邪魔しないでください
コツコツと二人分の足音をさせながら、マチルダとロルフは歩き続ける。どの店に入ろうか目移りしているマチルダは、昨日ロルフに買ってもらったドレスで着飾っている。
朝早くから支度に追われ、生まれて初めて念入りに化粧をした。
「姉上から渡されたリスト…多すぎるな」
屋敷を出る時に見送ってくれたナディアは、王都でおすすめの店をいくつもリストに纏めて渡してくれた。
ロルフ曰く、普段から甘い物をよく好んで食べているらしい。少し覗いてみたが、あまり世間を知らないマチルダですら知っている有名店ばかりだった。
「何から行こうか。チョコレート?ケーキ?」
優しく微笑むロルフに、マチルダも穏やかに微笑む。普段とは違う重たいドレスは歩きにくいが、気にならない程の幸福感に包まれていた。
「ロルフ?」
「え?ああ…リズか。王都にいたのか?」
声を掛けて来た女性が一人。同じクラスの公爵令嬢リズだった。何故王都にと小首を傾げるロルフだったが、隣に立っているマチルダはデートに水を差されたような気分で面白くない。
不機嫌そうな顔をしているのはリズも同じで、美しく着飾ってはいるのだが、眉間にはしっかりと皺を刻み込んでいる。
「お父様が王都に呼ばれていたから、私も王都の屋敷に来ていたのよ。貴方は兎も角…フロイデンタールさんも一緒なの?」
「ラウエンシュタイン家の皆様にお世話になっておりますの」
マチルダのその言葉に、リズは額に青筋を浮かべる。それ以外の表情は全く崩していないところは公爵令嬢らしいのだが、無表情で青筋を浮かべる表情は少々恐ろしい。
「俺が連れて来たんだ。休暇中寮に一人じゃ暇だろうし、王都に来た事が無いって言うから」
「…ご実家のお屋敷には?」
「遠方ですから。王都に屋敷も持っておりませんし」
そんな余裕などない。昔は小さな屋敷を持っていたらしいのだが、既にその屋敷は売却されている。
王都に用事があれば宿を取るのが常だったフロイデンタール家は、もう何年も王都に近寄る事すら無かった。
「ふうん…まあ良いわ。二人でお出かけ?」
「甘い物でも食べに行こうかと。リズは」
「暇だからお散歩よ。私もご一緒しようかしら」
やめてくれ。そう口を開こうとしたマチルダより先に、ロルフがゆるゆると首を横に振った。
「二人が良いんだ」
その言葉に傷付いた様な顔をして、リズは「そう」とだけ呟いた。
じっとマチルダを睨んでいるような気がするのだが、どれだけ見てもその表情はぴくりとも変わらない。それが酷く不気味だった。
「冗談よ。私のおすすめはローデマーよ。並ぶでしょうから行くなら早めに行くと良いわ」
それじゃあねと手を振って、リズは使用人を連れて歩き出す。その後ろ姿を二人で見送ると、勧められた店を目指して歩き出した。
ナディアのおすすめリストにも同じ店名が記されていた。相当人気の店なのだろう。
どんなお菓子があるのだろうと胸を躍らせながら、マチルダはしっかりとロルフの手を握った。
◆◆◆
キラキラと輝く苺が一面に乗せられたタルトは見事なものだった。勧められたローデマーは、タルト専門の店として王都で人気の店だったらしい。
「美味しゅうございました」
「だな。生菓子だから学園には持ち帰れないが…焼き菓子も探してみるか」
「ゾフィへのお土産ですね。何が良いかしら」
うきうきと踊る胸。ロルフも同じように楽しいと思っていてくれたら嬉しいのに。そんな気持ちを抱え、マチルダは踵の高いヒールをコツコツと鳴らしながら歩いた。
次は何処へ行こう。ゾフィへのお土産は何を持って帰ろう。喜んでくれるだろうか。今頃ゾフィは何をしているだろう。
そんな事をあれこれと考えながら、マチルダはしっかりとロルフの手を握り、きょろきょろと周囲を見回した。
「ナディア様にもお土産を…それから公爵様とリカート様にも」
「いらないと思うけど…」
「お世話になっておりますし、何か贈り物をしたいのです。お菓子くらいなら、私でも購入できますわ」
暫く前にゾフィと一緒に受けた依頼の報酬がまだ残っている。ドレス等を購入する程の余裕はないが、ちょっとしたお礼としてお菓子を選ぶくらいは出来るだろう。
「そうでした、学園に戻ったら依頼を一つ受けようと思っておりますの。ロルフ様とご一緒出来ればと思うのですけれど…」
「依頼書を見てからだな。休暇中に残ってるやつらが受けてごっそり無くなってるだろうから」
自分の食い扶持は自分で稼ぐ。それが出来なければ困る身分の生徒たちは、故郷が遠方ならば帰る事すら出来ない。
ゾフィが帰れるのは、普段から地道に依頼を受けて貯めているからだった。
「ゾフィは元気にしているかしら」
「元気なんじゃないか?久しぶりに家族と過ごせて喜んでいるだろう」
「そうですね。あんなに嬉しそうに出ていきましたから」
学園を出るゾフィの見送りをした時、ゾフィはとても嬉しそうに大きく手を振って出ていった。お土産抱えて戻ってくるからねと言っていたのだが、ゾフィの故郷には特に目立つ物は無いと言っていた。薬草を山ほど抱えてくるのだろうかと考えて、マチルダはゆったりと口元を緩ませた。
「コニーも土産を楽しみにしてろと言っていたんだが…あの二人は変わってるな」
「そうですね…ですが、二人共とても素敵な友人ですわ」
「マチルダがコニーを友人と思っているとはな。あまり興味が無いと思っていたんだが」
ロルフの言う通り、マチルダはあまり男子生徒に興味が無い。求愛される事の多かった頃は煩いと思う事はあっても、好意を抱く事は無かった。ロルフを追いかけ回す様になってからは求愛される事はなくなったが、居心地が良くなったとしか思っていなかった。
コニーの事もあまり好きではなかった。というよりも、同じクラスに所属しているというだけでそれ以上でもそれ以下でもない存在だった。
だが、いつの間にかロルフと行動を共にしている事が増え、ロルフを追いかけまわしているマチルダも一緒に過ごす時間が増えていた。そうして徐々に、彼は将来の夢の為に努力しつづける勤勉家であることを知った。
剣と魔法で戦う魔法騎士になりたいのだと、目をキラキラと輝かせながら語ったコニーは、庶民出身でも実力さえあれば成り上がる事が出来ると証明してみせると言い切った。貴族の生まれでなくとも、己の腕だけでやってみせると。
「ケーニッツさんは…とても強い方ですね」
「ああ、俺たちよりも強い何かを持ってる。あんまりあいつの事は知らないが…良い奴だよ」
ロルフにとって、コニーは特別な人間の一人なのだろう。異形の化け物である事は話していないのだろうが、あまり人と関わろうとしないロルフが傍に居る事を許している。コニーが何故ロルフの傍にいるのかは分からないが、マチルダにとっても、ロルフにとっても彼はとても気の良い友人だった。
「あいつにも何か選ばないとな。何が良いかな」
「そうですねぇ…甘い物が好きだと良いのですけれど」
「あまり食べてる所は見た事が無いな。欲しい本があるとは言っていたんだが」
「では本屋さんに行ってみませんか?探している本があるかもしれません」
王都ならば本屋くらいあるだろう。コニーが欲しがっているらしい本がどれだけの値のするものかは分からないが、学園の図書館に無いのなら探すだけ探してみても良いかもしれない。
「折角のデートなのに、お土産探しで終わりそうだな」
「休憩する時にまたお店に入りましょう。次はガレットが食べたいです」
「分かった。それじゃあ腹ごなしだ」
先程食べたばかりのタルトは、きっと歩いているうちに消化されるだろう。そうしてまたお腹が空いたら、思う存分食べるのだ。抱えられる程ならばいくら太っても良いと笑ったロルフの言葉通りにする気は無いが、今日だけは特別だと決めて、マチルダはしっかりとロルフの手を取って辺りを見回す。
本屋は何処にあるのだろうと見まわしてみただけのつもりだったのだが、視線の先に見慣れた姿を見つけてしまう。
「ロルフ様、あちらにローゼンハインさんが…」
「え?ああ、本当だ。何か揉めていないか?」
何があったのかは知らないが、一人の男性がリズに詰め寄っている。一緒にいた使用人が地面に蹲っている所を見るに、殴り倒されでもしたのだろう。
周囲の人々は何事かと心配そうに眺めるだけで、年上の男に怒鳴り散らされている貴族令嬢を助けようとする者は誰一人としていなかった。
「ちょっとここで待っててくれ」
「私も行きます」
「手出すんじゃないぞ。加減出来ないんだから」
釘を刺すロルフに無言で微笑むが、ロルフは既に幼馴染を助けなければという方に意識が向いているのか、しっかりとリズを見ながら速足で進んで行く。
「何かあったのか」
「邪魔すんな!こいつが悪いんだ!」
「良いのよロルフ。私は何も悪い事をしていないもの」
「何を…!」
激高とはきっとこういう事を言うのだろう。まだ二十代後半に差し掛かる頃といった年頃の男は、リズを指差しながら怒鳴り続ける。
支離滅裂な言葉をなんとか繋げてみれば、どうやら彼は酒に酔っているらしく、お茶でもどうですかと声を掛けたが断られたからと怒っているらしい。
「私にも好みがあるもの。それに、未婚の女が殿方と外でお茶を楽しんだりすると思う?」
「それは…しませんわね」
「そうでしょう?それにこの方、お酒に酔っていらっしゃるわ。私お酒に溺れる方って嫌いなの」
フンと鼻を鳴らすリズの前に立ちはだかるロルフは、男を威嚇する様に低く唸る。
さっさと消えろと威圧しているだけなのだが、男は自分よりも遥かに体格の良いロルフ相手にも怯まない。酒のせいで気が大きくなっているのだろう。
「何だお前…こいつの男か?未婚の女がどうだとかお高く留まってるくせに恋人がいるんじゃないか!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ男に、マチルダは機嫌を損ねる。ただでさえデートの最中にあまり得意でない女生徒と出くわしてしまったのだ。それを助けてやらねばとロルフと共に駆け付ければ、自分の恋人が別の女性の恋人と言われている。それに反論しないリズにも腹が立ったし、酔っているとはいえマチルダの存在を無視している男には更に腹が立つ。
「もう一度仰って?どなたが、どなたの、恋人ですって?」
ぶわりとその場に広がる熱気。それがマチルダの魔力であると認識したリズは、目を見開いてマチルダを見る。
ひくひくと口元を震わせ、無理に笑顔を作っているマチルダのその表情は正に悪役といったものだった。熱さに振り向いたロルフが「落ち着け」と両手を上げたがもう遅い。
「袖にされたからと言って、周囲が見えなくなる程お怒りになるのは紳士失格ですわ」
「黙れ小娘!どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって…」
「あらあら困りましたわね。何かお心を乱される事がありましたの?そういう時は運動ですわ。少し走って来ては如何?」
にっこりと微笑んだマチルダは、トントンとつま先で地面を叩く。その音に反応したロルフは、ずるりと影から出て来たルディに「待て!」と手を翳して叫ぶ。
周囲の人々が叫んだ。魔獣が突然目の前に現れたのだから当然だろう。ルディはきょとんとした顔でマチルダを見上げているのだが、ここ数日運動不足で落ち着かないのか、遊ぶの?とでも言いたげに嬉しそうに尻尾を振っていた。
「わんちゃんと追いかけっこなんて楽しいかもしれませんわね。私の愛犬と遊んでくださいます?この子、運動不足ですの」
「な、なんでこんな所に狼が…!」
「さあルディ、あちらの素敵な紳士が遊んでくださるそうよ。満足したら帰っていらっしゃいね」
パンと渇いた音をさせると、ルディはぶんぶんと尻尾を振りながら男に向かってじゃれついた。遊ぼう遊ぼうとじゃれついているつもりなのだが、飛び掛かられた男は今にも食いつかれるとしか思えないらしい。
無様な叫ぶ声を上げながら走って行く男と、それを追いかけるルディ。呆気にとられた民衆の中で、ロルフだけが冷静だった。
「ちょ…待てルディ!コラ!」
「放っておいてもそのうち戻りますわよ」
「ルディの唾液に抗血栓効果がある事を忘れたのか!連れ戻してくるからこの辺に居てくれ!」
行かなくて良いと手を引くマチルダを振り払い、ロルフは大慌てでルディの後を追う。凄まじい俊足だが、恐らくいつも通り身体強化魔法を使っているのだろう。折角のデートが台無しだ。
「やりすぎよ、あの狼をけしかけるなんて」
「きちんと躾けていますから、人間を噛む事はありません」
「だとしても、使い魔にした魔獣をけしかけるのはいけないわ」
「…少々気分を害しましたので」
うふふと小さく笑うマチルダの視線は冷たい。じっとリズを見据えるその目は、漏れ出ていた魔力と反対に凍り付きそうな温度だった。
「何故、否定しなかったのです?」
「何かしら」
「恋人ではないと、すぐさま否定しなかったのは何故ですか?」
「あまりに突拍子もない事を言われて驚いただけよ」
小首を傾げ、可愛らしく微笑んだリズは、未だ地面に蹲っている使用人の顔を覗き込む。可哀想な事に鼻が曲がってしまっている所を見るに折れているのだろう。
「すぐに戻って手当しましょうね。医療術師の方をお呼びするわ」
「いえ…私にそのような…」
「いいえ、私を守ろうとしてくれたのだもの。呼ばせてちょうだい」
使用人が怪我をした程度で医療術師を手配するような貴族はそうそう居ない。特殊な魔法を扱う為、普通の医者よりも代金が高いのだ。
今見ているリズは、使用人を大切にする心優しき公爵令嬢だろう。だが、今のマチルダは穏やかに微笑んでいるリズの表情が気に入らない。
確かにあの時、リズはほんのりと頬を染めたのだ。ほんのり染まった頬で、遠慮がちにロルフの背中に視線を向けた瞬間を見ていた。
「もし次があればすぐに否定してあげるから安心してちょうだい。それから、あまりロルフを走らせない事ね。あの人、運動するよりのんびり眠っている方が好きなのよ」
「…覚えておきますわ」
幼馴染だから知っている事があるとでも言いたいのだろうか。
それとも、お前よりも近い所にいるのは自分だと誇示したいのだろうか。
どちらでも良い。ただ一つわかったのは、リズはロルフに恋心を抱いている。マチルダよりもずっと前から、大事に抱えた恋心。それを未だに大事に抱えているのなら、彼女はロルフに近付けるべきではない。
「従者の方が心配ですから、早くお戻りになられた方が宜しいかと。ロルフ様には私から伝えておきますから」
「そうしてちょうだい。ああそれと、お父様が会いたがっているわよって伝えてくださる?」
リズの言葉に、ぴくりとマチルダの眉尻が動く。家族ぐるみで縁があると言いたいのだろう。勝ち誇ったような顔をして、リズはさっさと使用人を連れて歩き出す。
むしゃくしゃした気分で拳を握ると、マチルダは細く、長く息を吐いた。
「大人気無かったわ」
眉間に深々と皺を寄せ、愛犬と恋人が走り去った方向を睨んで呟く声は、周囲を歩く人々が気にする事は無かった。
きっと戻って来たロルフには叱られるだろう。だが、今のマチルダは素直に謝る気にはなれそうになかった。
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