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帰省

両親が学園に来てから一週間。学園の傍にある森の浄化作業はほぼ終了し、生徒たちは元の生活に戻りつつある。

ロルフの背中もすっかり良くなり、非常に腹立たしいがきちんとクロヴィスに頭を下げた。

あの性格の悪い王子様は嫌々頭を下げたマチルダに「お礼が欲しいね」と言ってみせたが、ありがとうございましたと言葉にしただけで充分な礼をしたと思っている。


すっかり暖かく春めいた季節となり過ごしやすい日々の中、マチルダはいつもと変わらず問題児であり、優等生だった。


「ねえマディ!ルディいる?」

「ええ、お散歩には行っていないと思うけれど…どうかした?」

「ルディの唾液が欲しいんだよね」


何故そんなものを欲しがるのか分からないが、暫く部屋に押し込められていた間にゾフィは魔法薬の研究にどっぷりとのめり込んでいた。

流石に寮の部屋で薬を作る事はしなかったが、辞書と教科書、もっと難しい専門書を部屋の床に積み上げて、熱心に何か調べながら書き物をしている姿はよく見ていた。


「実験でもするつもりかしら?」

「その通り!影食い狼の唾液って抗血栓効果があるでしょ?だから新しい止血剤の実験にはもってこいなんだよ!」


キラキラとした目を向けるゾフィは、お願いと顔の前で両手を合わせる。漸く部屋から自由に出られるようになったからと、ゾフィは普段の授業の時間以外の殆どを魔法薬実習室で過ごしているようだ。

将来の為に努力するのなら、使い魔の唾液を少し採取するくらいなんてことはない。きっとルディも普段可愛がってくれているゾフィの為ならば協力を惜しまないだろう。


「構わないけれど、そろそろ帰省の支度をした方が良いんじゃないかしら。明後日には出発でしょう」


入学して半年と少し。真冬の帰省は雪道が危険だからと学校が帰省を許していないが、春になり雪が溶けると一度自宅に戻る事を許可している。夏の帰省程長くはない為戻らない生徒も多いが、ゾフィは帰省組の一人だった。


「マディは帰らないの?支度してないみたいだけど」

「今回はやめたわ。遠いから移動だけで休みが終わってしまうわ」


嘘は言っていない。国の端に位置する故郷は、馬車で移動するだけでも日数が掛かる。実家に到着して二日程ですぐに学園に戻らなければならないだろう。それならば、学園でのんびりと過ごしていた方が有意義な時間が過ごせそうだ。


「ふーん…じゃあお土産抱えて帰ってくるね」

「ええ、楽しみだわ。楽しいお話も沢山聞かせてちょうだいね」

「家族の話ばっかりになると思うけどね」


にっこりと嬉しそうに笑ったゾフィに、マチルダも穏やかに微笑みかける。トントンとつま先で床を鳴らせば、いつも通りルディが「なぁに」とマチルダの影から顔を覗かせる。


「やっほールディ、ちょっと協力してくれない?」


よしよしと頭を撫でるゾフィに嬉しそうに尻尾を振るルディは、狼ではなくただの犬のように見えた。


◆◆◆


帰省組はこの時期忙しない。

出された課題を片付け、荷物を纏めて寮を出る。久しぶりに家族と過ごす時間が嬉しいのだろう。出ていく生徒は皆、残っている生徒に笑顔で挨拶をして出ていった。


「ロルフ様はお帰りにならないのですか?」

「帰りたくないが、帰らないといけない」


心底嫌だと眉間に皺を寄せるロルフは、嫌すぎてまだ荷物を纏めていないと小さく零す。

明日出ると続けながら、ロルフはマチルダの体を抱きしめ小さく唸った。


帰省する為実家の馬車を呼んでいる貴族出身の生徒が多いせいで、学園のメインストリートは込み合っている。それを眺める二人は、長く伸びる道の脇、整備された芝生の上で二人仲良く座っている。


きちんと言葉にされた事は無いが、ロルフとは恋仲になれたと思っている。これだけ密着し、スキンシップを取っているのだから親密な関係であると思って良いのだろう。


「家族が今王都にいるらしいから、今回はそっちに帰るんだ」

「王都…」


王都に行った事は無い。話に聞く限りはとても栄えていて、沢山の人が集まる賑やかな場所だという事は知っている。実際に行けたらどんなに楽しいだろう。王都で働けたら毎日色々な楽しい事があるだろうかなんて考えたりもしたのだが、王都で働くといっても何をしようか考えて、何も思い付かずに考える事をやめていた。


「行った事無いのか?」

「ありません。ここに来るまでは故郷から出た事すらありませんもの」


いつか行ってみたい場所の一つだが、沢山の人間が集まっている場所に行った事が無い。

学園に来て初めて大勢の人間に囲まれて驚いた程だった。


「王都には沢山お店があるのでしょう?美味しいものも沢山あるのでしょうね」


うっとりとした表情であれもこれもと思い浮かべるマチルダに、ロルフは穏やかに微笑む。そよそよと靡く風が、二人の髪を躍らせた。


「ケーキにクレープ、ガレットも美味しいものがあるのでしょうね」

「甘いものが好きなんだな。あまり食べているところは見た事が無いが」

「う…すぐにお肉になってしまうので、普段はあまり食べないようにしているのです」


食べたら食べた分だけ肉になる。運動量が多かった日は他の女子生徒よりも食べる量が増えるのだが、普段から好きなだけ食べてしまえばあっという間にまん丸だ。

普段はどれだけ動いたからどれだけ食べて良いのかをきちんと考えて食べるようにしているが、本当は思い切り好きなだけ甘いものを食べてみたかった。学園の食堂ではあまり甘いものは出てこないのが若干の不満である。


「そんなに気にしなくて良いだろう。細すぎるくらいだ」

「そうですか?ロルフ様は痩せている女性とふくよかな女性ならどちらがお好みですか?」

「好きになった相手ならどっちでも良い。俺が抱えられるくらいならそれで」


百点満点の回答とはこういう回答ではなかろうか。ぎゅっと苦しくなった胸を押さえながら、マチルダは目を閉じた。


「どれくらいの重さなら抱えられますか」

「変身しているなら…馬車くらいなら余裕だな。人間の姿で良いならあれ二つ分くらいは片腕で」


そう言ってロルフが指差した先には、大荷物を抱えている何処かの家の従者がいた。女子生徒の荷物は多くなりがちだが、流石にあれは多すぎるだろう。何処の家の令嬢だろうと思って見ていれば、どうやらリズの荷物のようだ。早くしなさいと不満げな顔で従者の後ろで腕を組んでいる。


「まん丸になっても大丈夫そうですね」

「安心して好きなだけ食べると良い。行きたいなら一緒に行くか?どうせ残ってても一人だろう」


ロルフの思わぬ提案に、マチルダはぱちくりと目を瞬かせる。今まで逃げられてばかりいたのだが、ここ暫くのロルフは逃げるどころかマチルダを腕の中に閉じ込める。

傍にいる事を許してくれるだけでなく、傍にいてくれと言ってくれているような気がして、マチルダはロルフの腕に閉じ込められている時間が好きになった。


「父上からは色々言われると思う。恋人なのかだとか、結婚するのかだとか…」

「言われるでしょうね。それが分かっていて、連れて行ってくださるのですか?」


一度だけ会ったあの公爵。どこか冷たく、恐ろしい雰囲気を持ったあの人にもう一度会うのは何となく恐ろしい。だが、ロルフと一緒ならば何でも良い。何を言われようが、絶対の味方がすぐ傍にいてくれるのだから、恐ろしい事なんて何も無いのだ。


「では、是非ご一緒させてください」

「よし。王都の店を回ってみよう。甘いものだって好きなだけ食べると良い。何が食べたいか考えておいてくれ」

「はい、楽しみです!そうと決まれば早速支度をしなければ」

「そうだな、行ってくると良い。俺も支度をするよ」


明日には二人で馬車に乗り込んで、愛しい人の家族に会いに行く。父にはあれこれ言われるだろうが、今のマチルダはそんな事を気にしている場合ではない。


すぐに外出許可を得て、荷物を纏めなければならない。現在時刻は朝の九時。今から大急ぎで支度をすれば何とかなるだろう。


「明日の朝九時に寮の入り口で待ち合わせだ。忘れ物をしても買えば良いから適当にな」

「なるべく無いようにします」


恐らくロルフの仕送りはマチルダとは比べ物にならない程あるのだろう。金で解決出来ると笑ったロルフは、間違いなく公爵家の息子だった。


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