ラウエンシュタイン
貴族の住む屋敷は大抵広くて華やかだ。
マチルダの実家であるフロイデンタール邸もまた、他の貴族と同じように見た目だけは立派な屋敷を構えている。
良く言えば伝統ある、言ってしまえば少々古い屋敷ではあるが、見栄だけはどこの家にも負けない父の意向で屋敷のあちこちに素晴らしい調度品が飾られている。
だが、ロルフの実家であるラウエンシュタイン邸はフロイデンタール邸とは比べ物にならない程だった。
「わあ…」
思わず漏れた溜息。キラキラと輝くように見えるその屋敷は、ロルフ曰く本邸よりも小さいと言う。
王都に構えられた貴族の屋敷は、確かに本邸よりも小さく質素なものが多い。そんな中、ラウエンシュタイン邸はまるで城のように立派な姿をしていた。
「あまり広くはないんだけどな。居心地は悪くない」
「私の実家よりも広く見えますが…?」
ひくりと口元を引き攣らせたマチルダは緊張でどうにかなりそうだった。恋人の実家に行くという一大イベント。まして、家族に紹介される予定なのだ。そんな状態で緊張しない人間が何処にいるだろう。
何度も深呼吸を繰り返しているマチルダに、ロルフは小さく笑みを零した。
「そんなに緊張しなくて良い。普通の魔法使いたちだから」
「公爵様も?」
「あー…父は少々変わっているかもな」
一度だけ会ったあの公爵はきっと強引な人だ。自分がこうすべきだと思えば、何があっても従わせる。そういう人だからロルフは父親であっても怯えてしまうのだろう。
マチルダも何を言われるか分からない。ロルフと恋仲になりたい、妻になりたいと考えている事を知っている公爵は、「我が家から縁談を申し込む」と笑った。つまり、あの欲深い公爵は強力な魔力を持つマチルダを欲しがっている。
「やあ、よく来たねフロイデンタール嬢」
にこにこと嬉しそうに微笑みながら玄関扉を開いた男は、あの日挨拶をしたキラキラと輝く笑顔の公爵その人。
両腕をゆったりと広げ、歓迎している様子だが、その目はじろじろとマチルダを値踏みしているように見えた。
「お久しぶりでございます、公爵様」
「ロルフから我が家に来ると聞いて驚いたよ。心より歓迎するよ。ロルフも、おかえり」
「ただいま戻りました、父上」
うんうんと嬉しそうに微笑み、控えている使用人に合図をすると、使用人たちは素早くマチルダとロルフの荷物を積み込んだ馬車へと向かっていった。すぐさま用意されている部屋へ運び込まれるのだろう。
「今この屋敷にいるのは、私の妻と長男のリカート、それから次女のナディアだ。領地の本邸にはまだまだ家族がいるんだが…まあ、おいおいね」
そのおいおいとはどういう意味なのだろう。完全に一族に引き入れる認定をされたという事だろうか。
「ほら、アルマも待ってるぞ」
「…はい」
眉間に皺を寄せたロルフは、小さく一言だけ返事をする。
以前ロルフは母に受け入れてもらえなかったと言っていた。ちろりとロルフの顔を見上げたマチルダは、非常に緊張しているロルフが唇を引き結んでいる事に気が付いた。
「フロイデンタール嬢も疲れただろう。お茶でも飲んでゆっくりすると良い」
「はい、お心遣い感謝いたします」
恭しく頭を下げ、ゆっくりと屋敷の中へ向かうマチルダは、どきどきと高鳴る胸を落ち着かせようと静かに息を吸い込む。コルセットで締め上げた体ではあまり膨らまない肺。
くらくらと眩暈がしそうだが、必死で足を動かした。
中も外観と同じようによく手入れをされており、何処を見ても完璧だった。これが力で公爵の地位を手に入れた一族の屋敷。溜息を漏らす客人はどれほどいるのだろう。
「さあお入り、皆お待ちかねだ」
主である公爵自ら案内する談話室。息子が久しぶりに戻ってくるという事で、家族が待っているのは普通の事だろう。だが、この家族は「普通」ではない。
開かれた大きな扉。その向こうで待っていた狼の一族は、静かに客人であるマチルダを見据えている。
「お帰りロルフ。久しぶりだな」
「はい兄上。兄上もお元気そうで何よりです」
静かに頭を下げ、ロルフは隣に立っているマチルダを家族に向かって紹介しようとマチルダの腰に手を添えた。だが、その口から言葉を紡ぐ事は出来なかった。
「お客様をお席まで案内なさいロルフ。部屋の入口でいつまで女性を立たせているつもりなの」
「はい姉上」
静かにカップを傾けている若い女性は、ロルフに視線を向ける事無く言い放つ。
横顔しか見えないが、目を見張る程美しい人だということは分かる。ロルフに腰を抱かれ家族の元まで歩いていくと、近付く毎にその美しさに息を飲んだ。
「学友の、フロイデンタール嬢です」
「初めまして、ハーヒェム男爵が娘、マチルダ・フロイデンタールと申します」
スカートの裾を持ち上げ、しっかりと頭を下げたマチルダに、誰も返事をしない。しんと静まり返った空間の居心地の悪さ。いつ頭を上げたら良いのかも分からない緊張感。
ひりひりとした緊張感が、マチルダの喉をこくりと鳴らした。
「そう畏まる事はないよ、フロイデンタール嬢。頭を上げなさい。コルセットを締めた体では苦しいだろう?」
気を遣ってくれるのはありがたいのだが、今のマチルダはその言葉に素直に従うべきなのか分からない。
「楽になさい。どうぞ座って、息子の客人は初めてです」
とても静かな声。ロルフの母に促され、マチルダはそっと姿勢を戻す。
じっとこちらを見ている静かな人。とても静かな目を此方に向けているが、その視線はじろじろとマチルダの頭の先からドレスの裾まで観察しているように思えた。
「私の妻、アルマだ」
「よろしくね、マチルダさん」
にっこりと口元を緩ませているが、決して視線をロルフに向ける事は無い。まるで存在そのものを無視しているようだが、ロルフはそれに慣れているのか気にする様子はない。
それどころか、家族全員がそれを当たり前のように受け入れている。
ロルフだけが家族の中で浮いている。
家族として認められていないのか、異質な存在として扱われているようだ。
「貴方のお話はよく聞くわ。とても素晴らしい術者なのでしょう?」
「いえ…その、ありがとうございます」
褒めてくれるのは嬉しいが、こういう時どう返せば良いのだろう。そんな事ありませんと謙遜すべきなのか、それともそうなんですと胸を張るべきなのか。
曖昧に微笑み、次にアルマがどう出るのかを伺う事しか出来ない。もじもじと落ち着きなく指先を動かすマチルダに、ロルフの姉がふんと鼻を鳴らした。
「そう忙しなく指先を動かして…貴族であれば、緊張している事を隠すくらい出来て当然でしょう?そもそも、私たちは恐れられるような存在ではないわ」
「いきなり恋人の家族に挨拶させられてるんだ。緊張くらいするだろう」
妹を嗜めるロルフの兄は、ごめんねとマチルダに向けて小さく頭を下げた。父であるオスカーとよく似た顔をしているが、オスカーよりも表情は柔らかい。
「ロルフの兄、リカートだ。それからこっちがロルフの姉のナディア。因みに今のは怖くないから緊張しないでって意味」
「ちょっとお兄様!ああもう、二人共早くお座りなさいな」
ぽんぽんと自分の座っているソファーを叩きながら、ナディアはマチルダとロルフを誘う。その様子を面白そうに見ているリカートは、口元を手で覆って隠そうと頑張っているが、その頑張りは効果として出ていない。
「私は少し席を外します。マチルダさん、どうぞゆっくりして行ってね」
「はい、公爵夫人」
ロルフと同じ席に座るのが嫌なのだろう。ちらりとも視線を息子に向けず立ち上がったアルマは、静かに部屋を出ていった。
何故誰も、それを咎めないのだろう。
何故それを不思議に思わないのだろう。
何故、ロルフはそれを黙って受け入れているのだろう。
なんて悲しい家族なのだろう。
「さあ二人共、長旅お疲れ様」
にこにこと穏やかに微笑むオスカーは、相変わらず何を考えているのか分からなかった。
◆◆◆
与えられた部屋はとても広い。ベッドも大きくフカフカだし、床も毛足の長い絨毯が散り一つ無く整えられている。
「非の打ちどころのないお部屋だわ」
ぽつりと呟いた言葉は誰にも届かない。使用人は何かあれば呼んでくれとだけ言って部屋を出ていった。にこやかで愛想の良い女性だったが、マチルダを心から歓迎しているわけではないのだろう。どこか警戒しているような、ひりひりとした何かを感じた。
公爵家の息子ともなれば、たとえ三男であっても近付く女は警戒されるものなのだろうか。いくらマチルダが由緒正しい貴族令嬢だとしても、男爵家の娘であれば、家格が釣り合わないとでも思われたのだろうか。
「広いけれど…何だか寂しいわね」
ぐるりと見まわした部屋は、美しい調度品で整えられているが何となく温かみを感じない。普段あまり使われていないとロルフは言っていたが、それが理由なのだとしてもあまりにひやりとしている気がした。
―コンコン
控えめで小さなノックの音。
一人で退屈していると心配したロルフが来てくれたのだろうかと期待をして、マチルダは「どうぞ」と返事をした。
「お邪魔するわね」
ひょっこりと顔を出したのは、ロルフではない。少々固い表情をしたロルフの姉、ナディアだった。
どうしてわざわざ部屋を訪ねて来たのだろう。先程談話室で一緒にお茶をしたというのに、もう一度改めて話をする意味が分からない。
「俺も良いかな?」
ナディアの頭の上にかぶさるようにして、ロルフの兄だと紹介されたリカートも顔を覗かせる。こくこくと何度も頷き驚いているマチルダに「ありがとう」と微笑むと、二人はそっと部屋へ滑り込む。
「ゆっくり出来そうかな?」
「はい、とても素晴らしいお部屋です」
「そう?私はこの屋敷が嫌いなの。なんだか冷たくて」
冷ややかな視線を部屋に走らせるナディアは、フンと鼻を鳴らして腕を組む。談話室で話している時から思っていたのだが、ナディアは少々キツイ性格をしているらしい。
対して、リカートは穏やかな性格をしているようで、つんけんしている妹を小声で窘めていた。
「ちょっと…ロルフの友達と聞いて気になってね。話をしてみたいと思ったんだ。構わないかな?」
「はい勿論。楽しいお話が出来ると良いのですけれど」
何を話せば良いのだろう。何を聞かれるのだろう。ロルフの兄と姉に挟まれたマチルダは、部屋に置かれていたソファーへ腰かける。
その向かい側にナディアとリカートが座ると、先にナディアが口を開く。
「友人ではなくて、恋人よね」
最初から核心を突きに来たナディアに、リカートは小さく溜息を吐く。ジロジロと敵意を隠しもしないナディアは、一瞬押し黙ったマチルダを鋭く睨みつけた。
「あの…ロルフ様は、なんと」
「質問に質問で返すものではないわ」
「こら、威嚇するんじゃない。ごめんね怖がらせて」
少し黙りなさいとナディアを睨みつけたリカートは、ロルフからは何も聞いていないと首を横に振った。
ロルフが何も言っていないのに、今自分で恋人ですと宣言して良いものか分からない。一応恋人同士になれた筈なのだが、そう言ってこの二人はどんな反応をするのだろう。
「その…恋人であると、ロルフ様も同じように思っていただけていたら嬉しいのですけれど…」
「恋人でもない女性を、わざわざ家族の集まる実家に連れてくる?どうしてロルフを選んだの?公爵家出身だから?三男と言えども我が家の男なら魅力的だものね」
つらつらと言葉を並べ立てるナディアは、相当マチルダが気に入らないらしい。
敵意丸出し、すぐにでも屋敷から追い出してやろうとでも思っているのか、その攻撃は止まらない。
「我が家が何と呼ばれているか知っているわよね。狼の一族ならまだ良いわ。化け物よ、私たちは」
奥歯を食いしばりながら絞り出す言葉は、ナディアの本心なのだろう。この人たちは一体どれだけ化け物と呼ばれてきたのだろう。
ただ特別な魔法が使えるだけ。人の姿から狼の姿に変わる事が出来るだけ。たったそれだけだと言うのに、一部の人間は彼らを化け物と呼んで蔑む事が、マチルダには受け入れられなかった。
「化け物だと知っていて、あの子に近付いているの?」
「化け物ではありません。ただ特別な魔法が使えるだけです。ロルフ様も、ラウエンシュタイン家の皆様も」
真直ぐに向けられた視線に、ナディアはじっと動きを止めた。口を開く事なく、ただ静かにマチルダの瞳を見つめる。何か、心の奥底まで覗かれている気分だ。
「ロルフは…俺たち一族の中でも異質だ。正直言って、本物の化け物だよ。言いたくないし、可愛い弟だけれどね」
「変身したお姿の事を仰っているのであれば、私はそれを見た上で言っております。ロルフ様は、化け物などではありません」
「見たの」
ぴりぴりとした何かが、マチルダの頬を撫でる。それは例えではなく、本当にぴりぴりと痺れる感覚だった。
それが何かは分からなかった。だが、目の前で妹を諫めるリカートは、顔色を悪くさせている。
「魔力を漏らすな!フロイデンタール嬢に怪我でもさせたらどうする気だ!」
「答えて!見たの?あの子のあの姿を!」
「野獣のお姿なら見せていただきました。もふもふしていて気持ち良かったです」
「触れた?!あの姿のあの子に?!」
何をそんなに驚く必要があるのだろう。好きな男が隠したい筈の姿を見せてくれた。その姿に怯える事無く、それどころか触れたと言ったマチルダに、ナディアだけでなくリカートまでもが口を開いて呆けていた。
「ロルフ様が見せてくださったのです。あの姿が何だと言うのです?とても美しいお姿でしたのに」
何度でも見たいですと笑ったマチルダの前で、ナディアは溜息を吐きながら頭を抱える。リカートは天井を仰ぎ見ながら細く息を吐いた。
そんな反応をされるような事だろうか。眉根を寄せ、だから何だと不満げな顔をするマチルダは、話がこういう内容ならば早く終わってくれないかなと遠い目を扉へ向けた。
「そうか…ロルフが見せたのか、あの姿を」
「私も見た事無いのに…」
か細いナディアの声に、マチルダはふふんと鼻で笑ってみせた。
姉にすら見せていない姿を見せてもらえた。それがどうしてだか嬉しくてたまらない。しおしおと背中を丸めるナディアを見ていたマチルダは徐々に普段の強気さを取り戻し、胸を張って穏やかに微笑んだ。
「ロルフ様の全てを受け止めますわ。私にはそれが出来ますもの」
にっこりと笑ったつもりのマチルダのその表情は、ナディアとリカートにはにんまりとした嫌な笑みに見えていた。
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