吟遊詩人リィーネ
平穏な村の小さな酒場に、白い光が爆発した。
俺は瞼をぎゅっと閉じた。両腕を顔の前に上げて、閃光から目をガードする。
それでも瞼の裏は真っ白に染まり、同時に村人達の悲鳴が耳をつんざく。
ぐっ、と俺は衝撃を覚悟した。
テーブルが吹っ飛ばされ、真っ黒に焼き焦げた惨状を想像するのは容易かった。そして最悪、火の手が上がり、村中が大騒動になって──。
「…………」
瞼の裏が暗くなった。
身構えていた衝撃は一向に訪れない。踏ん張っていた足の力を緩めて、俺はおそるおそる目を開けた。
大惨事を想定して、ぎこちなく腕を少しだけ下ろす。だが、妖精の放った光の玉で辺り一面真っ黒焦げ……なんてことはなく、酒場にはなんの損傷も見られなかった。
もっとも、テーブルや椅子やらがみんなひっくり返って、酷く荒れた状況には変わりなかったが。
酒場にいる村人達も、次第にのろのろ動きはじめた。ある者は目をしばたたかせ、ある者はかぶりを振っている。
「い、いまの強い光……あれはなんだったんだ?」
「わからねぇ。にしても、まぶしかったなぁ」
「おお、鬼火は……?」
「あっ、どこにもいねぇぞ」
「まだ頭クラクラすっぞ……」
強い光を浴びて、まだ混乱しているようだった。
俺もウェンディを探して、未だに痛む足の臑をさすりながら周囲に目を配る。
すると突然、首が後ろへと引っ張られた。
「!」
ぽすん、となにかが俺の外套のフードのなかに落っこちたようだ。俺は首をまわして、そっとフードのなかを見た。
「撃たなければいいんでしょ?」
と、つんとした声が耳に入った。
妖精ウェンディだ。
どうも彼女は、目くらましに光を集めただけで、実際に攻撃するつもりはなかったらしい。
「おまえね……」
それでも俺は文句を言おうとした。だが、ウェンディは顔をそらして、どこかのテーブルでくすねてきた戦利品の果実をしゃくりと囓った。
「大変です、みなさん!」
凜とした声が、酒場に響き渡った。
酒場にいた全員が声の主へと、顔を向ける。当然俺も、すぐ近くに立っている──吟遊詩人へと目線を上げた。
「あの妖しい光が、外のほうへ飛んでいってしまいました。早く追いかけないと、村にどんな災いがあるか……!」
吟遊詩人は、いつの間にか開いていた窓を指さして言った。
麗しい女性の言うことだ。ムコー村の人達はみな互いに顔を合わせた後、我先にと酒場の扉に走る。ドタドタと埃を立てながら、今宵の客達はみんな酒場の外へ出て行ってしまった。
酒場の親父さんも「こりゃ、仕事どころじゃねぇ」と、彼らの後に続いて行ってしまった。
かくして、酒場には俺とウェンディ、吟遊詩人の女に……それから失神してのびているおばあさんだけが残された。
「ありがとう、助かったよ」
俺はようやく立ち上がって、吟遊詩人にお礼を言った。
いえいえ、と吟遊詩人は微笑みながら首を振る。彼女の目元を塞ぐ布を見て、俺はつと、あることに気づいた。
「よく考えたら、目元を塞いでいるあなたが光の行き先を知れるはずないのにな」
単純な村人達でよかった。
俺はフードに隠れているウェンディに、出てきても大丈夫そうだと言った。彼女は吟遊詩人を警戒してか、ひょっこり目元までフードから顔を覗かせている。
「ふふっ、まったく目が使えないわけではありませんのよ?」
と言って、吟遊詩人はまっすぐ俺の脇へと顔を向ける。その見えない視線を察してか、脇から顔を覗かせていたウェンディはすぐに首を引っ込めた。
「少々、目が光に弱いのです。この世界は私にとって、とても眩く映るものですから」
「そうか、大変なんだな」
「いいえ、そう不便でもないのですよ。代わりに音や空気の流れが、私にいろいろな情報をさずけてくれますから」
それと──。
と詩人は細い指で、自分の目元を指さして言った。
「私の目は、特別でして──未来を見ることができるのです」
桜色の、形のよい唇が弧を描く。
「み、未来?」
突拍子もない言葉に、さすがの俺も怪訝に眉を寄せた。
すると、フードからウェンディがふわり羽ばたいた。彼女は吟遊詩人の顔の前に移動して、その塞がれた目元の布をまじまじと見つめている。
「可愛らしい妖精さん」
「!」
「本物を見るのは私もはじめてです……あっ」
すっと手のひら差し出す吟遊詩人に、ウェンディは驚いて、また俺の肩後ろまで引っ込んでしまった。
「あらら、嫌われてしまいましたね」
吟遊詩人は残念そうに言うと、おもむろに近くにあったリュートに手を伸ばした。ぽろろんと、彼女は戯れに弦を弾く。
「みみ、未来が見えるって言ったわよね!」
俺の肩の影から、ウェンディが声を荒げた。
ええ、と吟遊詩人は優美に頷いた。
「だったら、アタシの未来を見て! 将来、妖精がどうなっているか……教えなさい!」
「本気にするなよ、ウェンディ」
俺は妖精をたしなめた。それから、弦を弾く吟遊詩人に顔を向けた。
「未来を見るって言っても、占いかなにかだろう? それよりも、俺達はあなたに訊きたいことがあって──」
「あら、本当に見えますのよ?」
でも、と彼女は続けた。
「妖精の未来……それは難しい質問ですね」
「えっ、どうしてなの?」
「いままさに分岐点のまっただなかですからね。すべてはあなたに委ねられています」
と、吟遊詩人の見えない視線はウェンディはなく……俺に向けられた。
「俺?」
「はい、あなたに」
「ちょっと、変なこと言わないで。どうしてこんな奴なんかに──」
小言を口にする妖精をさえぎるように、吟遊詩人はすくっとリュートを持ったまま立ち上がった。俺達二人に向かって、彼女は軽く頭を下げた。
「自己紹介がまだでしたね。私の名前はリィーネ」
と言って、吟遊詩人のリィーネは柔らかい旋律を奏でた。