ノシュアの取引Ⅰ
『悠長だな……あと一日だぞ?』
昼間に自分が言った言葉を思い出して、俺は閉じていた目を開いた。
夜の冷たい空気が部屋のなかに漂っている。ベッドの上で、ずれていた肌掛けを身に寄せた。
「そうだよな、あと一日なんだよな」
そう考えると、やっぱり全身がそわそわしてくる。ちっとも寝つけやしない。焦れったさから、俺はごろんと体を横向きに、寝返りを打った。
現在の時刻は夜である。
ウェンディと一緒にサンガ村へ戻ってきた俺は、明日の旅支度をすべく広場を駆けめぐり、その後は村長さんの家で夕食をごちそうになって、明日の朝までベッドを借りさせてもらっている。
部屋は、俺がまる二日も眠りこけていたという、あの小部屋だ。
「…………」
俺は目を細めて、チェストを見やる。
妖精ウェンディは、チェストの上にあるカゴのなかでクゥクゥ寝息を立てている。何度視線を向けても、彼女が起きる気配はなかった。
ウェンディは、心配じゃないのだろうか?
『ええ、わかってるわ。でも、今からサンガ村を飛び出すほうが無謀ってもんでしょ?』
日中に聞かされた、ウェンディの案を思い返す。俺が眠っている間に、彼女はこれからの計画をひとりでいろいろ考えていたらしい。
『妖精の里には、村長さんを連れていこうと思うの』
『村長さんを!』
ウェンディは女王の言いつけどおりに、剣を引き抜ける人間を見つけて、里へ案内しようとしていた。俺みたいな普通の人間ではなく、特別な血筋の――大昔に妖精族を呪った人間の血を引く子孫を。
『ちょっと待て。ウェンディは、村長さんの先祖が妖精族を呪った張本人だって確信はあるのか?』
『う……ん。それは……』
『ほら見ろ。確信もないのに、関係のない人を連れていくのはどうかと思うぞ』
『う、ううん! ちゃんとあるわよ!』
俺に痛いところをつつかれると、ウェンディはむきになって「ぜったいにそうよ!」と頑なに言い張った。
(でも、たしかに。これまでの情報から、この村の人たちが過去に妖精と関わりがあったのは、うっすらわかるな)
しかし、やはりなにも残されていないのだ。
あのモラおばあさんの詩だって、酒場のおばあさんが覚えていただけで、ほかの村人は知らないという。村長さんも、少年も。
『だとしても……それで、村長さん本人には了解をもらったのか?』
『……まだよ。ノシュアちゃんが目覚めるのを、一応待ってたんだもの。そうね、できたら今夜中にでも頼んでみるつもり』
罰の悪そうな顔をして、ウェンディの話は終わった。村長さんへの頼みごと自体は、俺がどうにかするとだけ言って引き受けたは……結局、今も考えあぐねている。
(もし、剣が抜けなかったら……)
俺は天井を見ながら、ため息を吐いた。
妖精の里は、異種族が立ち入ることを固く禁じている。仮に見事、呪いの剣を引き抜けたとしても、あの女王やほかの妖精たちが無事に帰してくれるだろうか。
(案外、俺との約束も反故にされたり)
俺と村長さん二人そろって、裁判の時に飲まされそうになった薬で記憶を消されるのがオチだ。
(みんな、忘れてしまうのか……)
いや、それだけは絶対に避けたい。避けなければならないのだ。
村長さんにも、安易に危険を冒させるわけにはいかない。あの人には家族がいる。今日の夕食時のように、共にテーブルを囲む少年や奥さんが――自分のことを思う、大切な人たちがいるのだから。
「っはぁ……ますます眠れそうにないや」
とうとう俺は起き上がって、ベッドの端に座った。
夜風が吹いて、窓辺のカーテンをまくり上げる。この時間、外を出歩く者はいない。外の月は今夜も明るく、澄んだ空にはきめ細かい星々がちらついている。
室内には、寝息だけが聞こえた。
「…………」
ふいに、ギッっと木が軋む音が鳴る。
静寂のなかで考えごとにふけっていた俺は、すっと顔を上げた。
(なんだろう?)
音は、この部屋の扉の向こうからだ。またギッギッと音がした、どうも足音のようである。
足音はこっちに向かっているのではなく、徐々に遠ざかり消えた。俺は静かに立ち上がると、ドア元に近づく。
ドアノブにそっと手をかけて、慎重に音が鳴らないよう――妖精を起こさないよう開けて、部屋を抜け出した。
* * *
「なるほど。あの子が言っていた地下室ってのは、ここにあったのか」
居間の脇に小さな物置場所がある。棚や樽が並ぶ、わずかな床のスペースに俺はしゃがんだ。
よく見れば、床には正方形の溝があった。鉄の取手も。
今さっき、さる人物が物置に入っていったのを見かけた俺は、後に続くように床フタをを開けた。そこには地下室への階段が現れた。
灯りは持っていなかったが、まぁ夜目でなんとかいけるだろう。地下への階段は石でできていたから、音は鳴らない。俺は転ばぬことだけを気をつけて、一段一段下りていった。
「……フフフーン……」
「?」
地下に下りると、辺りに奇妙な鼻歌が流れた。
暗がりのなか、鼻歌が聞こえる壁に目を向けると、そこには扉があった。隙間から、灯りも零れている。
「さて、兜はこれでピカピカになりましたぞ」
聞き慣れた声が耳に通った。俺は意を決して、扉に手をかける。
「お次は鎧の胴の部分から――」
「村長さん?」
ギィ。扉を開けて、俺はなかにいた人に声をかけた。
その人物――サンガ村の村長は驚いて、鎧の胴を落としてしまった。
くわんくわん、地下の小部屋に金属の木霊が響き渡った。