奪われましたわ!
王立魔法学校バーフェン学園は特別な学習施設である。国王の名の元に運営され、入学するには特別な条件が必要となる。
出自を問わず、国が認めた魔力持ちの新成人たちに入学許可証が送られてくるのだ。どれだけ入学を望んでも、入学許可証が無ければ入学する事は出来ない。また、「許可証」とされてはいるのだが、入学を拒否する事は許されない。
真っ赤な封筒に金色の蝋で封をされたその許可証は、赤紙と呼ばれる名誉と恐れを抱かせる特別な手紙。王からの命令書。
「国の為に全てを捧げろ」という、従わなければ生きる事すら許されない絶対の命令。
身分の低い者にとっては、己の力で成り上がる事の出来る人生最大のチャンス。逆に、生活を保障されている身分の高い者にとっては、命を危険に晒されなければならないという恐怖と戦う事となる。
「ねーねーマディ、これ何て読むの?」
「どれ?ああ…国造りの歌ね。平和であれと願い泣いた女神の涙が海となり、女神の青く澄んだ瞳が空となり、その体は大地となった…って書いてあるの」
「あー、成程ね。ありがと」
マチルダは男爵家の令嬢だった。幼い頃から貴族令嬢に必要な教育は詰め込まれていたし、学園に入学してからも特に困る事はない。
だが、よき友人であるゾフィは孤児院出身。入学前に少しだけ勉強をしていたそうだが、読み書きは苦手なままらしい。
学園の生徒の半数は良家出身の者たちだが、もう半分は平民や孤児だ。読み書きが苦手な者は多いし、口調や所作が荒い者も多い。その為、マチルダ達良家出身の者たちには退屈なマナー教育の授業まである。
卒業後、城で働く事になる者もいる。王の命令で魔物討伐の仕事をする者もいる。研究所に勤め、魔法薬の開発に尽力する者、戦いで傷付いた術者や兵を癒す為に回復魔法の鍛練に集中する者。
国の為に働くのならば、王の名を汚さぬ人間になるように。それが出来ない者も多くはあるのだが、魔力持ちが少ないこの世界では、ある程度目を瞑ってもらえるだろう。
「ねぇこれはー?」
「今度はどれかしら」
読めない事に苛立っているのか、ゾフィの眉間には深い皺が刻まれている。戻らなくなるぞとその皺を指先で突きながら、マチルダはゾフィが手にしている本に視線を向けた。
「あら?さっきまで歴史の教科書を読んでいなかったかしら」
「飽きちゃった」
ぶすっとした顔で、ゾフィは魔法薬学の教科書と格闘している。薬草の名前や、魔物から採取できるあれこれの名前が小難しくて読めないらしいが、読み上げてやれば「あれのことか!」と嬉しそうな顔をする。
「やっぱり薬師になりたいんだよねぇ。戦闘魔法苦手だからさ」
「素敵だわ。故郷に近い研究所に入れると良いわね」
にっこり微笑みながら応援するのだが、本心を言ってしまえばなかなか苦労する事だろう。ゾフィの魔法薬学の成績はマチルダと互角だが、読み書きが苦手なのでは研究職は難しい。恐らく計算をするのも苦手なゾフィは、二年制のこの学園に在籍している間に越えなければならない壁が多い。まだ入学してから半年も経っていない今ならば許されている事でも、一年経ったら授業中に「何て書いてあるの?」とマチルダに聞きに来ることすら出来なくなる。そうなる前に、どうにかして友人を助けてやりたいのだが、マチルダは人に何かを教える才能が皆無だった。
幼い頃から何でも出来て当たり前だった。出来て当たり前の事が、何故他人は出来ないのかまず理解の出来ない幼少期。学園に入ってから自分は少し特別なのだと知った。
「あれ、もしかしてそろそろ時間だったりする?」
「あら、もうそんな時間?急ぎましょうか」
教科書から視線を上げたゾフィが、壁に埋め込まれている時計に気が付いた。楽しい休憩時間はもう終わり。急いで移動しなければ、午後の実習に遅刻してしまう頃となっていた。
「やだなあ実技…」
「戦闘魔法、苦手だものね」
「何でマディは無詠唱で連発出来るの?」
「さあ…昔からこうだから」
天才様め。小さくそう毒づくゾフィは、座っていたベンチからぴょんと立ち上がる。
スカートでは動き難いからとショートパンツに変更している彼女の動きは、見ていてとても面白い。まるで小動物がぴょこぴょこと跳ねているようで、小柄な彼女はマチルダのお気に入りだ。
「ほらマディ行くよ!」
「待って頂戴よ」
さっさと外廊下を走り出したゾフィを追いかけながら、マチルダは口元を緩ませる。入学当初はお嬢様なんて大嫌いだとぎゃんぎゃん言われていたのに、こんなに仲良くなれるとは思わなかった。卒業しても今と同じように仲良くしてくれたら良いななんて事を考えるマチルダは、今日も燃えるような赤毛を風に揺らしていた。
◆◆◆
戦闘魔法が得意な者は、この時間がどの授業よりも好きだろう。思う存分自分の力を発揮できる。暴れるだけで評価され、運が良ければ好待遇で軍に入るなり、王立ギルドに入る事だって出来る。
戦闘魔法が苦手な者にとっては苦行でしか無いのだが、そもそもこの学園は魔法を駆使して戦う者を育てる為の機関だ。
この学園を卒業した者は、たとえ普段非戦闘員である研究員として働いていても、ある程度戦えるように訓練されている。
「ほんっとに嫌だ」
「まあまあ、頑張りましょうね」
「この間なんか肩脱臼したんだからね!」
「受け身の練習もしましょうね」
嫌だ嫌だと駄々を捏ねるゾフィだが、授業は淡々と進められている。今日は実戦、一対一でクラスメイトの誰かと戦うのだ。どうか相手がゾフィでありませんように。そう願いながら観戦しているマチルダは、どうせ今日も一瞬で終わってしまうであろう自分の出番を待つ。
国が認めた優秀な人間が集まるこの場所ならば、ずっと求めて来た理想の人が見つかるかもしれない。そう期待をしていたのに、残念ながらその理想の人には出会えそうにない。
自分よりも強い人。
そんな人が本当にいるのだろうか?幼い頃大好きになった物語。その主人公のように、普段は守る側、だが愛しい人の前では守られる側。そういう人間に自分もなりたかった。どうして私は強くなってしまったのだろう。教員にすら「お前とはやりたくない」と言われてしまうのならば、もう絶対に負ける日は来ないじゃないか。
「フロイデンタール、前に」
「はい」
ぼうっと空を眺めていたマチルダは、教官の声に反応して意識を戻す。さっさと前に出れば、今回の相手は男子生徒のようだ。
大きな体を小さくしようとでもしているのか、彼の背中は丸められている。風にそよぐ髪はぼさぼさと伸びており、顔を隠しているカーテンのように見えた。
「ロルフ・ラウエンシュタインさんですね。どうぞよろしく」
出来るだけ穏やかに挨拶をしてみたのだが、ロルフは黙って小さく頭を下げただけだ。
同じクラスの生徒ならば、流石に名前くらいは覚えている。だが、彼と会話らしい会話をした記憶は無い。というよりも、彼はあまり人と関わろうとしないのだ。出来るだけ目立たないように部屋の隅にいたり、授業が終わるとさっさと何処かへ消えてしまう。
大きな人だなという印象はあるが、彼が強いという記憶は無い。普段の実技授業では、彼はまるで魔法を覚えたての子供のような弱弱しい魔法しか使わなかった筈だ。
「ラウエンシュタイン、これ以上のらくらと逃げるのなら、学園を追い出されると思え」
「はい…」
じろりと睨まれ、小さく返事をしたロルフは、どうしようと困っているかのようにもじもじと手を忙しなく動かしている。
女子生徒相手に遠慮しているのかと考えたが、マチルダが学年最強である事は彼も知っている筈だ。
どれだけ弱かったとしても、学園から追い出されると脅されたのであれば、何があっても本気を出さなければならない。
学園から追い出されるということは、入学を拒否するのと同じ対処がされるという事。つまりはロルフは殺されてしまうし、国に背く者を育てたとみなされ、ラウエンシュタイン家は一気に没落していく。彼の実家は公爵家なのだ。
「では、始め」
パンと渇いた音が響く。早く動けとマチルダとロルフを見つめる教官が開始の合図として手を叩いたのだ。
しかし二人は動かない。互いに相手がどう動くのかをじっと観察しているのだ。
マチルダはロルフが強いと思えない。そんな相手にいつも通り相手をしてしまえば、きっと彼はすぐさま吹っ飛んでしまうだろう。加減が下手なマチルダは動くに動けないのだ。
「お先にどうぞ」
「加減が下手なんだ…殺してしまうかも」
「はい?」
そんな事を言われたのは初めてだ。殺されると叫ばれた事は何度もあったが、殺してしまうかもと恐れられるのは、マチルダにとって初めての事であり、心躍る言葉だった。
「貴方は私よりもお強いのですか?」
「多分」
もごもごと話すロルフに若干の苛立ちはあるが、周りで見守っているクラスメイトたちはロルフの言葉に息を飲んだ。
あの最強のマチルダよりも強いと言った。だがクラスメイトたちが見ている普段のロルフは、蝋燭の炎程度の火の玉や、コップを逆さにした程度の水を出す程度の術者。正直何故彼がこの学園に入学できたのか疑問だと思っている者が殆どだった。
「殺してしまうと案じられるのは初めてです!」
それだけの自信がある男と戦えるなんて。
こんなにも心が躍るだなんて。
にっこりと満面の笑みを浮かべ、マチルダはつま先で地面をトンと叩いた。
周囲に響く轟音と、ぐらりと揺れる地面。誰か女子生徒が悲鳴を上げた。
ロルフも何事だと慌てているようだが、その足元から現れる巨大な植物に体を絡め取られれば、この騒ぎがマチルダの魔法であると気が付いたようだ。
「降参、という手もありますわ」
「降参したら学園を追い出される」
「では戦いますか?」
「そうしないといけないみたいだ」
ぎりぎりと体を締め上げられているにも関わらず、ロルフは何てことはなさそうにマチルダと会話を続けた。普通の人ならば既に気絶しているのになと小首を傾げ、マチルダはもう一度つま先で地面を叩く。
ロルフの顎目掛けて伸びていく木。直撃すれば流石に気絶するだろうと判断しての攻撃だったが、その木はふいに成長を止め光と共に霧散した。
ぱちくりと目を瞬かせたマチルダが同じ事を繰り返しても、やはりロルフの顎に到達する前に光がキラキラと煌めくだけだった。
「素晴らしいわ!防御魔法を詠唱無しで行うだなんて!」
本来魔法とは使用したい魔法に併せて詠唱を行うものだ。上級術者の中には無詠唱で魔法を行使できる者もいるが、学生では無詠唱で魔法を行使できる者は殆ど居ない。マチルダはその点でも特別だった。
「そちらから攻撃はされませんの?」
「女性相手に加減の出来ない俺では、きっと大怪我をさせてしまうから」
「私、そんなに弱くはありませんのよ」
怪我をさせる事を心配されるなんて久しぶりだ。幼い頃は大人を相手にして怪我をする事も多かったが、この数年一度たりとも掠る事すらしなかった。
胸が高鳴る。
きっとこの人なら本気でやり合える。
もしかしたらこの人が捜し求めていた人なのかもしれない。
わくわくと興奮した表情で、マチルダは一気に距離を詰めた。拳をしっかりと握り、一番得意な炎の魔法を発現させる。顔面を焼き潰すつもりで突っ込んだ筈だというのに、その拳がロルフの顔面に届く事は無い。
代わりにめり込んだのはロルフの足。ばきんと大きな音がしたと思えば、マチルダの腹にしっかりとロルフのブーツがめり込んだのだ。
息が詰まる。先程美味しく頂いたランチのサンドイッチをぶちまけそうだ。ぐっと奥歯を噛み締め呼吸を止めるが、久しぶりに攻撃をまともに受けたせいか、モロに受けてしまった体は吹き飛ぶ事に抗えない。
まだ。まだ終わるには勿体ない。こんな機会滅多に無いのだ。もう少しだけ戦ってみたい。本気の彼を見てみたい。
その思いだけで、マチルダはぎろりとロルフを睨みつけた。
「ぐぇ…っ」
反撃しようとしている事に勘づいたのだろう。ロルフは拘束していた植物から抜け出した勢いそのままに、吹き飛びかけているマチルダ目掛けて腕を振った。
辛うじて腕でガードをしてみるが、その程度で受け流せる衝撃では無かった。チカチカと目の前に星が回る。反撃しなければと考える事は出来るのに、体はそれに付いてこなかった。
「勝負あり!」
高らかな宣言と共に、地面へと叩きつけられる衝撃。十八年生きてきて初めての衝撃。無様に漏れた呻き声に、勝利を讃えられるロルフは申し訳なさそうな顔をしながら駆け寄ってきた。
「すまない…怪我をしているんじゃないか?医務室へ…」
もごもごと詫びるロルフの声は低い。大柄と一言で表すには大きすぎる体をなるべく小さくしながら、彼はそっと手を差し伸べてくれた。
「う…」
「大丈夫か?加減が下手なんだ」
長く伸びたロルフの髪。その隙間から覗く金色に輝くその瞳には、無様に地面に転がったままのマチルダが映されている。
差し出された手をそっと取り、痛みに顔を歪ませたまま起き上がる。動いてくれた事に安堵したロルフに向かって、マチルダは叫んだ。
「私と結婚してくださいませ!」
「はあ?!」
ロルフの大きな手をしっかりと握りしめ、地面にへたり込んだままマチルダはうっとりと頬を染める。誰が見ても恋をしている乙女そのもののマチルダの姿に、ロルフは誰でも良いから助けてくれとクラスメイトたちを見た。
「貴方こそ私が捜し求めていた方ですわ!まさか本当に私よりも強い殿方がいらっしゃるだなんて…まるで夢を見ているようですわ」
「悪夢だそんなもの!」
何でも良いから離してくれと手を振り回すロルフに、絶対に離すものかとマチルダはその手をぐいと引っ張った。態勢を崩したロルフが地面に膝を付くと、やっと目線が合ったと満足げなマチルダはもう一度同じ言葉を発する。
「私と結婚してくださいませ、ロルフ・ラウエンシュタイン様」
真っ白な頬を高揚させ、他の男子生徒たちがその美しさに溜息を吐く中、ロルフだけがふるふると体を震わせる。
「お断りだ!」
そう叫んだロルフは、今度こそマチルダの手を振り払い走り去る。取り残された生徒たちは、まだ地面にへたり込んだままうっとりとロルフの背中を見つめるマチルダに視線を向けた。
「恥ずかしがり屋さんなのかしら」
誰よりも強く、眉目秀麗完璧な優等生マチルダ・フロイデンタールの姿は、この日から見られなくなった。
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