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私を愛して

「ねえお父様、見て!」


きっといつも通りなんて素晴らしいんだと褒めてもらえる。素晴らしいと手を叩いて喜んで、まだ幼い愛娘を思いきり抱き締めてくれる。そうして、愛する妻に「我が子は天才だ!」と笑ってくれる。


そう信じていた。

いつも通り得意げな顔で両手を広げたマチルダの目に映った父の顔は、絶望と愕然を織り交ぜた複雑な表情。


「おとうさま…」

「触るな、化け物」


どうして褒めてくれないの。

どうして頭を撫でてくれないの。

どうして、化け物なんて酷い事を言うの。


「我が家に魔法使いが!何てことだ!」

「どうしたの、あなた」

「お前!お前のせいだ!」


娘が夫の元へ行ったと聞いていた母は、何をしているのか見に来たらしい。何があったのか分からないままに、母は夫に責め立てられた。


お前が生んだ娘が化け物だった。お前が我が家に化け物をもたらした。お前のせい、お前が化け物を産み落とした。


フロイデンタール家は魔法使いが生まれる確率の低い家だった。稀に生まれた魔力持ちの子供は、誰かに知られる前に存在を消される事すらあったらしい。それを知ったのは、マチルダが十五歳になった頃だった。初めて魔法を父に見せてから九年後の出来事である。


「どうしたマチルダ、気分でも悪いか?」

「え…いいえ、何でもありません」

「顔色が悪いな、医務室へ行こう。構いませんか男爵」


父のすぐ傍で顔色を悪くさせるマチルダは、ロルフの声でふと意識を過去から現実へと戻す。

父といると思い出したくない幼い頃の記憶が頭を擡げる。

何をしても喜んでくれていた父は、娘が魔力を持っていて、魔法を扱う事が出来ると知るとマチルダを愛してくれなくなった。触れる事すら無い。それどころか、殺しはしないが早く家から出ていってくれと忌み嫌う。


殺さなかったのは、当時屋敷の一切を取り仕切っていた祖母が健在で、マチルダを大層可愛がっていたからだ。

祖母が言うから生かされた命。祖母はマチルダが十五歳になってすぐ亡くなったが、その頃既に現場で働く魔法使いの大人たちよりも強くなっていた。

「自分を守るために誰よりも強くなりなさい。そうなれば、お前は何にでもなれる。お前は私の自慢も孫、誰よりも美しく、誰よりも強い魔女になるんだよ」

そう言った祖母は、意志の強い素晴らしい女性だった。亡くなる直前まで杖すら使わず、真直ぐに背筋を伸ばし、白くなった髪をきっちりと後頭部で纏めていた。大奥様と呼ばれた祖母は、マチルダの心の拠り所だった。


「娘は連れて帰る」


忌々しいと言いたげな目をロルフに向ける父は、祖母の息子。親子でここまで考え方が違うのだという事に驚くし、本当に親子なのか疑わしいと思う事さえある。だが、確かに祖母と父は親子であり、マチルダもまた、父の娘である。それを象徴するよく似た顔。


「連れ帰る?この学園から親の勝手で生徒を連れ帰る事が本当に出来ると?」

「何を…私の娘だ!どうしようと私の勝手だろう!」

「ここは王立魔法学校バーフェン学園。王の命令で集められた魔法使いの卵たちは王の所有物だ。王の所有物をただの男爵如きが好き勝手に出来るとでも?」


この学園で学んだ魔法使いたちは、将来どう生きるかをある程度決められている。

国の為に働き、国の為に生き、国の為に死んでいく。それが魔法使いの生きる道。そうしなければ生きる事を許されない存在。


王の命令で生きる魔法使いたちは、卵であるうちから王の所有物。たとえ親であろうとも、生徒たちを好きにすることは許されない。


無断で家に連れ帰る事すら、許されざる事なのだ。


「王の所有物に手を出すとどうなるか、想像出来ないわけではありませんよね?」


にっこりと口元だけを緩めて微笑むロルフは、そっとマチルダに向けて手を差し出す。迷わずその手を取りに立ち上がったマチルダは、ほんのりと頬を赤く染めていた。


「待て!まだ話しは終わっていない!」

「終わっていますわお父様。私は化け物、化け物はいらないと、お父様が仰っていたのではありませんか」


しっかりと握りしめたロルフの手。大きくて、全てを包み込んでくれるような安心感のあるこの手が大好きだ。その手がしっかりとマチルダの細い手を握ってくれた。


「そういうわけですので、こちらで失礼します男爵。手当は医務室に行けばしてもらえますよ。勿論魔法薬師がお相手しますが」


魔法使いを忌み嫌う男が、魔法薬師に手当をされるのは相当嫌な事だろう。魔法薬ですら嫌がり魔力の籠められていない薬を使う程の男が素直に医務室に世話になりに行くだろうか。

黙り込んだままの母は、青い顔をしたままロルフとマチルダが出ていく後ろ姿を見送るだけ。だがその目は、しっかりと憎悪を滲ませていた。


◆◆◆


実家に援助しなければならないと思っていた。そうするのが当然で、化け物を育ててくれた両親への恩返しをしなければならないとも思っている。


「良いか、我が子を化け物と呼ぶ親は親じゃない。君の親は普通じゃない、長期休暇でも帰らない方が良い」


マチルダの肩をしっかりと掴み、至極真面目な顔でロルフはそう言い切った。

両親が来ていた面会室から離れ、二人は現在いつかロルフがコニーと隠れていた教室にいる。

父の前で怯えないよう必死で耐えていたマチルダは気が抜けてしまったのか、床に直接座ってぼうっと視線を落としたまま動かない。


「でも、帰らないと」

「何故?」

「弟たちの世話をしないと」

「弟がいるのか、幾つだ?」

「十五歳と、十三歳です」


弟といっても、彼らは半分しか血が繋がっていない。現在の母である継母が生んだ腹違いの弟たち。魔力を持たずに生まれた完璧な跡継ぎと、その弟。

彼らの世話をするのは、乳母とマチルダの仕事なのだ。


「もう世話をする必要のない年齢だと思うが?それに、世話を必要とするのならそれは乳母の仕事だ」

「乳母は…その、老齢でして」


マチルダが幼い頃から世話になっている乳母。父が言うにはマチルダが生まれてすぐに雇ったらしいが、そのまま二十年近くフロイデンタール家に勤めている。

動きの鈍くなった体で仕事をするのは辛いと何度も言い、遊びたい盛りの幼い弟たちの遊び相手をして、風呂に入れ、寝かしつけたのはマチルダだった。

乳母も魔法使いを化け物だと思っている人間の一人だった。魔法使いの子供の世話をしたくないからフロイデンタール家に来た。だというのにまさか世話をしているお嬢様が魔力持ちだったとは。そう言って最低限の世話しかせず、髪の毛をブラシで梳かす事すらしなくなった乳母は、マチルダを召使のように扱った。


「それならもっと若い乳母を雇えば良い。それは君の父上の仕事だ。子供の世話をするのは君の仕事じゃない」

「でも…だって、それが当たり前の事でしたし」

「当たり前じゃないよ。世話をするのは我が子だけで良い」


生む予定すらまだ無い我が子。どんな子供を生むのだろう。誰の子を生むのだろう。夫となる人は誰なのだろう。


ぐるぐると頭の中を巡る考え。どれ一つとして纏まらない思考。

この学園にいる間は好きに生きられると思った。誰も実家にいるマチルダの事情を知らない。知らないから眉目秀麗、誰よりも優秀な優等生マチルダ・フロイデンタールとして見てくれる。


本当は、実の父にも愛されず、誰からも化け物として扱われ、幼い弟たちの世話に追われるぼさぼさ髪のみすぼらしい子供。


綺麗なドレスを着たのは学園に来る少し前の事。出来るだけ屋敷から出ないよう育てられ、与えられる服は質素なものばかり。学園に行けば男爵家令嬢らしくいさせなければならないと考えた父は、漸く娘に年相応の華やかな服を与えてくれた。


「でも、帰らなければ父は仕送りを止めますわ。父はそういう人ですから」

「なら自分で稼いだら良い。そういう事が出来る学校なんだから」


学園の玄関ホールの依頼掲示板。普段は仕送りの無い貧乏学生たちの生活の糧だが、貴族出身である生徒も将来の為に仕事を受ける事もある。

マチルダも仕送りが無いのなら自分で稼ぐ事が出来るのだ。


「君なら上級依頼だって受けられるだろう。一人で行くのが不安なら俺も一緒に行く。我が子を化け物と言う親に従い、生活の保障をお願いする必要なんて無いんだよ」


離れて良い。親だからといって、従わなくて良い。自分の人生なのだから、自分の思うように生きて良い。それが出来る人なのだから。


そう言ってマチルダを抱きしめるロルフの腕の中は、とても温かくて凍り付いていた何かがそっと溶けていくような気がした。


「本当は…私は、強くなんてありません、優等生でもありません。毎日遅くまで勉強をして、必死なだけなんです」

「努力の成果が出ているじゃないか。それは素晴らしい事だ。でもあまり無理はするな」


トントンと一定のリズムで背中を叩きながら、ロルフは低く穏やかな声でマチルダをあやす。すんすんと鼻を鳴らし、涙を零すマチルダはまるで幼い子供のようだった。


「お婆様が言ったんだもの、自分を守る為に強くなりなさいって。誰よりも強くなれば、何にでもなれるって言ったんだもの!」


強くなった自覚はある。生徒たちの誰にも負けない自信がある。そんな自信があるのに、自分よりも強い人を求めた。その人が男だったらその人と結婚したいとも。


守るより守られたい。

愛して愛されたい。

そう願う事の何が悪いのだ。愛してもらいたいと願う事の何が。


「マチルダは、何になりたいんだ?」

「何…何に、なれますか?」


祖母はそれは言ってくれなかった。

強くなりなさい、自分を守る為に。そうとしか言ってくれなかった祖母は、孫娘に何を目指させるつもりだったのだろう。何を目指せば良いのだろう。


「何だって良い。何が好きだ?憧れの人は?夢見た事は」


好きなものは動物。ふわふわとして温かく、抱きしめれば寄り添ってくれる。実家にいた頃は、庭に住み着いていた猫を可愛がっていた。

憧れの人は大好きな物語の主人公。誰よりも強く、美しく、大切な人に愛される人。

夢見た事。愛してくれる家族と共に暮らす事。


頭の中で一つずつ返事は出来るのに、夢見た事を具体的に想像する事は出来なかった。


「君はもっと…天真爛漫で、家族からも愛されていたんだと思っていたよ。普段俺が見ている君はそういう女性だったから。本当のマチルダはどういう人?」


本当の自分と言われてもよく分からない。

実家にいた頃はもっと静かに生きていたのだが、ここに来てからは親から離れた解放感でいっぱいだった。ここにいる間は好きに生きられる。化け物と呼ばれるどころか素晴らしい生徒だとさえ言われた。


「私にもよく分かりません。でも、演技をしていたわけではありませんわ」

「そうか。それならきっと、俺の知っている君が本来のマチルダなんだろうな。じゃあそのマチルダは、実家に戻ったらどうなるんだ?」


もっと静かでみすぼらしくて、出来るだけ隠れて父の前に出ないようにしていると答えたらどういう反応をされるのだろう。じっとロルフの様子を伺うマチルダに、ロルフはそっと耳元で囁いた。


「俺の全てを受け入れてくれた。俺も、君の全てを受け入れたいんだ」


全てを受け入れるという言葉はきっと本当なのだろう。

ロルフならば、言葉の通り受け入れてくれるのかもしれない。そう信じたい。


縋っても良いのだろうか。

しがみ付いて、私を愛してと喚いて良いのだろうか。


「私を、愛してください」


絞り出した言葉は、酷く震えたか細い声だった。静かに押し殺した泣き声はきっと外には漏れないだろう。

誰にも見せなかったただの女の子であるマチルダの姿は、ロルフがしっかりと腕の中に隠してくれた。


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