使わせてもらった方が良いだろう。


「生活の為ですのでごめんなさいね!」


嬉々として鞭を振るったマチルダは、躊躇というものが一切無かった。

通常よりも長く伸ばした鞭をルバトロンの体に巻き付け、物理的に動きを止めた。

左腕を上げ空に向けた掌が、ごぼごぼと音を立てて水を溢れさせる。ぐっと拳を握れば溢れた水はぐっと集まり渦を巻いた水球へと姿を変えた。


「あらま」


膨大な魔力を持っているとはいえ、出来るだけ消費量は抑えた方が良い。水球をぶつけるのは簡単だが、消費する魔力は多い。形を維持し、水球の中に閉じ込めた方が魔力の消費量は少なくて済む。難易度は上がるが、マチルダにはそれが出来た。


左手で水球を維持し、右手で握った鞭を勢い良く振り上げる。巨体を鞭で放り投げると、器用に水球の中に鞭で縛り上げたままのルバトロンを閉じ込めた。


「呼吸はさせないと死んじゃうわよ。死骸でも良いお金になるけれど、生け捕りの半分になるわ」

「それはいけません!」


慌てたマチルダは、酸素を求めて藻掻いているルバトロンの顔だけを水球から出した。まだ抵抗しようと藻掻いているのだが、鞭に流した魔力のおかげか水球から逃がしてしまう事はない。


「動きが止まったら行きましょうか」

「いえ、これくらいでしたら歩きながらでも保持できます」

「凄いわね…それじゃあ先に戻っていてくれる?カーコバクの死骸を消し炭にしておかないと」


虫の死骸を狙って他の動物が集まって来ても困る。そう笑うと、ナディアはぐいと背中を伸ばして立ち上がった。


「お昼ご飯が楽しみだわ」


これでもかとご馳走を並べられたテーブルを前に弟から怒鳴られる事になるとまだ知らないナディアの、穏やかな声が風に流れて消えた。


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