想い
恋愛小説で読んだ初々しいデートは、実際にやってみたらきっとこんな感じなのだろう。
ほんのりと憧れていたデートを経験出来ている事に若干の興奮を覚えながら、マチルダはぷちぷちと真っ白な花を摘み取っていた。
何となくそんな雰囲気だったから手を繋いでいたが、ロルフが正気に戻る迄の短い時間ずっと繋がれていた。大きな手に包み込まれた温かさは、きっと暫くの間忘れることは出来ないだろう。寮に戻って手を洗うのが勿体ない。
「ロルフ様、沢山摘めましたよ」
「随分摘んだな」
両腕で抱える程摘み取っても、真っ白な花はまだまだ沢山咲いている。嬉しそうに微笑みながら花を見せるマチルダに、子供みたいだと笑うロルフ。二人の間に流れる空気は、以前とは違うものが流れているような気がした。
「そろそろ戻るか。日が暮れそうだ」
「そうですわね。戻りましょう」
楽しい時間が過ぎ去るのはあっという間だ。名残惜しいが、規則を破れば罰則がある。面倒だしそれは避けたいからと、マチルダは素直に頷いた。
ロルフの言う通り、空の端はうっすらと暁色に染まり始めている。ツキヨグサたちが美しく輝くまであと数時間なのだが、それを眺める事が出来ないのは残念だ。
「卒業して夜中も出歩けるようになりましたら…また一緒に此処へ来てくださいますか?」
「あー…それは…」
そこは良いと言う場面だろう。そう不満げな顔を作るが、ロルフは煮え切らない反応のまま答えない。
卒業後それぞれ違う道を歩むようになるのだから、約束をしても果たされるかは分からない。だが、淡い思い出として胸に抱えて生きたいという願いすら叶えてもらない事が、寂しくて堪らなかった。
「俺じゃなくても、良いんじゃないか」
「ロルフ様と一緒が良いのです」
「君の小さな友人とか…将来俺じゃない、他の男に惹かれる日が来るだろう?その相手と来たら良い」
どうしてそんな事を言うのだろう。そんなに迷惑なのだろうか。じわりと熱くなった目頭の熱に耐えるようにぎゅっと目を閉じて、マチルダは唇を噛み締めるしかなかった。
「待っていてくれて、嬉しかった」
照れ臭そうなロルフの声に、マチルダはぱっとロルフの顔を見上げる。ほんのりと赤くなった耳と、気まずそうな視線に、どう反応すれば良いのか分からなかった。
「コニーに、言われたんだ。嬉しいと思うのなら、少し受け入れてみろと」
「どういう事ですか?」
「…俺を受け入れてくれた事が、嬉しかったんだ。君はあの…醜い姿を見ても、美しいと言って、俺に触れてくれた。それがとても、嬉しかった」
ぽつぽつと言葉を続けるロルフの歩幅は、普段よりも狭い。マチルダに合わせてくれているというだけでなく、少しでも二人で話す時間を長く取りたいと思ってくれているような、ゆったりとした歩み。
「俺は母親にも受け入れてもらえなかったから。肉親ですら受け入れてもらえないのに、他人に受け入れてもらえるとは思えなかった。だから、本当に嬉しかった。ありがとう」
「そんな…だって、本当に美しいと思ったんですもの。私こそ、触れさせていただけて嬉しゅうございました」
胸に抱えたツキヨグサの花束をぎゅっと抱きしめ、釣られて赤く染まった顔を地面に向けて俯いた。
美しいと思ったから、素直にそう言葉にした。ただそれだけの事だったのに、ロルフにとってはとても嬉しい事だったというのが何だか嬉しかった。
「また、触れさせていただけますか?」
「うっ…うーん…そう、だな。君なら良い」
「お約束ですよ」
照れているのか、ロルフは小さく頷いただけだ。視線を下げているマチルダだったが、地面に伸びた二人分の影のおかげで、ロルフが頷いた事は分かった。
「ロルフ様は、お優しいですね」
「どうしたんだ、突然」
ぽそりと呟いたマチルダに、ロルフは小さく笑う。あまりに唐突な言葉に目食らっているように聞こえたが、ロルフの優しさは時折とても残酷に思えた。
「迷惑だと仰るのに、傍に居させてくださいますもの」
優しい人。愛しい人。傍にいさせてくれるのに、一番近くには置いてくれない。優しくて愛しくて、残酷な人。なんて男に惚れてしまったのだろう。じわじわと溢れてくる涙を堪える事が出来ず、マチルダの頬を一筋濡らした。
「期待してしまうではありませんか。欠片でも、ほんの少しでも可能性があるのではないかと」
「可能性か…全く無いと言えば、嘘になると思う。正直言って、俺は君に惹かれてる。でも結婚は無理だ」
本当に酷い男だ。
期待させるような事を言って、顔を上げたマチルダの期待を裏切り叩き落すなんて。束の間の喜びの表情が、一瞬で絶望へと変わった。
こんなにもはっきりと、結婚は無理だと言われてしまうなんて。やはり公爵家の息子ならば、男爵家の娘なんて求めていないのだろうか。家柄が釣り合わないから断られているのなら、マチルダにはどうする事も出来ない。
「君だから駄目というわけじゃない。誰とも結婚しないと決めているんだ」
「それは、何故ですか?」
傷付いた表情のまま問うマチルダに、ロルフは大きく息を吸い込んで覚悟を決めた。
「うちの一族にとって、嫁いでくる女性は子供を生ませるだけの存在なんだよ」
変身魔法を使う一族は、他家に比べて魔力を持った子供が生まれにくい。大昔は一度に複数の女性を妻とし、多くの子供が生まれるようにしていたが、現代は妻は一人だけと法律で決められている。
勿論愛人を囲う貴族は多いし、国王ですらそれは当たり前の事。
愛人に子供を生ませる者も多いが、正式な妻が生んだわけではない子供は庶子とされ、いかに強い魔力を持っていても相続を始め、一族の人間として認められない。その為、ラウエンシュタイン家では一人の妻に何人もの子供を生ませ、死んだら次の妻を…という事を繰り返しているとの事だった。
「俺は家督は継げないけれど、異形の姿を持っているから。一族で一番力が強い。そんな息子の子供なら、もっと強い力を持った子が生まれてくるかもしれない。出来るだけ多くの子供を生ませる気でいるんだ」
妊娠出産を繰り返すという事は、母体に多大な負担をかける事になる。つまり、若くして死んでしまう事だってあるのだ。
最初からそれが分かっているから、誰とも結婚しないと決めているのだとロルフは言った。
「ロルフ様の子なら、私は何人でも生めます!」
「大胆な事を言うな、君は」
はははと声を漏らして笑うロルフは、困ったように眉尻を下げてマチルダの頭にぽんと触れた。
妊娠も出産も経験は無いが、愛しい男の子供ならばいくらでも生めると思った。どれだけ辛くても、体が悲鳴を上げようとも、それでも傍に居られるのなら、それで良かった。
ほんの少しだけ頭を撫でて離れていくロルフの大きな手の重みを名残惜しく思いながら、マチルダは歩き続ける。
「そこまでお考えなら、どうして期待をさせるのですか」
「…そうだな、俺が悪い。ごめん」
「謝らないでください。惨めです」
もう少し可愛い返事が出来れば良かったのに、学園の入り口が目の前まで迫っている。
デートの時間はもう少しで終わってしまう。それが名残惜しいし、結婚は無理だと改めて断られてしまっているこの状況も、絶対に結婚しないと決めているのに傍に居させてくれるロルフの残酷な優しさへの腹立たしさが、マチルダの胸をずっしりと重くさせていた。
「マチルダ」
「はい」
名前を呼ばれた。
思わずロルフの顔を見上げようと視線を上げた瞬間、マチルダの細い体はロルフの腕の中へと納まっていた。
「好きになってくれてありがとう」
耳元で囁かれた小さな言葉。
名残惜しそうに僅かに強くなった腕の力が、抱きしめられているのは夢ではなく現実だと教えてくれているような気がした。
「嬉しかった」
僅かに掠れた声。嬉しいではなく「嬉しかった」と言われた事が何となく腹立たしく思えて、マチルダはぐっと身を屈めてから思い切り背伸びをした。
「うっ」
頭頂部が痛い。ロルフの顎目掛けて頭突きをしたのだから当たり前だし、若干狙いは外れたようだがロルフの顎にもヒットしたようで、痛そうに呻いた声が聞こえた。
「勝手に過去形にしないでくださいますか!ラウエンシュタイン家の事情は何となく分かりましたが、それくらいで私が大人しく引き下がると思ったら大間違いでしてよ!」
「いっ、た…!諦めるところだろうここは!」
「諦めてほしいのなら抱きしめたりしないでください!素直に喜べないではありませんか!」
ぎゃんぎゃんと吠えるマチルダだが、想い人の腕の中から出て行く気は無い。花束は片手で抱え、もう片方の手はしっかりとロルフの腰へ回したままだ。
「死ぬまで妊娠と出産を繰り返すだけの人生になるんだぞ?最初から不幸になる事が分かっているのに」
「不幸かどうかを決めるのは私です!ロルフ様が私の幸せを決めないでくださいませ!」
ロルフの言葉を遮り、不満げに眉間に皺を寄せたマチルダを見下ろしながら、ロルフはぱちくりと目を瞬かせた。
「私の幸せは私が決めます。今後もしつこく追いかけますので、早めに観念してくださいね」
「懲りない人だな、君は」
「どうぞマディとお呼びください」
腕の中でにっこりと微笑んだマチルダに頬を染めながら、ロルフはもごもごと口を動かして何も言わない。
なんとか呼んでみようとしているようなのだが、照れ臭いのかなかなか言葉に出来ないようだ。
「おーい。公衆の面前で何やってんのあんたら」
「あらゾフィ、お帰りなさい」
「うっ、わ…」
見られたと慌ててマチルダから体を離したロルフに、マチルダは不満そうな声を小さく漏らす。呆れ顔のゾフィは仲良しで羨ましいねぇなんて笑っているのだが、マチルダが大量のツキヨグサの花を抱えている事に気が付くと、キラキラと目を輝かせながらマチルダに抱き付いた。
「ね、ね、マディそれって!」
「ゾフィへのお土産よ」
「やった!来週行くんじゃ鮮度が違うからさあ。ありがと二人共!」
にこにこと嬉しそうに微笑みながら花束を受け取ると、ゾフィはそろそろ門限だぞと時計を指差した。確かに急がなければ門限までに寮に戻れない時間だ。随分長い事門の前で話し込んでいたようだ。
「ロルフ様、今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「あ、ああ…それじゃ」
「またお出かけしてくださいね」
そそくさと歩いて行くロルフの背中にそう言うと、マチルダはへなへなとその場に蹲る。
どうしたのと心配そうに覗き込んだゾフィは、マチルダの耳が真っ赤に染まっている事に気が付くと、大きな溜息を吐きながらマチルダの背中をぽんぽんと叩いた。
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