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発生してしまった瘴気を浄化するには時間がかかる。浄化する術師の力量にもよるが、場合によっては丸一日、もしくはそれ以上の時間が掛かる場合もある。

恐らく今回クロヴィスが作業していた瘴気溜まりは、一般的な術師ならば二日は掛かる代物だった。それを一日どころか半日で浄化してみせたクロヴィスは、天才とも言えるだろう。


「ああ、疲れた。魔力が切れそうだ」


ぐったりと地面に座り込んだクロヴィスは、大きな溜息を吐きながら周囲を見回す。

朝早くから作業を開始し、昼過ぎには終えて見せた奇跡の男。その周囲でぐったりと蹲る三人の男子生徒たちは、けろりとした表情で腰に両手を当てて立っているマチルダを信じられないと言った顔で見つめていた。


「君は無事かな?」

「はい、無傷です」


怪我をしているのは腰巾着たちだ。大小様々な怪我をしているのだが、三人共クロヴィスが無傷である事に安堵していた。

それだけ必死に守った結果なのだが、一番働いたのはマチルダだろう。本人はちょっとした働きでしかないと思っているのだが、シュレマーは是非騎士団に欲しい人材だと呟いている。


「終わったのなら早く戻りましょう。ロルフ様のお見舞いに行かなければ」

「ロルフの?まだ寝込んでるのか」

「ええ、傷が良くなりませんの」


ロルフの背中の傷は相当酷いらしい。縫った上で回復魔法を使ってみたり、効果の高い傷薬を使っているにも関わらず傷が塞がらない。しっかりと巻かれている包帯には、血液と膿がべったりと染みを作っている。


「回復魔法が効かないのか。鎧熊にやられたんじゃなかったのか?」


通常の鎧熊にやられた程度なら、傷は深くとも塞がらないなんてことは無い。回復魔法の効果はきちんと出るし、傷薬も効く筈。

そう呟いたクロヴィスは、顎に指を当てながらマチルダに向かって言い放った。


「ふうん…まあ良い。ほらお前たち、さっさと森を出るぞ。フロイデンタール嬢はお疲れのご様子だ」


にんまり笑ったクロヴィスの顔は腹が立つが、のろのろと動き出した腰巾着たちは疲労困憊といった表情だ。


「何でそんなに元気なんだ…」

「大したことはしておりませんので」


近寄ってくる生き物や変異した植物を蹴散らしていただけだ。レーヴェが張った結界の向こう側にいた生き物たちは、ほぼ全てマチルダが地面に転がし、積み上げられている。

その山をちらりと見た腰巾着たちは、「有り得ない」と揃って小さく呟いた。


◆◆◆


「ロルフ様!」


ノックもそこそこに乗り込んだ病室。一つだけ使われている重傷者用ベッドの上で、ロルフは小さく呻きながらひらりと手を振った。まだ傷の具合はよろしくないようで、痛みに歪んだ顔は青白い。


「お加減は如何ですか?」

「あー…大分良いよ」

「嘘ばっかり」


ツンと腰の辺りを突いたマチルダの指先が傷に触れたとでも思ったのか、ロルフは「痛い」と声を上げた。

うっすらと涙を浮かべるロルフだったが、マチルダが無傷で、しかも思っていたよりも早い時間に戻って来た事に安心したのか、嬉しそうに微笑んでいた。


「おかえりマチルダ」

「はい、ただいま戻りました、ロルフ様」


愛してくれと懇願された後から、ロルフはマチルダの名前を呼ぶようになった。それまでは一度も面と向かって呼ばれる事は無かったのに、ロルフは愛おし気にマチルダの名を呼んで、触れるようになった。

大きな手で優しくマチルダの頬に触れ、くるくると巻いた真っ赤な髪をするりと滑るように触れた。


「怪我は?」

「かすり傷一つございませんよ。ロルフ様へのお土産も持ってまいりましたの。食欲はありまして?」


嬉しそうににこにこと微笑むマチルダは、ベッドの隣に置いた椅子に腰かけると、抱えて来たバスケットをごそごそと漁る。体が辛くとも、ちょっとしたフルーツ程度なら食べられるだろうと森の出口付近で探してきたのだ。


ここに来る前にゾフィにも確認してもらって、変異もしていないし毒性も無い。ただの美味しいベリーだとお墨付きをもらっている。


「う…悪いんだが、水を取ってくれないか」

「ええ勿論」


痛みに呻きながら起き上がったロルフは、今まで頭を置いていた枕を抱きしめながらベッドの上に座る。包帯の巻かれた背中は、相変わらず血液と膿で汚れている。


ベッド脇に置かれていた水差しからグラスへ水を移すと、手を伸ばしたロルフにグラスを差し出した。


「ありがとう」


怪我をしてから数日、少しは良くなっても良い筈なのに、欠片も良くならないのは何故なのだろう。

学園の医療術師は何度も手当てをしてくれているし、回復魔法もかけている。効果の高い傷薬だって贅沢に使っているというのに、起き上がるのも辛い程良くならないのは何か理由がある筈だ。


「おや、お見舞いかな」

「ごきげんよう先生。ベリーを見つけたのでお土産にお持ちしたのです」

「そうか。今は傷を治さなければいけないから、何でも食べると良い」


穏やかに微笑む医療術師は、元は薬師として働いていたらしい。今学園の医療術師として働くまでに何があったのかは知らないが、薬メインで生徒を治療する事で知られている。


「そろそろ包帯を変えておこうと思ってね。席を外してくれるかい?」

「嫌です」


きっぱりと言い切ったマチルダに、医療術師はぱちくりと目を瞬かせる。もう一度外へと口にしたが、また同じように「嫌です」と断られて口を噤んだ。


「朝から不愉快な顔を見続けて来たのです。一秒たりともロルフ様から離れたくありませんの」

「あー…申し訳ありません先生、端に居させてやってください…」


頭を抱えたロルフの言葉に、術師は「わかった」と頷いて怪訝そうな視線をマチルダに向けた。

三日前までのロルフなら、良いから出て行けとでも言っていただろう。呆れながらではあるが、マチルダが傍に居る事を良しとしてくれている辺り、関係性が少しは親密なものになったと信じて良いのかもしれない。


「あまり見ていて気持ちの良い物じゃないと思うんだけどねぇ」


そう呟きながら包帯を外すと、術師はあまりマチルダに傷が見えないように体で隠す。だが、僅かに見えたロルフの背中は、大きく切り裂かれた爪痕がしっかりと残り、べったりと濡れていた。


「ううん…良くないね。どうして薬が効かないのか」

「酷い…」

「マチルダ、あまり見ない方が良いと思うぞ」


新しい包帯と薬を用意し、「痛むよ」と予告した術師の言葉に覚悟を決めたのか、ロルフは枕をしっかりと抱きしめて唇を引き結ぶ。

大きく息を吸い込み、止めた事を確認すると、術師は液体状の傷薬をロルフの背中に向けてぶちまけた。


傷口に液体が触れた瞬間、ロルフの背が反る。痛みに藻掻き、苦しそうにのたうち回る姿を見ていられない。どうしてこんなに痛みに耐えているのに良くならないのか、他の術師に任せた方が良いのではないか、この術師では駄目だろうと苛立つマチルダは、そっと術師の反対側に回り、ロルフの手を取った。


「見ていて面白く無いだろう。出ていて良いんだぞ」

「いえ、お傍におります」


愛しい人の苦しみを、少しでも和らげてやりたい。ただそう思っただけなのだが、手を握られたロルフはふっと表情を和らげる。マチルダの手を握り返したロルフの手は、いつもよりもひんやりとしていた。


「まだ痛い目に遭うんだ」

「少しでも楽になると良いのですけれど」


昔、幼い頃祖母にやってもらったおまじない。転んで怪我をして泣いていた時に、手を握って優しく囁かれた呪文はなんだっただろう。

じわじわと温かくなった手、遠のいた痛み。やんわりと温かくなった傷はその場で治る事は無かったけれど、確かに痛みはマシになっていた記憶があった。


「小鳥の羽、兎の尻尾。チクチクアザミにさよなら言って、ふわふわほわほわ温かくなあれ」

「何だそれ」

「祖母直伝のおまじないですわ」


確かこんなような呪文だった気がする。子供ながらに「変な呪文」と思った記憶があるのだが、正確には覚えていない。きちんと効果があると良いなと祈る様な気持ちだったが、ロルフの手は少しだけ温かくなっていたし、表情も和らいでいる。


「どんなおまじない?」

「痛い痛いとさよならするおまじない…と、祖母は言っておりました。祖母は魔法を使う事は出来ませんでしたが、少しだけ魔力があったんですよ」


もう亡くなって久しいが、とても優しい人だった。孫娘が強力な魔力を持っていると知った時、唯一喜ばなかった人であり、誰からも期待され、強くなりなさいと言い続けられるマチルダの避難先になってくれた人だった。


少し失敗をして落ち込んだ時も、何かが気に入らなくて不機嫌になった時も、どんな時でも祖母は優しく包み込んでくれた。沢山のおまじないを教えてくれたし、ただ傍に居てほしいだけの時でも傍に居てくれた。

もうあの優しい手に撫でてもらう事は出来ないけれど、教えてもらった沢山のおまじないは、今でも祖母が傍にいてくれるような気がして大切な思い出となっていた。


「気のせいかな、少し楽になった気がする」

「私が回復魔法を使えたら良かったのですけれど…生憎光属性の魔法は使えなくて」

「使えたら、君は既に教会に抱え込まれてるよ」


穏やかに微笑みながら会話を楽しんでいるロルフの背中は、新しい薬が刷り込まれている。傷に触れる以上どうしても痛む筈なのだが、マチルダのおまじないが効果を発揮しているのか、僅かに眉根を寄せる程度にとどまっている。術師もてきぱきと作業を進めているのだが、普段よりも痛がらない姿に驚いていた。


「おまじないとは言っても、君のお婆様が使っていたのは古代の魔法なのかもしれないね」

「古代の魔法ですか?文献に少し残っている程度としか知らないのですが」

「そんなものさ。古代の魔法というのは、生活に根付いていたから記録として殆ど残っていないんだ」


痛み止めの魔法とでも言うのかなと笑った術師は、今日の作業は御終いと笑って若い恋人たちを微笑ましそうな表情で見つめる。

手を取り合い、顔を見合わせて笑い合うその姿が、この先どれだけ見られるのだろう。


「とはいえ、あまりにも治りが良くないから他の先生とも相談してみるよ。命は助かったとはいえ…これじゃ動けないしね」

「よろしくお願いします」


もっと早くやれとマチルダが文句を言い始める前に、ロルフが小さく頭を下げる。不服そうにしているマチルダがどういう女なのかを良く知っているロルフは、大丈夫だからと優しく頭を撫でて機嫌を取った。


「ベリーを持って来てくれたんだろう?食べたい」

「ええ、沢山食べてくださいね」


傷の為を思うのならば、果物よりも肉の方が良かっただろうか。そんな事を考えながら、マチルダはバスケットを取りに立ち上がった。


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