モーニングサービスⅡ
「ところで昨夜、テーブルの上になにか地図のような紙切れを見なかった?」
俺が訊ねると、酒場の親父さんは「ああ、それなら」と一枚の紙をカウンターの上に出した。
たしかに、それは地図であった。点と線と文字だけで、ざっくりと周辺の情報が書き記されている。
ムコー村の点を中心に、矢印のついた長い線がサンガ村の点と結ばれている。強調を示すため、サンガの点はグルグルと何重もの丸で囲われていて、山岳地帯を表す小さな三角形が添えられていた。
ちなみに矢印線の脇にはたったひとつ『西へ』の文字が綴られている。
「…………」
非常におおざっぱな説明の紙切れであったが、一つだけはっきりしたことがある。
(サンガの村は西にある。……となると、大きな街とはまるで正反対の方向になるか)
昨日、荷馬車の上から見た景色を思い出す。商人が行き交う街道の先、河に架けられた大きな橋を――。
「サンガに行くのかい?」
ふと、酒場の親父さんが俺に訊ねた。俺が反応を示す前に、親父さんの太めの眉が八の字をつくった。
「あんまり、おすすめはしないぞ? あそこに行くにゃ、古い道を伝ってくんだが………最近はめっきり、人が通らなくなっちまってな」
その昔、ムコー村がまだ小さな集落であった頃。同じく小さな集落であったサンガとは、双方、盛んに交流し合っていたらしい。
ところが、街道が整備され、大きな街とを繋ぐ橋が架けられると、ムコーの村人のほうからサンガへと赴く回数はぐっと減っていったとか。
「いまじゃ、たまにサンガの村の人間がここに買い出しに訪れる程度だ。それを狙って、あの古い道には盗賊も出るって話だぜ?」
「ふぅん、盗賊か……」
それだけを俺に伝えると、親父さんはまた、せっせとグラス磨きに戻ってしまった。
俺が地図を懐にしまおうとした時、後ろから妖精がせっついてきた。
「ほら、さっさと行きましょ」
よほど、おばあさんの演奏が嫌なのだろう。それには俺も同意見だと、情熱的な詩に酔うおばあさんのほうを困った目で一瞥した。
「早く、早くってば」
「あ、ああ、そうだな。でも――」
俺達の行き先は、大きな街のほうだ。
と、俺はウェンディに言った。当然、彼女は「なんでよ?」と不服そうな声を上げる。
「やっぱり、あの吟遊詩人の人が言ったことは、妖精の件とは関係ないよ」
俺は結論をすっぱり言った。
「サンガの村は、ここムコーよりも小さな集落らしいんだ。情報を集めるなら、より大きな場所で、たくさんの人が行き交っているような所でなくっちゃな」
「でも……」
渋るウェンディに、俺はしまいかけた地図をフードのなかに落とした。
「サンガは、大きな街とは正反対の方角にある。山岳地まで距離もあると考えていいだろう。俺達に残された日数を考えれば……両方まわるのは無理だ」
だったら断然、大きな街のほうが有益だ。
俺の答えに、ウェンディはフードのなかで唸る。その後、特になにも返してこないため、俺は了承したと受け取った。
「それじゃ、大きな街を目指して出発だ」
街への行き方は、すでに知っている。
ムコーの村を出て、街道を少し歩いたのちに、橋を渡ればいい。橋を渡ったら、わりかしすぐに街の門が見えてくるとか。充分に日の高い内に、移動できるはずた。
(サンガの村へは、妖精の件が終わってからにしよう)
しかし、それにしても……。
(俺を待っている人、ね……)
いや、吟遊詩人の言葉をまるっきり信じているわけではないが……わけ、ではないが……。
と思っていた、その時であった。
――バンッ!
「!」
大きな音が酒場に響いた。外から勢いよく、酒場の扉が開いたのである。
一人の男がハァハァと息を切らして、現れた。
顎から垂れ落ちる汗をぬぐって、その男は酒場にいた全員に聞こえるよう、大声を張り上げる。
「た、大変だッ! 街に通じる橋が、橋が――ッ!」
その男は言った。
「橋が、落ちちまったよッ!」
「はい?」
思わぬ報告に、俺は目を点にしてその場に固まった。
それから時は、倍速の速度で流れていく。
突如現れた村の男――鍛冶屋の息子さんらしい――の報告に、酒場にいたまばらな客はみな外に飛び出していってしまった。
扉を開けた先、外の様子も大騒ぎになっているのが見て取れた。誰の口からも、橋が落ちた、橋が落ちたと叫ばれる。
その後は野次馬根性を見せて、ムコーの村人達は一様に同じ方角へ走っていった。
「かあちゃん、店番よろしくな!」
酒場の親父さんも、俺の脇をすり抜けて出ていってしまった。呆然と立ち尽くす俺の耳に、扉の外からいろいろと話し声が入ってくる。
「橋がどうしたって?」
「誰かに落とされちまったんだってよ!」
「嘘だ、うちは河の水に流されたって聞いたぞ!」
「原因はいい。それより復旧にどのくらいかかるんだ?」
「さぁ、しかし今日中は無理だな」
「なんでも四日以上、数日はかかるらしいぜ」
四日以上。
加えて河は大きく、流れも早く、自力で渡るのは難しいという。
「…………」
ぽつんと、俺は酒場で佇んでいた。フードから身を乗り出したウェンディが、俺の頬をつつくまで放心状態は長く続いた。