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逃げないでくださいまし

フロイデンタール家は男爵家である。つまりマチルダは仮にも貴族の御令嬢。他家よりも術者が生まれる事の多い家だが、マチルダのように異様な強さを誇る者が生まれる事はそうそうない。むしろ、記録に残る限りマチルダが歴代フロイデンタール家最強だった。


「ロルフ様!どうしてお逃げになるのですか!」

「君が追いかけてくるからだ!」


ぎゃんぎゃん文句を言いながら、スリットから脚が露わになっても気にすることなくマチルダは走る。その先を走るロルフは、先程から一度も後ろを振り返らない。


昼休みになってからずっとこうして走り続けているのだが、一向に追いつけない事にマチルダは苛立つ。


「一緒にランチをとお誘いしているだけではありませんか!」

「お断りだ!」

「何故ですか!ほんの少しでも構いませんから!」


学園の中で時々見る、初々しいカップルの楽しみの一つ、一緒にランチを楽しむ事。

それは初恋真っ只中のマチルダの憧れでもあった。どうにかしてロルフと同じテーブルで食事を楽しみながらお喋りをしたいのだが、肝心のロルフがそれを全力で拒否している。


「俺に構わないでくれよ!」

「嫌です!」


十八にもなった男女が、学園のあちこちで全力の鬼ごっこをしている。既に日常として他の生徒たちから呆れられているこのやりとりは、マチルダなりの求愛である。


「頑張れー、ラウエンシュタイン」


廊下の端に寄った男子生徒の応援に、マチルダはじろりと鋭い視線を向ける。


「そのお顔覚えましたわよ!」


元からあまり良いとは言えない目付きを更に鋭くさせたマチルダの迫力に男子生徒は言葉を失うが、睨んだ本人であるマチルダは既にはるか先だ。


「こっわ…」


漸く絞り出した言葉は、追いかけっこをしている二人には届かなかった。


◆◆◆


「逃げ足の速い…」


ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返しながら、マチルダは両手を腰に当て中庭で立ち止まる。

学園のあちこちに設置されている時計は、既に昼休みが残り半分である事を告げていた。


マチルダは昼休みになると毎日のようにロルフを追いかけまわすのだが、必ず昼休みが残り半分になると追いかける事をやめていた。授業に向かうぎりぎりの時間までおいかけていては、ロルフもマチルダ自身も食事の時間が無くなってしまうからだ。


本当なら最初から大人しく一緒にランチをしてくれれば話は早いのだが、ロルフにその気が無いのなら引く事もしなければならないという、マチルダなりの気遣いだった。


「まーた逃げられた?」

「そうなのよ。本当に足が速いわ」

「マディも俊足なのにね」

「魔法で補助しているのよ。魔法無しならもっと遅いわ」


マチルダは本来身体能力は中の下程度。一般的な貴族の御令嬢と同レベルでしかない。

それを身体強化系魔法で補助しているだけなのだが、それが易々と出来てしまうのもまた、特別な事だった。


「身体強化系魔法って、トップクラスの術者でも十分が限界じゃなかった?」

「三十分くらいなら出来るわよ」

「化け物」


げえと苦い表情を浮かべ、ゾフィは手にしていた紙袋をマチルダに手渡す。マチルダが食堂でゆっくりと食事を摂らないからと、彼女なりに気遣ってくれているのだ。


「初恋は楽しいものかもしれないけどさ、ランチくらいゆっくりしたら?」

「でも追いかけないといつまでもお話出来ないじゃない」

「相手が逃げちゃうからねぇ」


ゾフィは既に昼食を済ませているらしく、芝生に腰を降ろしてパンを齧るマチルダの隣に腰を降ろした。


「やっぱり貴族は貴族同士の方が良いの?」


寂しそうに膝を抱え、ゾフィはぽつりと言葉を落とす。パンを咥えるマチルダは、きょとんとした顔でゾフィのふわふわとした髪を見下ろした。


「貴族同士が良いのなら、私の一番のお友達は貴方じゃないわ」


貴族の中には、平民と付き合う事を嫌がる者もいる。まして、ゾフィのように孤児院出身の者と言葉を交わす事等有り得ないという者すらいた。

マチルダは出自はどうでも良いと考えている人間の一人だ。勿論世の中そういうわけにはいかないと分かっているし、階級によって住む世界が違う事も理解している。だが、この学園の中では身分など些末な問題でしかない。


「私はゾフィが大好きよ。私を特別扱いしない、頼ってくれて、頼らせてくれるとっても素敵で可愛らしい自慢のお友達だわ」

「そこまで言わなくて良いんだけど…」


抱えた膝に顔を埋めるゾフィの頭を撫でながら、マチルダは嬉しそうに笑った。


特別な人として扱われる事が多かったせいか、ゾフィに「ちょっと魔法使うのが得意なだけの、たまたま貴族に生まれた女のくせに」という言葉に心を掴まれた。


そんな事を言われたのは、初めての魔法薬学の小テストでマチルダの方が点数が良かったからだ。


生まれた環境が良かったから、幼い頃から勉強が出来たから勝てたのだ。自分だって同じように貴族に生まれていたら、国一番の薬師になれるのに。悔しそうにうっすらと涙を浮かべてマチルダを睨みつけたゾフィは、故郷の孤児院に残してきた、血の繋がらない家族の為に必死だった。


「利用しようとしてるとか、考えない?」

「どうやって利用するのよ」

「マディの実家は男爵家でしょ。私が困ってるからお金貸してとか言ったらどうする?」

「貸してあげない」


もごもごと咀嚼し、パンを飲み込むとマチルダはぽんぽんとゾフィの頭を撫でて笑った。


「返さなくて良いわ」

「お人好し」

「そもそも、ゾフィは私にそんな事言わないでしょう?」

「言わないけどさあ…」


ぶすっとした声でそう呟くと、ゾフィは小さく唸る。誰かに何か言われたのだろうと察し、マチルダはそっとゾフィの小さな体を抱きしめた。


「ゾフィは読み書きが苦手だけれど、薬草の知識は私よりも上よ。きっと、読み書きがもっと上手になれば魔法薬学の成績は貴方がトップになるわ。誰に何を言われたのかは知らないけれど、実力でのし上れるだけの能力が、ゾフィにはあるの」


だから自信を持って。そう言いたいのだが、小さく鼻を鳴らす音が聞こえた途端何も言えなくなってしまった。

小さな体で、貴族が多くいるこの学園に一人で入学してきたゾフィはどれだけ不安だっただろう。孤児院出身というだけで、この学園では格好のターゲット。実力が無いと判断されれば、あっという間に苛められてしまう。


ゾフィがそうなっていないのは、薬学の知識が学年トップクラスである事の他に、マチルダのお気に入りだからだった。


「腰巾着だって言われちゃった」

「何てこと言うのかしら。誰に言われたの?手袋を支度しなくちゃ」


寮の部屋にお気に入りのグローブがあった筈だ。それを投げつけてやるのは何だか勿体ないが、大事な友人を泣かされたのならば、お気に入りのグローブが汚れるくらい問題ではない。


「言えない」

「どうして?」

「絶対あの人の事ボコボコにしちゃうじゃん」

「するわね、絶対に」

「それじゃあ、本当に腰巾着だもん」


それは悔しい。

そう呟くと、ゾフィはゆっくりと頭を上げた。涙で頬が濡れているが、その表情は沈んだものでは無い。むしろ、絶対に見返してやるという強い意志が感じられた。


「手出ししないで。絶対に自分で見返してやるんだから」

「…そう、分かったわ。でもお手伝い出来る事があったら言ってちょうだいね。大事なお友達が酷い事を言われて黙っているなんて私には出来ないもの」


ああ、腹立たしい。

そう呟きながら、マチルダはゾフィの頭にぐりぐりと頬を押し付ける。ふわふわとした感触の柔らかい髪が、マチルダの頬を擽った。


「正直言って私が魔法薬学以外で人に勝てる事は無いから…勝つならそこしかない」


ふんふんと鼻息荒く作戦を考えるゾフィは、抱き付かれている事を気にもしていないらしい。


「ていうか、そもそも私貴族じゃないし。礼儀正しくやる必要とか全く無いし」

「あんまり荒々しい事をすると、停学処分になるわよ?」

「バレなきゃ良いんだよ、バレなきゃ」


良い事を思い付いたとにんまり笑うゾフィは、ゆっくりとその場に立ち上がる。

何か良い作戦を思い付いたのなら良いのだが、どうかその作戦があまり非人道的なものではありませんようにと願うマチルダは、数時間後頭を抱える事になるのだった。


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