石化したサンガ村Ⅱ
目の先にある一軒の家の影に、なにかが、さっと隠れるのを俺は見逃さなかった。
そしてそれが、やけに背の低い姿をしていたことも。
「…………」
俺は剣の柄から手を離した。それから家の角に向かって、落ち着いた声で話しかける。
「怖がらせて悪かった。俺は怪しい者じゃないんだ、この辺りを旅する冒険者で――」
言いかけて「そうだ」と思い出した俺は、持ってきた籠を見せた。ムコー村の道具屋のおかみさんからの預かり物である。
「ムコー村の人から、お使いを頼まれて来たんだ。サンガ村の姉妹に渡してほしいってね」
なんなら、手紙だって持っているよ。
と、俺が手紙の封筒をヒラヒラ振ってみせると、ようやく家の影からひょっこり小さな頭が飛び出した。サンガ村の子どもだ、年は八つくらいの少年であった。
「その手紙、本物?」
「ああ、本物だよ」
手紙の宛名を見せようと、俺はゆっくり少年の元に近寄ろうとした。するとサンガ村の少年は、手にしていたパチンコを構えて「待って!」と制し、手紙を地面に置いていったん下がるよう俺に言った。
俺が言われた通りにすると、少年は物影からさっと飛び出して、素早く地面の手紙を拾った。そして、封筒の表に書かれた宛名をじっくり読んで――彼はこくりとうなずく。
「本当だ……雑貨屋んとこのお姉さんの名前が書いてある」
少年は顔を上げて、俺をまじまじと観察する。次第に、その幼さが抜けきらない目からジワジワと水気がにじみ出てきた。
「いま、この村で無事なのは……君だけか?」
俺の問いに、少年は無言で頭を縦にぶんぶんと振った。
「……あのさ、まさかとは思うけれど――」
横目でちらっと、隣に立っている男の石像を見てから俺は尋ねた。
「サンガ村の人達は……」
「みんな――」
手紙を握る、少年の手が震えている。鼻をすすり、声を詰まらせて……サンガ村の少年は叫んだ。
「み、み、みんな……石になっちゃったよッ!」
せき止めていた感情が一気にあふれ出し、少年は声を上げて泣き出した。
* * *
「ツノ?」
「そう。頭にね、二本のツノが生えていたの」
サンガ村の少年が落ち着いてから、俺は改めて彼に事の経緯を聞いた。
「本当は地下室で遊ぶなって言われてるんだけど……」
事件が起きたのは今日の昼過ぎ。その時間、少年は自分の家の地下室で遊んでいたため、ひとり襲撃を免れたという。
「ぼくのパパが、礼拝堂の管理人さんに呼ばれて村の外に行っちゃったから、その隙にね。それで『そろそろ戻ってくる頃だなー』って、地下室から出てきたら……家の外が大変なことになっていて――」
少年が家の外に出た時には、ほとんどの村人が石に変えられていた後だった。
村人たちを襲ったのは、たった一人の男だという。
少年いわく、図体が大きく、全身黒ずくめの衣装をまとい――なによりも一番の特徴は、その頭の両側にツノのようなものを生やしているとのことだ。
「人を石に変える、か……」
にわかに信じがたい。俺が顎に手を当ててうなると、少年が不安そうに見上げた。
「ほ、本当だよ。本当に見たんだよ! なんか変な紅い手――ガンレットみたいなのをつけて、こう手の甲を見せたらピカーッって白く光って……ねぇ、本当なんだってば!」
「わ、わかった、わかったよ。で、石になったのか?」
「う、うん……」
少年を疑うわけじゃない。
しかし、人を石に変えるなんてことが……この世にありえるのだろうか。
悩ましげに頭を掻く俺を見て、少年は食い下がるように話を続けた。
「ぼく、思うんだけど……あれは、きっと魔術師ってやつだよ」
「魔術師?」
俺が聞き返すと、少年はうんうんと首を縦に振った。
「パパがよく聞かせてくれるお話に登場するんだ。なにもない所に火を点けたり、水を出したり、空まで自由に飛んでいっちゃう不思議な魔法が使える人のことだよ。お兄ちゃん、聞いたことない?」
「そりゃまぁ、知っているけれど……」
魔術師。
そう呼ばれる人間は確かにいる。一般的には、先程少年が言ったような不思議な術を使う能力者のことを示す。
その数はごくわずかしかおらず、能力は一部の血族のみにしか受け継がれない。先生から聞いた話では、その昔に魔術師の文化は大いに栄えたものの、最終的に人々から迫害を受けて土地を追われたとか。
人を石に変える魔法か。
古い記憶を思い返してみても、書庫の中に該当する文献はなかった気がする。
(でもまぁ、妖精もいたことだしな……)
世の中、書物や人伝いの知識だけはわからないことだらけで、案外そういった魔法もあるのかもしれない。
「それでぼく怖くなって、また地下室に隠れてたんだ」
パパが戻ってくるのを、ずっと待っていたの。
と、少年は話を続ける。
「しばらくして、今度は床の上からガタガタ騒がしい物音が聞こえてさ。隙を見てまた外の様子を見たら……今度はツノの奴じゃない、別の悪そうなおじさんが家の物ぜーんぶ外に持ってったの」
「そいつは盗賊だよ。なぁ、そいつのそばに妖精――じゃなくて、緑色のピカピカ光るものがなかったか?」
緑のピカピカ?
と、少年は首を傾げた。「んー……」と考えた後、ポンと手を叩いた。
「そういえば……なんか逃げる時に、持っていた瓶が光っていたかも」
「おおっ、それだそれ! ……ん? でも逃げるって?」
「ああ、うん。そのおじさん、家具を広場に積んでたらツノの奴に見つかっちゃってさ。それで大慌てで泉の方に逃げていったんだよ」
そう言って、少年は向こうを指さした。
広場の奥にある崖に、また石の階段が見えた。どうやら、さらに山の高所へと続いている道のようだ。