表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/73

鞭の有効活用ですわ!

生まれて初めてのデートは、とても心躍るものだった。帰り際は少しだけ不貞腐れたりしたが、あの日のデートは概ね満足だった。


「おーいマディ、そろそろデートの余韻から戻って来ても良いんじゃない?一週間どころか二週間経ってますけど」


呆れ顔のゾフィの隣を歩くマチルダは、にやにやとだらしなく頬を緩めていた。それはデートの翌日からずっと続いており、他の男子生徒たちはそんなマチルダの表情を見ながらほんのりと頬を赤く染めていた。

普通にしていればただの美少女であるマチルダの容姿。この容姿で熱烈に愛を伝えられて揺らがないロルフの精神力に感心し始めたゾフィは、遠い目をよく晴れた空へと向けた。


「あー…良い天気だなあ…」

「そうね、お昼寝したらとっても気持ちが良さそうだわ」

「でも午後も授業でーす。魔法生物学苦手なんだよな」


体の小さいゾフィは、大きな体の動物が苦手らしい。押し潰されそうで怖いらしいが、小さくて愛らしい動物にさえ恐る恐る触れるのを見るのが、マチルダは楽しくて好きだった。


「今日はどんな子に会えるかしら」


ふんふんと機嫌良さげに鼻歌を歌いながら歩くマチルダは、動物が好きだ。あまり懐いて貰えた経験は無いが、昔実家の庭に住み着いていた猫を可愛がっていたこともある。あの時の猫はいつの間にかいなくなってしまったが、元気にしているだろうか。


先週は月夜鴉の授業だった。普通の鴉のように真っ黒な体をした鴉なのだが、昼間ではなく真夜中に活動する鴉らしい。

肉食の獰猛な性格をしており、群れを成して大型動物を狩って生活している鴉たち。普段は人里から離れた地域に生息しているが、ここ最近は人里近くで目撃されることが増えたと聞いた。


何だか最近色々と可笑しい。


そう呟いていた教員の言葉を思い出した二人は、なんだかなと小さく溜め息を吐きながら飼育エリアまで歩いて行った。


◆◆◆


獣臭い。

そう言って嫌そうな顔をしているのは、貴族出身の者が多かった。ハンカチで鼻を覆っている者までいたが、にこにこと穏やかな笑みを浮かべている教員は咎める事もしない。


「はいはい、授業を始めるよ」


優しそうに垂れた目。間延びしたような穏やかな声。眼鏡をかけて人好きする笑顔を絶やさない若い男性教員は、女子生徒からの人気も高い。


ヘルメル先生と呼ばれて慕われる教員がうきうきと楽しそうに微笑みながらパンパンと手を叩いて自身に注目を集めた。


「今日は少し危険な子だから、きちんと僕の指示を聞いてね。体のどこかを失くしたくはないだろう?」


微笑んでいる筈なのに、ヘルメルの表情はどこか冷たい。マチルダはその笑顔が何となく苦手だった。


「はい、この子が分かる子はいるかい?」


そう言って指差さした檻の中で唸っている大きな犬。ぽたぽたと涎を零し、生徒たちを睨みつけているその犬は、当たり前だがただの犬では無い。


「影食い狼…」

「おや、流石フロイデンタールさん」


影の中を動き回れる特殊な狼。魔力を持たないただの狼よりも大きな体をしており、性格も獰猛。群れの統率も高く、知能も高いと言われている。本来の生息地は山奥の筈だが、何故山からは離れている学園の飼育エリアに一頭だけいるのだろう。


「いやあ、生け捕りにするのに苦労したよ。死ぬかと思った」

「授業の為だけに生け捕りにしたのですか?」


不快感を露わに声を上げたのはリズだった。他の生徒も声にする事は無かったが、ヘルメルに厳しい視線を向けていた。


「まさか。研究の為だよ」

「何の研究です?影食い狼は希少生物として保護指定されている筈ですわ。研究の一環だとしても捕獲する事は禁じられている筈です」

「忘れたのかな?僕は研究者として国から特別な許可をもらっているんだ。研究をしながら、この学園で魔法生物学の教員として働く。それが僕の研究の条件」


にたりと笑ったヘルメルの異様な表情に、生徒たちは何も言えなかった。

魔力を持って生まれた子は宝を持って生まれてくる。神に祝福され、愛されているから神の御業とも言える魔法を使う事が出来る。そう言われてはいるが、実際の魔術師たちはどこの国で生まれ育ってもその国に管理される運命にあった。

この学園で生活している人間は皆、国にしっかりと管理をされ、家族構成や交友関係までも記録される。


「魔力なんか持って生まれちゃったからねぇ。管理される事は諦めて受け入れるけれど、やりたい事をやる為に条件出されるのも腹立たしいったら」


紫色の不思議な色を抱いた瞳に影を落とすヘルメルは、面白くないと舌打ちをして狼が入った檻の前にしゃがみ込む。

獲物だとでも思っているのか、狼は檻の隙間から噛みつこう、捕まえようとヘルメルに向かって足を延ばす。残念ながら大きな音がするばかりで届きはしないのだが、気弱な生徒を怯えさせるだけの迫力はあった。


「今研究しているのは影食い狼がどうやって影の中を移動するのかって事。空間移動魔法系の何かだって予想しているんだけれど、この子たちは希少生物だからねぇ。なかなか手が出せなくて」


にこりと笑ったヘルメルは、ぱちりと指を鳴らす。その瞬間、ふわふわと浮き上がると、生徒たちを高い所から見下ろして楽しそうに笑っていた。


「上から観察しようかな。その子は七日くらいご飯を食べてないから腹ペコだよ。頑張ってね」


何を頑張れと言うのだろう。怯えた女子生徒の誰かが小さく悲鳴を上げると、ヘルメルは「開けゴマ!」と笑って手を叩いた。


バツンと何かが弾けるような破裂音。消え去った檻は、狼を自由にするまで時間は掛からない。

来る筈のない仲間を呼ぶように遠吠えを上げると、狼は一番近くにいた女子生徒に向かって飛び掛かる。


「ひっ…!」

「危ない!」


一番早く動いたのはロルフだった。

手首に嵌ったバングルが淡く発光してはいるが、武器に姿を変える前に狼の牙がロルフの腕に深々と突き刺さる。


「ロルフ様!」


思わず叫んだマチルダが慌てて走り出したが、生徒たちの殆どは何が起きているのか理解出来ずに固まっている。

卒業したらすぐにでも現場に駆り出される筈の生徒たち。それが全く動けもしないとは何事だと頭上で笑っているヘルメルは生徒たちを貶す。


「ロルフ!離れて!」


既に魔具を武器化したリズが狼に向かって剣先を向けた。突っ込んだ勢いのまま喉元を狙っているようだが、痛みに顔を顰めたロルフが振り払おうと腕を振り回しても、狼はしっかりと噛みついて離れなかった。

ロルフが離れられないと察すると、リズは巻き込まずに攻撃出来る自信が無かったのかそれ以上突っ込む事が出来ないようだ。


「獣風情が…」


ざわりと背中を走る何か。頭に血が上るとはきっとこういう事を言うのだろう。

マチルダの指に嵌められた指輪が発光すると、するすると鞭の形へと変わっていった。


身体強化、脚力倍増。

身体強化、腕力倍増。


ぶつぶつと呟きながら走り出したマチルダの速度は徐々に上がる。ロルフの脇をすり抜け、狼の横腹に向かってブーツのつま先をめり込ませた。

制服のスカートが翻る。深いスリットが入っていて良かったと思いながら、勢いを殺さないように踵を狼の背骨目掛けて振り下ろした。


「ロルフ様ご無事ですか!」

「うっ…もう少し優しく引き剥がしてもらえたら、素直に礼を言えるんだけどな」


肉が抉れてぼたぼたと出血している腕を抑えながら、ロルフはマチルダに笑みを向けた。無茶をする事は良く知っている。何を言っても今は聞き入れたりしない事も知っているし、助けられた事には感謝している。


「止血しないと…誰か回復魔法が使えると良いのですけれど」

「後で医務室に行くよ。それより、今はあれを何とかしないと」


空腹も限界なのだろう。そんな状態で血の味を思い出してしまっては、食欲に火が付くのも致し方ない。狼は血液混じりの涎をぼたぼたと地面に落としながら、次の獲物を見定めていた。


あの血液はロルフのものだ。

愛しい男を傷付けられて怒らない女がいるだろうか。


眉間に皺を寄せ、ゆらりと体を揺らすマチルダは、苛々と鞭を地面に叩きつける。


「躾をしなければなりませんわね」

「お、おい…?」


バチンと地面に叩きつけられた鞭。そこから弾ける火の粉。殺意を向けられていると察した狼が、マチルダを見据えて唸った。


「ゾフィ、ロルフ様の止血をお願いね」

「お、おお…わかった」


ゾフィがロルフの腕を見ようと近寄るのを確認すると、マチルダはゆっくりと狼の元へ歩いて行く。

警戒した狼がずぶずぶと地面の中へ消えて行く。影の中を移動する事が出来る影食い狼ならではの魔法。一度潜られてしまえば何処に現れるか分からない。自分の影から突然飛び出されて反応出来る者が、今この場にどれだけいるのだろう。


逃げられてしまうのなら、逃がさなければ良いだけの事。折角自分の魔具が鞭として姿を変えたのだ。動物を捕獲するには丁度良いだろう。

身体強化系魔法で腕力も底上げしている。伸びろ伸びろと魔力を注ぎ込み、腕を振るって鞭を狼へと向けた。


「ぎゃんっ」


狼の悲鳴。鞭の先が目を打ったらしい。突然の痛みと圧倒される程の殺意を向けられた狼は出血し、影に潜り損ねた体は土に半分埋まりかけていた。


「隠れたいのなら隠れると良いわ。何処までも追いかけてお前をお利口さんになるまで躾けてあげましょうね」


憎しみと恐れを抱いた目を向ける狼の前にしゃがみ込むマチルダは、にっこりと微笑みながら鞭を引いてパンと音を鳴らした。


「噛みつく相手を間違えたらどうなるか…教えてあげるわね」


にっこりと微笑むマチルダに怯える生徒がどこかで声を漏らす。

片目を潰された狼は、目の前にしゃがみ込む人間の女に完全に怯え、か細く鼻を鳴らして尻尾を丸めている。誰が見ても明らかな、マチルダの勝利。


「あーあ、捕まえるの大変だったのに」


ゆっくりと地面に降りて来たヘルメルが、面白くなさそうに呟いた。


◆◆◆


「もう少し優しくしてくれないか?!」


痛い痛いと叫ぶロルフの腕は、ぎちぎちと包帯で締め上げられている。防御魔法を使うだとか、せめて何か武器を使うだとか考えれば良いのに、魔具を武器化する前に突っ込んで行った事を、マチルダは静かに怒っていた。


「無茶をするものではありません」

「君には言われたくないな」


うっすらと目尻に涙を溜めながらマチルダを睨みつけると、ロルフはズキズキと痛む腕を摩った。

影食い狼の特性として唾液に抗血栓効果があるおかげで出血が酷かったが、魔法薬のおかげで現在出血は落ち着いている。


「君は、怪我はしていないのか?」

「無傷です」

「それは良かった。…で、あの憐れな狼はどうしたんだ?」


ロルフの言う「憐れな狼」とは、先程マチルダに散々躾けられた影食い狼の事だろう。

ぱちくりと可愛らしく目を瞬かせるマチルダは、トントンと床をつま先で叩いた。


「ひぇ」

「ここにおりますよ」


マチルダの足元の影からぬるりと現れた狼に驚いたのか小さく声を上げたゾフィ。相当怖い思いをしたのかマチルダの様子を伺うようにチラチラと視線を送っている狼は、くぅんと小さく鳴いた。


「…何したんだ?」

「いつか群れに帰してあげようと思いまして。この子一頭だけでフラフラしていては、きっと駆除されてしまいますもの」


噛みつかれただけで出血は止まらない。影の中を自在に動き回る肉食獣など、見つけ次第殺されてしまう。人間とはそういう生きものだからだ。

群れに帰してやるまで一頭だけにしていては危険だと判断し、マチルダはこの憐れな狼を使い魔としたのだ。


「どうやって契約したんだ?」

「どうって…普通に、契約魔法を」

「一般的な魔術師、しかも学生が契約魔法なんか使えるわけないだろ!」

「出来るのが私ですわ」


にっこりと不敵に微笑むマチルダの足元で狼は小さく「わふ」と鳴いた。

鞭が辺り出血していた目元はすっかり綺麗に治されており、良い子ねと頭を撫でられてご満悦だ。

まるでちょっと大きいだけのただの犬のようになってしまった影食い狼に憐れむような視線を向けながら、ロルフは大きな溜息を吐いた。


「早めに帰してやろうな」


すっかり大人しくなった狼の頭を撫でるロルフに、マチルダはふふんと満足げに笑ってみせた。


ブクマと評価ボタンをぽちっとお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ