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校外学習というやつです

王子様とやらはマチルダを相当気に入ったようだ。暇さえあればマチルダを追いかけまわし、妻にならないか、王宮術師にならないかとにこやかに声を掛けに来る。


今までマチルダがロルフにしてきた事なのだが、マチルダはこれがどれだけ迷惑な事だったのかを今になって思い知った。


「今日は離れていられると良いんだけれど」


そう呟いたマチルダの眉間には、苛々と皺が刻み込まれている。不機嫌そうな顔を見せられ続けているゾフィは、やれやれと溜息を吐いているが、今日は王子様どころではない。

入学して漸く半年。魔具の扱いにも慣れてきたこのタイミングで魔法生物を相手にした実戦授業が行われるのだ。


学園の西にある森。そこに生息している少々厄介な生物を駆除するのが今日の授業だ。

学園の東側には町があり、駆除しておかないと人間の生活圏に被害が出てしまう。それを防いでいるのは、学園で授業を受けている生徒たち。訓練変わりに無償で駆除をしてくれるのならと、この学園が作られた時に住民たちから土地を譲り受けたらしい。


遥か昔の話だが、魔法使いたちは恐れられていた。神の力だと恐れられた魔法を使う者達が大勢集まる学園を村のすぐ傍に作るなんて恐ろしいと当時の住民たちに騒がれたらしいが、この学園のおかげで近くの村は大きくなり、栄えている。


「必要な事だっていうのは分かるんだけどさ。生徒が全員出る必要ある?」

「良いじゃない、気晴らしよ」


学園に在籍している生徒は百人程度。普段は上学年の下学年に分かれているが、今日のように学園の外で駆除活動をする時は学年問わず全員で学園の外に出る。


つまり、追いかけまわしてくる王子様も一緒というわけだ。

先程から近寄って来ないだろうかと警戒しているマチルダは、忙しなく視線を動かし続けている。深い森の中、注意事項を説明している教員の言葉を聞いておくべきなのだが、今のマチルダは危険生物よりも王子様の方が危険だった。


「この森は比較的危険性の低い生物が生息している。お前たちでも対処できるだろう。だが、森の奥へ進むと厄介だ、規制線が張られている向こう側へは行かないように!」


不思議な事に、森の中には三つのエリアがあるらしい。学園に近いエリアは比較的危険の無い大人しい生物が生息しているエリア。少し奥に入ると上学年の成績優秀者が対処できるギリギリの生物が生息しているエリア。


そして一番奥が、教員たちが対処出来るギリギリの生物が生息しているエリア。

明確な理由は分からないが、生息している生物たちはエリアを越えずに生きている。その理由が何故なのか研究している術者もいるが、未だ解明されていないようだ。


「例年は第二エリアまで入っていたが、今年は第一エリアまでとする」

「何故ですか?」


下学年が各自で対処できるのは第一エリアのみだろう。だが、力に自信のある者や上学年の生徒は第一エリアでは物足りない。不服そうに声を上げたのは誰だか分からないが、教員は小さく溜息を吐きながら説明を続けた。


「最近国内の瘴気量が増えている。そのせいか魔法生物たちの生息域が変化しつつあり、この森も例外ではない。まだ詳しい調査が完了しているわけではないが、生徒を死なせると面倒なんでな。もし万が一死にかけたら、空へ向けて救援信号を放て」


教員の言葉に、生徒たちはざわざわと声を漏らす。

瘴気はどこにでもあるものだ。適正量ならば殆ど問題は無いのだが、量が増えると厄介だ。

魔法生物たちは凶暴性が強くなり、魔法植物は変異し危険性の無いものでも毒性を持ってしまったりする。

それを防ぐ為に浄化魔法を扱う術者がいるのだが、ここ暫く追い付かない程の瘴気が吹き出しているそうだ。


「大変そうだわ」

「マディ、頼むから離れないでね」

「分かってるわ」


不安そうな顔をするゾフィは、扱いに慣れてきた小さなシャベルをぎゅっと握りしめて震えている。

今日の主な駆除対象は虫系生物だと言われているが、マチルダは虫が嫌いだ。ゾフィとは違う理由で震えているのだが、教員は無常にも解散と叫んだ。


「ローゼンハイン様、お供しても宜しいでしょうか?」

「ええ、構わないわよ。一緒に行きましょう」


いつも通り、リズは取り巻きに囲まれている。森の中で一人行動をするよりは安全だろうが、あの取り巻きの数では動きにくいだろう。


「フロイデンタールはゾフィと一緒か?」

「ええ、一人では心細いですから」


コニーがにこやかに話し掛けてくれたが、彼は一人で動き回るつもりらしい。

彼はあまり目立たないが、素早さはマチルダよりも上だろう。魔具は剣へと姿を変えたが、よく見るとそれはかなり短く、短剣として片手で扱うもののようだ。


「もし悲鳴が聞こえたらすぐ駆けつけてやるよ」

「まあ、心強いわ」


マチルダが悲鳴を上げ助けを求める事など有り得ないと思っているのだが、コニーはマチルダを普通の女子生徒として扱おうとしてくれる。誰よりも強いが、強いだけで中身は普通の女の子である事をきちんと分かっている。それが嬉しいと思っているマチルダは、コニーにも心を開いていた。


「じゃあな、怪我するなよゾフィ」

「何で私だけなのさ」


不満そうにむくれるゾフィにひらりと手を振って、コニーはさっさと森の中へと消えていく。


「ちょっと良いか」

「ロルフ様!」

「くっ付くんじゃない!」


コニーと入れ替わりで声を掛けて来たロルフに、マチルダは嬉しそうな表情を浮かべて筋肉質な腕に絡みつく。まるでこれから恐ろしい森の中へ放り込まれるのが心底不安な女の子であるとでもいいたげに。


「もし怪我をしたら使うと良い」

「傷薬だ!しかも超上質じゃん」

「見ただけで分かるとは流石だな。俺には必要無いだろうから、君たちが一つずつ持っていると良い」


そう言って、ロルフは小さな瓶をマチルダとゾフィに手渡した。中にはとろりとした透明の液体が入っているのだが、質が劣るものは紫がかった色をしているものだ。

ゾフィの言う通り、最上級の質である薬はとても高価で貴重なものの筈。それを二つも持っていて、あっさりと渡す意味がマチルダには理解出来なかった。


「私も恐らく必要ありませんわ。どうぞロルフ様がお持ちになって」

「お守りだ」


それだけ言うと、ロルフは背中を向けて歩き出す。流石に邪魔なのか普段よりもきちんと髪を纏めており、顔も露わになっている。女子生徒たちが色めきだっている事が腹立たしいが、愛しい相手が心配をしてくれて、薬をお守りだと言って渡してくれた事に多少なりとも浮かれているマチルダは、小瓶を態勢つそうに胸に抱き、しっかりと腰に巻いたポーチへ押し込んだ。


「行きましょう。虫は嫌いだけれど、やらないと畑が荒らされてしまうわ」

「薬草園が荒らされたら困るもんね。頑張ろう」


二人揃って頷くと、若き術者見習いたちはそっと森の奥へと進んで行く。あちこちで魔法を使う音や、生徒の小さな悲鳴が響いているが、集合の合図が聞こえるまで活動は終わらない。

卒業したらこんな生活がいつまでも続くのだろう。


もしも魔力を持たずに生まれて来たなら、危険な森の中に放り込まれたりしなかっただろうか。

もしも魔力を持たずに生まれて来たなら、もっと退屈で、危険なものなど欠片も知らず、ただ守られるだけの人生を送っていたのだろうか。


もしそうだったのなら、きっとロルフに恋をする事も無かっただろう。出会う事すら無かった。そう思うと、魔力なんて持たなければ良かったとは思えなかった。


◆◆◆


「魔力なんて持って生まれるんじゃなかったわ!」


そう叫んだマチルダは、もう嫌だと何度叫んだか分からない。

森の中で見つけてしまった爆裂バッタの群れ。群れでうごめくカサカサという音を聞くだけで身の毛がよだつが、駆除しなければ畑だけでなく建物まで被害を受ける。


飛び立つ時に小さな爆発を起こすバッタなのだが、大量発生してしまえば町一つ壊滅させる程の破壊力を持ってしまう。

森から出る前に駆除しなければならない生物の最たるもの。それが今対峙している虫だった。


「唸れ全てを焼き尽くせ!」

「待て待て待て!マディ落ち着こうか!」

「止めないでちょうだい!」

「森だからね!止めないと森が無くなるからさ!」


必死で止めるゾフィの言う通り、この森の中で炎魔法を使うのは難しい。木々を燃やしてしまう可能性が高い上、爆裂バッタは炎系魔法の耐性がある。一瞬で消し炭にする程の火力があれば駆除出来るだろうが、それでは森も失われてしまう。


「燃やすのはやめよっか。ね、取り敢えずこの辺の草食べてる間は大人しいだろうし、何か作戦を考えよう」


必死でマチルダを落ち着かせようとしているのか、ゾフィはどうどうとマチルダの背中をぽんぽんと叩く。

だが、たった二人でこの数の虫を一気に駆除する作戦が思い付かない。普段火力で押すだけの力技しか行わないマチルダと、魔力の弱いゾフィの二人では、どうするにもマチルダに頼るしかない。


頼みの綱であるマチルダが虫嫌いである事は想定外だったが、怯えて泣き喚くわけではない事には安堵している。


「爆裂バッタってさ、確か炎系魔法への耐性はあっても水系魔法には弱かったよね」

「そうだったかしら?」

「嫌いだからって調べる事すらしなかったな…」


マチルダは魔法生物学の教科書で虫系生物のページは殆ど開いた事が無い。挿絵が嫌なのだ。どうしてあんなに多くの脚が必要なのだろう。うごうごとよく分からない動きをしている触覚も気持ちが悪くて受け入れられない。腹なんてぶにぶにと柔らかくて、翅が擦れるかさついた音も気持ちが悪い。


「どうして虫なんて生き物がいるのかしら」

「植物が育つのには必要だからねぇ…動物の死骸を分解するのにも必要だし」

「だったらあんなに気持ちの悪い姿をしていなくても良いじゃない!もっともふもふした可愛らしい姿をしていても良いと思わない?」


そう訴えるマチルダに、もふもふした毛が生えている虫もいると教えてやるべきか迷いながら、ゾフィは曖昧に微笑んだ。


「水魔法で駆除するのなら、水球でも作って閉じ込めたら良いかしら」

「作れる?この数全部閉じめるだけの水球」


そう言って指差した先にいるのは、数え切れない程のバッタ。普段授業を受けている教室の半分程度の面積に、まるで絨毯のように重なり合い、木の枝にまでしがみ付く虫たち。

改めて状況を確認したマチルダは、ぞわりと泡立った体を両手で擦る。


「出来るとは思うけれど…正直見ているのも嫌だわ!」


ぎゅっと目を閉じたマチルダだったが、ゾフィはその様子を見て小さく息を飲む。

マチルダの肩に一匹のバッタが乗っている。少し離れた場所に隠れていたが、徐々に森の出口を目指して動いているのだろう。よくみれば、群れたちは僅かに此方へ距離を詰めていた。


もしマチルダが肩に虫が乗っている事に気が付いたらどうなるだろう。普段は冷静に対処する事の多いマチルダだが、恐らく発狂しかねない。そうなれば、ゾフィでは抑えられない程の暴走をするだろう。森の一部が消し炭になる未来を予想した瞬間、それは起きてしまった。


「ひっ」


気付いてしまったのだ。

指先がちょんとバッタの腹に触れた。声にならない悲鳴。真っ赤な髪が逆立ったかと思うと、マチルダは叫んだ。腹の底から、涙を浮かべて。


「わー!!マディ落ち着いて!ただの虫だから!」

「いやあああ!誰の許可を得て私の肩に乗っているのよこの虫けら風情が!」


叫びながら力の限り魔法を連発しているマチルダの腹にしがみ付き、落ち着けと叫ぶゾフィ。誰がどう見ても地獄絵図だが、それはバッタたちにとっても同じ事。

食事を楽しんでいたのに突然炎が雨のように降り注いできたのなら、パニックを起こしあちこちで爆発を起こしながら逃げ惑うのは当たり前の事だ。


「うーわ終わった…森の終わりだ…」


頭を抱えたゾフィの頭上を、何かが飛んだ。

地面に着地した何かは、周囲を一気に凍てつかせる。


「虫嫌いとは、可愛らしいところもあるじゃないか」


現れたのは、普段マチルダから邪見にされている王子様、クロヴィスだった。

涙目で見つめるマチルダにそっと寄り添い、優しく微笑みながら涙を拭ってやるその姿は、正真正銘麗しの王子様だった。


「怪我は無いかな?」


そう問われたマチルダだったが、まだ落ち着けないのかこくこくと頷くだけだ。指先がまだ気持ちが悪い気がする。ごしごしと擦る仕草が面白かったのか、クロヴィスはその手を取って笑った。


「神の救いだ…」

「おや、君には喜んでもらえて良かった。フロイデンタール嬢、君にも喜んでもらえたら嬉しいんだが」


喜んでいる。あれだけうごめいていた虫たちは全て凍り付き、ぴくりとも動かない。

溶けるまでこのままにしておけば、一匹残らず凍死している事だろう。


「護衛はお連れではありませんの?殿下」


素直に礼を言えば良いものの、マチルダはロルフを見下す発言をしたクロヴィスが嫌いだ。嫌いな相手に素直に礼を言える程、マチルダは大人になりきれていない。

じとりと睨みつけ、頼んでいないと視線で訴えるだけに留めてはいるが、嫌いな相手に助けられた事が気に食わなかった。


「引きちぎって来た」


そう微笑んだクロヴィスの後ろから、三人の男子生徒が走ってくる。普段追いかけまわしてくるクロヴィスを連れ戻す役を担う生徒である事に気が付くと、マチルダは深く息を吐いてにっこりと微笑んだ。


「あまり護衛の方を困らせるのは…よろしくありませんわ」

「だが、妻にしたいと思っている女性の悲鳴が聞こえたら駆け付けるものだろう?」


そう言い返したクロヴィスは、わざとらしく周囲を見回した。息を切らせ先に行ってしまった事を咎める男子生徒に「わかった」とだけ答えると、マチルダとゾフィに背中を向ける。


「無事なら良いんだ。…あの狼は来なかったみたいだが」


クロヴィスの言う通り、この場に駆けつけてくれたのは一人だけ。他の誰も助けには来てくれなかったし、ロルフの姿も見えない。どこか遠くで駆除に勤しんでいるのなら仕方のない事だが、改めて言葉にされると面白くない。


「私なら問題ないと信頼していただいているのです」

「だが、君は守られたいのだろう?守りに来てくれない男に恋焦がれるよりも、こうしてすぐさま駆けつけてくれる男の方が守り手には向いていると思うが」

「殿下」

「はいはい、それでは失礼するよレディ。また危険が迫ったら、遠慮なく叫ぶと良い」


二度と悲鳴など上げるものか。

ぐっと拳を握りしめたマチルダの様子をちらりと見ると、クロヴィス一行はさっさとその場を立ち去って行った。


助けてくれた事への礼は言えないままだった。流石にこれは良くないと反省してはいるのだが、どうにも素直にありがとうと言葉にする気に今はなれそうも無い。


「マディ、早く移動しよ。もっと森の入り口側にいた方が良いかも」

「どうして?」

「爆裂バッタって本当は臆病で、夜に移動するんだよ。昼間は散らばって隠れてて、暗くなったら群れを作って草を食べながら移動するの」


周囲を警戒しているゾフィは、不安そうな表情を浮かべながらマチルダの手を取った。

虫系生物が大の苦手であるマチルダは、知識として知る事すら嫌で調べる事すら無いが、ゾフィは薬師を目指している関係で虫にも詳しい。草花と共生する生き物だから、知っておかなければならないといつも言っていた。


「先生も言ってたでしょ、最近なんか可笑しいって。もしかしたらあのバッタたちも何か影響受けてるのかも」

「…ゾフィがそう言うのなら、そうしましょうか」


あまり友人を怯えさせるものではない。得意の炎魔法と相性の悪い森の中で、魔力量の少ない友人を守りながら魔法生物を相手にするのは骨が折れる。


もしも本当に瘴気の影響を受けていて森の中の様子が普段と違うのなら、本気で戦わなければならない相手が出てくる可能性もある。


そうなる前に、比較的安全であろう場所に移動しておく方が良いだろう。

そう判断して動き出したその時にはもう遅い。


「嘘ぉ…」

「下がって」


鎧を身に着けているかのような、大きな熊がそこにいる。涎を地面に落とし、低く唸りながら此方を凝視しているその姿に、ゾフィは立ちすくんでいた。


「鎧熊なら…戦えるわ」

「言ってる場合?早く逃げよう!下学年の私らじゃ対処出来ないよ!」


本来なら森のもっと奥にいるはずの生き物。食料が足りずに出てくる事は極稀にある事だと記録されている事は知っているが、天候も安定しているこの時期に出てくるなんて聞いた事が無い。勿論、何冊も本を読んでいるマチルダでさえそんな記録がある事を知らなかった。


「逃げると追いかけてくるわ。ゾフィ、全力で走って森を出て。きっと先生が待機しているはずよ」

「でも、それじゃマディは?救援信号上げた方が早いんじゃ…」

「助けが来るまで此処で待っている方が時間の無駄よ。大丈夫だから私を信じて走ってちょうだい」


じっと熊を睨みつけるマチルダの指輪が光を放つ。手に握られた鞭。バチンと音を立て地面に叩きつけると、マチルダの影がゆらりと揺らいだ。

現れた影食い狼。使い魔として契約したその狼は、ルディと名付けられていた。


熊に向かって威嚇しているのか、体を低くして唸っているルディの頭を撫でると、マチルダは優しい声色で指示をした。


「ゾフィを連れて森を出なさい。無事送ったら、私の元へ戻ってくるの。出来るわね?」


ぽんと撫でた頭はいつも通り少し固い毛に覆われている。わふと小さく鳴いた事に満足し、マチルダはもう一度地面に鞭を叩きつけた。


ばちりと火花を散らす鞭。此方を睨みつける熊。餌になどなってやるものか。大好きな友人を無事森の外へと連れて行ってくれる事を愛犬に期待しながら、マチルダはそっと体勢を低くした。


「マディ!」


叫んだ友人の声に弾かれるように走り出す。熊の弱点は体の重さ故に動きが鈍い事。打撃への耐性は強いが、鎧に覆われていない腹は普通の熊と同じだった筈だ。

転がせば勝てる。転がす為には足を払えば良い。間を詰める一瞬の間にあれこれ考えてみたのだが、考えるよりも本能に従って動く方が早い。


「ちょっと、ルディ離してよ!」


抵抗しているゾフィの声が徐々に遠くなっていく。この場から離れてくれた事に安心して、マチルダは口元を緩ませる。


「伸びなさい」


囁いた声に反応する鞭が、するすると隈の足元へ向かって伸びていく。敵意を向けられている事に気付いた熊は吠えながら立ち上がる。弱点である腹を曝け出してくれるなんて、なんて幸運なのだろう。にたりと笑ったマチルダは、熊の後ろ脚に鞭を振るう。ぐるぐると絡みついた鞭を思い切り引けば、熊はあっさりと地面に転がった。


「吠える相手を間違えるとどうなるかしら」


身体強化、脚力倍増。そう呟き地面をけり上げ、高く飛び上がればあとは簡単だ。

腹を天へ向けて転がり、起き上がれずにいる熊は抵抗するように鋭い爪を出たらめに振り回すしか出来ていない。


高く飛び上がったその場から火球を生み出し熊の腹に向かって放つ。狙い通り腹へとめり込んだ火球は瞬時に爆発し、熊は痛みに悶え絶叫した。


火球を放った反動で更に高く飛び上がったマチルダは、今度は後ろ手に火球を放つ。逆噴射の勢いで熊の腹の上につま先をめり込ませ、炎を拭き出している両手を熊の首に向かって押し当てた。


「爆ぜろ」


そう呟いた声に合わせ、掌の中で炎が爆ぜる。熊の太い首を落とす程の威力は無いが、肉を抉る程度の威力はあった。

びくびくと痙攣する体に乗ったまま、マチルダは冷たく冷めた視線を熊に向けた。暫くそうしていたが、やがて熊は動かなくなった。

一人で対処出来た事に安堵して、マチルダはそっと熊の腹から降りる。


本来生活しているエリアで大人しくしていてくれれば、こうして駆除などしなくて良かった。死ぬことなど無かった。だが、森の入り口に近いエリアに出て来てしまった。人間達の生活が脅かされないように、人間の勝手で死ななければならなくなった。


「ごめんなさいね、私たちの勝手で」


そっと熊の顎を撫で、マチルダは小さく詫びた。このまま放っておいても良いのだが、正直魔法使いたちにとって鎧熊は上等な素材として魅力的だ。


鋭い爪は武器に加工されるし、鎧は防具として使われる。毛皮も防具の一部に使われる事が多い。最後まで人間の勝手に付き合わせるのは申し訳ないが、このまま腐らせてしまうにはあまりに勿体ないし、死肉を狙って他の生物が寄ってくるのも面倒だ。


溜息を吐き、手を合わせてから手を熊に翳す。ふわりと浮かんだ巨大な体。浮遊魔法を使ったまま歩くのは少々難しいが、目的地はそう遠くはない。


森の出口まで虫に触れる事がありませんようにと願いながら、マチルダは熊の亡骸と共に歩き続けた。


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