古い道をたどってⅠ
平野を越えて、なだらかな大地の起伏に揺られること――およそ小時間。
「よし、到着だ!」
荷馬車はゆるゆるとスピードを落として、馬のいななきを合図に停車した。
荷車に乗っていた俺は、ささっと地面へ降り立つ。荷物を下ろして支度を整えると、運転席のほうへ軽く頭を下げた。
「ありがとう。おかげで助かりました」
「いいってことさ。かみさんの頼みとあっちゃ、俺も力を貸さないわけにはいかんからな」
気さくに笑うのは、昨日と同じく、俺をムコー村へ運んでくれたあの馬屋の親父さんである。
朝、酒場を出発した後、俺はもう一度村の道具屋へ立ち寄った。道具屋のおかみさんに、サンガの村についてなにか話が聞けないかと思っていたら――。
『サンガへ行くのかい? だったら、お願いしたいことがあるんだけど……』
と、ジャムや瓶詰めの入った籠と一通の手紙を受け取った。なんでも、サンガにはおかみさんの姉妹が住んでいるらしく、久しく連絡を取っていないため、ぜひ届けて欲しいと頼まれた。
頼まれごとを引き受ける代わりに、馬屋の親父さんに道の途中まで運んでもらったというわけだ。
「おかみさんにも、よろしく言っておいてください」
必ず届けますから。
と、手紙を見せて俺は微笑み返した。
すると、親父さんは急に心配そうな顔を見せて、ざりざりと顎の無精髭を撫でた。
「本当に、君ひとりだけで大丈夫か? ……んー、とは言っても……俺も馬車のことを考えると、案内できるのはここまでだからなぁ」
親父さんは顔を横へ向けた。俺もならって、その方向へ視線を投げる。
目の前には、山林が広がっていた。山岳地にあるサンガの村へ行くには、山裾に広がる林を通り抜けて行かなくてはいけないのだ。
(妖精がいた森よりかは、鬱蒼としていないが……)
林の入口に木の看板があった。雨風に晒されたせいで木彫りの文字は痛んでいたが、かろうじて『サンガ村の入口』と読める。木の板自体が大きく傾いているところが、また寂れた哀愁を誘う
林のなかを、トンネルのように切り開かれた道――地面には、古い煉瓦が敷かれているのが見えた。道はゆるやかな傾斜で、山の奥へと続いている。
「まぁ、見ての通り。道はあることには、あるんだがなぁ……」
肩をすくめる親父さんは話を続ける。
「昔と比べて商人の行き来が減ったせいか、盗賊やモンスターが出ているらしい。充分に気をつけて進むんだぞ」
と、俺に助言を残した後、親父さんは再びたずなを振った。荷馬車の馬がゆっくりと歩き出す。俺はもう一度、謝礼の言葉を述べると、去りゆく馬屋の親父さんに手を振って見送った。
その姿が豆粒ほどになり、丘陵の影に隠れたところで、俺は自身が着ている外套のフードに顔を振り向かせた。
「もう、出てきても大丈夫だぞ」
フードに隠れている妖精ウェンディに声をかけた。しかし、彼女は顔を出すどころか、返事すら返さない。
はぁ、と俺は嘆息を漏らした。じつは、さっきからずっとこの調子なのである。酒場を後にしてからずーっと――むくれているのだ。
「おいってば」
肩を揺すってみても、妖精は出てこない。ただ「アタシは信じない」とだけ、ぶつぶつつぶやいている
(酒場のおばあさんの詩を聴いてから、こうだ)
仕方なしに、ウェンディをフードに入れたまま、俺は荷物をもって歩き始めた。
林のなかへと、目指すはサンガ村である。
「…………」
ザッザッ、聞こえるのは俺の靴音。それと風に吹かれた草木のそよめきくらいだろうか。たまに鳥の鳴き声が響くだけで、山林の道中はとても静かだった。
まるで、また一人旅に戻ったかのように。
「戦おう……我ら互いに、手取り合い……闇を払えよ、妖精の騎士……」
道に慣れたところで、例の詩口ちずさむ。
荷馬車に揺られた時に、手帳を何度もも読み返したのでそらで言えるようになった。もっとも、メロディまでは記憶していないため、淡々と読むだけであったが。
「剣を掲げよ、妖精の騎士……誓い合う……ヒトと妖精 いつまでも……たがいのきず――」
「やめてってば!」
目の前を、淡いライム色の光が遮る。光のなかで、ウェンディはむくれた顔でこっちを睨んでいた。
「……妖精の女王の話だと、妖精と人間は争い合う仲だったらしいな」
「そうよ。だから、デタラメもいいとこよ、こんな詩!」
いつになく彼女は強い口調だった。でも、その深緑の瞳に混乱の色が混ざっていたのは言うまでもない。
「おばあさんの詩では争うどころか、一緒に戦っていた間柄のようだったけれど」
「…………」
宙で止まるウェンディを避けて、俺は再び歩みはじめる。
古い街道だけあって、山道に敷き詰められた煉瓦はぼろぼろになっていた。そのほとんどが砕けて、隙間からは雑草がまっすぐに背を伸ばす。
割れ目につまづきそうだったので、俺は脇の土道を歩いた。たしかに、廃れた道だ。しかし、まったく使われてないわけじゃないらしく、適度に人の足で踏みならされた感はある。
現在、正午近くだろうか。キラキラと道に落ちる、木漏れ日のきらめきを目で追っていると――影の合間にライム色の光がちらついているのが見えた。
視界の端で、妖精がちゃんとついてきているのがわかった。
周囲の敵の出現を警戒しつつ、俺はさりげなく雑談を再開した。