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住む世界

朝だ。誰が何と言おうと朝だ。

例えまだ空の端がうっすらと明るくなってきた程度で、部屋の中は暗くともこれは朝なのだ。

ぱちりと目を開いたマチルダは、普段よりも軽い動きでベッドから抜け出す。相部屋のゾフィはまだ寝ている為、出来るだけそっと動いているのだが、浮かれているマチルダはふんふんと鼻歌を歌っていた。


こんなに朝早く起きたのは久しぶりだ。正確には楽しみで眠れなかっただけなのだが、浮かれてしまうのも無理は無いだろう。初めて想い人と共に外出するのだ。休日は出来るだけ遅くまで寝ていたって、今日は特別だ。


恐らくロルフはあまり乗り気では無いだろう。今日出かける約束はしているが、時間までは決めていないし待ち合わせ場所も相談していない。やっぱり無しと言われるのが怖くて、休日を迎えるまでロルフを追いかける事をやめたからだ。この三日間ロルフは穏やかな昼休みを過ごした事だろう。


いそいそとクローゼットを漁りながら、マチルダはふっと口元を緩める。逃げ回られているおかげで、好きだという感情がロルフにとってあまり歓迎出来ない感情だという事は理解している。だが、止めようと思って止められる感情ではない。生まれて初めて燃え上がるような感情を胸に抱いた。どうしても彼と共に居たい、愛されたい。どうすれば愛してもらえるのかは分からないが、他の女子生徒と取り合いになる事は避けたいからと、あえて堂々とロルフに求愛している。


今の所他の女子生徒よりは近い距離にいるだろう。秘密も共有しているし、逃げられていても時々一緒に過ごしてもらえる日もある。嫌だ嫌だと言われてはいるし逃げられてもいるが、捕まれば観念する辺り絶望的というわけでは無いと思う。そう思いたいだけなのかもしれないが。


「これにしようかしら…」


ぽつりと呟きながら引っ張り出したワンピース。胸元にフリルをあしらった可愛らしいものだが、普段はあまり着ていない。学園の中で生活していると、制服ばかりで私服を着ることは殆ど無いからだ。

休日は私服で過ごす事もあるが、もっと動きやすくて軽い服を好む。今手にしているワンピースは、所謂勝負服というやつだった。


入学したての頃は一人で着替える事もままならなかった。実家にいた頃はメイドが着替えを手伝ってくれていたしそれが当たり前だった。何度ゾフィに呆れられたか分からないが、今はすっかり手慣れ、さっさと着替えられるようになった。


寝間着から着替えると、マチルダは姿見の前でくるりと回る。ふわりと広がったスカート部分は、たっぷりと布が使われている。動きに合わせてふわふわと揺れる布地は、マチルダの髪に良く合う赤い色。

ちょっと赤すぎるだろうかと思わなくもないが、母と同じ赤い色が好きだ。きつめの顔にも負けない色。ロルフは似合うと言ってくれるだろうか。そもそも来てくれるだろうか。


もしも来てくれなかったら。

もしもやっぱり嫌だと断られてしまったら。

そう考えると何だか不安だが、行かないことには話は始まらない。気合を入れて化粧をしながら、マチルダはロルフとどう過ごそうかを考える。


ツキヨグサは夜が一番美しいが、昼間は昼間で可愛らしい。真っ白な花が風にゆらゆらと揺れる光景は、きっと美しいだろう。いつか真夜中に二人で眺める事が出来たなら、地面が月のように輝く幻想的な光景を楽しみたい。

卒業後でなければ叶わないだろうが、卒業後もロルフと交流する事は出来るのだろうか。


ロルフは卒業後家業の為軍に入る事が決まっている。

では私は?何がしたいかなんて考える事なく、ただ国からの命令だからとこの学園へ来た。ゾフィも似たようなものだったそうだが、今は薬師になりたいという夢を持った。マチルダはまだ、何になりたいかは決められずにいる。


ゾフィと一緒に薬師になろうと思えばなれるだろう。最高級ランクの薬を作れる薬師にだってなれるかもしれない。だが、別になりたいとは思わない。

生徒たちの憧れである王宮術師になる事も出来るだろう。リズは既に卒業後王宮術師になる事が決まっているという噂だし、卒業後までリズと一緒にいたくはない。どうにも彼女は苦手だった。


ロルフと一緒に軍隊入りをしたならば。入隊は大歓迎されるだろう。マチルダ程の魔力を持つ術者はそう多くはない。攻撃力も高いし、家柄も文句無し。だが、なんだかそれはしっくり来ない。ロルフの前ではか弱い乙女でありたいのだ。


「難しい顔して化粧してるね」

「ごめんなさい、起こしてしまったわね」

「バイト行くから丁度良いよ」


大きな欠伸をしながら起きて来たゾフィは、ドレッサーの前で格闘しているマチルダの背後に立つ。まだ眠いのか、ごしごしと目を擦るその姿は幼い子供のようだと思った。


「今日はデートだっけ?早起きしすぎでしょ」

「目が覚めてしまったのよ。それに、デートって初めての経験なの。準備はしっかりしないとね」

「どうせ慣れたら適当になるのに」


もう一つ大きな欠伸をすると、ゾフィはマチルダの髪に手を伸ばす。くるくると毛先が巻いた髪は、今日も燃えるように真っ赤だ。眠る前に三つ編みにして纏めていた髪を解くと、ゾフィはするするとブラシを通す。どれだけ丁寧に解しても、重力に逆らって巻いている髪は不思議だ。


「今日のお仕事は何をするの?」

「薬草採取。雇い主は薬草学のアッペル先生だけど」


薬草学の教員であるアッペルは、とても小柄な老人だ。授業で使う薬草を集めなければならないが、予算の関係で出来る限り自分で育てたりする必要がある。しかし、先日の授業でちょっとした事故があり、必要な薬草が足りなくなった為ゾフィにアルバイトとして薬草採取の手伝いを頼んできたそうだ。


「アッペル先生さ、私が孤児院出身だからって凄い気にかけてくれるんだよね。仕送りしてるのも知ってるから、少ないけれど仕事として受けてくれって」


金銭を支払わず、ただのお手伝いとして命令しても良い筈なのだが、アッペルはわざわざポケットマネーを出してくれるらしい。申し訳ないと言ってはいるが、ゾフィが喜んでいる事は鏡越しでも分かる。癖の強い生徒ばかりのこの学園で、アッペルは皆のお爺ちゃんとして愛されていた。


「よおし出来た!」


くるくると巻いた髪を器用に編み込み、可愛らしいアップスタイルに仕上げると、ゾフィは満足げに口元を緩ませた。


「器用ねぇ、ありがとうゾフィ」

「本当は髪飾りとか付けたいんだけどね。私はそんなの持ってないし、マディが持ってるのはパーティー用だから今日の恰好には合わないし…花でも飾ってもらいな!」


にっかりと笑ったゾフィは、自分も出かけるからと支度をし始める。動きやすい服に着替えているようだが、普段着ている制服とあまり変わらない。ゾフィがお洒落をしているところは見た事が無いのだが、きっとお洒落義なんてものは持っていないのだろう。


「ゾフィはワンピースとか、可愛らしい服は嫌い?」

「見るのは好きだけど、着た事無いからなあ。実家じゃいつも上からのお下がりだったし」


つぎはぎだらけの服しか着ていなかったと笑い、ゾフィは適当に自分の髪にブラシを通す。寝癖を気にしないのは、普段からぴょこぴょこと跳ねているからだろう。

小さくて可愛らしいのに、服装は男の子のよう。もしも可愛らしい服を着ていたらよく似合うだろうと思うのだが、マチルダの服を貸そうにもサイズが合わない。


「働いて余裕が出来たらかな」

「余裕が出来ても、ご実家に送ってしまうのでしょう?」

「そうかも」


へらりと笑うと、ゾフィは鏡の前でくるりと回る。似合っているか確認しているのではなく、解れていないか確認しているだけだ。

もっと可愛い服を着ている所も見てみたいが、きっとゾフィはそれを望まない。出来るだけ軽くて、動きやすい恰好を好むだろう。


服装だけで、生きて来た世界が全く違うのだと思い知らされた気分だった。


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