楽しい一日
着せ替え人形で遊ぶ子供の頃の記憶はある。
あの時遊んでいた人形は、きっとこんな気持ちだったのだろう。「いつまでお着換えが続くのかしら?」と。
「お似合いです!御髪の色とよく合っていらっしゃいますわ!」
きゃあきゃあと黄色い声を上げる店員たちに囲まれて、マチルダは乾いた笑いを漏らす事しか出来ない。最初は煌びやかで最近流行りのドレスに囲まれている事が嬉しくて、マチルダの目を輝かせていたのだが、何着も試着させられているうちに疲れて来てしまったのだ。
「いや、さっきのドレスの方が似合ってた」
「こちらもよくお似合いかと思いますが…」
「首元のリボンが大きすぎる。マチルダは顔が小さいから埋もれてしまうじゃないか」
至極真面目な顔でマチルダのドレスを吟味するロルフは、今着せられたドレスは違うと首を横に振った。
貴族の買い物は基本的に屋敷に商人を呼ぶものなのだが、マチルダはそんな経験など無い。継母が呼びつけた商人に会釈をした程度の記憶はあるのだが、自分の物を購入した記憶は無かった。
勿論、店に直接訪れて買い物をするのも初めての経験だ。何処を見ても煌びやかなドレスが並び、今目の前に並べられているドレスは全て、マチルダの為に用意されたものだった。
実家に持ってこられるドレスも、宝石も、全ては継母の為の物だった。マチルダの為に用意された物など無かった。今初めて、マチルダは自分の為に何かを用意されるという経験をしている。
「あの…もう充分ではありませんか?」
「そうか?姉上ならあと十着は見るぞ。それに、マチルダは美人だから何を着てもよく似合う。見ていて楽しいんだ」
にこにこと嬉しそうに微笑むロルフは、本当にあれ程逃げ惑っていた男と同一人物なのだろうか。
あれもこれもと店主に言いつけて、あそこにあるドレスはどうだとか、この色はあるかだの、あれこれ注文を付けては満足気にマチルダに向けて微笑んだ。
「そうだ、ドレスだけじゃなくて帽子も買おう。手袋も必要だな」
「ドレスだけで充分ですから!」
「いや、まだ髪飾りもネックレスも見ていないじゃないか。見る物は沢山あるぞ」
あれもこれもと楽しそうに微笑みながら、ロルフは自分が気に入ったドレスを数着王都のラウエンシュタイン邸に今夜までに届けるように言いつける。店主はにこにこと微笑み、手をこまねきながら「かしこまりました」とすぐさま答えた。まるで本当に、名門貴族の子息そのものといった様子のロルフに、マチルダはぽかんと口を開けたままうごけずにいた。
「さっき着ていた…そう、そのハイネックの。それを着て行こうか。今の所俺の一番のお気に入りなんだ。サイズは問題無いか?」
「ええ、ぴったりですわ」
店主がしっかりと頷くと、控えていたスタッフたちが獲物を狩る様な目付きでマチルダへ迫る。既に何着もドレスを着せられ続けたマチルダに、更に着替えをさせようというのだ。
ロルフが気に入ったと言ったドレスは、白と赤、スカートの裾に黒いレースをあしらったハイネックのもの。清楚なデザインのそれは、マチルダの少々キツい顔立ちを柔らかく見せてくれるような気がした。
「代金は屋敷に届けてもらった時に支払おう。俺のサインがあれば、執事が払うから」
「はい、必ず今夜月が昇るまでにお届けいたします」
神様、もしあなたが本当に存在するのなら、あの笑顔で手を振っている愛しい殿方を少しだけで良いので落ち着かせてください。
そう胸の内で祈ったマチルダは、先程一歩だけ踏み出したばかりの試着室に再び押し込まれたのだった。
◆◆◆
昔何かの本で読んだ事がある。狼は非常に愛情深く、一度番った個体は片割れが死んでも新たなパートナーを見つけることはないと。それ程深く、大きな愛を持った生き物だと。
「疲れていないか?少し休もうか」
決して狼そのものではなく、魔法で狼に変身出来る一族の出身というだけの人間の筈なのだが、ロルフは思っていたよりも愛情深い男なのかもしれない。
妻にしてくれと何度も追いかけ、その度に絶対に嫌だ、お断りだと散々逃げ回っていたとは思えない程、ロルフは蕩け切った甘い視線をマチルダに向け、口元はゆったりと緩む。
大きな手はマチルダの小さな手を、そうするのが当然とでもいう様にしっかりと握り、人並みに攫われないように捕まえて離さない。
大きくて温かい、大好きな手。
金色に輝く、世界で一番綺麗な色。
耳に響く、低いテノールの甘い声。
それら全てが自分に向けられている事が嬉しいような、恥ずかしいような、どうしたら良いのか分からない感覚と感情に、マチルダはただ、静かに赤面しながら俯く事しか出来ずにいる。
「どうかしたか」
「いえ…その、私の為にあのように沢山お買い物をするだなんて…驚きまして」
照れていると素直に言うのは何だか恥ずかしかった。勿論今伝えた言葉も嘘ではない。朝から夕方までの長い時間をかけて、ロルフはマチルダのドレスにアクセサリー、化粧品や靴までありとあらゆる物を吟味し、買い揃えた。
「大切にします」
「そうしてくれ。でもデザインに飽きたり、新しい物が欲しくなったら遠慮しなくて良いぞ」
「大金を使う事に慣れておりませんから…」
ラウエンシュタイン家の金銭感覚はどうなっているのだろう。今日ロルフがマチルダに買い与えた品物だけで一体幾らの金が吹き飛んだのか分からない。
恋仲にはなれたのだろうが、正式に婚約しているわけでもない相手にここまでするのは少々やりすぎな気がしている。
「俺が甘えられたいんだ。無理にとは言わないが、たまには良いだろう?」
にっこりと微笑むロルフの髪が、夕方の風にふわりと揺れる。背中で纏められた長い髪は、本当に自分の見た目にこだわりが無いのか、適当な皮紐で結ばれているだけだ。
刺繍を刺したリボンでもプレゼントしようかと考えたマチルダは、相手が大金持ちの公爵家子息である事を思い出して考える事をやめた。
「そろそろ屋敷に戻ろうか。馬車が待っているところまで戻ろう」
「はい、そうしましょう。とても楽しかったです」
王都の町を歩いていた人々もそろそろ帰路に付くのだろう。昼間よりも少しまばらになった人込みをするすると抜けながら、マチルダとロルフは手を取り合いながら歩き続ける。
馬車まで辿り着くのが少しでも遅くなれば良いのにと思いながら、マチルダは握られた手を軽く握り返した。
「夕食なんだが…朝食よりも量が多いんだ。マチルダは食べきれない量だろうから、無理しなくて良いぞ」
「そんなに多いのですか?」
「肉が塊で出る。客人の殆どはデザートに辿り着くどころか、肉を半分食べたところで白旗を上げるな」
流石は狼の一族だと乾いた笑いを漏らしたマチルダに、ロルフは小さく溜息を吐く。実家を出るまでその食卓が普通ではない事を知らなかった。体が大きく育ってくれたのは有難く思うのだが、学園の食事では少し物足りないと笑うと、もっと学食のメニューが豊富になったら良いのにと続ける。
「熊の肉は食べた事あるか?ワインで煮ると美味しんだ」
「いいえ、無いです。熊のお肉は食べられるのですか?」
「食べられるさ。この間の鎧熊が一番好きなんだ。体が重いから、支える為に筋肉が発達していて、赤身の部分が多くて良い」
体を大きくするなら赤身肉だ!と目をキラキラさせるロルフは、きっと食べる事が好きなのだろう。他の生徒よりも頭一つは確実に大きなロルフは、幼い頃から美味しい物を沢山食べて来たようだ。
「いつかドラゴンの肉も食べてみたいな。この世の物とは思えない程美味しいらしいぞ」
「ドラゴン自体が希少種ですし、討伐の難易度も高いですから…少し難しいかもしれませんね」
まるで子供のような事を言い出したロルフに拭き出しながら、マチルダは頭の中でドラゴンの生息地を思い出す。
ドラゴンにも様々な種類がおり、火山地帯に生息するもの、水の中に生息するもの、岩山やら土の中…様々な場所に生息してはいる。
だが、人里に近付く事は滅多にない警戒心の強い生き物である上、個体数がとても少ない。わざわざこちらから探しに行かない限りは、時々空を飛んでいる姿を見かける程度。それも、飛んでいるドラゴンを見かけたら、近い未来良い事が起きるとまで言われる程珍しい事だった。
「いつか…一緒にドラゴンを見に行こう。勝手に討伐すると面倒だから、見るだけになるだろうけど」
ドラゴンは基本的に国が管理をしている生き物である。個体数と生息地を記録され、脅威となりえない場合は保護される希少生物。
討伐依頼が出るのは、人間に対して脅威となる場合のみ。王令として討伐命令として依頼書が国のあちこちに張り出される事になっている。
そういう規則にはなっているのだが、約三百年程ドラゴンの討伐依頼は出ていない。
管理され、保護されている生き物を勝手に殺して食べる事は絶対に許されない。
人間達にとって脅威でもあり、神聖なる神の遣いでもある生き物。
まだ一度もその姿を見た事はないが、きっと神秘的で美しいのだろうと想像し、マチルダは楽しみですねと微笑みながらロルフの肩に頭を寄せた。
ブクマと評価ボタンをぽちっとお願いします




