休息と報告とⅢ
祈りを終えた親子は、もう一度だけ俺に挨拶をしてから、部屋を去っていった。ウェンディのほうへ目を向ければ、いよいよ彼女へのお供え物はチェストの上に乗り切れなくなっている。
話しを聞けば、俺が目を覚ます前から、すでにこんな状況なんだとか。
幸運を招く妖精を一目見ようと、村長宅の扉を叩く村人たちが次から次へとあとを絶たないらしい。
「僕も、最初ウェンディを見た時は、びっくりしちゃったよ」
だって、本当に言い伝えどおりだったんだもの。
と、少年は熱を込めて言う。泉の洞窟から、石になったウェンディを見つけたのは、ほかでもないこの彼である。
「冒険者のお兄ちゃんが倒れていた場所のすぐそばにあったんだ。変な石だけど、もしかして……と思って、持って帰ってきたら――」
「石化が解けて、大当たり。ってわけか」
「アタシは別にー、拾ってもらわなくても。そのあと自力でなんとかできたけどね!」
「好き放題にリンゴを食べておいて、よく言うよ」
強がりを言うウェンディを鼻で笑えば、ツンとそっぽを向かれてしまった。
(妖精に関する言い伝え、か……)
少年の言うような、緑の光をまといし、小さき人――まぎれもなく妖精に関わる伝承がこのサンガ村にはいくつか残っているようであった。
話は全部、村長さんから聞いている。あの人はおしゃべり好きだけあって、この村のことを快く教えてくれた。
ムコー村は、あの地域の農民たちが都市部からやってくる商人と取引を行うために作られた村だ。規模は大きいほうだが、村の歴史自体は浅いらしい。
対してサンガ村は、かつて大層な身分の者に仕えていた武人たちが、戦の敗走の末にこの地に逃げ延びてきたことからはじまったとか。なるほど、人目を忍んで隠れ住むために、山林を隔てた高地という厄介な場所に村があるのか。
(ウェンディの話――いや、妖精の女王の話によると、その昔、妖精は相当な勢力を持っていたとか言っていたな)
今よりもはるかに数がいて、当たり前のように人前に出ていた。人間たちと争うほどの戦力を持つ、広く認知された存在であると。
(争っていた……というけれど)
しかし、少なくとも、この村の言い伝えでは『よきもの』として扱われている。
ムコー村の酒場で耳にした詩も同様に、ともに手を取り合う仲であったことをほのめかすような内容であったし。
俺は、ウェンディを見た。
最初はあんなにも、人間である俺に敵意を向けていたというのに……今ではすっかり順応している。
(おおかた、あがめられる立場が気に入ったんだろうけど)
妖精側の言い分と、人間側の言い伝え。この二つの矛盾に……いったい、彼女はどう向き合うのだろうか。
(まったく、現金なやつだよ……)
さてと。
俺は残りの麦がゆを一気にかっこんだ。
ごちそうさま、とお椀を膳に戻すと、そのままベッドから足を下ろした。
「なになに、どこかに行くの?」
簡単な身支度を済ませる俺の元に、ウェンディがふよふよ飛んでくる。俺はうなずいて、チェストの上にあった白い花の束をちょっと失敬した。
「サンガ村の墓地って、礼拝堂の近くにあるの?」
少年に尋ねると、彼は「そうだよ」と答えた。
礼拝堂の場所はきちんと覚えている。このサンガ村に入る前に登ってきた階段の、その麓に建つこじんまりとした建物だ。
「階段を下りたら、礼拝堂の脇にある小道を進んで、その道をまっすぐ行った先にあるよ。ちょうどお堂の裏手になるね」
そこまでしゃべって、少年は「あっ」と気づいたような声を上げる。
「おばあちゃんのところにいくんだ!」
「そう。できるだけ、早いうちに行こうと思ってさ」
「おばあちゃんのは、一本木のすぐそばにあるよ。名前があるから見つけるのは難しくないとは思うけれど……僕、案内しようか?」
「いや、そこまで教えてもらえば大丈夫だよ。ありがとうな」
俺と少年のやりとりを、ウェンディが小首を傾げて眺めている。そんな彼女に「ウェンディもいっしょに行くか?」と尋ねると、きょとんとしながらもこくこくと首を縦に振った。
「お花なんて持って、どうするのよ?」
「ああ、それはな――」
俺とウェンディが、サンガ村へ来た目的。
それは一人の、老女と出会うためだ。
ムコー村の酒場にいたおばあさんの昔馴染み。妖精にまつわる古い詩を歌っていたという女性――モラさん。
俺は目覚めてから、さっそくそのことを村長に聞いてみた。
『モラ、という女性はこの村にいませんか? 俺たち、その人を訪ねて来たんです』
その名を聞いた村長は、ひどく驚いた顔をしていた。村長の息子である少年もまた同様に。
なんと、モラは村長の母親であった。サンガ村の少年にとっては、祖母に当たる存在なのだ。
しかし、残念なことに――。
「墓参りだよ」
――モラおばあさんは、去年の夏にすでに亡くなっていた。