問題児ですもの
森を出てすぐ、そこは広く開いた場所になっている。そこを目指して歩き続けていたマチルダは、大きく手を振っているゾフィに向かって小さく手を振り返した。
戻ってこいと命令した筈なのに、ルディは泣き出しそうな顔をしているゾフィの傍らでパタパタと尻尾を振っている。
「お前は主人が誰だか分かっているのかしら?」
やれやれと溜息を吐くマチルダに頭を撫でられたルディは、わふと鳴いて尻尾を振り続ける。躾が足りていないのか、それともルディの性格なのかは分からないが、ゾフィを無事森から連れ出せただけ良しとしよう。
「熊…死んじゃった?」
「ええ、可哀想だけれど、居住区に行ってしまえば被害が出るから…」
「何で森の浅いところまで出て来てるんだろう…もっと深い場所にいる筈なのに」
浮遊魔法で浮かせていた巨体をそっと地面に降ろすと、マチルダとゾフィは揃って手を合わせた。失われる運命では無かった筈の命。人間の勝手な理由のせいで殺してしまった事を、心苦しく思っているのだ。
「最後まで勝手を貫きましょう。無駄にせず、余すことなく糧にしましょうね」
「超高級素材だからね。ごめんね熊」
血液で濡れて固まっている毛を撫でるゾフィは、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
教員が慌てた様子でマチルダに駆け寄り、鎧熊の亡骸を呆然と見下ろして頭を抱えた。
「全員戻れ。今すぐ学園へ戻るんだ」
「まだ森に残っている方が大勢いらっしゃいます」
「教員で全員回収する。お前が気に掛ける事じゃない」
担任であるレーベルクが眉間に皺を寄せながら低く唸る。命令だすぐに従えと繰り返すが、マチルダは周囲を見回して動かずにいた。
何処を見てもロルフがいない。あれだけ大きくて目立つはずの男が、困惑している生徒の集まりの何処にも居ないのだ。
「マディ、早く行こう」
「ええ…でも、ロルフ様が居ないのよ。ケーニッツさんも」
「ケーニッツは兎も角、愛しの彼なら大丈夫でしょ。マディより強いんだし」
心配しなくても大丈夫だと背中を叩くゾフィの言葉はたしかにそうだ。
普段魔法の加減が下手だと言っているロルフだが、恋に落ちたあの日、蹴り一発で吹き飛ばされたのは身体強化魔法のせいである事には気が付いている。内臓を蹴り潰さないように調整出来る程の正確さを持っているのだから、本来ロルフは魔法の制御もきちんと出来る筈なのだ。つまり、マチルダが心配をする必要はない。
分かっている筈なのに、何故だかソワソワとして落ち着かない。今すぐ探しに行かなければならないような気がした。
「ゾフィ、先に戻っていてくれる?」
「マディは?」
「ロルフ様を探しに行くわ。ついでにケーニッツさんもね」
次いで扱いをされているコニーを憐れみながら、ゾフィは腕を組んで不満げな顔を作った。友人を置いて学園に戻るのが不満なのだが、ゾフィはマチルダのように戦う事が出来ない。
戦闘魔法が苦手なゾフィは、残っていても足手まといになるだけだ。
「お前も戻れ、フロイデンタール」
「先生方だけでは、生徒全員の無事を確認するまでに時間が掛かりますわ。既に救援信号もかなりの数上がっているようですし…」
マチルダの言う通り、森のあちこちで真っ赤な光が天へと上がっている。レーベルクはぐっと唇を噛みしめ、マチルダをきつく睨みつけた。
教員として生徒を守らなければならない。今すぐマチルダを学園に戻さなければならないが、マチルダの言う通り教員だけではこの数の信号の元へ向かう事が出来ない。最悪生徒の誰かが命を落とす可能性もあった。
「…駄目だ、戻りなさい」
「もし万が一、亡くなられた生徒が殿下だったらどうします?責任は誰が問われるのでしょう」
さらりと恐ろしい事を言ってのけるマチルダの目は冷たい。規則を守っているせいで死んでは元も子もない。クロヴィスが死んだってどうでも良いが、助けられたかもしれない命を見過ごすことは、今のマチルダには出来なかった。
「教員として許可出来ない。戻るんだ」
「では私は問題児ですので…勝手をいたします」
にっこりと微笑み、マチルダはレーベルクに背を向ける。呆れたように溜息を吐いたゾフィは無駄ですよと間延びした声を漏らす。
「ルディ、ロルフ様の匂いを探してちょうだいね。ケーニッツさんも見つけられたら良いのだけれど」
「わふ」
ひくひくと鼻先を動かし周囲の匂いを確認したルディが、ぴたりと方向を決めて動きを止めた。ロルフかコニーがそちらに居るのだろう。良い子だと頭を撫でてやると、ルディは静かに影の中へ消えていく。
「フロイデンタール!」
レーベルクが止まれと諫めるが、その程度でマチルダが止まる筈も無かった。身体強化魔法を全身に巡らせ、影の中を素早く移動していくルディを追いかける。
視認するのは難しいが、ルディが入り込んでいる影は僅かに水面のように揺らぐ。それを見ながら走り抜けるマチルダは、細い枝が鞭のように体を弾こうが、薄い葉が肌を傷付けようが止まる事は無かった。
「誰か!」
何処かで小さな悲鳴が聞こえた気がする。ルディは既に先を行ってしまっているが、助けを求める声が聞こえてしまったのなら止まらないわけにはいかなかった。
地面を蹴り、無理矢理進行方向を変える。少々無理な速度のまま体を捩ったせいで腰がみしりと嫌な感覚を帯びたが、今はそれに構っている暇は無かった。
「ご無事ですか!」
「お願い助けて!」
飛び込んできた光景に、マチルダは目を見張る。巨大な蔦に絡め取られた女子生徒。意識が無いのか、男子生徒の脚だけが蔦の中から飛び出している。
蔦から消化液を出し、捕まえた獲物をゆっくりと溶かして糧とする植物。だが本来はもっと小さく、虫を捕食する植物だった筈だ。
何故こんなにも大きく育っているのだろう。
人間を絡め取れる程の大きさに育つなんて聞いた事が無い。動かない脚の持ち主は生きているのだろうか。ぐるぐると纏まらない思考が煩わしいが、泣き叫んでいる女子生徒を助ける事が最優先だ。
「防御魔法は使えますか?」
「使えるけど!良いからすぐに助けてよ!彼が死んでしまうわ!」
「植物ならば燃やせば済みます。すぐに助けられますから、まずは落ち着いてくださいまし」
何度も落ち着けと声を掛けるのだが、半狂乱になっている女子生徒に落ち着けというのは無理な話らしい。助けて、早くしろ、死んでしまう。何度もそう繰り返し、泣き喚いているだけだった彼女は、やがて真っ青な顔をしてぐったりと力を抜いた。
「ああ…火傷は許してくださいませね!」
多少痕くらいは残るかもしれないが、死ぬよりはマシだろう。念の為体から少し離れた辺りを狙って火球を放ってみたのだが、消化液を伝って女子生徒の髪の先を僅かに焦がしてしまった。後で揉めてしまったら、助けてやったじゃないかと偉そうにしてやろうと決めながら、熱さに悶える蔦からずるりと女子生徒を引き摺り出した。
「はい、次」
意識の無い男子生徒はどう助けよう。どうか生きていますようにと祈るような気持ちで、マチルダはそっと蔦に触れた。
掌から吹き出す炎。じわじわと焼かれる熱さと、痛覚があるのかは知らないが、身悶えするようにうごめく蔦は男子生徒をぼとりと地面に落としてくれた。
もう遠慮せず燃やして良い。そう判断したマチルダに向けて、蔦がぬるりと伸びてくる。お前を養分にとでも言いたげなその動きに、マチルダは冷めた視線を向けて佇んだままだ。
「ゾフィが見たら喜びそうだけれど…ぬるぬるしていて気持ち悪いわ」
消化液を撒き散らす蔦は、マチルダの体に触れる事は無かった。炎の壁を作り出し、蔦を一気に焼き上げる。視線だけを男子生徒に向けたが、失神しているだけで息はあるようだ。
「ご無事で何よりですわ。森の入り口で先生方がお待ちです。移動出来ますか?」
「私は出来るけれど…彼を抱えて移動するのは無理よ」
「では浮遊魔法を使えば宜しいでしょう?貴方は魔法を扱う術者なのですから」
そう言って、マチルダはトンと地面をつま先で叩く。先に行ってしまったルディを呼び戻しているのだが、女子生徒には苛立っているように映ったようだ。
目を見開き、喚き散らす女子生徒はマチルダを罵った。
「浮遊魔法なんて使っていて、また何かおかしな生物が出て来たらどうするのよ!」
「すぐさま術式を切り替え、攻撃に転じれば宜しいかと」
何を当たり前の事を言っているのだと、マチルダは眉間に皺を寄せながら女子生徒を見た。よくみれば上学年であると示すバッジを胸元に付けているが、上学年になってもこの程度でパニックを起こす事が信じられない。
絡め取られる前に焼けば済んだ話。
絡め取られても身体強化魔法を使って引きちぎるなり、火傷覚悟で焼き切れば良かったのだ。
それを、ただ助けてくれと喚くだけ。これでは実際戦わなければならない場面に直面した時、すぐに死んでしまうだろう。
国が作った教育機関。入学を許可されるのは選ばれた者だけ。国の為に戦う魔法使いを育てる為、国の為に生きる者を育てる為に、この学園には多額の予算が使われている。その予算は税金から出されているというのに、残り半年で卒業し、実戦に放り込まれる生徒がこの程度。
嘆かわしい。
眉間に深々と皺を刻み込み、マチルダは小さく舌打ちをしながら喚く女子生徒を見下ろした。
「喚くだけなら子供でも出来ます。あと半年で国の為に働くようになるお方がこの程度…血税の無駄ですから、早く荷物を纏めた方が宜しくてよ」
何を言われたのか分からないのだろう。女子生徒は一瞬押し黙ったが、すぐさま顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。下学年のくせに、お前に何が分かる、こんな所に来たくて来たわけではない。
泣きながらそう喚く元気があるのなら、放っておいても大丈夫だろう。呆れて溜息を吐く事しか出来ないマチルダは、時間の無駄だからともう一度ルディを呼んだ。遠慮がちに頭を半分だけ出したルディに、女子生徒はまた小さく悲鳴を漏らした。
「時間の無駄ですから…この道を真直ぐ走り抜ければ出口です。運べないのなら、置いていって助けを呼んで来れば良いのです」
それくらいやれて当たり前。森の中にはまだ助けを求めている生徒が多く残っている。怪我もしておらず、動けるのならば助ける対象ではない。男子生徒もうっすらと血色が良くなってきている様子を見るに、あまり心配する必要は無さそうだ。
「行くわよルディ」
主が苛立っている事を察したのか、ルディはさっと影の中へ潜り直して動き出す。するすると移動しているルディを追いかけながら、マチルダは不機嫌そうに舌打ちをした。
ブクマと評価ボタンをぽちっとお願いします




